『ご清聴願います』

慶應連合三田会副会長 石井 公一郎さん 昭21経

<註> 三田ジャーナル(182号)「ペンの散歩道」からの転載です。


  連合三田会やその周辺の行事が行われる際に、気にかかることが一つある。
それは、主催者やゲストが壇上でスピーチをしているときに後ろの方でガヤガヤ
と私語が交わされている光景である。塾生に模範を示す立場にあるOBがそのよ
うなことでは「気品の源泉」はどこへやらという感じがしてならない。

 それでは、事態の改善にどのような対策が考えられるか。具体例の一つとして
軽井沢三田会の模様を紹介しよう。

 四年前まで、この会合は私語ガヤガヤであり、折角塾長においでいただいても
失礼にあたるような有様であった。レギュラー・メンバーの服部禮次郎、山本恵
造、奈良久弥の諸氏をはじめとする幹事の間で相談が行われ、事態改善に乗り出
すことになった。まず、世話役である中堅OB諸君に意見を求めたところ、ゴル
フ・トーナメントで使われている「静かに、Quiet」のボードを世話人が持ち歩
き、参加者の注意を喚起することがよかろうということになった。

 この作戦は功を奏し、九十パーセントまでの鎮静化が進められたが、問題はあ
との十パーセントで、これがなかなかむずかしい。最後のとどめは、世話役と、
この運動に熱心な先輩OBが、「静かに」のボードを持って待機し、私語を交
わしているところに接近することによって達成された次第である。

 この運動を始めて四年が経過し、軽井沢三田会は数ある三田会のなかで、ナン
バー・ワンとまでいかなくても、ベスト・テン上位の静粛度を持つ会合となった。
やればできるという見本の一つに数えられよう。

 耳を傾けるという動作が、生活のなかできわめて重要であることは改めて説明
を要しないが、台湾では「聞」よりも「聴」のほうが多く用いられているそうで
ある。この文字は耳と徳の結合によるものであるから、耳を開く「聞」よりも強
い意味が込められている。

 英語でいう「listen」と「hear」の相違に似通っているといえよう。
アメリカにおける「親のための教育」の研究機関では、子供に対する
「positive listening」をすすめている。積極的に、熱心に子供の話に耳を傾け
る親が多くなれば、子供の情緒が安定することが期待できるからである。
 社会人としても、聴く時間を多くして喋る時間を短くすれば、それだけ賢くな
ることは間違いのないところであろう。

蛇足:
 各種三田会の幹事や世話役の方は、どなたも会合でのスピーチの間の静粛度に
ついて、悩まれたご経験がおありと存じます。スピーチのタイミングと時間の長
さへの工夫も大切ですが、近頃多い立食パーティ方式の会合では特に私語が多く
なりがちです。

 軽井沢三田会の「静かに、Quiet」のボード表示と持ち回りは、解決のための
スマートな良い方法です。すべての三田会の会合でのご採用により、静粛の維持
が徹底しますと「気品の源泉、智徳の模範たれ」と示された慶應義塾社中の責務
を果たすことになるでしょう。

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『えにし』
慶應連合三田会副会長 椎名 武雄さん 昭26工
 <註> 三田ジャーナル(特別号)「ペンの散歩道」からの転載です。


 「えにし」という言葉がある。「縁」でもよさそうだが、この語感には(語源は
知らぬまま)いかにも漢字を輸入する前の大和言葉らしい、ひらがな文字にふさわ
しい、優雅さがある。

 地域やら血縁やら戦後ならば職縁やら、時にはシガラミ時には互助機能として、
日本人が良くも悪くもかかわって来た「えにし」システムが、昨今語感の優雅さを
裏切る姿を露呈し始めたのは、いかにも残念だ。

 1996年に私が委員長を務めた、経済同友会「二十一世紀の社会像を考える委員
会」の提言に縁をとりあげ、”個が活き活きと輝き集う、多縁社会ニッポン”を
テーマにさせてもらったのは、「えにし」は諦めても何とか縁は活かして欲しいと
思ったからで、結局提言の方は、具体的施策を欠く、として大方の不評をかってし
まったが、いまだに諦めきれずに機会があれば紹介することにしている。

 いわんとするところは正にテーマどおりで、信頼と互恵の縁社会も、縁関係が単
一かつ閉鎖的では成り立たない。個人が個として自立していなければ信頼関係は結
べない。

 経済活動も物理的なコンピューターネットワークも従来の地縁血縁職縁はもとよ
り、国境も越えてつながる今日の地球にあって、日本人は大切にしてきた「えにし」
の良さを、日本らしさの最たるものとして活かすには、多様に多層に結ばれた、開
かれた縁関係が形成され、その中に生きる我々が個として賢く自立する必要がある、
というわけである。

 いよいよネットワークがインフラとして定着してきたせいか、それに伴う弊害が
とくにこの頃取り沙汰されている。ニュースを耳にする度に、すべてに「無縁」の
孤独な若い人の姿が想起され痛ましさとともに、これからの社会を担うべき人達の
多くが、もしかすると非常に脆弱な、自立から遠い精神状態にあるのではなかろう
か、と心配になる。

