リレー・メッセージ 第80回 2008.4.15 岩崎永一さん(平14経)
『慶應の言語学ジャーナルの発行への提言』
◆インターネット三田会代表の小野喜也氏のご厚意により、留学先の様子等を報
告記として纏め、インターネット三田会に寄稿をして欲しい、という大変有難い
お誘いを拝受致しました。そこで、今後、留学中の期間に出来る限り毎月のペー
スで簡潔な留学報告記をお送り申し上げたく存じます。
◆現在は、イギリスのエセックス州コルチェスターにあるエセックス大学の大学院で
勉強をさせて頂いております。ここの言語・言語学部(Department of Language
and Linguistics)の大学院の英語・言語学MA課程におります。ここには言語理論、
第二言語習得、心理・ 神経言語学でヨーロッパ有数の研究者が揃っております。
今年の9月にMA dissertationを提出し、9月以降はケンブリッジ大学St. Edmund’s
Collegeの訪問研究員(Visiting Scholar)として短期間の間、勉強をさせて頂くことに
なっております。
◆私が言語学という学問の存在を始めて知ったのは、塾大学入学後に、経済学部
の教員プロフィール冊子に「普遍文法」の枠組みで研究を進めている語学の先生
方がいることを知ったのがきっかけです。それ以来、「生成文法」と呼ばれる研究
の枠組みや、「認知言語学」と呼ばれる研究の枠組みの双方の第一級の先生方
に学ぶことが出来ました。(註1参照)
塾経済学部では中学・高校の英語教員免許状も取れるようになっていましたから、
私はそのための科目の一環としても、言語学の授業を取り、最終的には事実上の
副専攻に匹敵するようなくらい、言語学のコースを多数取りました。
塾大学には各学部や三田の言語文化研究所に多数の、日本を代表する言語学者
が分散しており、そうした先生方が結集をすれば日本有数の言語学部(あるいは
言語学科)が設立出来てしまうだろうと予見し得る程です。特に言語文化研究所
が率先して言語学の授業を体系化してきた経緯があり、私もその恩恵を強く受け
た者の一人だと思います。他にも日本認知言語学会(JCLA)の設立やその記念大会
あるいは東京言語心理学会議(TCP)を引っ張ってこられたのも慶應の先生方です。
海外から多数の著名な研究者を大会・学会議に招聘し、日本の言語学を牽引され
てきたのが、慶應の言語学の先生方であると言えます。
◆言語文化研究所教授の大津由紀雄氏も氏のホームページ上の『還暦を迎えて』
という文章で書かれていらっしゃいますが、慶應に認知科学センターを作るとい
う夢も、こうした優れた言語学の研究者が慶應に多数いらっしゃることを考えれ
ば当然のことかも知れません。
2006年夏に日吉で英語教育のシンポジウム(註2参照)があり、その後の懇親会で、
塾長と1分程度、お話をして頂く機会があり、塾長が「慶應に International
Cognitive Centreを作ろうという話は以前にもあった。」ということをおっしゃって
いました。若輩者に対しても非常に温厚に耳を傾けてくださったことを覚えております。
こうした、認知科学センターないしは言語学科の創設は素晴らしい夢である
一方、なかなか実施ということになると難しいものだろうと思います。
そこで、私の提案は、まずは慶應の言語学ジャーナルあるいは紀要を作り、
慶應の院生や塾員、その他関係者が投稿できるようなものを作るということです。
現在も塾文学研究科英米文学専攻の『コロキア』という優れた同人誌がありますが、
これは、投稿の権利は英米文学専攻の院生や卒業生に限られているようです。
現状の言語学のジャーナルや紀要だけではまだまだ院生や若手研究者の論文発表
機会が少ないと言えます。新しい、言語学ないしは認知科学の領域で、塾員や塾の
院生等の若手研究者が自由に投稿できるような、塾の紀要があれば、塾内における
言語学ないしは認知科学への機運の高まりに貢献できるものと思います。
(いわさきえいいち・塾員・経済2002 /
Email: linguistアットマーク2002.jukuin.keio.ac.jp)
(註1)「生成文法」と「認知言語学」は一般には対立する流派だと認識されて
いますが、私はそのようには考えていません。例えば
Eiichi Iwasaki. 2008. “A Gift of the Cognitive Science of Language
to Secondary EFL teachers.”
日英言語文化研究会(編). 2008.「日英の言語・文化・教育」. 三修社.を参照。
(註2)シンポジウムについては下記でも触れました。
http://www.e-prosjp.com/frreview-060822.html
リレー・メッセージ 第79回 2007.10.15 横山正明さん(昭32文)
『甘い果実?』
ご存知の様にここ南国タイは果物の宝庫、一年中色々な果物が出回っています。
ドリアン、マンゴスチン、パパイアなどがお馴染みです。
十数年前頃までは所謂地元の果物のみ、リンゴ、梨、ぶどう、柿など日本独特
の果物などは殆ど見られず仮にあっても輸入品としてとても高価で手のでない高
級品、先ずは諦めていましたが最近ではこれらの果物も手軽な価格で手に入り、
果物に関してはまず不自由の無い昨今です。
中でもマンゴスチンは昔から果物の女王と言われ夙に有名です。見掛けは決
して美しいとは言えず形は極く小さい柿、色は濃い紫色、5~6ミリの厚い皮を
割ると白い芳醇なみずみずしい甘い実が現れその美味しさに飽きることはあり
ません。
小生の好物の一つですがこの間の事この皮を割ってみたところ瞬間中から無
数の小さな蟻が噴出?していっせいに逃げだしました。その気味悪さに投げ出
してしまいました。蟻は甘いものを嗅ぎ分け一番美味なものに集まる訳です。
その時とっさに連想したのが今日本で騒がれている社会保険庁問題でした。
国民の将来の為に納めた貴重な金を億単位で横領、着服した役人達の姿が甘味
にたかる蟻とオーバーラップしたのです。日本の事件については海外では限ら
れたものながら、このニュースには文字どうり耳を疑いました。汚職は限られ
た人間の起こす犯罪と半ば諦めてはいましたが、今回の事件は一般の地方役人
が多くかかわっているとの事.にあきれ果てると同時に人間とし
て恥ずかしい犯罪を冒すこれらの人々に対してやり場の怒りをおぼえました。
かなり以前から後進国ではこのような事件を多々耳にしていましたが今の
日本でこの様な事件があろうとは日本の役人に絶望する他ありません。
歴代の農林大臣始め議員の怪しげな経理操作日本人からは罪悪感、堕落と
言う言葉は既に消えてしまったのでしょうか。
話が随分と横道に逸れてしまった序でに、近頃の日本語の不明朗さにも飽き
れます。領収書を5部もコピー改ざん国費を詐取した元農水大臣のテレビでの
弁明が皆様にご迷惑をかけたとかお騒がせした等、こんな弁明で自分の犯した
犯罪を詫びたつもりなのか犯罪人の意識など全く無い日本語の使い方は明らか
におかしいと思います。
又極悪な殺人者への裁判官の言葉で“被告は将来更正の可能性が無いとは言
いきれない”など弁護士と区別のつかない怪しげなコメント。事件の被害者を
無視した自信の無い又責任逃れめいた意味不明の言辞をろうする裁判官にも
あきれ果てます。
皮肉なことに今はNHK WORLDと称してリアルタイムに日本のニュースが
世界中に流れます。結果日本の政治家、官僚の堕落さ加減が日本へのイメージ、
信用を急速に下落させています。海外ではクリーンな印象があった日本人は一
体どうなってしまったのでしょうか? 海外に住む日本人としては肩身の狭い
思いがつのり気の滅入る毎日です.。
タイの果物の話がとんだ方向にずれてしまいました。折角の美味しい果物も
不味くなりますのでこの辺で止めておきます。
リレー・メッセージ 第78回 2007.5.16 横山正明さん(昭32文)
『バンコク便り』
暑中お見舞い申し上げます。大分早めのご挨拶をタイからお送り致します。
タイの人々によればタイの1年には三つの季節があると言います。
即ちhot,hotter,hottestとなる訳ですが今4月は正にhotest seasonに当たり
ます。
タイでは4月中旬、今年は13日から15日がタイ正月、別名水掛祭りが行われ
ました。この祭りもかなり世界的に有名になりましたがこの3が日,町のあち
こちで誰彼となく水を掛け合い例え正装して水を掛けられようと決して怒って
はいけないとされています。 全くの私見ですが恐らく昔この最も暑い時期に
貴重な水を掛けて上げるのはどんな人に対しても最高のもてなしであったので
はないかとの自説を信じております。気温も37〜8℃、水を頭から掛けられ
ても瞬く間に乾いてしまい怒る間もありません。
日本で言う熱帯夜に8階の我が家も毎夜,冷房,扇風機,加湿器がフル回転の
状態が続きます。
実は小生目出たく??塾卒業50周年を迎え3年ぶりに過日一時帰国4月3日の
入学式に出席しました。幸か不幸か3日の東京は19年ぶりの寒さとか、冷たい
雨に祟られた1日でした。何分38℃に弛んでしまったわが身には日吉の記念館
が冷凍庫の様に感じられました。16年のタイ生活,我が身体は寒さをすっかり
忘れてしまていたのを実感したものです。
当日大学1年の時のクラス会、諸嬢諸兄と竹葉亭本店で日本の本当?の鰻に
舌鼓を打ちました。この会の名称カマボコ会の当時を偲んだ一夜でした。当時
ご卒業の方々にはこのカマボコの意味がお分かりと思いますが未だ終戦間もな
い頃米軍に接収されていた日吉の丘に残されたカマボコ型の米軍兵舎を教室に
転用,冬更に寒く夏更に暑く雨で教師の声が聞こえず今では考えられない苦学
の毎日でした。
3日間と言う短い東京滞在を終えバンコクの熱い生活に戻り早速翌週の大学
の授業に戻ったのですが折悪しく正月明けの日,学内は閑散、当たり前の如く
出席率最低の教室,実に静かな学内に寂寥感を感じ,特に日頃込み合う学生食
堂30店位の各種の食べ物屋が並び1.000人程度収容できる大型カフェテリアに
も学生がちらほら,食べ残した皿を目当てい集まる雀達を友に食事をとった真
夏のある1日でした。
未だ朝の幾分涼しい時間このお便りを送ります。これから大学に向かいます。
毎日歩くべしの医者のゲンメイに従って30分の徒歩を薬にして今日1日を頑張り
ます。
リレー・メッセージ 第77回 2007.3.15 横山正明さん(昭32文)
『バンコク便り』
例年どうり2月,小生がこの10年講師を勤めるタイ国大手の私立大学バンコク大学の卒業式を迎えました。
市内の国際大会議場には炎天下卒業生家族友人を含めた3万人ほどの人が集まりいやが上でも盛り上がる熱気
が更なる気温を高めます。この儀式が2日にわたって行われます。
実はこの卒業生達は昨年3月に事実上学業終了,卒業の学生達です。日本では卒業式と言えば3月の年中行事,
然しここタイでは翌年にかけて各校卒業式はばらばらに行われるのが普通であり在タイの日本企業の人事担当
者を迷わせます。
我々の言う卒業式,Graduation Celemonyと呼ぶより通常はCommencement Celemony即ち学位授与式と呼ばれて
います。学士号,修士号,博士号が授与されいよいよ社会に巣立って行く儀式ということになります。出席の
学生は全てガウン着用,ステージ上の150人程の教師陣は自分の出身校所定のガウンを着用することが決まり
になっています。ガウンの袖には修士が2本線,博士が3本線と国際的に決められています。
当校では1日約2,500人の学生に証書授与,2日合計で約5,000人の授与となります。勿論一人一人名前が
呼び上げられ学長よりの証書授与となりますがこの間約4時間,国王への敬意を表した後ステージ片側の9人
の僧の読経が続きます。仏教国らしい式典となります。国立一流校では授与は以前は国王御自身が手渡しで行
われておりましたが今は国王の健康上のことから皇太子または王女が代役を勤められております。
兎に角学生本人その両親などにとっては一生の大変重要なイベントとなります。式終了時は証書を胸にあて
学生全員での誓いの斉唱?そして退場の教師陣の作る道の中央を感謝の言葉を述べながら合掌(タイではワイ
と呼ぶ)し退場して行く学生,見送る教師達の胸が熱くなる瞬間です.一生のうちこのような厳粛な時が持て
る彼らは大変幸せであろうと思います。
今年も2日間ステージ上に着席5,000人の学生達の巣立って行く姿を見るにつけ小生は本年塾卒業50周年を
迎えました事をあらためて自覚した次第です。4月の入学式に招待されており何とか一時帰国、来し方50年を
懐古したく念願しております。
リレー・メッセージ 第76回 2006.12.15 斎藤明子さん (昭60女子高)
『ホワイトクリスマスin軽井沢2006』
クラシックギタリスト 斎藤明子
東京から軽井沢に移り住んで9回目のクリスマスを迎えようとしている。
初めての冬はその寒さに驚くばかりだったが、体が慣れてきたせいか、温暖化の
せいか、今では一年の中で一番軽井沢らしさを感じて過ごす季節となった。
観光客にとっても、避暑地としてだけでなく冬は冬でいろいろな楽しみがある町
だ。スキーやショッピング、豪華な食事に温泉、ステイタスを誇る大賀ホールで
のコンサートなどを、この季節ならではの光のデコレーションの醸し出すロマン
ティックな雰囲気の中で満喫することができる。
このイルミネーションについては、町をあげての取り組みといってもよいほどで、
『ホワイトクリスマス�n軽井沢』と銘打って、クリスマスの雰囲気を存分に盛
り上げている。フォトコンテスト、ハウスデコレーションコンテスト、イルミネ
ーションバスツアーなどさまざまなイベントが用意されている。
http://www.white-christmas-in-karuizawa.com
さて私もこのシーズンの素敵な思い出がひとつある。
慶応女子高の1年を終えたところで1年間スペインにギターを学ぶため留学してい
たときのこと。バレンシア地方にあるアルコイという小さな町の、大家族の家に
ホームステイしていた。敬虔なクリスチャンがほとんどのスペインでは、クリス
マスは日本よりもずっと神聖な行事だった。
家でもツリーではなくべレンと呼ばれるキリスト生誕の場面を飾るのが新鮮だっ
た。キリスト、マリア、ヨゼフ、東方の賢者、馬小屋、羊などのミニチュアを可
愛らしく飾るのだ。パーティーも日本とは違い、家族だけで過ごし、深夜のミサ
にむかう。
プレゼントは年が明けて6日の『主御公現の祝日』に渡される。数日前になると、
町のどこからでも見ることのできる山に大きな星の形のイルミネーションが輝く。
クリスマスの星だ。いよいよ当日、食事が終わったころ突然バルコニーをたたく
音がする。子供たちが大声を上げてかけよると、窓辺にクリスマスプレゼントが
山積みだ!
