リレー・メッセージ 第86回 2011.4.15 斉田秀実さん(昭44法)

 「新日本再生計画」

 この国難を平成維新に活かして再び輝く日本に再生しよう!
                  
今般の東日本大震災はM9.0という最大級の激震、大津波、犠牲者
3万人超の大惨事、基幹インフラ壊滅、福島原発は放射能漏れと廃
炉の史上最悪の大惨事に直面している。首都圏は東電の計画停電で
相当の期間、首都機能の低下と国力の劣化は避けられそうもない。
これは経済効率最優先の過度の一局集中を繰り返してきた奢れる日
本への天罰と言える。制度疲労を来した日本の仕組みを根本から改
め、将来のあるべき国家像を再設計する好機でもある。従来の「
災害復旧法」に捉われず、新生日本千年の大計をもって思い切っ
たスクラップ&ビルト、復旧ではなく復興による平成維新を断行す
べきである。

       記

1. 1.首都機能を東西2極リスク分散BCP型にする。
関西都を新設。候補地は橋下府知事提唱の伊丹空港廃港跡地か京阪
奈学研都市あたりにBCP手法(Business Continuity Plan)を駆使し
て災害に強い西の霞が関を作る。

2.非常事態時の時限的法体系を創設しておく。
多くの法律は平時を想定し、非常時救援を阻害するケースがある。
石油備蓄法、航空法(救援ヘリの着陸や救援物資の投下に事前文書
申請要)、医師法(国籍条項で海外医療団が医療行為できず)、財
産権(瓦礫、自動車、漂着物などの処理の壁となり、復旧を阻害)
首相宣言でこれらの時限的緩和か超法規的対応ができるように。

3.電力エネルギー政策の抜本的見直し(中長期)

3.1)東西50/60サイクル併存という150年来の誤謬を正す好機。周
  波数一本化と家庭電圧200ボルト化を同時に断行する。東電、
  東北電力には設備修復に合わせて60サイクルへの切替えに踏込
  んで貰う。費用は国家的工事として国費補助する。
  家電製品は60サイクル、200ボルト切替えにエコポイント制度
  を設けて支援する。

3.2)原子力発電は9電力他の独自保有から「原子力発電機構」(仮
  称)にて統合運用して電力会社や大口ユーザーに売電する。
  原発統合により立地問題、保安・安全問題、事故発生時などに
  専門家集団で国家レベルの迅速対応が可能となる。

3.3) 電力不足問題解消まで東電管内は総量規制を実施する。時限立
  法の特別電力料金体系を設定して省エネ促進と超過電力重課金
  制度を被災地域を除いて全国規模で実施。重課金収入を災害復
  興基金と周波数変換工事に充当すると共に電力事業を発電(製
  造卸業)と配電(再販業)に分離再編する。

3.4)独立系発電会社(IPP)の敷居を下げて、中小事業用再生可能
  電力(太陽光、太陽熱、風力、バイオマス、小水力、波力、地
  熱など)参入容易化とスマートグリッド普及支援制度により電
  力の地産地消を促進する。公共施設、大型商業施設に再生可能
  自家発電設置を義務付けることで一気に普及を図る。

3.5) 自動車車両の50%はEV・PHV・燃料電池など電気駆動やLN
  Gなど脱石油型とする。給油所被災や流通困難時にも太陽光な
  どによる自力充電で車両走行可能となる。

4.東電管内電力不足関連(短中期、25〜30%節電必要)

4.1)サマータイム制度を導入。夏時間2時間早めることで相当の省
   エネ効果有り。

4.2)夏冬ピーク対策。(①②は東電管内で数年〜10数年)
1. ① 企業・学校などの土日操業・平日振替えにより電力と通勤の
2.   7日間平準化推進。
3. ② 工場などの夜間操業支援インセンティブ創設。(昼夜平準化)
4. ③ 夏の高校野球はTV中継は中止し、ラジオ中継のみを条件に
5.   実施する。
プロ野球、サッカーはナイターは取止め。サマータイムで
薄暮ゲーム可能。
1. ④ 大手工場は西日本や北海道に移転。移転できない中小企業に
2.   優先給電。
3. ⑤ TV放映時間の短縮。電力ピーク時は放映中止、ラジオに戻
4.   る生活慣習変換。

5.津波対策の在り方

   巨大防潮堤は台風による高潮には有効だが、大津波には被害が
拡大される可能性大。
防潮堤への過信、津波警報の「狼少年」化、引き潮が引けずに湖と
化し溺死者増。巨大構造物で自然の猛威に対抗する傲り!→今後、
巨大防潮堤は作らず、その予算で集団で高台に移住すべき。今は
自動車普及で高台の住宅から職場(漁港、海辺の水産加工場)へ
の通勤が容易。平地の旧住宅地はエネルギークラスター化に活用。

6.限界集落対策

地方の過疎化、限界集落の増加は深刻な政治課題、今こそ正面か
ら取り組むべし。大胆な提案だが福島原発近辺では放射能汚染長
期化で農畜水産業は再開困難。東北激甚被災地の限界集落は無理
な再建は放棄して西日本に集団移住すべき。西日本は過疎地、無
人住宅、耕作放棄地などを積極的に提供する。農林畜水産業の法
人化を支援する。ソシアルビジネス手法・CFW(Cash for Work、
被災者就業促進)手法も積極的に導入する。これにより拡散され
た限界集落が集約され行政サービスが行き届く。

7.エネルギー基地

放棄される福島原発地区及び東北特定過疎地は無人化してエネル
ギー基地の産業クラスターにする。(新機構による新型安全重視
の原発建設、大風力発電所、メガソーラー、使用済み核燃料埋設
基地)。資源小国の日本には、どうしても必要な施設であるが
”numby” (not under my backyard)「うちのソバはやめてくれ!」
になる。
原発廃止派には二つの選択肢しかない。40年前の電気消費レベル
(-35%)の生活と産業失速(製造及び情報産業衰退か海外逃避
=失業増)を甘受するか、火力発電増強(燃料高騰・入手難?)
→化石燃料大量燃焼→地球温暖化加速・.異常気象→ゲリラ豪雨な
ど激甚災害で犠牲者が増えるリスク(原発犠牲者発生リスクよりは
るかに現実性が高い) Numbyの克服・解決も国家としての重要施策
であり、敢えて人口真空地区を作ってエネルギー基地とするのも
国家の大計である。
                 以上

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リレー・メッセージ 第85回 2011.4.15 岩村孝さん(昭33経)

「福島原発事故に対応する広報活動の重要さ」

東日本大震災、就中福島原発の放射能汚染問題に関する日本政府の対応
に関して、日米のマスコミ情報やその背景にある思惑に翻弄されて、一
体何が事実なのか私の理解は揺れ動きました。結果として如何に正確な
情報公開が日本国に対する誤解を防ぎ国益を守る為に重要という事を痛
感させられました。

私は過去30年間ニューヨークの郊外に居住してます。日本に関するニュースは皆
様と同じレベルで共有できてると思ってます。Sonyが 開発したソフト、
Location Freeの御蔭でニューヨークに居ながらLaptopで日本在の自宅のテレビ
を見る事ができます。更には当地の日系テレビ局を通じてNHKニュースを見た
り、購読している日本経済新聞やインターネットを通じて日本のマスコミ
各社の記事を日本に居住される方々と全く同じように読む事も出来ます。
今回の災害の様子も時々刻々変化する生々しい情報にオンタイムで接す
る事ができてます。一方、日本に居住される方々と違うのは、日本から
のニュースだけでなく米国の報道機関の情報にも同時に接し得るので、米国
人がどのように日本で起こった災害や原発事故を評価しているのかも知
る事ができます。例えば災害が発生した後は24時間災害報道をするN
HKのニュースをほとんど一日中テレビを点けっぱなしにして、別のテレビで夕刻
6時から始まるイブニング・ニュースや時折CNNを同時に見比べながら日米の
ニュースを追いかけてきました。

地震と津波発生直後まだ原発事故の危機的状況が顕在化する前は、米国で
は被災者の冷静な反応を驚きとともに賞賛する報道がなされ注目されまし
た。米国人だけでなく世界各地にちらばる友人からもいち早くお見舞いの
メールをいただきましたが、日本人の勤勉さや過去苦難を乗り越え復活した
タフさを讃えるとともに、早期復興を期待する励ましの言葉が一様に述べ
られていました。処がこのような同情と賞賛一色の報道は原発事故発生以
来一転して負の面に力点を置く報道に変化しました。その引き金になった
のは米国政府原子力安全規制委員会委員長の議会証言です。放射能測定値
に就いて日本政府発表より委員会の派遣員の測定値がはるかに高い濃度を
示した事を根拠に危険性を強調しました。これが国務省の自国民に対する
原発から半径80Kmの外への避難の勧告を惹起しました。これは事故発
生後5-6日間の事でしたが、この証言は日本政府の公表する情報の信頼性
に疑問を感じさせる効果を世界にもたらしました。

当地在住の日本人の中にはこの過剰反応を非難する人もいました。被害当
事者の日本は平時に科学的根拠に基き法的強制力も付与して設定した安全
基準に照らして避難範囲を決めたもので、極めて困難をともなう避難をで
きるだけ避ける為に妥協したものでは毛頭ないのに、委員長は米国が実施
した放射能の測定を再確認までしてその主張を引っ込めませんでした。先
週のニューヨークタイムズ紙に委員長の言として、当時日米間で異なる放射能測定値
がでて高い値の米側としては炉心の大規模溶融が発生してる可能性を否定
できなかったので、安全を見て80kmと設定したものと説明したとあり
ました。現在では米側も避難地域を20マイル(32km)に修正してる
ようですが、この米側の変化の背景に直接関係あるか定かではないが、二
つの米側の事情が報道されてます。その一つはニューヨークの中心地マンハッタ
ン島に最も近いインデイアンポイント原子力発電所がある郡の安全基準では避難勧
告の必要区域は原発から半径10マイルと規定されていて、連邦当局の50
マイルより大幅にゆるい事が指摘されました。又50マイルの避難区域は
マンハッタン島を超えて更に南に及ぶ広範な地域で仮に実際に避難の必要
が発生したら1000万人を超える住民の避難が必要になり、実際上短日
間に実行不可能だとの批判が起こりました。もう一つは、オバマ政権はスリ
ーマイル島事故以来新規原発の建設を差し控えていた国のエネルギー政策を石炭火
力が主体の米国の発電施設からの排出ガスの温室効果対策の為に、新規の
エネルギー依存を原子力に舵を切る事を発表してましたが、福島原発事故にも
拘わらずこの方針を変えないと発表したばかりの処でした。他国の原発事
故対策を過度に厳しく糾弾する事は自分の首をしめるに等しいと一転して
軟化したのだとの憶測記事もだされました。斯様に自分の都合に合わせて
政策的配慮をする事はこの国の政治では往々にしてあり得る事なのです。

この委員長の発言に対する私の認識は、立場の違いによる過剰反応ではあ
るが、安全を見た事は可笑しくない。立場の違いと思ってました。だが、
因って起こった報道はテレビ視聴者に日本危うしの印象を与えた負のイン
パクトは相当大きなものだったので驚きました。日本で活動する外資系企
業の駐在員だけでなく事務所自体の活動を国外に退去させたりもしました。
全国放送のABCテレビは地震津波発生翌日に取材の為に、人気ニュース番組の
主任アンカーを筆頭に有名キャスターほぼ全員を被災地に派遣して報道を開始しまし
たが、前日まで災害のすさまじさや被災者や救援を惜しまぬ日本人の団結
心や心あたたまる側面に報道の焦点を置いていたのが、米政府の避難勧告
と同時に日本から急遽派遣クルーを退去させて、その慌しい様子を放映して深
刻さを誇張とも思える程演出して見せました。斯かる米国の過剰反応が第
一段階の私の認識でした。

しかし、その後菅首相の原発視察に同行した斑目原子力安全委員会委員長
が往路機内で菅首相に絶対に起こらないから安心してくれと説明したにも
拘わらず発生した水素爆発が起ったわけですが、斑目委員長は政府指示に
従い東電は当然ベントを実行したと思ってたのでそのように菅首相に言った
と釈明したとの記事を見るに及び原子力行政の専門家がこの程度の危機管
理意識では本当に日本政府の判断を信頼してよいのかと疑いの気持ちを抱
くに至りました。原子力安全委員会は単なる諮問機関でなくその勧告は強
制力を持つほど強いと理解されてます。その責任者が斯かる危機的状況下
緊張感を欠いた対応しかしてないとは信じられない。その無責任さに愕然
とすると同時に日本政府の信頼性に極めて不信感をいだくに至ったわけで
す。併せて原発事故対処のノウハウの蓄積のない日本の原子力業界は単独
解決は難しく外国の直接的介入まで求められるものではないかとすら思う
に至ったのが第二段階です。