 そうだとすれば、誠に楽観的提言書といわざるを得ないが、老婆心ならぬ老爺心
としては、脆弱な気質体質を内包した時代の病を克服し、新しい「えにし」の国
日本を築く人も道も、必ずやあると信じたい。

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『まず獣身を成して...』

慶應連合三田会副会長 鳥谷部 恭さん 昭29経済
<註> 三田ジャーナル(第191号)「ペンの散歩道」からの転載です。


 子供のはしゃぎ声、騒ぎ声を巷で聞かないようになった。これは空き地(これが
ガキ大将どもの溜り場だった)喪失、高齢化というような社会的環境の変化もさる
ことながら、簡単に言ってしまえば、試験対応のための知識重視型の教育への傾倒
と、ヴァーチャルな空間への遊び場のシフトー短絡的に見れば少子化に伴う競争の
強化や、情報化社会の進展ーといった文化的環境の変化が悪玉にされそうである。

 しかし、それよりももっと問題なことは、このよううな環境変化に迎合して、子
供に対する過庇護(敢えて過保護とは謂わない)、人間関係の砂漠化を容認してし
まっていることではないだろうか。

 実は我が家も昨年の八月にCATVを経由した高速のインターネット環境が実現し
た。これが極めて便利で面白い。これを使えば、最新のニュースがなによりも早く
入手できるだけではなく、世界の知識がすべて目の前に展開されるのである。知識
詰め込みの教育などは、何の意味もないことが改めて認識できる。

 さらに面白いことに、小中学生の孫たちとのコミュニケーションが高まった。
電子メールによってではない。同じ目線で相手をする対象が生まれたのである。
お互いに、教え合い、話し合い、手伝い合う。もっともシステマティックな舞台で、
もっともヒューマニックな関係が強化されているのである。要するに、情報化環境
がよりウエットな世界を切り拓いてくれているのである。

 経営の世界では、ナレッジマネジメントが昨今言われ始めている。コンピュータ
のデータごとき固い情報(形式知)だけから、人間同士の会話などによる柔らかい
情報(暗黙知)が重視され、なかんずく、これら硬軟の情報=ナレッジを生成する
仕組みを構築することが重要になってきている。

 PC上に展開される固いデータと、PCの前に座っている人間関係の上から作ら
れる柔らかい情報を有機的に交換するナレッジマーケットを創設した企業が時代
を先取りしている。まさに、これと同じことが我が家でも巻き起こっている。

 デジタルソサイティになればなるほど、人と人との触れ合いを重視する「柔ら
かい」家庭教育が重要になるのである。「雀一〇〇まで踊りを忘れず」とは良く
言ったもので、、ナレッジの基盤である「心」を形成する教育である。

「まず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義であるから、生まれてか
ら三才、五才まではいろは字も見せず、七、八才にもなれば手習いをさせたりさ
せなかったり、まだ読書はさせない。」この言葉が、妙に染み入る今日この頃で
ある。


 <蛇足>文末の引用文は福澤先生のお言葉です。

     若い世代の方のために申し添えさせて頂きます。

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『士農工商から商工農士へ』

慶應連合三田会副会長 奈良久弥さん 昭22経済
<註> 三田ジャーナル(第195号)「ペンの散歩道」からの転載です。


 この処の日本は万事モタモタし国民も自信を失い残念なことです。何故こんな
ことになってしまったのか私なりに考えますとと三百年以上に及ぶ徳川封建時代
の思想から脱却し切れないためと思います。昭和18年秋、例の明治神宮外苑で
雨の中女子学生に見送られて学徒動員により兵役に服し熊本の連隊に入った時の
第一声が「貴様達は今迄民間人として、軍人、軍馬、軍犬、軍属より下の娑婆の
人間から一番上の軍人になったので有難く思え」とのことで軍隊という処の身分
の認識はこんなものかと、塾では福澤先生の思想を学んだ者として惟々唖然とし
ました。このような思想が戦後も脈々として残り社会に出てからも役人が平気で
遅刻し上座に座る風習は当然として扱われました。


 この観念が国民の自立心を喪失させ、すべてお上頼みとなり癒着、赤字でも献
金し贈収賄の不祥事の温床となりました。
 要するに日本人は単一民族単一国家そして長年の封建国家に育まれ、その甘え
が現在の解放された国境なき時代に合致しなくなったのが致命的な障害となって
います。


 流石福澤諭吉先生は日本の国民性を見抜かれ「独立自尊」を唱えられました。
昨今の色々な不祥事をみても経営者の自己責任の欠除が最大の原因です。二十一
世紀を迎えボーダーレスは一層進み、殊にIT革命により時間空間は常に瞬時に
捉えられるようになりますので、日本は徳川時代からの牢固とした士農工商の思
想から脱却し商工農士に切換え、殊に役人は公僕の精神、国民のため尽し奉仕す
ることに徹し、又国民も相互依存の甘えから契約社会でどう生き抜くかの自助努
力自己責任を貫いて行かねばなりません。わが慶應義塾こそ福澤先生のこの建学
の精神をもう一度思い起こし、率先して世のため指導的役割を果たして行くよう
頑張ろうではありませんか。

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