誰が届けてくれたのかとバルコニーに出てみると、信じられない光景が目に飛び
込んできた。ライトアップされた町の教会をバックに、星の電飾でいっぱいの
石畳の通りをゆっくりと3人の賢者がパレードしているではないか。そしてその
召使ということなのだろうか、上から下まで黒ずくめで、顔まで真っ黒に塗り、
真っ赤な布をベルトに巻いた青年たちが何人もその周りで仕事をしている。
賢者からの贈り物の配達だ。真っ赤な長いはしごをかけて、次々と大きな包みを
バルコニーに運び入れる。まるで町全体が、ナザレの馬小屋で、子供たち全員が
キリストになってしまったかのようだ。
こんなロマンティックなクリスマスが体験できるとは夢にも思わなかった。
日本ではどうしてもクリスマスとキリストの誕生とがかけ離れ、ただのお祭り騒
ぎで終わってしまいがちだ。しかし軽井沢にあるのは、電気のイルミネーション
だけではない。全国に誇る、吸い込まれんばかりの満天の星空がある。凛とした
寒さの中で夜空を眺めれば、大昔に馬小屋で誕生した神の御子を思わずにはいら
れない。
そしてこうして生きている私たちの命のありがたさをしみじみと感じるのだ。
宣伝:
斎藤明子のクラシックギター独奏によるCD『スペイン』(SRCR8854)
にはスペインのクリスマスキャロル、『聖母の御子』が収録されております。
脚注
ソニーミュージックショップのサイトにて斎藤明子さんのCDが掲載されて
いて購入できます。
リレー・メッセージ 第75回 2006.12.15 伏見 靖さん (平3理工) 「ミクシィ三田会のご紹介」 理工学部機械工学科1991年(平成3年)卒の伏見と申します。今回は私が インターネット上のサービスであるSNS(ソーシャル・ネットワーキングサ いくつかあるSNSのうち、ミクシィ(mixi)というSNSは使い勝手がよく、 既にインターネットを利用して情報交換したり交流を図る技術としては、ホー 「プロフィール」には、自分の趣味や出身校等を自由に記載することができま 「コミュニティ」は、掲示板と同じく、同一のテーマについて興味のある人が ここまでですと、従来のインターネット技術を組合せただけのようですが、 1つ目は、初めて利用する場合、既に利用している人からの紹介が必要である 2つ目は、「日記」や「コミュニティ」への投稿には、必ず「ハンドル」が表 3つ目は、友達リストです。友達リストは、参加者が「互いに友人だと思って さて、ミクシィ三田会は、前述した「コミュニティ」機能を使っています。 私は既に2年半近く、ミクシィを利用してきましたが、掲示板やメーリングリ
リレー・メッセージ 第74回 2006.11.15 近藤裕司さん (平7法・通) 「SOI (School of internet)を見て」 わが慶應でも古くから通信教育があったものの、あまり評価されてきま リレー・メッセージ 第73回 2006.11.15 笹田豊茂さん (昭31経) 「2006年 慶応連合三田会出席:雑感エトセトラ」 開会式での「塾歌斉唱」に際し、吹奏ブラスバンドが力強く伴奏したのは大 催し物も数多く、食べ物屋さんも軒を並べて盛大だが、何しろこちらは一人 こうして盛大な催しものがあると、どのように見たり聞いたりするのが一番 リレー・メッセージ 第72回 2006.10.14 大林高基さん(昭62文・通) 画名 林楷人 『絵を描く動機』 2006年10月 1984年初公開の映画「アマデウス」の中で、サリエリ少年は、最も高慢な 私は、普段 日本画を描いています。そして、なぜ絵を描くのかという問いか サリエリ少年が夢見た大作曲家としての不滅の名声を、生きている間にモーツ 人々は皆、なるべく多くの人から愛されたいと願いますし、更に世界中の人か しかし、よくよく考えてみると、我が名を以て我が作品が愛でられることが、 ここで私が着目したいことは、あのヴィーナス像を彫った彫刻家は、永遠の命 ヴィーナス像を彫りだした人の思考作用は、文化圏を越え、時代を超えて、 このように考えてみると、創作する者が自分の命の断片を永遠に保持するにあ 私が絵筆を執る動機は、最もずうずうしい欲望を満たすことにあります。永遠 お読みいただき、有り難うございます。 脚注: リレー・メッセージ 第71回 2006.9.15 小川原正道さん(H11政、H13法修 H15法博) 福澤諭吉と「ノブレス・オブリージュ」 「ノブレス・オブリージュ」という言葉は、貴族の義務、高貴なる者の義務とし 戦前の日本にも、華族という貴族がいた。旧大名と旧公家とをあわせて華族と 簡単にいうなら、明治4年の廃藩置県の直後、華族に西洋学問の習得を通じた 福澤諭吉は華族に何を期待していたのだろうか。彼自身が勲章、位階の類を嫌 たとえば、明治4年に彼の旧主であった奥平昌邁がアメリカに留学する際に、 ただ、維新後に奥平家の資産を管理する立場にもあった福澤は、奥平家を含め 「華族は普通の外に特に栄誉を享る者なれば、其知徳も亦普通の外に出色の区別 現代日本に貴族はいない。しかし「世襲的」な富裕層はいるし、実力で富裕層 これが発せられて約60年後に、華族制度は日本国憲法の施行にともなって廃止 (引用は『福翁自伝』岩波文庫、『福澤諭吉全集』岩波書店、 リレー・メッセージ 第70回 2006.3.15 高橋りう司さん(昭48経) 「応用力」の学習コミュニティ作りにもお力を! 日本未来問題解決プログラム代表理事 高橋りう司(経済1973年卒) 1)応用力は慶應義塾! 子どもたちの「応用力」が大事だと思っている者です。全米の初等教育の教師 「活用なき学問は無学に等し」(『学問のすすめ』)と言われた福沢先生は、 私は、応用力を次のような意味でとらえます。社会で生きるために必要な力。 中心は、自分や会社にふりかかった現実・未来問題を創造的に解決すること。 サプライサイドで言えば、理科、社会科などの知識の活用力とも言えますが 日本の初等教育は大変な状況であるように思います。「学力低下」と「頼りな 応用力の慶應義塾の塾員のお力の一部を日本の子どもたちの教育・公教育の改 2)学校は教科教育の場所 慶応幼稚舎元舎長の中川真弥氏にお目にかかりお話しを伺う機会がありました。 講談社の野間清治さんが雑誌「少年倶楽部」を始めた経緯のお話しも伺いました。 3)受験テクニック=日本の初等教育の喉に刺さった骨 受験が教育のありさまに影響しているところは大きいです。先日、塾員の清原市 OECDの国際応用力調査(中3対象)は、ここ2年間の日本の「学力低下批判 受験のもう一つの特徴は、「正解」があるということです。国語では、文章を一 上記のOECDの読解力の例題「インフルエンザ予防注射を社員に呼びかける社 日本の受験の元で、子どもたちは抑えつけられるし、子どもたちの創造性が萎ん 4)応用力トレーニングの1例 脱受験が真剣に考えられなければなりません。日本で最初にAO入試を慶応が 私たちの未来問題解決プログラムの応用力トレーニングを簡単に言うと、 プログラムの目的は要約すると次です。 毎年、アメリカで世界大会が開かれます。「問題解決オリンピック」と 呼ばれます。 5)日本で応用力トレーニングを成功させる 日本の教育も、「実際に問題を考える力(応用力)」の養成に目を向けてきまし 最近はお受験塾が、「自分たちは学校よりも上手に総合的学習の指導ができるし、 インターネット三田会の皆様に本件の関心を持っていただきたいと思うのです。 経済界は現実社会の問題に日々直面する中で、社員に問題を担当させて また、一例ですが、東京ガスの「省エネ」、医師会の「医療倫理」、資生堂の 6)未来問題解決の指導者になってください 未来問題解決プログラムが日本の子どもたちに間に普及し、良い学習が行われる 具体的なお願い (メール・アドレス ryuji@lifeskillsgroup.com ) ・皆様の会社、個人のホームページ、ブログの軒先をお借りして、応用力トレー ・リタイアされている方などお時間の余裕のある方は、子どもたちのコーチ役を ・安西塾長に本件をお話できる方は、協力をいただけるように、よろしくお伝え ↓ 未来問題解決プログラムの紹介ページ ご連絡、ご質問をお待ちしています。 リレー・メッセージ 第69回 2005.5.15 宮川 幸雄さん(昭42法) 「日吉台に軍靴の音が響いた頃」 東横線日吉駅を降りて、日吉キャンパスの銀杏並木の前に立つと、いつ見ても、 日吉の台地に連合艦隊司令部が登ってきたのは来たのは、大戦末期の昭和19年 海軍が連合艦隊司令部として選んだ建物は広い日吉キャンパスの中で堅牢な建 この日吉台の連合艦隊司令部において、レイテ沖決戦や戦艦大和の沖縄特攻の 海軍が連合艦隊司令部として日吉キャンパスを選定した理由として�大本営、 これらはあくまでも海軍側の条件であって、キャンパス施設を貸与して受け入 昭和20年に入ると背水の陣のように日吉台の地には、連合艦隊などの海軍全部 海軍総隊司令部と連合艦隊司令部を兼務するところとなった日吉寄宿舎には円 リレー・メッセージ 第68回 2005.3.15 ルース規子(旧姓・高橋)さん(昭48文) 「オレゴン便り(1)」 アメリカ・オレゴン州に住むルース規子(旧姓・高橋)と申します。 大学時代は英語会(KESS)に入っておりましたが、文学部でしたので2年で オレゴンは、例年ですと今頃はまだ降り続く雨と厳しい寒さの中でじっと耐 私の住む町はかなり田舎ですので、ロスアンジェルスから移って来た当初は このオレゴンは非常に日本語熱が盛んで殆どの高校に第2言語として日本語 このプログラムを実施している学校は全米各地に幾つかありますが、その殆 又、勉強ばかりでなく日本の文化的な事柄も学びますが、特に私のいた「友 それからもう一つ、特筆すべきは日本舞踊です。全員日本の着物(浴衣では 優秀な子は、信じられないほど日本語も上達しこちらの日本領事館で催され リレー・メッセージ 第67回 2004.12.15 名手 慶一さん(平2経)エッセイ2編 「不思議なスランプ」 二〇〇四年十月。イチローは、ついにジョージ・シスラーの記録を抜き去った。 この快挙について、イチローは、メディアのインタビューで次のように答えて 数年前、この話によく似たことを耳にした。野球解説者で、かつては、剛速球 この二人の話しは時と場所・立場が、微妙に違うのだが共通しているというこ 二人の言葉を借りるのならば、今、まさに不調なときにこそ、もしかしたら大 西洋のおもしろい、童話を聞いたことがある。ある一人の誠実な男が、死を迎 神様が言ったように、自分と、神様の足跡が並んで見えた。しかし、突然彼は ----------------------------------------------------------- 僕が生まれ育った和歌山市は、紀伊半島の北西部に位置する。かつては紀州藩 しかし、ここ紀州では、一風変わった食の文化がある。それが、なれ鮨である。 『広辞苑』をひもとくと、次のように説明している。魚の腹に飯をつめ重石で ところが、昨年の6月に新聞紙上でなれ鮨の記事が掲載されて、驚いた。数年 このように鮨を発酵させる食文化がありながら、大豆を発酵させて食べる納豆 生成れのすしにも似たる近江衆 石を重しと持たぬ日はなし 当時の京都の人は近江のすしも生なれとみなしていたらしい。 リレー・メッセージ 第66回 2004.11.15 安保日出男さん(昭42経) 『意思あるところ、、を実感した瞬間』 皆さん「意思あるところ開けざるものなし」をご存知ですよね。 私は趣味で自宅にグッピーの水槽を置いて愉しんでいます。 子供がドンドン産まれます。 餌を毎日やりながら観察していて気が付きました。 水槽の容量は大中小ありますが、 実は、、 何でしょう。 飼った事のある方はご存知でしょうが、、、 広い水槽のグッピーは泳ぎ空間がたっぷりですね。 つまり、、 ある意味で、これは生きる知恵と言えます。 あなたは映画の「パピオン」や「岩窟王」をご存知ですね。 牢獄と言う狭い空間に閉じ込められたにも関わらず、 気が付かれましたか、、、 自分の考える理想や夢に向かう「意思」の力で、 やがて、その日を迎えるのです。 「意思あるところ道は開ける」 リレー・メッセージ 第65回 2004.08.15 高橋 勝彦さん(昭42