4月7日のニューヨークタイムス紙の記事見出しに「米当局は日本の原子炉々心溶解
を疑ってる」がありました。米国議会公聴会で或る議員が原子力庁が2号
炉の燃料棒が溶解して溶解は格納容器まで達していると証言した事に端を
発して、この証言に対処して当局原子力安全規制委員会は燃料は漏れたか
どうかは述べず、燃料棒の一部が溶けて原子炉の抗圧容器から漏れてるか
も知れない、ドライウエルの下部に溶解したものが流れてると言ったとい
う記述で、次いで原子力専門家の意見として溶解と格納容器を破って流れ
出す可能性を縷々並べた後、燃料棒の一部がドライウエルに流れ出した事
は必ずしも溶解を示すものでない、格納容器に付随するパイプやシールが
緩んだものかも知れないと当局は述べたと書いてます。この当局の説明は
日本政府が極く初期段階で説明した内容と同一です。議員が可能性として
はあり得るネガテイブなケースを恰も権威ある政府機関の言として誇張して断定
的に公聴会で発言したものですが、米国議会ではよくある事です。ニューヨーク
タイムズ紙の見出しも事を煽る表現にしています。日本政府は自己の正当さを
信じていても自己防衛の為に、間違った情報や虚偽や扇情的な外国の報道
や公的機関な発表には一つ一つ丁寧に事実を説明して誤解を正す事は絶対
に成さねばならない対策です。それも即座の反応を示す事が、世界で自説
の正当さを守る為に必要な広報活動のイロハです。処が、枝野官房長官の
記者会見の際に、冒頭の米議会公聴会での証言に言及した記者からの質問
に対して、矛盾する米側の証言を事実関係に照らしてきちっと日本政府の
見解を説明するものではありませんでした。米国流儀からすれば米側の事
情を認めたととられても致し方ない対応でした。

4月9日のニューヨークタイムズ紙に「日本のプラントで核の危険について専門家達
の議論が不安を増大させてる」と云う見出しで大略次のような記事があり
ました。担当の記者の一人は日本人の名前です。福島原発1号炉の危険が
どの程度なのかと云う基本的な疑問が掴めない。データが少なく内外の公
的機関の間で矛盾した意見の相違が発生している。米国の専門家が第2号
炉の格納容器に損傷が起こり本格的に放射性物質の漏洩が起こってる可能
性があると疑う発言をするのに対して日本側はその兆候はないときっぱり
否定し、しかも米側の発言は正式に日本政府に問合せるものでないと不信
感をあらわにしている。米国側の背景にはスリーマイル原発事故の際に原子力安
全管理機関が怠慢だったからとの批判を受けた経験に鑑みて厳しい姿勢を
見せてる面もあったり、原子力発電に批判的な議員が、原子力安全規制委
員会は己が認めようとしてたより厳しい溶融を示唆する情報を下級スタッ
フが与えたと分るや、これを否定したのは不可解だと発言したりしている。
一方日本側の当局者は公的発表でパニックが起こるのを避けたいのだろう。
その他悪いケースに繋がる可能性に就いて幾人かの日本人技術者の想定を
示した後、最後に東芝の元原子力発電所デザイン技師の発言を引用して、
日本の当局は何か結果を予想したらパニック以外得るものはないから、最
悪のケースのシナリオを口にする事は絶対にないという事で結んでいます。

上記の記事が局外者の米国人に訴える意味は、今回の事故がもたらす危険
に対する漠然とした恐怖感、更には日本の発表に対する不信感でしょう。
日本政府当局者も東電も事故に因る計測機器の破壊故障で疑問なく原子炉
の現状を説明できない事は明白でありそれを認めています。上記のような
外国からくる仮定を積み重ねた上の悲観的な議論を反論する術はない事も
明白です。YesともNoとも言えない事に反論する必要はないとか、言えば
言うだけ議論を持ちかけられて得るものがないから黙殺しようとしたり、
悪意をもった中傷とか相手を非難するだけでは、国際的に通用する議論で
は負けを認める結果になるだけです。証明できる事実はそのまま発表した
上、己の推論を展開し且つ反論に備えて最悪ケースのシナリオに関する自
分の見解をしっかり展開する。これしか国際的に認めてもらえる自己保全
の為の議論の方法はないと思うべきです。その方が知識に欠ける私のよう
な素人にとっても余程納得がゆきますし、最悪のシナリオが人心に衝撃を
与える事があっても、事実を早く知る事によって心の対策だけでも採る余
裕が与えられる事は意味があります。臭いものに蓋をしたり、事実を隠蔽
したりした場合、結果がネガテイブに出た時にその反動は倍加されるリスクの方
が余程自己防衛上危険だと思います。

繰り返しになりますが、もう一つ本当に大事なのは、反論は議論をふっか
けられたら空かさず反応しなければなりません。日本の意思決定はコンセ
ンサスを得るためや、どこから突っ込まれても反論できる立場を構築する
為に時間を掛け過ぎて折角当を得ていても、タイミングを失って効果を喪
失してしまうケースが多々あります。スポークスマンを決めて迅速な対応が必要です。
自分が不利で間違った情報への反論はスピードが不可欠です。

余談になりますが、事故発生と同時に始まった東電の対応に就いて目に余
るので触れない訳には行きません。記者会見の東電側スポークスマンは最
低でした。雛段に数人並び最年長者が代表するスタイルを採ってました。
多分広報部門の長がスポークスマンだったのでしよう。だが書き物をつっ
かえながら棒読みする事と先頭を切ってお詫びのお辞儀をするだけで、い
らだつ記者の質問にしばしば即答できず口ごもるだけでなく黙して語らず
の場面が度々起こりました。雛壇のチームは全体的に専門知識を充分持っ
て事態をよく把握してるとは思えませんでしたが、それでもむしろアシス
ト役と見られる若い社員の方が当を得た対応ができていました。現場の専
門技術者は事故対応で忙殺されてるから広報は二の次のスタッフでせねば
ならなかった緊急事態には同情し理解してあげなければ可哀想ですが、組
織の中で偉い者順でスポークスマンを決めるのはナンセンスです。投入で
きるスタッフの中から最大の効果を発揮できる人材を任命して即応する事が求
められます。東電は病という不可抗力で最高責任者を欠いた対応になりま
したが、個人的な同情の理解はあってもこれ程の緊急事態に対処するには
はじめから会社の最高責任者が陣頭に立つ事が不可欠です。社長を欠く中
でトップの会長が表面にでて来るまでに相当な時間が経ってました。個人
企業ならともかく、米国の上場会社なら社長を即刻に更迭して、新責任者
の下緊急時の即応体制を組んで毎日のように記者会見を重ねたでしょう。
広報活動に於いて落第です。病いから復帰した社長が福島縣知事にお詫び
の挨拶をしたいと申しいれた処断られたと報道されてますが、納得と迫力
に欠ける同社の対応に被害者の県知事や県民が激怒する気持ちはよく理解
できます。東電は寡占事業の安定した収益基盤に慣れ親しんだ超保守的な
企業というイメージは持ってましたが、これ程時代感覚のずれた会社とは思っ
ていませんでした。大きなダメージを蒙った同社の経営再建には大変な困
難がともなうと思いますが、財務的な再建だけでなく企業体質の改革もと
もわなければならないと思われます。

私は第二段階の認識で日本政府単独の解決能力に疑問を表明しましたが、
日本政府に対する信頼感を失ったわけではありません。全く新しい経験に
ぶつかって試行錯誤を繰り返しながら対策に追われてる訳で、その上余震
の頻発下危険極まりない核を相手にしての対応です。計画通りはかどらな
い場合もあるでしょう。今日発表されたIEAE基準危険度7への引き上げに
対して遅きに失するという批判がありますが、大変な困難をともなう避難
計画の実行という次元の異なったリスクを考えた場合に核汚染の危険度だけを
安全第一にすれば済む訳ではありません。科学的に立証できる安全度を根
拠に決定したものであれば国民は冷静に受けざるを得ない帰結です。日本
政府として求められる事は冷静に判断した決定条件下避難計画等の実施を
一切妥協なく進めてもらう事です。国際社会との関わりに於いて、既に足
りないノウハウや機器の支援を謙虚に受け入れる事にして居り、近隣諸国
への核対策の事前通知に気くばりをする体制になってるようですからこれ
以上コミュニケーション不足による不信感の増大は避けられると期待します。同時に、
言われなき非難や国益を損じるような外国からの批判や干渉に対しては毅
然とした対応をする事は無論遠慮すべきではありません。だが、その対応
の仕方は国際的に通用する基準であたる事を切に期待します。
                            以上

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リレー・メッセージ 第84回 2011.4.15  横山正明さん(昭32文)

 『タイの人々に知られたくないニュース

 前代未聞の東北大災害、原発問題、発生から既に一ヶ月が経ちまし
たが未だに原発問題はお先真っ暗、災害復興も間々ならない中、未だ
に余震に怯えながらの日常、此処タイからお見舞い申し上げます。

 先月11日、地震津波のニュースはリアルタイムで此処バンコクにも
伝えられました。翌日、翌々日には早くもバンコク市内各所、電車の
駅などには日の丸のついた募金箱が置かれました。多くのタイの人々
は無言で義捐金を入れてくれる様子に在タイ日本人として胸が熱くな
り目頭が熱くなる毎日でした。市内のスラム街、クロントイの人々
もそれこそ食費を削っての義捐金でした。

 15日には旧知の日本人音楽家から在タイ日本人音楽家によるチャリ
テイーコンサート開催会場についての相談を受け急遽10数人の音楽
家をグループ化、ボランテイアーも約10名くらいが集まり結果4月5日
までの間に3回のコンサートを開催することが出来ました。

 このコンサート実現に市内の最高級ホテルのボールルーム、又音楽
会ホールなどの会場費、諸経費の無償提供などタイ側の大きなバック
アップが力になり成功裏に義捐金を集めることが出来ました。小生
も彼ら若手音楽家(小生の年から見れば)を微力ながら協力、多忙な
3週間を過ごしました。日本の災害に対する海外での外国人による支援
も130か国以上と聞いております。小生も20年此処バンコクに定住し
初めてタイの人々の心の優しさに触れ感激しておりました。

 折も折、14日、日本の友人からメイルが入り、産経新聞上のニュー
スとして、菅総理が世界7つのマスコミ(ヘラルドトリビューン紙,
米,英,仏、露、中、韓にお礼の広告を掲載したとのこと。これ以
外の国には経費面で復興費に回すために節約??とか。
 
 この菅総理の発言には心底びっくり致しました。東南アジア連合な
どと言っていたのはどこの国の政党だったのか。この様ないい加減な
不見識政治家が存在すること自体、日本の災害だと思います。この
ニュースがタイの善意の人々の耳に入らないことを願う一方在外日本
人の肩身を狭くするような大臣の存在を実に情けなく思います。

 末筆ながら余震、原発にご苦労な毎日を送られている方々のご健
康を心よりお祈りいたします。
尚、コンサートの模様はユーチューブにて世界中に流す予定です。
ご一見を。

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リレー・メッセージ 第83回 2010.10.15  横山正明さん(昭32文)

 『日本人留学生の減少』

 今年も10月半ば、先月末までは連日のように日本の猛暑のニュースが
伝えられていましたが此処南国では暑さはニュースにもならず本年に限
ってはタイの猛暑の季節に加え反政府のグループによる市内要所の占拠
などで暑さ倍増の年になりました。

 半年に及ぶ雨季も10月まで、11月から12月一杯は暑さも一休み爽やか
な最も良い季節になります。さて此処バンコク大学では国際学部の新学
期が8月半ばから始まりましたが、今年は一寸異変が起きました。

 小生の担当の日本語関連クラスでは語学クラスとしては定員オーバー
の47名。例年、主にはタイ人学生(主として女性)そして欧米人に若干
アジアの学生という国際的なクラスなります。ところが初日にびっくり、
教室の前列には10数人の中国人男子学生、それに韓国人学生が陣取り、
一瞬中国の大学かと錯覚したような次第。実のところ彼らの授業態度は
真剣、勤勉そして質問も殆ど彼らからという積極的な彼らには教師とし
てもある種のプレシュアーさえも感じる嬉しい悲鳴を上げております。

 正に最近の中国の勢いがこんな所でも実感されています。加速する中
国の頭脳開放と言われるこの頃、この30年で中国が世界に送り出した留
学生が世界100カ国に100万人、内30万人が帰国,各界で活躍中との事
です。因みに、アメリカでの博士号取得者数、中国が4,280名に対して
日本が222名、今年のハーバード大学には日本人留学生はついに1名に減
少(今年初め来日のハーバード大学長の談)。

 グローバル化やむを得ないこの頃は国内引きこもりの国際基準規格に
当てはまらない若者が増加、10年後には国際人脈も皆無になる事が心配
されます。

 現在、日本の有名企業も外国人採用の時代、日本国内での調査では企
業の若年層では海外勤務拒否が増加傾向との心配なニュース.我々の若
い時代は恐らく海外志向を持った若者が多数を占めたと思いますが今や
時代が変わったでは済まされない事だと思います。最近身近な話では或
る日本の企業ですが、タイ進出の為の駐在員事務所を開設、所長のアシ
スタントとして日本本社から20代後半の社員を見習いのためバンコクに
派遣、しかし1週間で心身ともダウン、已む無く帰国、幹部連中は唖然と
した由。

 我々のようなアジアの一角の大学への日本人留学生又交換留学生数も
減少しております。少子化で数少なくなる日本の若者が積極的に海外で
も学び、国際的に活躍をしてくれる事を心から望んでいる今日この頃.
色々な面で心配な祖国を思いつつお便りと致します。

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リレー・メッセージ 第82回 2010.05.15  横山正明さん(昭32文)

 『出口の見えないタイの騒乱』

 今回の反政府勢力UDD,いわゆる赤シャツグループによるバンコク市内で
の騒乱はやがて2ヶ月を迎えます。当初、ここタイの現政権もまた国民、在
留外国人の殆どが情勢を甘く見ていたきらいがあり未だ先が読めない状況は
全くの予想外でした。

 私が当地に在住20年近く何回かクーデターなど経験しておりますがいず
れも1週間程度で落ち着いたかに記憶しています。記憶に新しいものでは一
昨年末の国際空港占拠(これは現政権派)には可也のショックと思わぬ影響
を受けたものです。しかし期間的には2週間程度?だったかと思われます。

 今回の事件も時々は日本のニュースで放映されているようですが先月初め
には日本人カメラマンなど死者が多数出ており今もなお時たま死者のニュー
スが流されます。
 今回の騒動について簡単に言えば国外追放中の以前の首相、タクシンを押
す農民層、貧困層、合わせれば60%以上が組織的に多数バンコクに上京、
現在商業中心街、ビジネス街を占拠、立ち退かず、大手ショッピング街大手
デパート,日系では伊勢丹,大手書籍店、紀伊国屋など今日5月12日現在
40日以上閉店、従業員といえども建物にすら近寄れない状況です。都心を
走る高架鉄道も一時は一部路線が不通になったり、又つい数日前までは終電
が午後8時、とにかく一般市民も刻々変わる情勢に翻弄されて個人の生活パ
ターンも変えざるを得ない毎日です。勿論経済的損失も莫大なもなると思わ
れます。
 市民又は外国人旅行者への注意事項として赤シャツ(反政府派)と黄色シ
ャツ(反赤シャツ派)は着ないようにとの通告もあり小生も今のところ赤系
黄色系のネクタイは避けております。

 今や国を二分する騒乱にまで発展、最近では市の中止地にある大学病院に
も暴徒が侵入、患者は全部他の病院に避難という国際的に常識外の事件も起
こっており、政府も度々強制排除の方針を出し多くの軍隊、警察が動いてお
りますが今のところ赤シャツ隊の占拠状況はは変わらず.ひとつの問題に軍
隊はスイカ(表面は緑の制服しかし中は赤)警察はトマト(赤が多い)とい
われており排除への迫力も今ひとつです。この喩えはお分かりと思いますが、
軍隊も警察官も農民層、貧困層の出身者が多く対峙する赤シャツグループと
の間は非常に微妙。

 今日5月12日の政府発表では13日午前0時を期して占拠地区全体の電
気ガス水道をストップさせ、携帯電話も使用妨害を実施するとの事、さて如
何なことになるのやら?この原稿送付しようと思っているうちに新情報
(13日)上記のインフラストップは延期??弱気な政府側と強気の赤組の
対決、タイの国際的信用が日増しに降下している現状を憂う毎日です。

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リレー・メッセージ 第81回 2010.04.09  横山正明さん(昭32文)

 『帰国雑感』

 過3月中旬、一年ぶりで数日の一時帰国、7年ぶりに大学1年の時のクラス会
に出席、その名はカマボコ会,(文学部1Gクラス)ご存知の様に文学部は2年
に進級の際には各科に分かれてしまう故に唯1年のみの編成、そんな意味で稀有
なクラス会です。

 カマボコの名前の由来はまだ戦後8年弱の昭和28年前後、やっと米軍の接収
から返還された日吉の丘は二つの鉄筋の校舎(高校及び第二校舎)以外はトタン
造りの米兵用の兵舎、形がカマボコに似ており通称カマボコと呼ばれ我々の教室
として使われておりました。ご記憶の向きも多いと思います。
 夏はトタンが焼け暑さ倍増、雨がトタンを叩き講義聴こえず誠に悲惨な教室で
した。幸い当時、文学部の特典?で2年からは三田に移動出来る身分でした。以
上名前の由来。

 さて当日の出席者10数名(女性が半分)残念ながら後期高齢者に突入の諸姉
兄、体のあちこちの不具合から出席率30%というのも止むをえません。クラス
メートの中では比較的女性群が元気な様子、女性で高名なF慶応義塾大学名誉教
授は遠くキリマンジャロでの調査から帰国直後、写真をはさんで土産話など楽し
みました。

 小生も久方ぶりの参加ということで現地報告の時間をいただきました。話は小
生が非常勤講師を勤める当地私立大学の大手バンコク大学(学生数28,000名)に
ついてのプロモーション?本校の国際学部についての説明。概略、学生数約2000
名で30カ国以上の学生が在学、教師も80%は欧米人、勿論授業は100%英語使用
ということで、英語を母国語としないアジアの学生にとっては母国語の他に、英
語、努力に依ってはタイ語の3カ国語を習得(トライリンガル)可能、英語と言え
ば欧米しか思い浮かばない日本人にとっては英語習得の穴場、しかも生活費など
全部込みで1年間の費用が1万ドル(USドル)以下。因みに日本では2万ドル
以上、アメリカでは3万ドル以上。
 残念ながら英語能力が劣る日本学生にとってはアジアの大学での英語習得も視
野に入れても良いのではないかということが私の話の主旨でした。

 折から最近の日本の学生の傾向としては、外国に出たがらない−リスクを嫌う−
積極性を嫌うなど、かのハーバード大学にも日本人学生が唯一人になった由、一
方同大学には中国、韓国人学生が増加,また他のデーターでは1999年以降2008年
アメリカへの留学生数推移はインド、244%、中国、180%、韓国、182%と増加、
日本は38%。

 現に我々バンコク大学への留学生、一時は10数人が今は3〜4名に減少、こんな
ところにも全体の傾向が顕著に表れております。折から当地でも観られるNHK
ニュース、各大学の入学式風景、両親も同行出席、しかもオリエンテーションに
も親が出席親が必死に質問している様子。
20年近く日本を離れている身には信じられない正にショッキングな場面でした。
果たしてこれが今の日本の現実なのか俄かには理解出来ませんでした。海外に在
住の身には祖国の地盤沈下、特に日本人学生若者の近い将来が心配されます。

 これは若い海外駐在員にも当てはまること自分の回りの事しか興味なし、学ぶ
気持ちも希薄、話題も幼稚など憂うべき状態と言えましょう。話がカマボコから
老人の愚痴になってしまいましたがご笑読いただければ幸いです。

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リレー・メッセージ 第80回  2008.4.15

 寄稿者のご希望により削除しました。


リレー・メッセージ 第79回 2007.10.15  横山正明さん(昭32文)

『甘い果実?』

 ご存知の様にここ南国タイは果物の宝庫、一年中色々な果物が出回っています。
ドリアン、マンゴスチン、パパイアなどがお馴染みです。
 十数年前頃までは所謂地元の果物のみ、リンゴ、梨、ぶどう、柿など日本独特
の果物などは殆ど見られず仮にあっても輸入品としてとても高価で手のでない高
級品、先ずは諦めていましたが最近ではこれらの果物も手軽な価格で手に入り、
果物に関してはまず不自由の無い昨今です。

 中でもマンゴスチンは昔から果物の女王と言われ夙に有名です。見掛けは決
して美しいとは言えず形は極く小さい柿、色は濃い紫色、5~6ミリの厚い皮を
割ると白い芳醇なみずみずしい甘い実が現れその美味しさに飽きることはあり
ません。
 小生の好物の一つですがこの間の事この皮を割ってみたところ瞬間中から無
数の小さな蟻が噴出?していっせいに逃げだしました。その気味悪さに投げ出
してしまいました。蟻は甘いものを嗅ぎ分け一番美味なものに集まる訳です。

 その時とっさに連想したのが今日本で騒がれている社会保険庁問題でした。
国民の将来の為に納めた貴重な金を億単位で横領、着服した役人達の姿が甘味
にたかる蟻とオーバーラップしたのです。日本の事件については海外では限ら
れたものながら、このニュースには文字どうり耳を疑いました。汚職は限られ
た人間の起こす犯罪と半ば諦めてはいましたが、今回の事件は一般の地方役人
が多くかかわっているとの事.にあきれ果てると同時に人間とし
て恥ずかしい犯罪を冒すこれらの人々に対してやり場の怒りをおぼえました。

 かなり以前から後進国ではこのような事件を多々耳にしていましたが今の
日本でこの様な事件があろうとは日本の役人に絶望する他ありません。
 歴代の農林大臣始め議員の怪しげな経理操作日本人からは罪悪感、堕落と
言う言葉は既に消えてしまったのでしょうか。
 話が随分と横道に逸れてしまった序でに、近頃の日本語の不明朗さにも飽き
れます。領収書を5部もコピー改ざん国費を詐取した元農水大臣のテレビでの
弁明が皆様にご迷惑をかけたとかお騒がせした等、こんな弁明で自分の犯した
犯罪を詫びたつもりなのか犯罪人の意識など全く無い日本語の使い方は明らか
におかしいと思います。
 又極悪な殺人者への裁判官の言葉で“被告は将来更正の可能性が無いとは言
いきれない”など弁護士と区別のつかない怪しげなコメント。事件の被害者を
無視した自信の無い又責任逃れめいた意味不明の言辞をろうする裁判官にも
あきれ果てます。

 皮肉なことに今はNHK WORLDと称してリアルタイムに日本のニュースが
世界中に流れます。結果日本の政治家、官僚の堕落さ加減が日本へのイメージ、
信用を急速に下落させています。海外ではクリーンな印象があった日本人は一
体どうなってしまったのでしょうか? 海外に住む日本人としては肩身の狭い
思いがつのり気の滅入る毎日です.。

 タイの果物の話がとんだ方向にずれてしまいました。折角の美味しい果物も
不味くなりますのでこの辺で止めておきます。

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リレー・メッセージ 第78回 2007.5.16  横山正明さん(昭32文)

『バンコク便り』

 暑中お見舞い申し上げます。大分早めのご挨拶をタイからお送り致します。
タイの人々によればタイの1年には三つの季節があると言います。
即ちhot,hotter,hottestとなる訳ですが今4月は正にhotest seasonに当たり
ます。

 タイでは4月中旬、今年は13日から15日がタイ正月、別名水掛祭りが行われ
ました。この祭りもかなり世界的に有名になりましたがこの3が日,町のあち
こちで誰彼となく水を掛け合い例え正装して水を掛けられようと決して怒って
はいけないとされています。 全くの私見ですが恐らく昔この最も暑い時期に
貴重な水を掛けて上げるのはどんな人に対しても最高のもてなしであったので
はないかとの自説を信じております。気温も37〜8℃、水を頭から掛けられ
ても瞬く間に乾いてしまい怒る間もありません。
日本で言う熱帯夜に8階の我が家も毎夜,冷房,扇風機,加湿器がフル回転の
状態が続きます。

 実は小生目出たく??塾卒業50周年を迎え3年ぶりに過日一時帰国4月3日の
入学式に出席しました。幸か不幸か3日の東京は19年ぶりの寒さとか、冷たい
雨に祟られた1日でした。何分38℃に弛んでしまったわが身には日吉の記念館
が冷凍庫の様に感じられました。16年のタイ生活,我が身体は寒さをすっかり
忘れてしまていたのを実感したものです。

 当日大学1年の時のクラス会、諸嬢諸兄と竹葉亭本店で日本の本当?の鰻に
舌鼓を打ちました。この会の名称カマボコ会の当時を偲んだ一夜でした。当時
ご卒業の方々にはこのカマボコの意味がお分かりと思いますが未だ終戦間もな
い頃米軍に接収されていた日吉の丘に残されたカマボコ型の米軍兵舎を教室に
転用,冬更に寒く夏更に暑く雨で教師の声が聞こえず今では考えられない苦学
の毎日でした。

3日間と言う短い東京滞在を終えバンコクの熱い生活に戻り早速翌週の大学
の授業に戻ったのですが折悪しく正月明けの日,学内は閑散、当たり前の如く
出席率最低の教室,実に静かな学内に寂寥感を感じ,特に日頃込み合う学生食
堂30店位の各種の食べ物屋が並び1.000人程度収容できる大型カフェテリアに
も学生がちらほら,食べ残した皿を目当てい集まる雀達を友に食事をとった真
夏のある1日でした。
 未だ朝の幾分涼しい時間このお便りを送ります。これから大学に向かいます。
毎日歩くべしの医者のゲンメイに従って30分の徒歩を薬にして今日1日を頑張り
ます。

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リレー・メッセージ 第77回 2007.3.15  横山正明さん(昭32文)