商) 『一生涯を打ち込む仕事について…音楽家と私』 2004.07.25 NHKで最近、作曲家 高木東六さんが横浜で百歳記念コンサートを開いたと あるとき、ワーグナーの「タンホイザー」を吹奏楽で聴く機会があり、トロン 大学でブラスバンドを演奏する傍ら、母校の浅野学園(中高一貫)の吹奏楽部の 私の大学時代は早慶戦の思い出も多いが、早慶バンド合戦というイベントがあ さて、会社(シキボウ株式会社)に入り相当経過したある時に、創立百周年記念 旧社歌が服部克久さんの父上である服部良一さんの作曲であることを伝えると、 このような経緯で新社歌は誕生し私の歌唱指導も順調に進めることができた。 上記に紹介した音楽家の方々は、一生涯を通じて音楽活動に情熱を注ぎ、多く 人それぞれに大きな夢と強い志をもって生きて行けば、本人が生き甲斐を感じ http://www.a-con.co.jp/
運営している「ミクシィ三田会」について寄稿させていただくことになりました。
ービス)という言葉をお聞きになったことがある方も多いかと思います。特に、
今年9月に株式会社ミクシィが東証マザースに上場したということで急速にSN
Sが一般に認知されたようです。SNSは、2004年前半頃に日本に上陸した
インターネットを利用したIT技術の1つであり、その頃から複数のSNSの運
用が開始されました。
直感的にわかりやすい、ということなのか、最も参加人数の多いSNSとなって
おり、2006年12月現在で800万人近くの参加者が居ます。
ムページ、掲示板、メーリングリスト、個人ブログ(公開日記のようなもの)等
が知られていますが、これらにSNSが加わったと考えていただいてよいかと思
います。SNSには様々な種類がありますが、一般的には、「日記」を中心にし
て、「プロフィール」+「コミュニティ」+「友達リスト」という構成が一般的
です。
す。例えば、学生時代に所属していたサークル、私の場合…「放送研究会」…と
書いておくと、他の「放送研究会」出身者が検索機能を使って、私を見つけてく
れて(ネット上ですが)再会できるという具合です。
意見や情報を自由に書き込めるようになっています。また、参加している「コミ
ュニティ」を表示することによって、友人がどのようなことに興味を持っている
のか等を推測することができます。
SNSがユニークな点は3つあります。
点です。最近、インターネット上では匿名をいいことに、個人や企業を中傷する
情報を掲示板に投稿したり、有害サイト・著作権を侵害したサイトを運営したり、
迷惑・広告メールやウイルスをランダムに送りつける行為が社会問題となってい
ます。しかしながら、SNSでは最初に紹介される行為が必要であることから、
誰でも入れるものではなく、一定の歯止めがかけられます。
示される点です。「ハンドル」とは、ネット上で用いるペンネームです。つまり、
書いた人間をある程度特定しつつ、個人情報を晒さないといった利用の仕方がで
きます。例えば、私は「脂肪燃焼アナリスト」というハンドル…書いててちょっ
と恥ずかしいのですが…を使っており、自分の本名は「プロフィール」を見ない
限りわかりません。
いる人」を表示する機能です。このため、誰と誰とが知り合いか等を知ることが
できたりします。例えば、「取引先の社長」が「大学時代のサークルの先輩」の
親友だった、ということが容易にわかる仕組みです(これが必ずしもビジネスに
いい結果を生み出すとは限りませんが)。
「コミュニティ」は参加者であれば誰でも立ち上げることができます。このため、
慶應義塾関係の様々なコミュニティも立ち上がっておりますが、私は塾員だけが
参加できるミクシィ三田会を立ち上げてみました。
既にミクシィ三田会では、現在1500人を超える方々に参加していただき、
情報交換や交流を図っています。今年8月にはオフ会(ネット上ではなく、実際
の会合)を開催し、20名近い方に参加していただきました。このようにオフ会
を開くことによって、さらに友人・知人が増えていくというわけです。
スト等のように何か「大きい中心」があって、そこに皆で集うというのではなく、
個人個人が「小さい中心」であってそれが繋がり合うという感覚が心地よいと思
っています。リアルに集う三田会で大学時代の友人と旧交を温めるのもいいので
すが、ミクシィ三田会では、初めて会う人と新たな交流を発展させてみるのも面
白いと思います。ミクシィに参加する機会がありましたら、是非ミクシィ三田会
にアクセスしてみてください。
いつもではありませんが、慶應SFCが運営するSOIを見てはビデオ
で勉強する習慣があります。さすがに三田とは異なり、面白い講義が多い
というのが正直な感想です。最近は科目履修生を通信で受講できるように
しており、特筆に値するというべきでしょう。
私がいつも見てるのはチュートリアルでして、外国人の講師による講演
です。確かに理系分野のため単語がわからず、悩むのですが、スピード自
体は非常にゆっくりでわかりやすいです。
海外では通信教育は非常にさかんで、三田キャンパスのように
Independent-learningにこだわる大学もあるが、多くはdistance-learning
が一般的です。大学院も非常に多いです。US NEWS and World Re
portはよくこの特集を組みます。欧米ではキャリアアップのために通信教
育を受講する社会人も多く、特に理系の通信が多いのが特徴です。
せんでした。しかし近年急激に評価されるようになってきたような気がす
るのは私だけでしょうか?
早稲田大学が人間科学部に通信教育を開いているが、高卒のみの受け入
れ、TOEIC750点以上の学生に単位を認定しているところ、定員数
の少なさからいうと、この慶應SFCはビジネスチャンスがあるように思
われます。三田が入学数を絞りこみ始めているので、三田をあきらめSF
Cへ流れる、そんな人間もいてもおかしくありません。
文理融合学部は世界の慶應というステイタスを勝ち取るにはぜひ必要な
学部だと思います。少なくとも私はSFCの大ファンですが。長期的な目
で見て、SFCの方が社会的に評価されるような気がします。でも歴史が
まだ浅いからすぐに評価はされないでしょう。もし仮にSFCの通信がで
きるのであれば、私は間違いなく環境情報学部を選ぶでしょう。入学許可
がでればの話ですが・・・。三田のノウハウがありますから、やろうと思
えばできるはずです。塾長がどう思っているかは知りませんが。SFCが
通信を始めたら、きっと理工学部や医学部は通信教育をやりだすでしょう。
10月15日、秋晴れの爽快な良き日に4_5年ぶりで日吉に出かけました。
インターネット三田会会員の方も、小野会長をはじめ多くの方が参加されたこ
とでしょう。私もその一人ですが、偶々今年は卒業後50年OBという事でご
招待に預かりましたので少しばかり感想や所感をお送りしたいと。
変良かった。またコーラスも大編成で非常に盛り上がった。 以前に参加した
時、管弦楽伴奏だったので非常に弱々しく盛り上がらず情けなかったのに比べ
ると、今日は素晴らしく、これだけでも出席した甲斐があった(最近はブラス
バンドが恒例になったのでしょうか? 久しぶりの私にはわかりませんが)
「塾歌」は日本における校歌の最高傑作と言われているだけに、その荘重にし
て輝ける調べはいつ聴いても感激を新たにするものがある。1940年制定。
作詞:冨田正文氏、作曲は戦前のドイツで和声学を究めた信時潔氏の傑作であ
る。
慶応塾歌に比肩するのが、早稲田の「都の西北」である。 孫が早稲田の政経
に入ったので入学式に参加してみましたら、応援団長君が「では皆様、今や第
二の国歌とも言われている都の西北を歌いましょう!!」と叫んだのはいただ
けないが、好敵手早稲田なるが故に、まぁ冗談も良しといたしましょうか。
校歌としては塾歌が上だが、ポピュラーと言う点では向こうに軍配を上げてお
きましょう。
日吉記念館も天井など見上げると、さすがに老朽化しましたね。立替計画も
むべなるかな。早く新しいのを見たいが、さりとて傍観者はいけない、支援を
しなければと真面目に考えた次第。 昭和20年代中ごろ、北海道小樽から上
京して慶応高校に入学し、現在の高校校舎の聳える姿を初めて仰ぎ見た時の感
激を今も忘れられない。
さて、卒業後50年OBということで、開会式招待と共に、食堂棟一階で昼
食懇親会にご招待をいただきました。 立食パーティですが大変なご馳走でし
た。いつもは食う方では遅れを取らないのですが、今回は多くの旧友と立ち話
に夢中になっている間に、食べるのをすっかり忘れてしまい、少し食いそびれ
ました。 塾長以下幹部も参加され、コーラス部の歌あり、歓談ありで大変盛
大でした。 これから順番が回ってくるOBの方々も、忘れずに是非参加され
る事をお勧めします。無料ご招待です。感謝しきり。
卒業後50年というと、我々は皆70歳半ば近い。仕事を持つ人も若干はい
ますが、大半は昔の言葉で言うと楽隠居の方が中心です。この年代にも仕事を
与えよ、とまでは言えませんが、もう一世代若い60歳前後、いわゆる団塊の
世代が仕事を去るのは本当に勿体なく、資源の無駄使いです。 脳科学者の茂
木健一郎氏の受け売りだが、【知識・経験のある人】_【意欲・欲望】=【最
強の独創】を生むと。同感です。だが残念ながら、その場が与えられないから、
宝の持ち腐れになる。 人材ビジネスに携わる私などは痛切にそれを感じます。
しかし、いずれそう遠くない将来に、雇用環境に劇的変化が到来するのではな
いか、と私はかすかな予感と期待を抱いています。
開会式場に座っていて、福沢諭吉先生のの肖像を眺めている間に、ふと想像
を逞しくしました。 創立150年を迎えるという時期が迫っているのですが、
我々はすでに70歳半ば。という事は我々が生まれるたった70年程前には慶
応義塾は正に創生期の時代にあったのだなと。 すると、これから200年後、
300年後にも慶応義塾は存在するだろうから、その時の塾員は、我々のこと
を相当に大昔のOBと認識するだろう。おそらく、我々を「塾祖・福沢諭吉先
生からから直接指導を受けた人達であろうな」くらいの誤解を受けるかもしれ
ないなと、想像して愉快になった。300年後となれば充分な誤差範囲だろう
なと。 英国のケンブリッジ、オクスフォード両校の創立にいたっては12世
紀の頃ですから、800年前の遥けき大昔である。 歳をとるとろくな事を考
えないな、とお叱りを受けますので、この辺りでやめます。
だから、全部は見れない、食べれないの悩み横溢。 偶々通りかかった往来舎
で慶応世界民族音楽研究会主催のモThe Friends"のライブを聴いた。私は体育会
(端艇)出身なので、音楽関係OBの演奏を目にし、耳にするのはあまり機会
がなかったのですが、音楽系OBが昔取った杵柄(きねづか)よろしく嬉々と
して演奏し歌うのを見ると、なかなかの出来映えだし、大変楽しそうだ。体育
会OBとはまた別な楽しさを長い期間の間大事にして生きているなと感じ、他
人事ながら楽しい思いに浸りました。インターネット三田会の小野会長もジャ
ズの玄人クラスですから、或いはこの日も出演していたのかもしれませんが、
何しろ身体が一つしかないもので、The Friendsだけを聴いて移動しました。
良いのか、どなたかに教わりたいものです。結局正解はなく、好きな所に陣取
ってどっぷり浸るのが正解なのでしょうか?