『バンコク便り』

 例年どうり2月,小生がこの10年講師を勤めるタイ国大手の私立大学バンコク大学の卒業式を迎えました。

市内の国際大会議場には炎天下卒業生家族友人を含めた3万人ほどの人が集まりいやが上でも盛り上がる熱気

が更なる気温を高めます。この儀式が2日にわたって行われます。

実はこの卒業生達は昨年3月に事実上学業終了,卒業の学生達です。日本では卒業式と言えば3月の年中行事,

然しここタイでは翌年にかけて各校卒業式はばらばらに行われるのが普通であり在タイの日本企業の人事担当

者を迷わせます。

 我々の言う卒業式,Graduation Celemonyと呼ぶより通常はCommencement Celemony即ち学位授与式と呼ばれて

います。学士号,修士号,博士号が授与されいよいよ社会に巣立って行く儀式ということになります。出席の

学生は全てガウン着用,ステージ上の150人程の教師陣は自分の出身校所定のガウンを着用することが決まり

になっています。ガウンの袖には修士が2本線,博士が3本線と国際的に決められています。

 当校では1日約2,500人の学生に証書授与,2日合計で約5,000人の授与となります。勿論一人一人名前が

呼び上げられ学長よりの証書授与となりますがこの間約4時間,国王への敬意を表した後ステージ片側の9人

の僧の読経が続きます。仏教国らしい式典となります。国立一流校では授与は以前は国王御自身が手渡しで行

われておりましたが今は国王の健康上のことから皇太子または王女が代役を勤められております。

 兎に角学生本人その両親などにとっては一生の大変重要なイベントとなります。式終了時は証書を胸にあて

学生全員での誓いの斉唱?そして退場の教師陣の作る道の中央を感謝の言葉を述べながら合掌(タイではワイ

と呼ぶ)し退場して行く学生,見送る教師達の胸が熱くなる瞬間です.一生のうちこのような厳粛な時が持て

る彼らは大変幸せであろうと思います。

 今年も2日間ステージ上に着席5,000人の学生達の巣立って行く姿を見るにつけ小生は本年塾卒業50周年を

迎えました事をあらためて自覚した次第です。4月の入学式に招待されており何とか一時帰国、来し方50年を

懐古したく念願しております。

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リレー・メッセージ 第76回 2006.12.15  斎藤明子さん (昭60女子高)

『ホワイトクリスマスin軽井沢2006』

 クラシックギタリスト  斎藤明子

 東京から軽井沢に移り住んで9回目のクリスマスを迎えようとしている。
初めての冬はその寒さに驚くばかりだったが、体が慣れてきたせいか、温暖化の
せいか、今では一年の中で一番軽井沢らしさを感じて過ごす季節となった。
観光客にとっても、避暑地としてだけでなく冬は冬でいろいろな楽しみがある町
だ。スキーやショッピング、豪華な食事に温泉、ステイタスを誇る大賀ホールで
のコンサートなどを、この季節ならではの光のデコレーションの醸し出すロマン
ティックな雰囲気の中で満喫することができる。

このイルミネーションについては、町をあげての取り組みといってもよいほどで、
『ホワイトクリスマス�n軽井沢』と銘打って、クリスマスの雰囲気を存分に盛
り上げている。フォトコンテスト、ハウスデコレーションコンテスト、イルミネ
ーションバスツアーなどさまざまなイベントが用意されている。 
http://www.white-christmas-in-karuizawa.com

さて私もこのシーズンの素敵な思い出がひとつある。
慶応女子高の1年を終えたところで1年間スペインにギターを学ぶため留学してい
たときのこと。バレンシア地方にあるアルコイという小さな町の、大家族の家に
ホームステイしていた。敬虔なクリスチャンがほとんどのスペインでは、クリス
マスは日本よりもずっと神聖な行事だった。
家でもツリーではなくべレンと呼ばれるキリスト生誕の場面を飾るのが新鮮だっ
た。キリスト、マリア、ヨゼフ、東方の賢者、馬小屋、羊などのミニチュアを可
愛らしく飾るのだ。パーティーも日本とは違い、家族だけで過ごし、深夜のミサ
にむかう。

プレゼントは年が明けて6日の『主御公現の祝日』に渡される。数日前になると、
町のどこからでも見ることのできる山に大きな星の形のイルミネーションが輝く。
クリスマスの星だ。いよいよ当日、食事が終わったころ突然バルコニーをたたく
音がする。子供たちが大声を上げてかけよると、窓辺にクリスマスプレゼントが
山積みだ! 
誰が届けてくれたのかとバルコニーに出てみると、信じられない光景が目に飛び
込んできた。ライトアップされた町の教会をバックに、星の電飾でいっぱいの
石畳の通りをゆっくりと3人の賢者がパレードしているではないか。そしてその
召使ということなのだろうか、上から下まで黒ずくめで、顔まで真っ黒に塗り、
真っ赤な布をベルトに巻いた青年たちが何人もその周りで仕事をしている。

賢者からの贈り物の配達だ。真っ赤な長いはしごをかけて、次々と大きな包みを
バルコニーに運び入れる。まるで町全体が、ナザレの馬小屋で、子供たち全員が
キリストになってしまったかのようだ。
こんなロマンティックなクリスマスが体験できるとは夢にも思わなかった。

日本ではどうしてもクリスマスとキリストの誕生とがかけ離れ、ただのお祭り騒
ぎで終わってしまいがちだ。しかし軽井沢にあるのは、電気のイルミネーション
だけではない。全国に誇る、吸い込まれんばかりの満天の星空がある。凛とした
寒さの中で夜空を眺めれば、大昔に馬小屋で誕生した神の御子を思わずにはいら
れない。
そしてこうして生きている私たちの命のありがたさをしみじみと感じるのだ。

宣伝:
斎藤明子のクラシックギター独奏によるCD『スペイン』(SRCR8854)
にはスペインのクリスマスキャロル、『聖母の御子』が収録されております。

脚注 
ソニーミュージックショップ
のサイトにて斎藤明子さんのCDが掲載されて

いて購入できます。

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リレー・メッセージ 第75回 2006.12.15  伏見 靖さん (平3理工)

 「ミクシィ三田会のご紹介」

 理工学部機械工学科1991年(平成3年)卒の伏見と申します。今回は私が
運営している「ミクシィ三田会」について寄稿させていただくことになりました。

 インターネット上のサービスであるSNS(ソーシャル・ネットワーキングサ
ービス)という言葉をお聞きになったことがある方も多いかと思います。特に、
今年9月に株式会社ミクシィが東証マザースに上場したということで急速にSN
Sが一般に認知されたようです。SNSは、2004年前半頃に日本に上陸した
インターネットを利用したIT技術の1つであり、その頃から複数のSNSの運
用が開始されました。

 いくつかあるSNSのうち、ミクシィ(mixi)というSNSは使い勝手がよく、
直感的にわかりやすい、ということなのか、最も参加人数の多いSNSとなって
おり、2006年12月現在で800万人近くの参加者が居ます。

 既にインターネットを利用して情報交換したり交流を図る技術としては、ホー
ムページ、掲示板、メーリングリスト、個人ブログ(公開日記のようなもの)等
が知られていますが、これらにSNSが加わったと考えていただいてよいかと思
います。SNSには様々な種類がありますが、一般的には、「日記」を中心にし
て、「プロフィール」+「コミュニティ」+「友達リスト」という構成が一般的
です。

 「プロフィール」には、自分の趣味や出身校等を自由に記載することができま
す。例えば、学生時代に所属していたサークル、私の場合…「放送研究会」…と
書いておくと、他の「放送研究会」出身者が検索機能を使って、私を見つけてく
れて(ネット上ですが)再会できるという具合です。

 「コミュニティ」は、掲示板と同じく、同一のテーマについて興味のある人が
意見や情報を自由に書き込めるようになっています。また、参加している「コミ
ュニティ」を表示することによって、友人がどのようなことに興味を持っている
のか等を推測することができます。

 ここまでですと、従来のインターネット技術を組合せただけのようですが、
SNSがユニークな点は3つあります。

 1つ目は、初めて利用する場合、既に利用している人からの紹介が必要である
点です。最近、インターネット上では匿名をいいことに、個人や企業を中傷する
情報を掲示板に投稿したり、有害サイト・著作権を侵害したサイトを運営したり、
迷惑・広告メールやウイルスをランダムに送りつける行為が社会問題となってい
ます。しかしながら、SNSでは最初に紹介される行為が必要であることから、
誰でも入れるものではなく、一定の歯止めがかけられます。

 2つ目は、「日記」や「コミュニティ」への投稿には、必ず「ハンドル」が表
示される点です。「ハンドル」とは、ネット上で用いるペンネームです。つまり、
書いた人間をある程度特定しつつ、個人情報を晒さないといった利用の仕方がで
きます。例えば、私は「脂肪燃焼アナリスト」というハンドル…書いててちょっ
と恥ずかしいのですが…を使っており、自分の本名は「プロフィール」を見ない
限りわかりません。

 3つ目は、友達リストです。友達リストは、参加者が「互いに友人だと思って
いる人」を表示する機能です。このため、誰と誰とが知り合いか等を知ることが
できたりします。例えば、「取引先の社長」が「大学時代のサークルの先輩」の
親友だった、ということが容易にわかる仕組みです(これが必ずしもビジネスに
いい結果を生み出すとは限りませんが)。

 さて、ミクシィ三田会は、前述した「コミュニティ」機能を使っています。
「コミュニティ」は参加者であれば誰でも立ち上げることができます。このため、
慶應義塾関係の様々なコミュニティも立ち上がっておりますが、私は塾員だけが
参加できるミクシィ三田会を立ち上げてみました。
 既にミクシィ三田会では、現在1500人を超える方々に参加していただき、
情報交換や交流を図っています。今年8月にはオフ会(ネット上ではなく、実際
の会合)を開催し、20名近い方に参加していただきました。このようにオフ会
を開くことによって、さらに友人・知人が増えていくというわけです。

 私は既に2年半近く、ミクシィを利用してきましたが、掲示板やメーリングリ
スト等のように何か「大きい中心」があって、そこに皆で集うというのではなく、
個人個人が「小さい中心」であってそれが繋がり合うという感覚が心地よいと思
っています。リアルに集う三田会で大学時代の友人と旧交を温めるのもいいので
すが、ミクシィ三田会では、初めて会う人と新たな交流を発展させてみるのも面
白いと思います。ミクシィに参加する機会がありましたら、是非ミクシィ三田会
にアクセスしてみてください。

※ミクシィ

※ミクシィ三田会
  

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リレー・メッセージ 第74回 2006.11.15  近藤裕司さん (平7法・通)

SOI (School of internet)を見て」     

 いつもではありませんが、慶應SFCが運営するSOIを見てはビデオ
で勉強する習慣があります。さすがに三田とは異なり、面白い講義が多い
というのが正直な感想です。最近は科目履修生を通信で受講できるように
しており、特筆に値するというべきでしょう。
 私がいつも見てるのはチュートリアルでして、外国人の講師による講演
です。確かに理系分野のため単語がわからず、悩むのですが、スピード自
体は非常にゆっくりでわかりやすいです。

 海外では通信教育は非常にさかんで、三田キャンパスのように
Independent-learningにこだわる大学もあるが、多くはdistance-learning
が一般的です。大学院も非常に多いです。US NEWS and World Re
portはよくこの特集を組みます。欧米ではキャリアアップのために通信教
育を受講する社会人も多く、特に理系の通信が多いのが特徴です。

 わが慶應でも古くから通信教育があったものの、あまり評価されてきま
せんでした。しかし近年急激に評価されるようになってきたような気がす
るのは私だけでしょうか?

 早稲田大学が人間科学部に通信教育を開いているが、高卒のみの受け入
れ、TOEIC750点以上の学生に単位を認定しているところ、定員数
の少なさからいうと、この慶應SFCはビジネスチャンスがあるように思
われます。三田が入学数を絞りこみ始めているので、三田をあきらめSF
Cへ流れる、そんな人間もいてもおかしくありません。

 文理融合学部は世界の慶應というステイタスを勝ち取るにはぜひ必要な
学部だと思います。少なくとも私はSFCの大ファンですが。長期的な目
で見て、SFCの方が社会的に評価されるような気がします。でも歴史が
まだ浅いからすぐに評価はされないでしょう。もし仮にSFCの通信がで
きるのであれば、私は間違いなく環境情報学部を選ぶでしょう。入学許可
がでればの話ですが・・・。三田のノウハウがありますから、やろうと思
えばできるはずです。塾長がどう思っているかは知りませんが。SFCが
通信を始めたら、きっと理工学部や医学部は通信教育をやりだすでしょう。

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リレー・メッセージ 第73回 2006.11.15  笹田豊茂さん (昭31経)

「2006年 慶応連合三田会出席:雑感エトセトラ」

 10月15日、秋晴れの爽快な良き日に4_5年ぶりで日吉に出かけました。
インターネット三田会会員の方も、小野会長をはじめ多くの方が参加されたこ
とでしょう。私もその一人ですが、偶々今年は卒業後50年OBという事でご
招待に預かりましたので少しばかり感想や所感をお送りしたいと。

 開会式での「塾歌斉唱」に際し、吹奏ブラスバンドが力強く伴奏したのは大
変良かった。またコーラスも大編成で非常に盛り上がった。 以前に参加した
時、管弦楽伴奏だったので非常に弱々しく盛り上がらず情けなかったのに比べ
ると、今日は素晴らしく、これだけでも出席した甲斐があった(最近はブラス
バンドが恒例になったのでしょうか? 久しぶりの私にはわかりませんが)

「塾歌」は日本における校歌の最高傑作と言われているだけに、その荘重にし
て輝ける調べはいつ聴いても感激を新たにするものがある。1940年制定。
作詞:冨田正文氏、作曲は戦前のドイツで和声学を究めた信時潔氏の傑作であ
る。
慶応塾歌に比肩するのが、早稲田の「都の西北」である。 孫が早稲田の政経
に入ったので入学式に参加してみましたら、応援団長君が「では皆様、今や第
二の国歌とも言われている都の西北を歌いましょう!!」と叫んだのはいただ
けないが、好敵手早稲田なるが故に、まぁ冗談も良しといたしましょうか。
校歌としては塾歌が上だが、ポピュラーと言う点では向こうに軍配を上げてお
きましょう。

 日吉記念館も天井など見上げると、さすがに老朽化しましたね。立替計画も
むべなるかな。早く新しいのを見たいが、さりとて傍観者はいけない、支援を
しなければと真面目に考えた次第。 昭和20年代中ごろ、北海道小樽から上
京して慶応高校に入学し、現在の高校校舎の聳える姿を初めて仰ぎ見た時の感
激を今も忘れられない。

 さて、卒業後50年OBということで、開会式招待と共に、食堂棟一階で昼
食懇親会にご招待をいただきました。 立食パーティですが大変なご馳走でし
た。いつもは食う方では遅れを取らないのですが、今回は多くの旧友と立ち話
に夢中になっている間に、食べるのをすっかり忘れてしまい、少し食いそびれ
ました。 塾長以下幹部も参加され、コーラス部の歌あり、歓談ありで大変盛
大でした。 これから順番が回ってくるOBの方々も、忘れずに是非参加され
る事をお勧めします。無料ご招待です。感謝しきり。

 卒業後50年というと、我々は皆70歳半ば近い。仕事を持つ人も若干はい
ますが、大半は昔の言葉で言うと楽隠居の方が中心です。この年代にも仕事を
与えよ、とまでは言えませんが、もう一世代若い60歳前後、いわゆる団塊の
世代が仕事を去るのは本当に勿体なく、資源の無駄使いです。 脳科学者の茂
木健一郎氏の受け売りだが、【知識・経験のある人】_【意欲・欲望】=【最
強の独創】を生むと。同感です。だが残念ながら、その場が与えられないから、
宝の持ち腐れになる。 人材ビジネスに携わる私などは痛切にそれを感じます。
しかし、いずれそう遠くない将来に、雇用環境に劇的変化が到来するのではな
いか、と私はかすかな予感と期待を抱いています。

 開会式場に座っていて、福沢諭吉先生のの肖像を眺めている間に、ふと想像
を逞しくしました。 創立150年を迎えるという時期が迫っているのですが、
我々はすでに70歳半ば。という事は我々が生まれるたった70年程前には慶
応義塾は正に創生期の時代にあったのだなと。 すると、これから200年後、
300年後にも慶応義塾は存在するだろうから、その時の塾員は、我々のこと
を相当に大昔のOBと認識するだろう。おそらく、我々を「塾祖・福沢諭吉先
生からから直接指導を受けた人達であろうな」くらいの誤解を受けるかもしれ
ないなと、想像して愉快になった。300年後となれば充分な誤差範囲だろう
なと。 英国のケンブリッジ、オクスフォード両校の創立にいたっては12世
紀の頃ですから、800年前の遥けき大昔である。 歳をとるとろくな事を考
えないな、とお叱りを受けますので、この辺りでやめます。

 催し物も数多く、食べ物屋さんも軒を並べて盛大だが、何しろこちらは一人
だから、全部は見れない、食べれないの悩み横溢。 偶々通りかかった往来舎
で慶応世界民族音楽研究会主催のモThe Friends"のライブを聴いた。私は体育会
(端艇)出身なので、音楽関係OBの演奏を目にし、耳にするのはあまり機会
がなかったのですが、音楽系OBが昔取った杵柄(きねづか)よろしく嬉々と
して演奏し歌うのを見ると、なかなかの出来映えだし、大変楽しそうだ。体育
会OBとはまた別な楽しさを長い期間の間大事にして生きているなと感じ、他
人事ながら楽しい思いに浸りました。インターネット三田会の小野会長もジャ
ズの玄人クラスですから、或いはこの日も出演していたのかもしれませんが、
何しろ身体が一つしかないもので、The Friendsだけを聴いて移動しました。

 こうして盛大な催しものがあると、どのように見たり聞いたりするのが一番
良いのか、どなたかに教わりたいものです。結局正解はなく、好きな所に陣取
ってどっぷり浸るのが正解なのでしょうか?
最後に大会記念品のこと。私は今回は従来よりも少し多く買った手前、抽選会
の後半をみっちり見ました。いつも途中で帰ってしまい、抽選会に最後まで粘
ったのは今回が初めてでした。ところで持っていた抽選券番号が、お目当ての
豪華KEIO賞30種の内の一つを4番違いで逃しました。こんなニヤミスは
二度と起こらないでしょう。ノこんな事ならライブでも続けて聴いておけばよ
かったと後悔したが後の祭り。

こうした機会に恵まれる幸せ、まさに大会スローガン「友情資産に乾杯」に感
謝し終わります。妄言多謝。

(笹田豊茂 昭和31年経済学部卒業。株式会社アンカー代表取締役)

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リレー・メッセージ 第72回 2006.10.14 大林高基さん(昭62文・通) 画名 林楷人

『絵を描く動機』  2006年10月

 1984年初公開の映画「アマデウス」の中で、サリエリ少年は、最も高慢な
祈りを神に捧げます。「私を大作曲家にして下さい」と。このシーンが私の脳裏
に焼き付いたのは、おそらく私もまたサリエリ少年と相通ずる「最も高慢な欲望
」を抱いているからに違いありません。

 私は、普段 日本画を描いています。そして、なぜ絵を描くのかという問いか
けに対しては、映画に描かれたサリエリの言葉を一部拝借して、「最も高慢な欲
望を満たすため」と応えることにしています。一部であっても言葉を借りるほど
ですから、先のサリエリ少年と相通じるところを自認します。ただし、映画の登
場人物としてのサリエリ少年が望むところは、不滅の名声のようですが、共通項
を感じつつも、私が絵筆を執る動機とは、感覚的に少し違うように思われます。
 映画の中のサリエリ少年が抱く「最も高慢な祈り」と、私が絵筆を執る動機と
なる「最も高慢な欲望」とには、どのような相違点があるのか、考えながら綴っ
てみたいと思います。

 サリエリ少年が夢見た大作曲家としての不滅の名声を、生きている間にモーツ
ァルトは獲得します。そして二百年以上経ってもなお、私達はモーツァルトの名
をもって彼の遺した旋律を奏で、愛でています。創作する者にとって、 このよ
うに文化圏を越えて、また時代を超えて、世界中の人々に、遺したものが愛され
ることは、最も理想的なことといえるでしょう。

 人々は皆、なるべく多くの人から愛されたいと願いますし、更に世界中の人か
ら愛されるなら、これに越した喜びはありますまい。創作者の名前を以てその作
品が世界中の人々に愛でられる。これこそは、創作者にとっての不滅の名声であ
りましょう。映画の中でサリエリ少年が、ずうずうしくもこのような不滅の名声
を求めて神に祈りを捧げる気持ちは、私にもよく理解できます。私も何かを創り、
そして遺そうとする者として、我が名を以て我が作品が多くの人に愛でられるこ
とができるならば、その他の欲望の全てを犠牲にすることができるでしょう。

 しかし、よくよく考えてみると、我が名を以て我が作品が愛でられることが、
私の抱く高慢な欲望を満たすことであるというのは、どうしても馴染む気がしな
いのです。私の述べる最も高慢な欲望とは、もっと簡潔で、我が名が消えても、
即ち「我が作品が愛でられる」ことだけで十分ではないかと思うのです。
例えとして、ここで、ご存じの「ミロのヴィーナス」を思い浮かべて頂きたい。
ミロのヴィーナスを話題に挙げただけで、世界中の多くの人々が、両腕を欠損し
ながらも気高い品位を保ったあの大理石の像を思い浮かべることでしょう。

 ここで私が着目したいことは、あのヴィーナス像を彫った彫刻家は、永遠の命
を獲得しているのではないかということです。彫刻家は像を彫る前に、出来上が
るはずの像を想像していますから、既に彫刻家の脳の中では、ヴィーナス像は形
作られていることになります。彫刻家が仕上げようとする像を、頭の中で思い描
くのは、その彫刻家にとっての生きる営みの一部であります。彫刻家が彫ろう
とする像を頭の中で形作るという命の営みの一部は、二千年以上経った今も、世
界中遍く、ヴィーナス像を思い浮かべようとする人々の脳の中で再生されます。

 ヴィーナス像を彫りだした人の思考作用は、文化圏を越え、時代を超えて、
人々の思考作用の中に写し込まれ、いつでも再生されうるのです。現存するミロ
のヴィーナスは、両腕ばかりでなく、至る所欠損していて、また、ヴィーナス像
が群像作品の一部であったとの見方もあり、あの像の現状は、制作した彫刻家の
意図と完全に一致するものではありません。しかし、彫刻家の意図の断片は、今
も世界の宝として愛でられ、更にその意図の断片は、人々の思考作用の形で永遠
に生きているといえるでしょう。

 このように考えてみると、創作する者が自分の命の断片を永遠に保持するにあ
たって、その者の名前は、必ずしも必要ないことがお分かりいただけると思いま
す。ミロのヴィーナスの制作者が誰であったのか、諸説入り乱れ明確ではありま
せん。しかし、かの凛乎たる女神像を前にすれば、「名が不明瞭であるがゆえに
その作品の魅力が色あせることは無い」と断言できます。
 仮にモーツァルトの名前が忘れ去られ、彼の遺した旋律だけを人々が愛でるよ
うな事態になったとしても、モーツァルトの命の断片は、永遠に人々の思考作用
の中で再生されることになるでしょう。私達は、モーツァルトの遺した作品の一
部であるなら、いつでも簡単に頭の中で演奏できます。彼もまた永遠の命を獲得
していると私は考えます。
 サリエリ少年が不滅の名声を求める祈りは、できるだけ多くの人々に愛された
いという一般的な願望に通じます。しかし、私が高慢にも欲している永遠の命に
は、必ずしも名声は必要なく、仮に拙作から名が削ぎ落とされても、私は平然と
していなければなりません。

 私が絵筆を執る動機は、最もずうずうしい欲望を満たすことにあります。永遠
の命を獲得するなど絶対に不可能であることは分かっていながら、その断片でも
遺そうとあがく行為に他なりません。おそらく神の視線からすれば、愚かしく、
滑稽でしょう。映画「アマデウス」の中で、サリエリがモーツァルトに嘲笑され
る場面があります。サリエリはそれを神の嘲笑と捉えます。ここで描かれている
サリエリ同様、私は神からあざけり笑われても筆を折ることができないほどに、
融通の利かない愚者であり続けるのでしょう。永遠の命を獲得することができた
先人の猿真似に終わるかもしれない、あるいは、人類が滅びるという極論をもっ
てすれば、永遠と思われた命も、たちまちにして消え去ってしまう空しさも、容
易に想像できるにもかかわらず、有限な私は、普遍の美を掴もうと絵筆に手を伸
ばします。

お読みいただき、有り難うございます。
ご批評・ご助言は、下記のアドレスから、
また拙作も、ホームページでご覧頂けます。
takamoto@rose.ocn.ne.jp
http://www4.kcn.ne.jp/~ohbayasi

脚注:
 林楷人さんは軽井沢にお住いにて、岩絵具で日本画を描いておられます。
ご自身あるいはお嬢様の肖像画をお考えの方は、ぜひ上のサイトをご覧下さい。
美くしい肖像画作品2点も掲載されています。

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リレー・メッセージ 第71回 2006.9.15 小川原正道さん(H11政、H13法修 H15法博)

 福澤諭吉と「ノブレス・オブリージュ」 

「ノブレス・オブリージュ」という言葉は、貴族の義務、高貴なる者の義務とし
て解されている。高貴なる者こそ社会に資するべきであり、最前線に立つべきだ
という教育は、英国における伝統的な考え方で、名門パブリックスクールやオッ
クスブリッジの学生が世界大戦で多く前線に立ち、その人材が喪われたこと、そ
の行為が今も称えられていることは、よく知られている。

 戦前の日本にも、華族という貴族がいた。旧大名と旧公家とをあわせて華族と
されたのが明治2年(1869)、公・侯・伯・子・男の爵位が設けられたのが明
治17年で、この間、慶應義塾にも60名ほどの華族が学んでいる。私はここ数年、
慶應義塾に学んだ華族に着目し、殿様だった人々がかつての家臣と机を並べて東
京の私塾に学んだ、その過程や動機、そこから輩出された人材について検討して
きた(拙著『評伝 岡部 長職——明治を生きた最後の藩主』慶應義塾大学出版会、
平成18年、などをご参照されたい)。

 簡単にいうなら、明治4年の廃藩置県の直後、華族に西洋学問の習得を通じた
国家建設への貢献を求める勅諭が出されたため、これを受けた華族たちが、当時
『学問のすゝめ』や『文明論之概略』を著してその名声を高めていた福澤諭吉が
主宰する慶應義塾に大挙入社して英学習得につとめた、という事情があったよう
だ。明治10年まで学習院は存在せず、一方で、義塾は当時東京府下最大の英学塾
に成長していた。

 福澤諭吉は華族に何を期待していたのだろうか。彼自身が勲章、位階の類を嫌
い、自らこれを受けなかったことは有名だ。彼は自伝の中で、位記などは「人間
の身に妙な金箔を着けるようなことをして、日本国中いらざるところに上下貴賎
の区別を立てて、役人と人民と人種の違うような細工をしている」(『福翁自伝
』)ものだと苦言を呈している。爵位についても生前、幾度もこれを辞退してい
たと伝えられているが、その存在自体を否定することはなく、人々が華族に寄せ
る伝統的な敬意や歴史的名望にも無理解ではなかった。むしろ、その名望や財産
を生かして社会に貢献してほしいと、福澤は期待していたようである。