最後に大会記念品のこと。私は今回は従来よりも少し多く買った手前、抽選会
の後半をみっちり見ました。いつも途中で帰ってしまい、抽選会に最後まで粘
ったのは今回が初めてでした。ところで持っていた抽選券番号が、お目当ての
豪華KEIO賞30種の内の一つを4番違いで逃しました。こんなニヤミスは
二度と起こらないでしょう。ノこんな事ならライブでも続けて聴いておけばよ
かったと後悔したが後の祭り。
こうした機会に恵まれる幸せ、まさに大会スローガン「友情資産に乾杯」に感
謝し終わります。妄言多謝。
(笹田豊茂 昭和31年経済学部卒業。株式会社アンカー代表取締役)
祈りを神に捧げます。「私を大作曲家にして下さい」と。このシーンが私の脳裏
に焼き付いたのは、おそらく私もまたサリエリ少年と相通ずる「最も高慢な欲望
」を抱いているからに違いありません。
けに対しては、映画に描かれたサリエリの言葉を一部拝借して、「最も高慢な欲
望を満たすため」と応えることにしています。一部であっても言葉を借りるほど
ですから、先のサリエリ少年と相通じるところを自認します。ただし、映画の登
場人物としてのサリエリ少年が望むところは、不滅の名声のようですが、共通項
を感じつつも、私が絵筆を執る動機とは、感覚的に少し違うように思われます。
映画の中のサリエリ少年が抱く「最も高慢な祈り」と、私が絵筆を執る動機と
なる「最も高慢な欲望」とには、どのような相違点があるのか、考えながら綴っ
てみたいと思います。
ァルトは獲得します。そして二百年以上経ってもなお、私達はモーツァルトの名
をもって彼の遺した旋律を奏で、愛でています。創作する者にとって、 このよ
うに文化圏を越えて、また時代を超えて、世界中の人々に、遺したものが愛され
ることは、最も理想的なことといえるでしょう。
ら愛されるなら、これに越した喜びはありますまい。創作者の名前を以てその作
品が世界中の人々に愛でられる。これこそは、創作者にとっての不滅の名声であ
りましょう。映画の中でサリエリ少年が、ずうずうしくもこのような不滅の名声
を求めて神に祈りを捧げる気持ちは、私にもよく理解できます。私も何かを創り、
そして遺そうとする者として、我が名を以て我が作品が多くの人に愛でられるこ
とができるならば、その他の欲望の全てを犠牲にすることができるでしょう。
私の抱く高慢な欲望を満たすことであるというのは、どうしても馴染む気がしな
いのです。私の述べる最も高慢な欲望とは、もっと簡潔で、我が名が消えても、
即ち「我が作品が愛でられる」ことだけで十分ではないかと思うのです。
例えとして、ここで、ご存じの「ミロのヴィーナス」を思い浮かべて頂きたい。
ミロのヴィーナスを話題に挙げただけで、世界中の多くの人々が、両腕を欠損し
ながらも気高い品位を保ったあの大理石の像を思い浮かべることでしょう。
を獲得しているのではないかということです。彫刻家は像を彫る前に、出来上が
るはずの像を想像していますから、既に彫刻家の脳の中では、ヴィーナス像は形
作られていることになります。彫刻家が仕上げようとする像を、頭の中で思い描
くのは、その彫刻家にとっての生きる営みの一部であります。彫刻家が彫ろう
とする像を頭の中で形作るという命の営みの一部は、二千年以上経った今も、世
界中遍く、ヴィーナス像を思い浮かべようとする人々の脳の中で再生されます。
人々の思考作用の中に写し込まれ、いつでも再生されうるのです。現存するミロ
のヴィーナスは、両腕ばかりでなく、至る所欠損していて、また、ヴィーナス像
が群像作品の一部であったとの見方もあり、あの像の現状は、制作した彫刻家の
意図と完全に一致するものではありません。しかし、彫刻家の意図の断片は、今
も世界の宝として愛でられ、更にその意図の断片は、人々の思考作用の形で永遠
に生きているといえるでしょう。
たって、その者の名前は、必ずしも必要ないことがお分かりいただけると思いま
す。ミロのヴィーナスの制作者が誰であったのか、諸説入り乱れ明確ではありま
せん。しかし、かの凛乎たる女神像を前にすれば、「名が不明瞭であるがゆえに
その作品の魅力が色あせることは無い」と断言できます。
仮にモーツァルトの名前が忘れ去られ、彼の遺した旋律だけを人々が愛でるよ
うな事態になったとしても、モーツァルトの命の断片は、永遠に人々の思考作用
の中で再生されることになるでしょう。私達は、モーツァルトの遺した作品の一
部であるなら、いつでも簡単に頭の中で演奏できます。彼もまた永遠の命を獲得
していると私は考えます。
サリエリ少年が不滅の名声を求める祈りは、できるだけ多くの人々に愛された
いという一般的な願望に通じます。しかし、私が高慢にも欲している永遠の命に
は、必ずしも名声は必要なく、仮に拙作から名が削ぎ落とされても、私は平然と
していなければなりません。
の命を獲得するなど絶対に不可能であることは分かっていながら、その断片でも
遺そうとあがく行為に他なりません。おそらく神の視線からすれば、愚かしく、
滑稽でしょう。映画「アマデウス」の中で、サリエリがモーツァルトに嘲笑され
る場面があります。サリエリはそれを神の嘲笑と捉えます。ここで描かれている
サリエリ同様、私は神からあざけり笑われても筆を折ることができないほどに、
融通の利かない愚者であり続けるのでしょう。永遠の命を獲得することができた
先人の猿真似に終わるかもしれない、あるいは、人類が滅びるという極論をもっ
てすれば、永遠と思われた命も、たちまちにして消え去ってしまう空しさも、容
易に想像できるにもかかわらず、有限な私は、普遍の美を掴もうと絵筆に手を伸
ばします。
ご批評・ご助言は、下記のアドレスから、
また拙作も、ホームページでご覧頂けます。
takamoto@rose.ocn.ne.jp
http://www4.kcn.ne.jp/~ohbayasi
林楷人さんは軽井沢にお住いにて、岩絵具で日本画を描いておられます。
ご自身あるいはお嬢様の肖像画をお考えの方は、ぜひ上のサイトをご覧下さい。
美くしい肖像画作品2点も掲載されています。
て解されている。高貴なる者こそ社会に資するべきであり、最前線に立つべきだ
という教育は、英国における伝統的な考え方で、名門パブリックスクールやオッ
クスブリッジの学生が世界大戦で多く前線に立ち、その人材が喪われたこと、そ
の行為が今も称えられていることは、よく知られている。
されたのが明治2年(1869)、公・侯・伯・子・男の爵位が設けられたのが明
治17年で、この間、慶應義塾にも60名ほどの華族が学んでいる。私はここ数年、
慶應義塾に学んだ華族に着目し、殿様だった人々がかつての家臣と机を並べて東
京の私塾に学んだ、その過程や動機、そこから輩出された人材について検討して
きた(拙著『評伝 岡部 長職——明治を生きた最後の藩主』慶應義塾大学出版会、
平成18年、などをご参照されたい)。
国家建設への貢献を求める勅諭が出されたため、これを受けた華族たちが、当時
『学問のすゝめ』や『文明論之概略』を著してその名声を高めていた福澤諭吉が
主宰する慶應義塾に大挙入社して英学習得につとめた、という事情があったよう
だ。明治10年まで学習院は存在せず、一方で、義塾は当時東京府下最大の英学塾
に成長していた。
い、自らこれを受けなかったことは有名だ。彼は自伝の中で、位記などは「人間
の身に妙な金箔を着けるようなことをして、日本国中いらざるところに上下貴賎
の区別を立てて、役人と人民と人種の違うような細工をしている」(『福翁自伝
』)ものだと苦言を呈している。爵位についても生前、幾度もこれを辞退してい
たと伝えられているが、その存在自体を否定することはなく、人々が華族に寄せ
る伝統的な敬意や歴史的名望にも無理解ではなかった。むしろ、その名望や財産
を生かして社会に貢献してほしいと、福澤は期待していたようである。
その趣意書を代筆した福澤は、そこで中津の人々が「余が学ぶ所の道を学ばん」
ことを期待している。殿様が留学して学ぶ姿勢を、皆にも学んでほしい、という
わけだ。奥平家も投資して中津に「中津市学校」が建設された際には、華族はこ
うした教育事業に是非投資してほしい、と『旧藩情』に書いている。華族が率先
して勉学に励んで模範を見せ、その資産を教育事業に投資してほしい、というの
が彼の持論だった。
あるとき、福澤は貿易会社を立ち上げた旧三田藩主九鬼隆義に期待して、子孫
に残すのは教育であって金ではない、金は無益でむしろ害があるといい、収益を
教育事業に投資するよう呼びかけたことがある。「子孫へは教育を遺し沢山なり。
金は壱銭も遺すには不及、啻ニ無益のミならず、必ス害あるべし・・・何れニも
この金を用ひ、人の独立を助け為す之道に用度事なり」。後世に残すものは金で
なく教育であってほしいというのは、「独立」の重要性を説いて倦まなかった福
澤にふさわしいセリフであった。
て、華族の資産が交際や趣味に浪費され、間もなく使い果たされてしまうのでは
ないか、という危機感も強く抱いていた。明治20年ごろになると奥平家の家計は
大いに傾き、「二十年にして皆無の滅亡に至るべきは、火を見るより明らか」だ
と、彼は手紙に書いている。華族一般に対する危機感も強く、「近来東京の奢侈
は誠に恐ろしく」、このままでは華族は「遠からず滅亡に瀕することとならん」
とまで述べた。彼が当時、その書簡や時事新報の社説などで繰り返し表明したの
は、交際費や贅沢な生活によって華族の資産が浪費されることへの危機感と、こ
れが浪費される前に教育事業などに投資し、その伝統的な「名望」を生かしてほ
しい、という期待だった。それは福澤なりの危機感と、「ノブレス・オブリージ
ュ」の要請だったといえるだろう。明治22年、華族会館で「華族の教育」と題し
て演説した福澤は、華族は名誉があるからこそ、普通の人よりも知徳が勝らねば
ならないのだ、と強調している。
なかる可らず」実際には、福澤の期待は裏切られることが多かったようで、華族
に対する肯定的評価といえそうな言辞は、ほとんどみあたらない。慶應義塾に学
んだ華族たちも総じて成績が悪く、それもあってか、福澤が明治12年に提出した
建白書「華族を武辺に導くの説」では、華族は軍人の道で名望を生かすべきだと
主張し、その理由のひとつとして「華族は平生の生活豊なるに過ぎ、之がため却
て身心の活発力に乏しくして、尋常の学生と鋒を争ふこと能はざる者多き」と学
問の不調をあげていた。それでもなお、福澤は晩年まで華族期待論あるいは利用
論を主張し続け、華族制度の廃止を主張していた内村鑑三などとは、一線を画し
ている。
となった人たちもいる。ヒルズ族の富裕ぶりは、まことにすさまじい。彼等の目
は、どこに向いているだろうか。華族は名声と財産を教育に投資し、自ら学問や
軍務に励み、模範となるべきだと主張した福澤は、華族が遊び暮らしている姿に
憤慨し、「若しも人の言ふ事を聞かずに不相替不品行不行状ならば最早堪忍はな
らぬぞ、華族は地金のつぶし同様にして金を取り揚げて可なり」と私信に記した
ことがある。「僅々の財を愛て遂に全家の大失敗を致すべし」、とも。それは社
会のためだけでなく、華族自身へのメッセージでもあった。
された。それからちょうど60年。本当の「勝ち組」とはどんな人を指すのか、
福澤のメッセージは、我々にいまなお重い課題を投げかけている。
『福澤諭吉書簡集』岩波書店、より)
によって構成され、創造的問題解決力トレーニングを目的とする「(NPO)
未来問題解決プログラム」の日本支部を預かっています。小野さんに大変に
お世話になっています。
「応用力」の学習コミュニティの始祖です。慶應義塾。塾員が各界で頑張って
おられる1つの理由は、慶應義塾の学習スタイル、応用力志向があるのでは
ないでしょうか。
もう一つの中心は、仲間と協力して、楽しく仕事できること。
活用しようとする理由は、現実・未来問題の状況が眼前にあるからで、目的
論的に、応用力=社会で生きる力とまとめています。