 たとえば、明治4年に彼の旧主であった奥平昌邁がアメリカに留学する際に、
その趣意書を代筆した福澤は、そこで中津の人々が「余が学ぶ所の道を学ばん」
ことを期待している。殿様が留学して学ぶ姿勢を、皆にも学んでほしい、という
わけだ。奥平家も投資して中津に「中津市学校」が建設された際には、華族はこ
うした教育事業に是非投資してほしい、と『旧藩情』に書いている。華族が率先
して勉学に励んで模範を見せ、その資産を教育事業に投資してほしい、というの
が彼の持論だった。
 あるとき、福澤は貿易会社を立ち上げた旧三田藩主九鬼隆義に期待して、子孫
に残すのは教育であって金ではない、金は無益でむしろ害があるといい、収益を
教育事業に投資するよう呼びかけたことがある。「子孫へは教育を遺し沢山なり。
金は壱銭も遺すには不及、啻ニ無益のミならず、必ス害あるべし・・・何れニも
この金を用ひ、人の独立を助け為す之道に用度事なり」。後世に残すものは金で
なく教育であってほしいというのは、「独立」の重要性を説いて倦まなかった福
澤にふさわしいセリフであった。

 ただ、維新後に奥平家の資産を管理する立場にもあった福澤は、奥平家を含め
て、華族の資産が交際や趣味に浪費され、間もなく使い果たされてしまうのでは
ないか、という危機感も強く抱いていた。明治20年ごろになると奥平家の家計は
大いに傾き、「二十年にして皆無の滅亡に至るべきは、火を見るより明らか」だ
と、彼は手紙に書いている。華族一般に対する危機感も強く、「近来東京の奢侈
は誠に恐ろしく」、このままでは華族は「遠からず滅亡に瀕することとならん」
とまで述べた。彼が当時、その書簡や時事新報の社説などで繰り返し表明したの
は、交際費や贅沢な生活によって華族の資産が浪費されることへの危機感と、こ
れが浪費される前に教育事業などに投資し、その伝統的な「名望」を生かしてほ
しい、という期待だった。それは福澤なりの危機感と、「ノブレス・オブリージ
ュ」の要請だったといえるだろう。明治22年、華族会館で「華族の教育」と題し
て演説した福澤は、華族は名誉があるからこそ、普通の人よりも知徳が勝らねば
ならないのだ、と強調している。

「華族は普通の外に特に栄誉を享る者なれば、其知徳も亦普通の外に出色の区別
なかる可らず」実際には、福澤の期待は裏切られることが多かったようで、華族
に対する肯定的評価といえそうな言辞は、ほとんどみあたらない。慶應義塾に学
んだ華族たちも総じて成績が悪く、それもあってか、福澤が明治12年に提出した
建白書「華族を武辺に導くの説」では、華族は軍人の道で名望を生かすべきだと
主張し、その理由のひとつとして「華族は平生の生活豊なるに過ぎ、之がため却
て身心の活発力に乏しくして、尋常の学生と鋒を争ふこと能はざる者多き」と学
問の不調をあげていた。それでもなお、福澤は晩年まで華族期待論あるいは利用
論を主張し続け、華族制度の廃止を主張していた内村鑑三などとは、一線を画し
ている。

 現代日本に貴族はいない。しかし「世襲的」な富裕層はいるし、実力で富裕層
となった人たちもいる。ヒルズ族の富裕ぶりは、まことにすさまじい。彼等の目
は、どこに向いているだろうか。華族は名声と財産を教育に投資し、自ら学問や
軍務に励み、模範となるべきだと主張した福澤は、華族が遊び暮らしている姿に
憤慨し、「若しも人の言ふ事を聞かずに不相替不品行不行状ならば最早堪忍はな
らぬぞ、華族は地金のつぶし同様にして金を取り揚げて可なり」と私信に記した
ことがある。「僅々の財を愛て遂に全家の大失敗を致すべし」、とも。それは社
会のためだけでなく、華族自身へのメッセージでもあった。

 これが発せられて約60年後に、華族制度は日本国憲法の施行にともなって廃止
された。それからちょうど60年。本当の「勝ち組」とはどんな人を指すのか、
福澤のメッセージは、我々にいまなお重い課題を投げかけている。

(引用は『福翁自伝』岩波文庫、『福澤諭吉全集』岩波書店、
『福澤諭吉書簡集』岩波書店、より)

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リレー・メッセージ 第70回 2006.3.15  高橋りう司さん(昭48経)

「応用力」の学習コミュニティ作りにもお力を!

日本未来問題解決プログラム代表理事 高橋りう司(経済1973年卒)

1)応用力は慶應義塾!

子どもたちの「応用力」が大事だと思っている者です。全米の初等教育の教師
によって構成され、創造的問題解決力トレーニングを目的とする「(NPO)
未来問題解決プログラム」の日本支部を預かっています。小野さんに大変に
お世話になっています。

「活用なき学問は無学に等し」(『学問のすすめ』)と言われた福沢先生は、
「応用力」の学習コミュニティの始祖です。慶應義塾。塾員が各界で頑張って
おられる1つの理由は、慶應義塾の学習スタイル、応用力志向があるのでは
ないでしょうか。

私は、応用力を次のような意味でとらえます。社会で生きるために必要な力。

中心は、自分や会社にふりかかった現実・未来問題を創造的に解決すること。
もう一つの中心は、仲間と協力して、楽しく仕事できること。

サプライサイドで言えば、理科、社会科などの知識の活用力とも言えますが
活用しようとする理由は、現実・未来問題の状況が眼前にあるからで、目的
論的に、応用力=社会で生きる力とまとめています。

日本の初等教育は大変な状況であるように思います。「学力低下」と「頼りな
い、生きる力が弱い子どもたち」の2点ですが、逞しく生きる力の問題がより
深刻であり、より根っこにあると思います。

応用力の慶應義塾の塾員のお力の一部を日本の子どもたちの教育・公教育の改
善に結集できないでしょうか。

2)学校は教科教育の場所

慶応幼稚舎元舎長の中川真弥氏にお目にかかりお話しを伺う機会がありました。
「やはり学校は教科の場所ですよ」とおっしゃいました。長い初等教育のご経
験から出た言葉です。子どもの応用力・生きる力のトレーニングには手が回っ
ていない、と。

講談社の野間清治さんが雑誌「少年倶楽部」を始めた経緯のお話しも伺いました。
「学校教育は知識主義ばかりで、足りないものがあるから始めた」ということで
す。野間さんは、また、普通の家庭では十分には実施できない家庭教育のことを
書いています。学校教育と家庭教育の足りないところを「少年倶楽部」がやるん
だ、というわけです。

3)受験テクニック=日本の初等教育の喉に刺さった骨

受験が教育のありさまに影響しているところは大きいです。先日、塾員の清原市
長の三鷹市を訪問しました。教育ではとても進んでいると言われる三鷹市教委の
主事と面談するためです。主事氏は「中学は高校受験を保証しないといけないで
すから、どうしても受験を意識せざるをえないのですよ。詰め込み主義が出るの
です」と話してくださいました。

OECDの国際応用力調査(中3対象)は、ここ2年間の日本の「学力低下批判
」の主要材料になっています。日本の子の最も弱いのは「読解力」ということが、
OECD応用力調査で明らかになり、受験テクニック的な教育では、読解力を育
てられていないということが、いまさらながらに分かってきました。

受験のもう一つの特徴は、「正解」があるということです。国語では、文章を一
字一句分析的に読ませ、主人公はどう感じたと思うかと問い、ただ1つ正解があ
るように子どもに教えます。子どもたちはギリギリと正解を推測するテクニック
にエネルギーを使います。

上記のOECDの読解力の例題「インフルエンザ予防注射を社員に呼びかける社
内レターの出来映えが良いか悪いか、レイアウト面でコメントする」で言えば、
賛否のどちらもOKなのです。キチンと述べられているかを見ており、子どもた
ちは安心して自分の考えを整理し表現することだけ考えていればよいのです。
受験テクニックは関係ありません。

日本の受験の元で、子どもたちは抑えつけられるし、子どもたちの創造性が萎ん
でしまうのではないかと思います。

4)応用力トレーニングの1例

脱受験が真剣に考えられなければなりません。日本で最初にAO入試を慶応が
始めたことを、私は誇りにしています。日本全体のAO入試シェアはまだ低い
と思いますが、慶応に続いて東北大、九州大などの大学が採用したことは良い
兆しです。大学受け皿が徐々に作られている好機に、初等教育期の、受験テク
ニックではない、本格的な応用力トレーニングを進めていかなければならない
と思います。

私たちの未来問題解決プログラムの応用力トレーニングを簡単に言うと、
「地方ローカル線の廃線」「健康保険の負担などに関する社会の中の甲論乙駁」
「男女共同参画の中のある問題(例 家事分担)」などなどの現実事例に対し
て、子どもがリサーチをして、その上で自分で任意に問題を切り取り、その
問題を自分ならどうやって解決するのか基本アイディアと具体的なアクショ
ン・プランを開発し、プレゼンテーションすることです。

プログラムの目的は要約すると次です。
1. 社会の中で生きていくために必要な能力の1つ=創造的問題解決力を鍛える
2. 社会や自然のいろいろなトピックにふれて、関心を高め、視野を拡げる
3. チーム学習経験を利用し、協力しあって動く訓練をする

毎年、アメリカで世界大会が開かれます。「問題解決オリンピック」と 呼ばれます。

5)日本で応用力トレーニングを成功させる

日本の教育も、「実際に問題を考える力(応用力)」の養成に目を向けてきまし
た。総合的学習の時間の最大の眼目はこの実際に問題を考える力なのですが、苦
労し、行き詰まっている学校が少なくないのが実情です。そして、その理由は教
師の「実際に問題を考える力」を指導するノウハウの不足であることが教師によ
り自己認識され、指摘もされています。

最近はお受験塾が、「自分たちは学校よりも上手に総合的学習の指導ができるし、
考える力を養います」などと言います。そんなことを言わせてどうするのかなと
思います。

インターネット三田会の皆様に本件の関心を持っていただきたいと思うのです。
経営学のような用語を使えば、学校は「サプライサイド=プロダクト・アウト」
です。定められた教科指導を届けることが第一任務ですし、それに忙しくて、
汲々としています。

経済界は現実社会の問題に日々直面する中で、社員に問題を担当させて
いますから、人材使用者(教育顧客)としてリアルの教育ニーズを持っていま
す。経験もあります。

また、一例ですが、東京ガスの「省エネ」、医師会の「医療倫理」、資生堂の
「男女共同参画社会づくり」、楽天やアマゾンの「書店ネットビジネス」など、
企業が仕事に関連して持っているコンテンツ・知識は、子どもの学習のために
貴重な資源です。
日本の初等教育の行き詰まりを開いていくのは、経済界であると私は思っていま
す。

6)未来問題解決の指導者になってください

未来問題解決プログラムが日本の子どもたちに間に普及し、良い学習が行われる
ためには、子どもの指導者の支えがあること、良質の練習問題を用意できること、
子どもが未来問題解決の学習を"無料で"どこでも"受けられる環境整備の3点が
鍵であると思っています。

具体的なお願い (メール・アドレス ryuji@lifeskillsgroup.com )

・皆様の会社、個人のホームページ、ブログの軒先をお借りして、応用力トレー
ニング問題の出題を貼り付け・配置させていただけないでしょうか。

・リタイアされている方などお時間の余裕のある方は、子どもたちのコーチ役を
やっていただけないでしょうか。

・安西塾長に本件をお話できる方は、協力をいただけるように、よろしくお伝え
ください。塾長は問題解決の専門家です。安西塾長の『問題解決の心理学』(中
公新書)から引用します。・・・「あふれるばかりの情報に取り囲まれた現代の
私たち。
どんな情報が大切なのか、基本的な問題は何なのか、どうすれば本質的に解決で
きるのか、こういった問いをつねに突きつけられている。私たちの時代は問題解
決の時代と呼ぶのにふさわしい」

↓ 未来問題解決プログラムの紹介ページ
↓ 指導者研修会(無料)を毎月、オリンピックセンターで開催。

ご連絡、ご質問をお待ちしています。
ryuji@lifeskillsgroup.com

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リレー・メッセージ 第69回 2005.5.15  宮川 幸雄さん(昭42法)

「日吉台に軍靴の音が響いた頃」

 東横線日吉駅を降りて、日吉キャンパスの銀杏並木の前に立つと、いつ見ても、
素晴らしい景観だと思っている。特に式典のある日は並木の先にある日吉記念館
に三色旗が翻り、遠近画法のお手本のような構図になっていてたたずんでしまう。
 しかし、この感嘆する景色を見ることもなく、また戦後の日本の繁栄を、そし
て慶應義塾の隆盛を知ることもなく2165名の塾生と塾員が、アジア太平洋戦争の
戦陣で散っている。 

 日吉の台地に連合艦隊司令部が登ってきたのは来たのは、大戦末期の昭和19年
9月29日のことである。この日に海軍は旗艦「大淀」から連合艦隊将旗を日吉台
に移した。既に主要な戦艦、航空母艦を失い、一隻でも多く戦艦を戦闘海域に出
すことと、機動戦をする上で、また通信の面でも戦艦艦上で指揮する必要性が薄
れてきたからである。

 海軍が連合艦隊司令部として選んだ建物は広い日吉キャンパスの中で堅牢な建
物の第一校舎、第二校舎ではなく、日吉台先端の「イタリヤ半島」と呼ばれてい
る所にある日吉寄宿舎であった。当時の表現によれば「東洋一の寄宿舎」といわ
れた豪華版学生寮である。この寄宿舎はコンクリー製3階建ての3棟からなり、南
寮には将官クラスの宿舎、中寮を作戦室、幕僚事務室として使い、佐官クラスの
宿舎とした。更に北寮は尉官クラスの宿舎とした。そして寄宿舎直下に地下壕が
掘りめぐらされ、空襲があれば司令部は地下に潜った。

 この日吉台の連合艦隊司令部において、レイテ沖決戦や戦艦大和の沖縄特攻の
作戦計画と命令が出されたのである。日吉寄宿舎は現在も塾生が入っているので
内部を見ることは出来ないが、地下壕は慶應義塾によって平成13年に整備工事が
なされ、壕内を見学することが出来る。

 海軍が連合艦隊司令部として日吉キャンパスを選定した理由として�大本営、
海軍省のある東京と横須賀鎮守府の中間地点にある。�各海域からの無線の受信
状態が良い。�台地の地形により空襲を避けるための地下壕を掘りやすい。�空
襲に耐える強固な建物が多くあり、広大な敷地を直ちに使えるなどをあげること
が出来る。

 これらはあくまでも海軍側の条件であって、キャンパス施設を貸与して受け入
れた慶應義塾にも大きな理由があったと思う。これは私の想像であるが当時の
小泉信三塾長に廃学危機を回避しての、国策協力と戦争遂行協力があったと思わ
れるのである。挙国一致体制を敷く軍人首班政権にとって自由主義の慶應義塾は
好ましい学校ではなかった。陸軍士官学校、海軍兵学校では教材に福澤諭吉批判
を取り入れていた。

 昭和20年に入ると背水の陣のように日吉台の地には、連合艦隊などの海軍全部
隊を統括して編成する海軍総隊司令部が置かれ、そして海軍省人事局、経理局、
海軍航空本部、海軍軍令部第三部がキャンパスの敷地を占めて軍靴の音が響いた。

 海軍総隊司令部と連合艦隊司令部を兼務するところとなった日吉寄宿舎には円
形のローマ風呂があった。周囲がガラス張りで大きな温泉風呂を思わせる豪華な
ものであった。士官達は明るいうちから入浴して疲れを癒した。海軍総隊司令部
に改組された昭和20年4月には、ローマ風呂からは梅は終わったが桃の花、桜が見
え、台地の下には緑豊かな田園風景が展開し、その先には丹沢山塊を台座にした
霊峰富士を見ることが出来た。士官達は戦争がなければ桃源郷もかくやと思った
であろう。

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リレー・メッセージ 第68回 2005.3.15 ルース規子(旧姓・高橋)さん(昭48文)

「オレゴン便り(1)」

 アメリカ・オレゴン州に住むルース規子(旧姓・高橋)と申します。
在米約25年を経ております。

 大学時代は英語会(KESS)に入っておりましたが、文学部でしたので2年で
三田に移ってからは活動には余り参加しなくなってしまいました。その後もい
ろいろな機関に通って英会話を身につけようとしましたが一向に上達せず、つ
いにこちらに来てしまいました。初めはカリフォルニアのロスアンジェルに
10年余住み、後にこのオレゴンにより良い住環境を求めて家族で越してまい
りました。

 オレゴンは、例年ですと今頃はまだ降り続く雨と厳しい寒さの中でじっと耐
えていなければならないのですが、この1,2年はすっかり様子が変わりまし
て雨の殆ど降らないオレゴンの冬はこんなにも過ごし易いのかと思うほどです。
 ここ数日は記録的な暖かさだそうで、明るい陽光の下ではもう桜がそこかし
こで花を開かせておりまして、淡いピンクや濃いピンクそれに白いのもあって
辺り一面春一色となりそれはきれいです。

 私の住む町はかなり田舎ですので、ロスアンジェルスから移って来た当初は
全てが百年昔に帰ってしまった気が致しました。まるで「赤毛のアン」の時代
にタイム・スリップしたかの様でした。
 気候的にはさわやかな夏が何といっても最高で、馬や羊の放牧を見かけるこ
とも多く、信州とよく似た自然環境のように思います。ブルーベリーの農園も
多いですが、ブラックベリーなどは至る所に群生しておりまして、ここに来た
頃は夢中で摘んだものです。

 このオレゴンは非常に日本語熱が盛んで殆どの高校に第2言語として日本語
があります。私はその中でも大変ユニークな日本語イマージョン教育というの
に10年近く携わっておりました。これは、小学校の時に全ての科目を日本人
の教師から日本語のみを使って習うというやり方で、ちなみにイマージョンと
は英語のimmersion 「浸すこと」を意味しますが、つまり小学校課程の 6年
間(こちらでは義務教育はキンダー・ガーデン=5歳児から始まります)それ
こそ体育・美術に至るまで先生は日本語で指導するのです。

 このプログラムを実施している学校は全米各地に幾つかありますが、その殆
どが公立の学校で、生徒の90%以上はごく普通のアメリカ人家庭の子供です
から、家庭での実際的なサポートというのは期待出来ません。但し、子供達は
半日だけ日本語で勉強し、後の半日は英語でアメリカ人教師から習うので数学
や社会、理科などのわかりにくい説明は両語で補足し合うようになっています。

 又、勉強ばかりでなく日本の文化的な事柄も学びますが、特に私のいた「友
人学園」というユージン市にある小学校には音楽の専門の先生がいまして、日
本の懐かしい小学唱歌などを日本の子供も顔負けするぐらい上手に歌います。
 最近5年生は、日本から春休みなどを利用して手伝いに来る女子大生にスマ
ップの「世界に一つだけの花」を教わって披露してますが、その素晴らしさは
びっくりするほどです。

 それからもう一つ、特筆すべきは日本舞踊です。全員日本の着物(浴衣では
なく)をきちんと着て、「桜」や「荒城の月」、「白虎隊」といった曲に合わ
せて踊るのですが、その真剣な舞い姿は毎回心を打ちます。そして小さい頃か
ら毎年踊ってますのでいつしか動作が身に付いて、ちゃんとしながつくれるよ
うになる子もいて感心してしまいます。

 優秀な子は、信じられないほど日本語も上達しこちらの日本領事館で催され
るスピーチ・コンテストでも上位の成績を収め、ついには昨年第一期生が大学
を卒業しましたが将来日本とアメリカをつなぐ架け橋となる仕事に就きたいと
学生時代に大阪のアメリカ領事館でインターンをした生徒も出て来ています。
これからの彼らの活躍に大いに期待しております。

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リレー・メッセージ 第67回 2004.12.15 名手 慶一さん(平2経)エッセイ2編

「不思議なスランプ」      

 二〇〇四年十月。イチローは、ついにジョージ・シスラーの記録を抜き去った。
今シーズン最終打席で、二百六十二本のヒットを打ち、シスラー自身が八十数年
前に打ち立てた記録を五本も更新したのだ。

 この快挙について、イチローは、メディアのインタビューで次のように答えて
いる。「僕にとって、好調というのは、おそらくスランプの時にだけしかないよ
うな気がするのです。スランプの時に何故か好成績が残せる。きっと、何かの力
が働くのでしょうね。」と、不思議な事を語った。

 数年前、この話によく似たことを耳にした。野球解説者で、かつては、剛速球
投手であった村田兆治が語った言葉だ。「ピッチャーというものは、不思議なも
ので、体調が良い時に投げても何故か、勝てない。むしろ体調が思わしくないと
きに勝てる場合がある。私自身、そんな時に限っておもしろいように勝てたこと
がある。」と、解説を交えながら話していた。

 この二人の話しは時と場所・立場が、微妙に違うのだが共通しているというこ
とだ。わたしたちの日々においても参考になる気がする。
 当たり前の話だが、スポーツと、人生とは違う。しかし、必ずしもアスリート
が持つ意識と一般人のそれとは、切り離して考えられないのではないか。我々の
生活においても言うまでもなく、好不調は肉体的にも精神的にも波がある。

 二人の言葉を借りるのならば、今、まさに不調なときにこそ、もしかしたら大
きな変化とチャンスとパワーを与えられているのかもしれない。それは、人間に
は分からない不思議な力。

 西洋のおもしろい、童話を聞いたことがある。ある一人の誠実な男が、死を迎
え、ついに天国へと旅たった。生前は、目立つこともなくただ質素でまじめな生
活をし、信仰心も厚い人であった。
 天国に行き、神様と出会った。「やあ、君よく来たね。待っていたよ。やっと
会えたね。私は、今まで、君と一緒に歩いてきたのだよ。」と神様はこの男に言
った。
「どうもはじめまして。」と挨拶を交わした。ある時、天国の上から自分が歩い
てきた足跡を見ることが出来ると、その男は、聞いた。
 そこで、彼は、自分の人生の足跡を天国の上から見ることにした。確かに自分
が、生まれ日から亡くなった日までの足跡が見えた。

 神様が言ったように、自分と、神様の足跡が並んで見えた。しかし、突然彼は
不安になった。途中で足跡が独りになっていたからだ。「一緒に歩いただって?
嘘ばっかりだ!この時は一番辛い時期だったのだ。独りじゃないか!」と、顔を
真っ赤にして怒り始めた。
「ああ、確かにそうだ。君が一番不幸な時だった。実は、その足跡は、
君を背負って歩いた私の足跡さ。」と神様が後ろからささやいた。

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紀州の食文化(三田文学2004年冬季号NO76)掲載

僕が生まれ育った和歌山市は、紀伊半島の北西部に位置する。かつては紀州藩
として栄えた城下町である。紀州としてのイメージは、蜜柑・柿・梅干し・海・
山・川などといったところだろうか。また、古くは醤油の発祥の地であったこと
も有名であろう。最近では、和歌山ラーメン(中華そば)などもブームになった
ことは記憶に新しい。

 しかし、ここ紀州では、一風変わった食の文化がある。それが、なれ鮨である。
鮨といえば、江戸前のような握りを想像するが、ここではそうではない。酢飯を
鯖の切り身で巻き、それをアセの葉にくるみ、長期間保存する。程なく発酵が始
まる。甘い酸の香りに加えて、わずかな独特の臭気がある。このにおいを嫌う人
もあるというが、慣れるとやみつきになる。生の生姜の薄切りをかじりながら食
べると、いいぐあいに臭いが中和されるという。

 『広辞苑』をひもとくと、次のように説明している。魚の腹に飯をつめ重石で
圧し、よくなれさせた鮨。和歌山県西海岸で作られるのが有名。くされずし。
くされずしとはよく言ったものである。
 実は僕も、子どもの頃、父が買ってきたなれ鮨を食べて、「このお鮨、どうし
てゴミ箱の臭いがするの?」と言って家族に笑われた思い出がある。

 ところが、昨年の6月に新聞紙上でなれ鮨の記事が掲載されて、驚いた。数年
前に、鯖の生なれを伝える「弥助寿司」(和歌山市本町四丁目)に、あるドイツ
人が日本人通訳を伴ってやってきた。彼は、「私の郷里のチーズと大変似た味だ」
と言っておいしそうに鮨を一本ぜんぶ平らげたそうである。因みに日本人通訳は
一口すら食べることができなかったという。 ドイツの食文化と紀州の食文化。
不思議なとりあわせである。

 このように鮨を発酵させる食文化がありながら、大豆を発酵させて食べる納豆
の食文化は紀州には育たなかった。皮肉なものだ。おそらく、なれ鮨という独特
のそれがあったからであろう。
 この文化は、滋賀県にも見られることを知った。織田信長が建築工事で滋賀県
から人を集めて石を運ばせた際、京都の人はこのような歌を詠んだという。

 生成れのすしにも似たる近江衆 石を重しと持たぬ日はなし

当時の京都の人は近江のすしも生なれとみなしていたらしい。
 中世からの食文化がずっと継承されているというわけである。しかし、今、和
歌山では三十年ほど前にくらべて、鯖の生なれを求める人は五分の一ほどになっ
たという。 このすしを美味しそうにほおばっていた父はもういない。あれだけ
食べるのを避けていたはずなのに、なぜか、最近このなれ鮨を無性に、食べてみ
たくなった。

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リレー・メッセージ 第66回 2004.11.15 安保日出男さん(昭42経)

 『意思あるところ、、を実感した瞬間』  

皆さん「意思あるところ開けざるものなし」をご存知ですよね。

私は趣味で自宅にグッピーの水槽を置いて愉しんでいます。
水の状態さえ安定すれば、結構手要らずで飼えるペットです。
困る事が一つだけあります。

子供がドンドン産まれます。
水槽が賑やかになりすぎるので、
時々周りの方にもらって頂いていますが、
水槽も小さい10Lのを増やして分け、
小分け用に2Lペットボトルも活用しています。

餌を毎日やりながら観察していて気が付きました。

水槽の容量は大中小ありますが、
その3つの中には同じグッピーを小分けしただけなので、
大人の水槽、稚魚の水槽と分けたわけではなく、
どれも同じ程度のばらつきで入れてあるのに

実は、、
違いが有るのです。

何でしょう。

飼った事のある方はご存知でしょうが、、、
餌を食べる量がまるで違うのです!!