い、生きる力が弱い子どもたち」の2点ですが、逞しく生きる力の問題がより
深刻であり、より根っこにあると思います。
善に結集できないでしょうか。
「やはり学校は教科の場所ですよ」とおっしゃいました。長い初等教育のご経
験から出た言葉です。子どもの応用力・生きる力のトレーニングには手が回っ
ていない、と。
「学校教育は知識主義ばかりで、足りないものがあるから始めた」ということで
す。野間さんは、また、普通の家庭では十分には実施できない家庭教育のことを
書いています。学校教育と家庭教育の足りないところを「少年倶楽部」がやるん
だ、というわけです。
長の三鷹市を訪問しました。教育ではとても進んでいると言われる三鷹市教委の
主事と面談するためです。主事氏は「中学は高校受験を保証しないといけないで
すから、どうしても受験を意識せざるをえないのですよ。詰め込み主義が出るの
です」と話してくださいました。
」の主要材料になっています。日本の子の最も弱いのは「読解力」ということが、
OECD応用力調査で明らかになり、受験テクニック的な教育では、読解力を育
てられていないということが、いまさらながらに分かってきました。
字一句分析的に読ませ、主人公はどう感じたと思うかと問い、ただ1つ正解があ
るように子どもに教えます。子どもたちはギリギリと正解を推測するテクニック
にエネルギーを使います。
内レターの出来映えが良いか悪いか、レイアウト面でコメントする」で言えば、
賛否のどちらもOKなのです。キチンと述べられているかを見ており、子どもた
ちは安心して自分の考えを整理し表現することだけ考えていればよいのです。
受験テクニックは関係ありません。
でしまうのではないかと思います。
始めたことを、私は誇りにしています。日本全体のAO入試シェアはまだ低い
と思いますが、慶応に続いて東北大、九州大などの大学が採用したことは良い
兆しです。大学受け皿が徐々に作られている好機に、初等教育期の、受験テク
ニックではない、本格的な応用力トレーニングを進めていかなければならない
と思います。
「地方ローカル線の廃線」「健康保険の負担などに関する社会の中の甲論乙駁」
「男女共同参画の中のある問題(例 家事分担)」などなどの現実事例に対し
て、子どもがリサーチをして、その上で自分で任意に問題を切り取り、その
問題を自分ならどうやって解決するのか基本アイディアと具体的なアクショ
ン・プランを開発し、プレゼンテーションすることです。
1. 社会の中で生きていくために必要な能力の1つ=創造的問題解決力を鍛える
2. 社会や自然のいろいろなトピックにふれて、関心を高め、視野を拡げる
3. チーム学習経験を利用し、協力しあって動く訓練をする
た。総合的学習の時間の最大の眼目はこの実際に問題を考える力なのですが、苦
労し、行き詰まっている学校が少なくないのが実情です。そして、その理由は教
師の「実際に問題を考える力」を指導するノウハウの不足であることが教師によ
り自己認識され、指摘もされています。
考える力を養います」などと言います。そんなことを言わせてどうするのかなと
思います。
経営学のような用語を使えば、学校は「サプライサイド=プロダクト・アウト」
です。定められた教科指導を届けることが第一任務ですし、それに忙しくて、
汲々としています。
いますから、人材使用者(教育顧客)としてリアルの教育ニーズを持っていま
す。経験もあります。
「男女共同参画社会づくり」、楽天やアマゾンの「書店ネットビジネス」など、
企業が仕事に関連して持っているコンテンツ・知識は、子どもの学習のために
貴重な資源です。
日本の初等教育の行き詰まりを開いていくのは、経済界であると私は思っていま
す。
ためには、子どもの指導者の支えがあること、良質の練習問題を用意できること、
子どもが未来問題解決の学習を"無料で"どこでも"受けられる環境整備の3点が
鍵であると思っています。
ニング問題の出題を貼り付け・配置させていただけないでしょうか。
やっていただけないでしょうか。
ください。塾長は問題解決の専門家です。安西塾長の『問題解決の心理学』(中
公新書)から引用します。・・・「あふれるばかりの情報に取り囲まれた現代の
私たち。
どんな情報が大切なのか、基本的な問題は何なのか、どうすれば本質的に解決で
きるのか、こういった問いをつねに突きつけられている。私たちの時代は問題解
決の時代と呼ぶのにふさわしい」
↓ 指導者研修会(無料)を毎月、オリンピックセンターで開催。
ryuji@lifeskillsgroup.com
素晴らしい景観だと思っている。特に式典のある日は並木の先にある日吉記念館
に三色旗が翻り、遠近画法のお手本のような構図になっていてたたずんでしまう。
しかし、この感嘆する景色を見ることもなく、また戦後の日本の繁栄を、そし
て慶應義塾の隆盛を知ることもなく2165名の塾生と塾員が、アジア太平洋戦争の
戦陣で散っている。
9月29日のことである。この日に海軍は旗艦「大淀」から連合艦隊将旗を日吉台
に移した。既に主要な戦艦、航空母艦を失い、一隻でも多く戦艦を戦闘海域に出
すことと、機動戦をする上で、また通信の面でも戦艦艦上で指揮する必要性が薄
れてきたからである。
物の第一校舎、第二校舎ではなく、日吉台先端の「イタリヤ半島」と呼ばれてい
る所にある日吉寄宿舎であった。当時の表現によれば「東洋一の寄宿舎」といわ
れた豪華版学生寮である。この寄宿舎はコンクリー製3階建ての3棟からなり、南
寮には将官クラスの宿舎、中寮を作戦室、幕僚事務室として使い、佐官クラスの
宿舎とした。更に北寮は尉官クラスの宿舎とした。そして寄宿舎直下に地下壕が
掘りめぐらされ、空襲があれば司令部は地下に潜った。
作戦計画と命令が出されたのである。日吉寄宿舎は現在も塾生が入っているので
内部を見ることは出来ないが、地下壕は慶應義塾によって平成13年に整備工事が
なされ、壕内を見学することが出来る。
海軍省のある東京と横須賀鎮守府の中間地点にある。�各海域からの無線の受信
状態が良い。�台地の地形により空襲を避けるための地下壕を掘りやすい。�空
襲に耐える強固な建物が多くあり、広大な敷地を直ちに使えるなどをあげること
が出来る。
れた慶應義塾にも大きな理由があったと思う。これは私の想像であるが当時の
小泉信三塾長に廃学危機を回避しての、国策協力と戦争遂行協力があったと思わ
れるのである。挙国一致体制を敷く軍人首班政権にとって自由主義の慶應義塾は
好ましい学校ではなかった。陸軍士官学校、海軍兵学校では教材に福澤諭吉批判
を取り入れていた。
隊を統括して編成する海軍総隊司令部が置かれ、そして海軍省人事局、経理局、
海軍航空本部、海軍軍令部第三部がキャンパスの敷地を占めて軍靴の音が響いた。
形のローマ風呂があった。周囲がガラス張りで大きな温泉風呂を思わせる豪華な
ものであった。士官達は明るいうちから入浴して疲れを癒した。海軍総隊司令部
に改組された昭和20年4月には、ローマ風呂からは梅は終わったが桃の花、桜が見
え、台地の下には緑豊かな田園風景が展開し、その先には丹沢山塊を台座にした
霊峰富士を見ることが出来た。士官達は戦争がなければ桃源郷もかくやと思った
であろう。
在米約25年を経ております。
三田に移ってからは活動には余り参加しなくなってしまいました。その後もい
ろいろな機関に通って英会話を身につけようとしましたが一向に上達せず、つ
いにこちらに来てしまいました。初めはカリフォルニアのロスアンジェルに
10年余住み、後にこのオレゴンにより良い住環境を求めて家族で越してまい
りました。
えていなければならないのですが、この1,2年はすっかり様子が変わりまし
て雨の殆ど降らないオレゴンの冬はこんなにも過ごし易いのかと思うほどです。
ここ数日は記録的な暖かさだそうで、明るい陽光の下ではもう桜がそこかし
こで花を開かせておりまして、淡いピンクや濃いピンクそれに白いのもあって
辺り一面春一色となりそれはきれいです。
全てが百年昔に帰ってしまった気が致しました。まるで「赤毛のアン」の時代
にタイム・スリップしたかの様でした。
気候的にはさわやかな夏が何といっても最高で、馬や羊の放牧を見かけるこ
とも多く、信州とよく似た自然環境のように思います。ブルーベリーの農園も
多いですが、ブラックベリーなどは至る所に群生しておりまして、ここに来た
頃は夢中で摘んだものです。
があります。私はその中でも大変ユニークな日本語イマージョン教育というの
に10年近く携わっておりました。これは、小学校の時に全ての科目を日本人
の教師から日本語のみを使って習うというやり方で、ちなみにイマージョンと
は英語のimmersion 「浸すこと」を意味しますが、つまり小学校課程の 6年
間(こちらでは義務教育はキンダー・ガーデン=5歳児から始まります)それ
こそ体育・美術に至るまで先生は日本語で指導するのです。
どが公立の学校で、生徒の90%以上はごく普通のアメリカ人家庭の子供です
から、家庭での実際的なサポートというのは期待出来ません。但し、子供達は
半日だけ日本語で勉強し、後の半日は英語でアメリカ人教師から習うので数学
や社会、理科などのわかりにくい説明は両語で補足し合うようになっています。
人学園」というユージン市にある小学校には音楽の専門の先生がいまして、日
本の懐かしい小学唱歌などを日本の子供も顔負けするぐらい上手に歌います。
最近5年生は、日本から春休みなどを利用して手伝いに来る女子大生にスマ
ップの「世界に一つだけの花」を教わって披露してますが、その素晴らしさは
びっくりするほどです。
なく)をきちんと着て、「桜」や「荒城の月」、「白虎隊」といった曲に合わ
せて踊るのですが、その真剣な舞い姿は毎回心を打ちます。そして小さい頃か
ら毎年踊ってますのでいつしか動作が身に付いて、ちゃんとしながつくれるよ
うになる子もいて感心してしまいます。
るスピーチ・コンテストでも上位の成績を収め、ついには昨年第一期生が大学
を卒業しましたが将来日本とアメリカをつなぐ架け橋となる仕事に就きたいと
学生時代に大阪のアメリカ領事館でインターンをした生徒も出て来ています。
これからの彼らの活躍に大いに期待しております。
今シーズン最終打席で、二百六十二本のヒットを打ち、シスラー自身が八十数年
前に打ち立てた記録を五本も更新したのだ。
いる。「僕にとって、好調というのは、おそらくスランプの時にだけしかないよ
うな気がするのです。スランプの時に何故か好成績が残せる。きっと、何かの力
が働くのでしょうね。」と、不思議な事を語った。
投手であった村田兆治が語った言葉だ。「ピッチャーというものは、不思議なも
ので、体調が良い時に投げても何故か、勝てない。むしろ体調が思わしくないと
きに勝てる場合がある。私自身、そんな時に限っておもしろいように勝てたこと
がある。」と、解説を交えながら話していた。
とだ。わたしたちの日々においても参考になる気がする。
当たり前の話だが、スポーツと、人生とは違う。しかし、必ずしもアスリート
が持つ意識と一般人のそれとは、切り離して考えられないのではないか。我々の
生活においても言うまでもなく、好不調は肉体的にも精神的にも波がある。
きな変化とチャンスとパワーを与えられているのかもしれない。それは、人間に
は分からない不思議な力。
え、ついに天国へと旅たった。生前は、目立つこともなくただ質素でまじめな生
活をし、信仰心も厚い人であった。
天国に行き、神様と出会った。「やあ、君よく来たね。待っていたよ。やっと
会えたね。私は、今まで、君と一緒に歩いてきたのだよ。」と神様はこの男に言
った。
「どうもはじめまして。」と挨拶を交わした。ある時、天国の上から自分が歩い
てきた足跡を見ることが出来ると、その男は、聞いた。
そこで、彼は、自分の人生の足跡を天国の上から見ることにした。確かに自分
が、生まれ日から亡くなった日までの足跡が見えた。
不安になった。途中で足跡が独りになっていたからだ。「一緒に歩いただって?
嘘ばっかりだ!この時は一番辛い時期だったのだ。独りじゃないか!」と、顔を
真っ赤にして怒り始めた。
「ああ、確かにそうだ。君が一番不幸な時だった。実は、その足跡は、
君を背負って歩いた私の足跡さ。」と神様が後ろからささやいた。
『紀州の食文化』 (三田文学2004年冬季号NO76)掲載
として栄えた城下町である。紀州としてのイメージは、蜜柑・柿・梅干し・海・
山・川などといったところだろうか。また、古くは醤油の発祥の地であったこと
も有名であろう。最近では、和歌山ラーメン(中華そば)などもブームになった
ことは記憶に新しい。
鮨といえば、江戸前のような握りを想像するが、ここではそうではない。酢飯を
鯖の切り身で巻き、それをアセの葉にくるみ、長期間保存する。程なく発酵が始
まる。甘い酸の香りに加えて、わずかな独特の臭気がある。このにおいを嫌う人
もあるというが、慣れるとやみつきになる。生の生姜の薄切りをかじりながら食
べると、いいぐあいに臭いが中和されるという。
圧し、よくなれさせた鮨。和歌山県西海岸で作られるのが有名。くされずし。
くされずしとはよく言ったものである。
実は僕も、子どもの頃、父が買ってきたなれ鮨を食べて、「このお鮨、どうし
てゴミ箱の臭いがするの?」と言って家族に笑われた思い出がある。
前に、鯖の生なれを伝える「弥助寿司」(和歌山市本町四丁目)に、あるドイツ
人が日本人通訳を伴ってやってきた。彼は、「私の郷里のチーズと大変似た味だ」
と言っておいしそうに鮨を一本ぜんぶ平らげたそうである。因みに日本人通訳は
一口すら食べることができなかったという。 ドイツの食文化と紀州の食文化。
不思議なとりあわせである。
の食文化は紀州には育たなかった。皮肉なものだ。おそらく、なれ鮨という独特
のそれがあったからであろう。
この文化は、滋賀県にも見られることを知った。織田信長が建築工事で滋賀県
から人を集めて石を運ばせた際、京都の人はこのような歌を詠んだという。
中世からの食文化がずっと継承されているというわけである。しかし、今、和
歌山では三十年ほど前にくらべて、鯖の生なれを求める人は五分の一ほどになっ
たという。 このすしを美味しそうにほおばっていた父はもういない。あれだけ
食べるのを避けていたはずなのに、なぜか、最近このなれ鮨を無性に、食べてみ
たくなった。
水の状態さえ安定すれば、結構手要らずで飼えるペットです。
困る事が一つだけあります。
水槽が賑やかになりすぎるので、
時々周りの方にもらって頂いていますが、
水槽も小さい10Lのを増やして分け、
小分け用に2Lペットボトルも活用しています。
その3つの中には同じグッピーを小分けしただけなので、
大人の水槽、稚魚の水槽と分けたわけではなく、
どれも同じ程度のばらつきで入れてあるのに
違いが有るのです。
餌を食べる量がまるで違うのです!!
2Lペットボトルのグッピーは泳げる空間がトテモ狭いです。
運動量に圧倒的な差があるのです。
得られる空間量に順応して運動量が自然調整されている。
脱獄の強い意思を持ち続けて、ついに成功。
広い世間に戻り、活躍しますね。
人間だけが、単純に与えられた空間、
言ってみれば環境に順応するのではなく、
条件が整わない環境の中にも拘らず、鍛え続けて、力を蓄え、
この意味を、実感した瞬間でした。
===================
のニュースが流されていた。「水色のワルツ」の作曲で有名な方であるが、今な
お、あの笑顔と音楽一筋の生き方を失わない姿を見て大変感激した。
というのも高木さんのご自宅は私の実家の隣にあり、幼少の頃から高木さんや
お弟子さん達のピアノ演奏を聞くともなく耳にして育ったため、大変懐かしくま
たご健在を嬉しく思っている次第である。子供のころ、仲間とボール遊びをして
高木さんの家の庭に入れてしまって、取っていただいたことが再三あったが、と
てもやさしい方という印象であった。近所にフェリス女学院の学生さんも住んで
いて、よくショパンの曲を弾いていた。このように左右の家からピアノがステレ
オ状態で流れていたため、「…習わぬ経を読む」というように音楽の3要素、
リズム・メロディー・ハーモニーが頭にインプットされてきた。
ボーンの音色に魅せられたことをきっかけに自分も演奏したいと強く思い、中学
・高校とブラスバンド部に入った。慶応義塾大学では応援指導部のブラスバンド
部で演奏活動と六大学野球を中心としたスポーツの応援に力を注ぐこととなった。
同部のOBには沖縄県知事 稲嶺恵一さん、三井住友海上火災取締役社長 植村裕
之さん、ABC朝日放送アナウンサー 高野直子さんなどがおられる。当時同部で
顧問をしておられたのが藤山一郎さんであった。藤山さんは「青い山脈」など
の歌謡曲の歌手として有名だが、NHK紅白歌合戦での指揮者としての活躍や、作
曲家としても著名な方であった。本当に稀にではあったが藤山さんが慶応のOB
としてブラスバンドの指導と指揮をしていただいたことがあった。そのときに私
はチューバを吹いていたが「そのチューバの音色、いいね」と褒めてくださった
ことが大変嬉しく、誇りに思ったものである。
指導にも当たった。大学で演奏している譜面をせっせと写して、高校で指揮棒を
振ったものである。神奈川県立音楽堂でのコンサートでは指揮者の若杉弘さん
もお呼びしてプロの演奏を聞いた後、私の指揮で「皇帝円舞曲」「マンボNo.5」
などの曲目を中高校生が熱演した。そこに、小さな体でトロンボーンにしがみつ
くように演奏していた中学2年の生徒がいた。重い楽器に向かい汗水たらして必
死に演奏する姿を今でも鮮明に覚えている。彼はその後プロのトロンボーン奏者
となりブルーコーツなどのフルバンドで活躍し、テレビでの音楽番組でもバック
に姿を見せるようになった。そして現在では、吹奏楽コンクールの課題曲の作曲
やトロンボーン演奏家・指導者として、大活躍している。その人は鍵和田道夫さ
んである。
り、藤山一郎さんが慶応の指揮を、古関裕而さんが早稲田の指揮をされたことが
あった。古関さんは、夏の高校野球のテーマソング「栄冠は君に輝く」、阪神タ
イガース応援歌「六甲おろし」、東京オリンピックの行進曲「オリンピックマー
チ」、早稲田大学応援歌「紺碧の空」、慶応義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、歌謡
曲「長崎の鐘」など枚挙に暇がない。これらはすべて名曲であり、多くの人々の
思い出とともに心に浸み込む歌の数々である。ほんの短時間であったが藤山一郎
さん、古関裕而さんと同じ舞台で演奏できたことも大変誇りに感じている。
行事として社歌を刷新しようということとなり、本業の秘書室次長と同時に社歌
制作責任者を命じられた。昭和20年代に服部良一さんが作曲した旧社歌を若い
社員になじみやすいものに換えようという趣旨であった。歌詞は社員から募集し
「この木何の木」で有名な日立のコマーシャルを作詞された伊藤アキラさんに
補作していただいた。作曲をどなたに依頼するかで社内で意見が分かれたが、結
局そのころ特に人気の高い音楽番組「ミュージック・フェア」のプロデュースを
しておられた服部克久さんにお願いすることとなった。ホテルで服部さんにお
会いして社歌のコンセプトや歌詞を説明したがとても柔和でていねいな方で、私
は心酔してしまった。
奇縁に大変びっくりされておられた。社歌の録音は日本テレビのスタジオを借り
て服部さん立会いの下で行った。何種類か録音して「カラオケ・バージョン」も
出来上がり、終了間近という時に私は何か気に掛かることがあった。私は会社の
各部門でこの新社歌の歌唱指導をしなければならない役割もあったのでこの「カ
ラオケ・バージョン」の出来具合に不安を感じたのである。即ち、メイン・メロ
ディーが流れていない録音で、果たして社員に歌ってもらえるかを疑問に思った
のである。それを服部さんに遠慮がちに伝えると、即座に「それでは私がメロデ
ィーを弾きましょう」とシンセサイザーの前に座られた。私は予算のことが頭を
かすめて、嬉しいような心配なような顔をしていたが、服部さんは「これはサー
ビスですよ」と言って下さった。
また、私がファンであった森高千里さんの曲を服部克久さんのご子息である服部
隆之さんが作曲されており、親子3代音楽界で活躍しておられることを知った。
の人々にリズム・メロディー・ハーモニーを通じて感動・励み・癒し、そして人
生そのものを伝えて素晴らしい生き方をされていると思うとともに、このような
方々との接点があったことを、音楽好きの私はとても幸せに思う。
るとともに周囲の人々に多くの感動や喜びを与えるであろうことは、音楽に限っ
たことではない。
私は現在50以上の大学・短大・専門学校で就職指導の講演をさせていただく
とともに、企業や社会福祉法人の人事制度の構築を主とした仕事としている。
上記の方々の足許にも及ばないが、特に若い人々の働き甲斐の発見を支援すると
ともに、経営者の方々に対してヒトという経営資源に焦点を当てたソリューショ
ンを提供して少しでも社会に貢献できたら幸いと思い、大きな夢を追い求めて東
奔西走を続けている。
アカデミー・コンサルInc .代表取締役
(アカデミー就職塾 塾長)
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リレー・メッセージ 第64回 2004.07.15
『沖縄の思い出』 文責:なかの げんき
・私は、沖縄サミット終了後の2000/7より、2003/1までの2年間半、
某メーカーの沖縄支店に勤務していました。
その間、島への来訪者を温かく迎えるウチナンチュウーの人情と豊かな自然、
優れた芸能文化、種類豊かな泡盛とオリオンビールに浸かる日々をおくり、正し
く現代の浦島太郎版「竜宮城」を体験致しました。
本社への出張時や、沖縄に幹部が来訪されたときは、”仕事一筋”を強調しま
したが、やはりそこは簡単に見透かされたのでしょう。生涯沖縄勤務の希望も、
あえなく無視され、僅か2年半で東京に呼び戻されました。
しかも、現在は「沖縄出張厳禁」の憂き目に・・。
・ここでは、我が第二の故郷、沖縄を偲んで、アド街ック天国風に、私が選んだ
”沖縄ベスト20”をご紹介します。
【ベスト10】
(1)伊平屋島のクマヤ洞窟: とにかく神秘的。体をねじ曲げてはいっていっ
た先は、なんとも巨大な洞窟。お線香の匂いが漂い、江戸時代の学者が
【天の岩戸】と主張してやまなかったのも頷けます。
(2)石垣島の「びは〜ら」: 空港から町に行く途中、海に面して建つ2階建
てのお店。海から吹く風が何とも心地よい。ビール片手に座っていると
いつのまにか眠りに落ちます。千春さん、千秋さんの双子美人姉妹に会
いに行って下さい。
(3)那覇マラソン:12月に2万人以上が走る市民マラソン。自分で走っても
よし、応援するのもよし。国際通りでパフォーマンスをみるだけでも大笑
い!
(4)嘉手納基地の一般公開: 例年6月頃に開催。本物のジェット機のパイロ
ット室に青い目の美人がにこやかに迎えてくれます。どうして、こうアメ
リカ人は社交的なのか・・。英語力のなさをこのときほど悔やむことはあ
りません。
(5)本鮪(マグロ): 5月頃、沖縄本島近海から本鮪があがります。沖縄で
は、青や赤の熱帯魚系の魚が多く、”刺身”なんかと思われがちですが、
とまりん港近くの漁港内食堂では、500円ですごい量の本鮪(もちろん
生)が食べられます。
(6)喜如嘉の芭蕉布会館: 沖縄本島の北のはずれにある喜如嘉(きじょか
)。この地では1500年代から、植物の芭蕉(バナナ)から芭蕉布を作
ります。100才近い平良敏子さん他が元気でお迎え下さいます。
(7)万座毛の近くの : ウタキ(お祈り場)は沖縄に何百もありますが、
ぼくはここが一番好きです。ウタキでも、沖縄初心者の方は、有名な
斎場御嶽(セーファうたき)から行きましょう。
(8)名護のオリオンビール : 規模はともかく、戦後、沖縄の人が「やれ
ば出来るんだ」と強い意志で創業した話には泣かされます。
年に数回、オリオンビール大学という「飲み放題」の会がありますが抽
選で選ばれるのは難しいのでコネをつかって潜り込むのがいいでしょう。
(9)カヌチャリゾート: 県北にあります。58号線沿いにある数多いリゾー
トより、ゆったりしています。併設するゴルフ場には白浜の海岸を模し
た名物グリーンもあります。近くに沖縄電力が経営する永住型の医療介
護付きリゾート風マンションが来年オープンします。
(10)伊計島のゴーカート: 西日本では最大のゴーカートです。
那覇・久茂地のバー【シャーロックホームズ」の平良玄さん(有名人)
】に連れて行ってもらいました。
【ベスト11〜20】
(11)今帰仁城: 1月末〜2月初旬の、寒緋桜の時期が特に見頃です。
海に向かって、17世紀に悪党の薩摩に攻め滅ぼされた、今帰仁(な
きじん)城の無念を実感しましょう。
なお、沖縄では、城(グスク)は沢山ありますが、他に大きいのは、
中城、座間味、勝連、といったあたりで、本土より少し早い時期に
戦国時代があり、多くの武将が活躍しています。
(12)宮古島: 沖縄サミットのとき、ドイツ国首相 シュレーダー氏が
この地を訪れたのをご存じでしょうか?
ドイツ文化村: 宮古島はいまは、トライアスロンで有名ですが、
130年前、台風で難破したドイツ船を命がけで救助した宮古の人
の物語はもっと知られてよいと思います。
またここのホテル立地はすごくきれいです。近くには、台風で倒れ
た沖縄電力の風車があります。余談ですが、風速100mも吹くん
ですよ!!
(13)松山のスナック ここの美人ママの末金典子さんはなんと某新聞社の
社員。昼間は嘉手納基地で取材し、
麗王(レオ): 夜は松山の知識人が集まる社交場となっています。
ここの常連になると、定期的に典子レポートなるものがおくられて
きて元気づけられます。若い女性はいません。
なお、この近くに、反戦シンガーソングライターの海勢頭豊さんの
エル・パビリオンがあり、こちらは本土からの学校の先生方でいつ
もにぎわっています。
(14)黒島の牛: 石垣島から船で約40分。牛の方が人間より多いのは本当
です。民宿に泊まりましたが、窓から牛が舌をのばして顔をなめられま
した。
(15)喫茶・雅(みやび): 那覇市中心部の久茂地にある、ギャラリー喫茶
です。沖展に出展しているようなすごい先生が常時出入りしていて、通
うだけで文化人になった気がします。オーナーは近くのお医者様の奥様。
新潟のご出身だそうですごく上品なご婦人です。
(16)粟国島の洞寺: 沖縄で洞窟といえば、玉泉洞が有名(ハブ対マングー
スの競泳をやってます)ですが、粟国島の洞寺はそこよりすごい。何が
すごいかと言えば、1.まず誰もいない、2.必然的に神秘な気分になる、
3.(不正な手段で)賭に負けて流されたお坊さんの気持ちと同一化され
る、等です。
(17)旧海軍司令部壕: 戦争関係遺跡、施設では、「ひめゆりの塔」や
「マブミの丘」が有名ですが、ここにもお立ち寄り下さい。
有名な太田中将の「沖縄県民かく戦へり」の電信発信の地です。
(18)やんばる探検隊: 「やんばる」とは沖縄本島北部の森林地帯のこと。
横断道路等の開発が進み自然の保護が叫ばれています。わが、「やん
ばる探検隊」は能勢隊長以下、週末にはやんばるの森にはいり植林
活動に励んでいます。やんばるの森には本当に不思議な自然が残さ
れています、是非、探検隊に入りましょう!!
なお入会希望者は、(15)の喫茶・雅で、スタッフの奥浜さんに
お申し出下さい。
(19)京都と沖縄を結ぶ書展: 京都の有名な書家 増川白陽先生の3回目の
個展が、パレット久茂地で8/10〜開かれます。
先生は、京都の学生時代に夏休みを伊是名島(何もない島ですよ〜。
ぼくも行きましたが・・)で過ごした、少し変わった沖縄病患者(?)。
尊敬する先生の個展に是非お越し下さい。
(20)電発・揚水発電と: 那覇から北へ車で3時間。世界でも珍しい、電源
開発の揚水発電所があります。
沖縄ガラス 藍 すぐそばに、京都出身の美人 寿 沙代さんのガラス
アートが・・・。絶壁の上にたち、春には併設する喫茶の窓から、鯨
がシオを吹き上げるのが臨めます。 以上
リレー・メッセージ 第63回 2004.06.15 上野 精一さん(昭58経)
小姑おやじの人生訓
1. 「小姑おやじ」とは
僕は大阪で公認会計士・税理士を生業とする小姑おやじです。「小姑おやじ」と
は、家内が僕を主人公に描いている4コマ漫画でお堅い税理士会の機関紙に現在
も連載中です。このHPで小野さんとご縁がもてたのも「小姑おやじ」をある出版
社のコンテストに出したことがきっかけでした。この時大賞を争ったのがエンタ
の神様で人気の代田ひかるさんでした。一足先にブレークされてしまいました・・・残念!

2. 仕事の話 KESSの皆様注目!
本業の方は、昨年より大阪御堂筋で「トータル・サポート・ブレインズ(TS
B)」http://www.tsb-net.com/_index.htmlのメンバーとして活動しています。
TSBは、弁護士、公認会計士・税理士、司法書士・行政書士、中小企業診断
士、ファイナンシャルプランナーの計7事務所50人の専門家等が同一ビル内に常
駐することで連携を一層強化しようという試みです。士業の人は意外と他の士
業との係わりが薄いため実務面はもとより、営業面でもとても頼りになる集団
です。そして何よりクライアントの方に喜んでもらえます。とはいえ、組織と
してはこれからですので皆様のお力もお借りしたいと思います。
TSB発足にともない、天王寺の自宅事務所から本町に通勤するようになり家
族と接する時間が圧倒的に減ったのですが、小姑おやじがいなくなり家族には好
評のようです。本町では知人に遭遇する機会がとても増えました。先日も慶応
ESS先輩の塩屋さんhttp://www.actors-clinic.com/index2.htmlと20数年ぶり
に再会し、うちのマンションにも入居してもらうことになりました(父がマンシ
ョン経営してます)。出会いって面白いなあ・・・KESSの皆様、塩屋さんは
6月20日から大阪で映画を撮りまっせ!主役の高校生バンド ハングリーデイズ
にも注目してください 。
仕事の面では、民事再生会社やデューデリジェンス・営業権評価の仕事をさせ
て頂きありがたかったですが、従来の税務のお客さまとの時間のやりくりに苦心
しました、最近の確定申告時期に開業当初のお客様の所を回ってしみじみ思うの
は、本当に人間的に暖かい方が多いなあということです。確かに大きな仕事は報
酬もいい反面、人間関係は希薄で精神的にはしんどい面もあります。44歳にして
まだまだケツが青い小姑おやじです。ということで、少しでもお尻が白くなるよ
うにいろいろな方から聞いた言葉を小姑おやじの人生訓としてまとめてみました。
3. 小姑おやじの人生訓 平成16年度版
● 醸造→熟成のプロセスを我慢できるのが大人である。
● この世に本当に怒らねばならない事は本当に少ない。
● 困ったことは絶対に起こらない。ツイてる連発。
● 人間である以上すべてのことを自由にはできない。
● 捨てるべきものを持ってこそ人生有意義に過ごせる。
● 優先順位に関する価値観を範疇ごとに明確にすること。
仕事に関しては、経済合理性が意思決定基準。
その他は、敵をつくらないこと。犬とはけんかをしない。もちは餅屋。
目的は、家族の平和。みんなの笑顔。
● いやなことは忘れられないのが当たり前。でも、忘れるのも事実。早く忘れ
たほうが合目的的。探し物もまったく同じ。
誰のせいであれ、怒ったら損するのは自分。止めれるのは自分だけ。
● 放っておくことも大事。それが研修。今かなわないことも、いつかはかなう
ようになる。焦りは禁物。
● 誰にもプライドあることを忘れないように慎重に行動する。
● いやなことほど先にする。欲しいものほど欲しがらない。
● 覆水盆に帰らず。やったことはすべてが自分のためになる。
人間万事塞翁が馬。
● 運動は絶対必要。必ず65�を達成する。
● 自転車は危険。交通事故に気をつけて安全運転。
● 酒は人生の潤滑油。注ぎすぎると燃えてしまいすべてがなくなる。
4. ご縁をありがとうございました。うーん年くったかなあ・・・
◆上野公認会計士事務所
☆ 好評です! 社長にわかるQ&A
∮ 小さな企業の応援団 @e's
リレー・メッセージ 第62回 2004.04.15 二階堂雅彦さん (昭50塾高/特選)
「歯周病」のお話
二階堂歯科医院・歯周病・インプラントクリニック
アメリカ歯周病学会認定歯周病専門医
今日はこのコラムではめずらしい健康の話題に触れたいと思います。
ご存知のように歯にまつわる二大問題というと、「ムシ歯」と「歯周病」という
ことになります。ムシ歯に関しては予防に対する取り組みが功を奏し、小児、学
童のムシ歯は70年代、80年代に比べ激減しています。対する歯周病はどうでし
ょう? いまだに30代以上で歯を失う第一の原因とされる状態がつづいてい
ます。今日はこの歯周病の問題について取り上げていきたいと思います。
歯周病ってなに?
歯周病とは文字通り歯の周りの病気です。病態は、歯の周りの歯肉の炎症である
「歯肉炎」、炎症が深部まで及び歯を支えている骨が溶けてしまっている「歯周
炎」(つまりより進行した状態です)の二つに分けることができます。歯肉炎は
適切な処置をすれば完治しますが、骨が失われてしまう歯周炎では手当てが遅れ
ると処置ができず、抜歯に至ってしまうことも少なくありません。またかなり病
状が進行しないと痛みや腫れなどの自覚症状が出ないことも発見を遅らせること
になります。
歯周病の原因は?
歯周病の原因は歯や歯ぐきのまわりにつく細菌(歯垢=プラーク)です。したが
って歯肉炎は歯磨きを48時間以上サボれば誰でもなります。でもご安心くださ
い! そこでカンペキな歯磨きをすればまたもとの健康な歯ぐきを取りもどすこ
とができるのです。しかし歯周炎、特に重症なものには嫌気性菌という酸素のな
いところで活動する悪玉菌が関与しています。これらは歯と歯根の間にできるス
ペース(歯周ポケットといいます)に巣づき酸素の届かない奥のほうでぬくぬく
と育ち、同時に歯を支えている骨(歯槽骨)を少しづつ溶かしていくのです。
また細菌以外にも歯周炎を悪化させるさまざまなリスクファクターがありますが、
その中ではタバコが第一です。他に糖尿病、骨粗しょう症等の全身疾患、歯ぎし
り、食いしばりなどの噛み癖、極度のストレスなどがあげられます。また遺伝的
な要素もとくに比較的若い方(30代以下)、また重度の歯周病には関係していま
す。これは言い換えれば体質と言えますが、約10%の方々は体質的に歯周病が
重症化しやすいといわれています。反面歯磨きをしなくても歯周病になりにくい
方々もいます。ラッキーな方たちです!!
歯周病の成り立ちは他のいわゆる生活習慣病(前は成人病といいました)に似て
います。他の生活習慣病でも、たとえば甘いものをたくさん食べても、お酒をた
くさん飲んでも糖尿病にならない方がいる反面、感受性が非常に強く若いころか
ら治療が必要な方がいます。同様に歯周病も歯磨きをサボっても悪くならない方
がいる反面、歯周病の細菌に対し非常に感受性が強く注意深い治療が必要な方が
います。
歯周病の治療は?
歯周病治療に基本は第1の原因である細菌を排除していくことです。細菌は二つ
の形で存在しています。ひとつはネバネバと歯にまとわりつく歯垢(プラーク)
で、もうひとつは唾液中のカルシウムと結合し硬くなった歯石です。歯垢はみな
さんが歯ブラシで取らなくてはなりません。そのためにはきちんとした歯ブラシ
指導を受けましょう。
しかしいったん歯石となったものは歯ブラシでは取れません。ですから歯科医院
での治療が必要になります。残念ながらTVで宣伝されているような歯磨き剤を使
っても、一時的な症状の軽減はありますが、完治することはありません。また先
ほど申し上げたように重症になるほど歯周ポケットは深く、またその奥深く歯石
が強く付着していますから、進行した歯周病では麻酔をして歯の根の表面につい
た歯石をとっていきます(「ルート・プレーニング」といいます)。この治療で
歯周病の8割前後は治ります。これで治らなかった部分には「歯周外科」といわ
れる小手術が適用されることがあります。手術といっても比較的簡単なものです
からご安心ください。
この中で最近注目されているのは「歯周組織再生療法」と呼ばれるもので、バイ
オテクノロジーを利用して文字通り失われた歯周組織を再生するというものです。
エムドゲインというタンパク製剤を用いるのですが、これを歯周外科時に根の表
面に塗布することによりいったん歯周病に冒された歯に、歯が生えてくるときと
同じ状態を人工的に再現し歯槽骨や他の組織の再生を図るというものです。症例
を選べばかなりの効果が期待できます。
このように患者さんのブラッシング、ルート・プレーニング、さらには歯周外科
治療でよくなった歯ぐきを長持ちさせる秘訣は「メインテナンス」です。これは
歯ぐきや歯のチェックとクリーニングからなり、歯周病の方はメインテナンスを
1−6ヶ月毎に継続的に受けることによりお口の中の健康を維持していきます。
ちょうど他の生活習慣病の方が1ヶ月に一度病院で診察を受けるのと同じことな
のですよ。
歯周病の症状は?
TVのコマーシャルではありませんが歯ぐきから血がでるというのは歯周病のサ
インです。その他歯が揺れる、歯ぐきが腫れる、見た目の歯が長くなった、口臭
が強い、硬いものが噛めないなどが歯周病の症状です。この中の二つ以上が当て
はまる方は手遅れにならないうちに歯科医院に行きましょう!
どの歯科医院に行けばいいの?
残念ながら歯周治療への対応は歯科医院によって大きな違いがあります。またわ
が国では専門医制度が確立していないためこの広い東京でも歯周病専門医の資格
を海外で取得した歯科医師は10人足らずです。そこで歯周病をケアしてくれる
歯科医選びのポイントは上記のブラッシング指導やルートプレーニング、メイン
テナンスを丁寧にやってくれる歯科医院です(率直に聞いてみましょう!)。他に
関連学会である日本臨床歯周病学会 、日本歯周病学会所属の歯科医師、認定医
であることも参考になるでしょう。
忘れてはいけないのは「歯科三田会」です。塾出身の歯科医師の集まりで、塾員
の方のお役に立てることを日ごろから願っております。
私のもうひとつの専門であるインプラント治療についてはまた機会を改めて述べ
させていただきたいと思います。
リレー・メッセージ 第61回 2004.03.16 伏見 靖さん(平3理工)
「商標を巡る最近の話題」
インターネット三田会の皆様、こんにちは。平成3年に理工学部機械工学科を
卒業 しました伏見靖と申します。現在、東京の特許事務所に勤務しつつ、法学
部通信教育 課程に在籍し、2度目の大学生生活を満喫しています。社会人大学
生の奮闘ぶりもお 知らせしたいところですが、それはまた別の機会(卒業報告
?)に譲るとして、今日 は知的財産のお話をさせていただきます。
昨年から今年にかけて、新聞やテレビで「青色発光ダイオード200億円訴
訟」や 「阪神優勝商標事件」等が報道され、知的財産を巡る話題を目にしない
日はありませ ん。特許については以前もリレー・メッセージでお話が出たよう
ですので、今回は商標 を巡る話題について紹介させていただきたいと思います。
商標とは、自社の商品や役務(サービス)を他社の商品や役務と区別するため
の目 印として使われる標章(マーク)のことをいいます。よくトレードマーク
とかサービ スマークなどと言われることもあります。また、商標は企業名を示
すハウスマーク、 製品のカテゴリを示すファミリーネーム、個別の商品毎に付
けられるペットネーム等 と呼ばれることもあります。商標のうち国に登録され
ているものを登録商標と呼び、 商標権者は登録商標を独占的に使用できます。
商標はマークに過ぎないのに、何故国が「財産」として保護するのか、と時々
訊ね られます。国は商標自体を保護するのではなく、商標にリンク付けされた
企業の業務 上の信用を保護しているのです。つまり、企業が商標を付けて品質
の良い商品やサー ビスを提供してゆくと、やがてこの商標が付いている電化製
品は壊れにくい、この商 標が付いているタクシーは応対が丁寧だ、等のように
良い評判が消費者・取引先に商 標とリンクして知られるようになります。良い
評判はやがて、企業にとって「財産」 である業務上の信用として蓄積されてゆ
くのです。
このように商標にリンクして業務上の信用が徐々に高まっているにも関わらず、
第 三者が自由に商標を使えるとなると、企業の永年の努力が意味をなさなくな
り、粗悪 な商品に著名商標を付する等の悪質な行為が横行し、産業が健全に発
展しなくなりま す。そこで、国は登録商標の独占使用を認めることで、企業の
業務上の信用を保護 し、産業の健全な発展をサポートするのです。なお、同じ
商標を使っている商品は一 定の品質を維持しているものと考えられることから、
消費者を保護するという側面も あります。
一方、商売を営む上で、自社の製品等を示す独特のマークを付け、品質の良い
製品 を提供し続けることにより、消費者がマークを見ただけで選んでくれる可
能性が高く なります。したがって、自社の製品に付けるマークを商標登録をし
ておくということ は、将来の業務の発展を考える上で重要な戦略の1つとなる
のです。
それでは、自社の商標を登録したい場合にはどうしたら良いのかを考えていき
まし ょう。まず、出願に際しては標章とともに、この標章を用いる商品・役務
を指定する 必要があります。商品・役務は1〜45類に分類され、その類の中
からさらに細かく 自社の業務に関連する商品に該当するものを選びます。全て
の類から選択しても構わ ないのですが、出願コスト、登録コスト、維持コスト
がかかりますので、十分に検討 しなければなりません。
一方、標章は文字や図形、立体的な形状、及びこれらの組み合わせから構成さ
れま す。それでは、文字や図形の組み合わせであれば何でも登録できるか、と
いうとそん なことはなく、一定の制限があります。例えば、対象となる商品・
サービス自体を示 す普通名称・慣用名称、三角や四角等のありふれた図形、
「東京」や「ニューヨー ク」等の著名な地名、「おいしい」や「迅速」等の商
品・サービスの説明に一般的に 用いられる言葉は登録できません。また、消費
者の誤認を招く商標、赤十字や菊花紋 章、国旗等の特別なマーク等も登録でき
ません。
次に、自分が選んだ商標が、既に登録されている他人の商標に同一・類似する
とと もに、同種の商品・役務に使用されているか否かの調査をしなければなり
ません。他 社の商標と類似した商標を使っていると、他社の商品等と混同を招
くという理由で登 録を拒否されるのはもちろん、使用差止を受けたり、損害賠
償を求められる可能性が あります。類似の判断は難しい場合もあり、トラブル
を避ける上でも、予め特許庁や 専門家である弁理士と相談するのが良いでしょ
う。
同一・類似のものが無いようでしたら、書類を調えて特許庁に出願します。
出願さ れた書類は、審査官が一定の条件を満たしているか否かを判断し、拒絶
理由が無けれ ば登録されます。拒絶があった場合でも補正をすることで登録さ
れる場合もありま す。出願から登録までは分野にもよりますが半年から2年程
度かかっているようです。
商標自体は登録されなくても使用は可能ですが、未登録で使用して信用が蓄積
した としても実は他社の登録商標に類似していることが判明して、使えなくな
ってしま う、という虞があります。車や電気製品等、莫大な広告宣伝費を使う
商品については ダメージが大きいので、各企業はそれなりに対策をとっていま
す。
それでは日本で登録した商標は海外でもそのまま使えるでしょうか。商標に
限らず、知的財産権は原則として各国毎に権利が発生します。したがいまして、
輸出を考 えている場合には、輸出国の商標も取得する必要が生じる場合もあり
ます。日本国内 で取得した商標と同じ商標でも良いのですが、海外では他人の
著名な商標と類似する という事例も多々あるため、国内と海外とでブランド名
を変えているという商品・役 務も見受けられます。なお、海外では日本では認
められていない「音」の商標が認め られている例があります。
最後に最近の事件から有名な商標関連の事件をいくつかご紹介い