広い水槽のグッピーは泳ぎ空間がたっぷりですね。
2Lペットボトルのグッピーは泳げる空間がトテモ狭いです。

つまり、、
運動量に圧倒的な差があるのです。

ある意味で、これは生きる知恵と言えます。
得られる空間量に順応して運動量が自然調整されている。

あなたは映画の「パピオン」や「岩窟王」をご存知ですね。

牢獄と言う狭い空間に閉じ込められたにも関わらず、
脱獄の強い意思を持ち続けて、ついに成功。
広い世間に戻り、活躍しますね。

気が付かれましたか、、、
人間だけが、単純に与えられた空間、
言ってみれば環境に順応するのではなく、

自分の考える理想や夢に向かう「意思」の力で、
条件が整わない環境の中にも拘らず、鍛え続けて、力を蓄え、

やがて、その日を迎えるのです。

「意思あるところ道は開ける」
この意味を、実感した瞬間でした。
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リレー・メッセージ 第65回 2004.08.15 高橋 勝彦さん(昭42 商)

一生涯を打ち込む仕事について…音楽家と私  2004.07.25 

 NHKで最近、作曲家 高木東六さんが横浜で百歳記念コンサートを開いたと
のニュースが流されていた。「水色のワルツ」の作曲で有名な方であるが、今な
お、あの笑顔と音楽一筋の生き方を失わない姿を見て大変感激した。
 というのも高木さんのご自宅は私の実家の隣にあり、幼少の頃から高木さんや
お弟子さん達のピアノ演奏を聞くともなく耳にして育ったため、大変懐かしくま
たご健在を嬉しく思っている次第である。子供のころ、仲間とボール遊びをして
高木さんの家の庭に入れてしまって、取っていただいたことが再三あったが、と
てもやさしい方という印象であった。近所にフェリス女学院の学生さんも住んで
いて、よくショパンの曲を弾いていた。このように左右の家からピアノがステレ
オ状態で流れていたため、「…習わぬ経を読む」というように音楽の3要素、
リズム・メロディー・ハーモニーが頭にインプットされてきた。

 あるとき、ワーグナーの「タンホイザー」を吹奏楽で聴く機会があり、トロン
ボーンの音色に魅せられたことをきっかけに自分も演奏したいと強く思い、中学
・高校とブラスバンド部に入った。慶応義塾大学では応援指導部のブラスバンド
部で演奏活動と六大学野球を中心としたスポーツの応援に力を注ぐこととなった。
同部のOBには沖縄県知事 稲嶺恵一さん、三井住友海上火災取締役社長 植村裕
之さん、ABC朝日放送アナウンサー 高野直子さんなどがおられる。当時同部で
顧問をしておられたのが藤山一郎さんであった。藤山さんは「青い山脈」など
の歌謡曲の歌手として有名だが、NHK紅白歌合戦での指揮者としての活躍や、作
曲家としても著名な方であった。本当に稀にではあったが藤山さんが慶応のOB
としてブラスバンドの指導と指揮をしていただいたことがあった。そのときに私
はチューバを吹いていたが「そのチューバの音色、いいね」と褒めてくださった
ことが大変嬉しく、誇りに思ったものである。

 大学でブラスバンドを演奏する傍ら、母校の浅野学園(中高一貫)の吹奏楽部の
指導にも当たった。大学で演奏している譜面をせっせと写して、高校で指揮棒を
振ったものである。神奈川県立音楽堂でのコンサートでは指揮者の若杉弘さん
もお呼びしてプロの演奏を聞いた後、私の指揮で「皇帝円舞曲」「マンボNo.5」
などの曲目を中高校生が熱演した。そこに、小さな体でトロンボーンにしがみつ
くように演奏していた中学2年の生徒がいた。重い楽器に向かい汗水たらして必
死に演奏する姿を今でも鮮明に覚えている。彼はその後プロのトロンボーン奏者
となりブルーコーツなどのフルバンドで活躍し、テレビでの音楽番組でもバック
に姿を見せるようになった。そして現在では、吹奏楽コンクールの課題曲の作曲
やトロンボーン演奏家・指導者として、大活躍している。その人は鍵和田道夫さ
である。

 私の大学時代は早慶戦の思い出も多いが、早慶バンド合戦というイベントがあ
り、藤山一郎さんが慶応の指揮を、古関裕而さんが早稲田の指揮をされたことが
あった。古関さんは、夏の高校野球のテーマソング「栄冠は君に輝く」、阪神タ
イガース応援歌「六甲おろし」、東京オリンピックの行進曲「オリンピックマー
チ」、早稲田大学応援歌「紺碧の空」、慶応義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、歌謡
曲「長崎の鐘」など枚挙に暇がない。これらはすべて名曲であり、多くの人々の
思い出とともに心に浸み込む歌の数々である。ほんの短時間であったが藤山一郎
さん、古関裕而さんと同じ舞台で演奏できたことも大変誇りに感じている。

 さて、会社(シキボウ株式会社)に入り相当経過したある時に、創立百周年記念
行事として社歌を刷新しようということとなり、本業の秘書室次長と同時に社歌
制作責任者を命じられた。昭和20年代に服部良一さんが作曲した旧社歌を若い
社員になじみやすいものに換えようという趣旨であった。歌詞は社員から募集し
「この木何の木」で有名な日立のコマーシャルを作詞された伊藤アキラさん
補作していただいた。作曲をどなたに依頼するかで社内で意見が分かれたが、結
局そのころ特に人気の高い音楽番組「ミュージック・フェア」のプロデュースを
しておられた服部克久さんにお願いすることとなった。ホテルで服部さんにお
会いして社歌のコンセプトや歌詞を説明したがとても柔和でていねいな方で、私
は心酔してしまった。

 旧社歌が服部克久さんの父上である服部良一さんの作曲であることを伝えると、
奇縁に大変びっくりされておられた。社歌の録音は日本テレビのスタジオを借り
て服部さん立会いの下で行った。何種類か録音して「カラオケ・バージョン」も
出来上がり、終了間近という時に私は何か気に掛かることがあった。私は会社の
各部門でこの新社歌の歌唱指導をしなければならない役割もあったのでこの「カ
ラオケ・バージョン」の出来具合に不安を感じたのである。即ち、メイン・メロ
ディーが流れていない録音で、果たして社員に歌ってもらえるかを疑問に思った
のである。それを服部さんに遠慮がちに伝えると、即座に「それでは私がメロデ
ィーを弾きましょう」とシンセサイザーの前に座られた。私は予算のことが頭を
かすめて、嬉しいような心配なような顔をしていたが、服部さんは「これはサー
ビスですよ」と言って下さった。

 このような経緯で新社歌は誕生し私の歌唱指導も順調に進めることができた。
また、私がファンであった森高千里さんの曲を服部克久さんのご子息である服部
隆之さんが作曲されており、親子3代音楽界で活躍しておられることを知った。

 上記に紹介した音楽家の方々は、一生涯を通じて音楽活動に情熱を注ぎ、多く
の人々にリズム・メロディー・ハーモニーを通じて感動・励み・癒し、そして人
生そのものを伝えて素晴らしい生き方をされていると思うとともに、このような
方々との接点があったことを、音楽好きの私はとても幸せに思う。

 人それぞれに大きな夢と強い志をもって生きて行けば、本人が生き甲斐を感じ
るとともに周囲の人々に多くの感動や喜びを与えるであろうことは、音楽に限っ
たことではない。
 私は現在50以上の大学・短大・専門学校で就職指導の講演をさせていただく
とともに、企業や社会福祉法人の人事制度の構築を主とした仕事としている。
上記の方々の足許にも及ばないが、特に若い人々の働き甲斐の発見を支援すると
ともに、経営者の方々に対してヒトという経営資源に焦点を当てたソリューショ
ンを提供して少しでも社会に貢献できたら幸いと思い、大きな夢を追い求めて東
奔西走を続けている。

http://www.a-con.co.jp/                  
                  アカデミー・コンサルInc .代表取締役 
                      (アカデミー就職塾 塾長)
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リレー・メッセージ 第64回 2004.07.15 

『沖縄の思い出』          文責:なかの げんき

・私は、沖縄サミット終了後の2000/7より、2003/1までの2年間半、
某メーカーの沖縄支店に勤務していました。
  
 その間、島への来訪者を温かく迎えるウチナンチュウーの人情と豊かな自然、
優れた芸能文化、種類豊かな泡盛とオリオンビールに浸かる日々をおくり、正し
く現代の浦島太郎版「竜宮城」を体験致しました。

 本社への出張時や、沖縄に幹部が来訪されたときは、”仕事一筋”を強調しま
したが、やはりそこは簡単に見透かされたのでしょう。生涯沖縄勤務の希望も、
あえなく無視され、僅か2年半で東京に呼び戻されました。
しかも、現在は「沖縄出張厳禁」の憂き目に・・。

・ここでは、我が第二の故郷、沖縄を偲んで、アド街ック天国風に、私が選んだ
 ”沖縄ベスト20”をご紹介します。

 【ベスト10】
  
(1)伊平屋島のクマヤ洞窟: とにかく神秘的。体をねじ曲げてはいっていっ
   た先は、なんとも巨大な洞窟。お線香の匂いが漂い、江戸時代の学者が
   【天の岩戸】と主張してやまなかったのも頷けます。

(2)石垣島の「びは〜ら」: 空港から町に行く途中、海に面して建つ2階建
    てのお店。海から吹く風が何とも心地よい。ビール片手に座っていると
    いつのまにか眠りに落ちます。千春さん、千秋さんの双子美人姉妹に会
    いに行って下さい。

(3)那覇マラソン:12月に2万人以上が走る市民マラソン。自分で走っても
   よし、応援するのもよし。国際通りでパフォーマンスをみるだけでも大笑
   い!

(4)嘉手納基地の一般公開: 例年6月頃に開催。本物のジェット機のパイロ
   ット室に青い目の美人がにこやかに迎えてくれます。どうして、こうアメ
   リカ人は社交的なのか・・。英語力のなさをこのときほど悔やむことはあ
   りません。

(5)本鮪(マグロ): 5月頃、沖縄本島近海から本鮪があがります。沖縄で
   は、青や赤の熱帯魚系の魚が多く、”刺身”なんかと思われがちですが、
   とまりん港近くの漁港内食堂では、500円ですごい量の本鮪(もちろん
   生)が食べられます。

(6)喜如嘉の芭蕉布会館:  沖縄本島の北のはずれにある喜如嘉(きじょか
    )。この地では1500年代から、植物の芭蕉(バナナ)から芭蕉布を作
   ります。100才近い平良敏子さん他が元気でお迎え下さいます。

(7)万座毛の近くの : ウタキ(お祈り場)は沖縄に何百もありますが、
    ぼくはここが一番好きです。ウタキでも、沖縄初心者の方は、有名な
    斎場御嶽(セーファうたき)から行きましょう。

(8)名護のオリオンビール :  規模はともかく、戦後、沖縄の人が「やれ
    ば出来るんだ」と強い意志で創業した話には泣かされます。
    年に数回、オリオンビール大学という「飲み放題」の会がありますが抽
    選で選ばれるのは難しいのでコネをつかって潜り込むのがいいでしょう。

(9)カヌチャリゾート: 県北にあります。58号線沿いにある数多いリゾー
    トより、ゆったりしています。併設するゴルフ場には白浜の海岸を模し
    た名物グリーンもあります。近くに沖縄電力が経営する永住型の医療介
    護付きリゾート風マンションが来年オープンします。

(10)伊計島のゴーカート:   西日本では最大のゴーカートです。
    那覇・久茂地のバー【シャーロックホームズ」の平良玄さん(有名人)
    】に連れて行ってもらいました。

 【ベスト11〜20】

(11)今帰仁城: 1月末〜2月初旬の、寒緋桜の時期が特に見頃です。
     海に向かって、17世紀に悪党の薩摩に攻め滅ぼされた、今帰仁(な
     きじん)城の無念を実感しましょう。
     なお、沖縄では、城(グスク)は沢山ありますが、他に大きいのは、
     中城、座間味、勝連、といったあたりで、本土より少し早い時期に
     戦国時代があり、多くの武将が活躍しています。

(12)宮古島:  沖縄サミットのとき、ドイツ国首相 シュレーダー氏が
     この地を訪れたのをご存じでしょうか?
     ドイツ文化村:  宮古島はいまは、トライアスロンで有名ですが、
     130年前、台風で難破したドイツ船を命がけで救助した宮古の人
     の物語はもっと知られてよいと思います。
     またここのホテル立地はすごくきれいです。近くには、台風で倒れ
     た沖縄電力の風車があります。余談ですが、風速100mも吹くん
     ですよ!!

(13)松山のスナック  ここの美人ママの末金典子さんはなんと某新聞社の
     社員。昼間は嘉手納基地で取材し、
     麗王(レオ): 夜は松山の知識人が集まる社交場となっています。
     ここの常連になると、定期的に典子レポートなるものがおくられて
     きて元気づけられます。若い女性はいません。
     なお、この近くに、反戦シンガーソングライターの海勢頭豊さんの
     エル・パビリオンがあり、こちらは本土からの学校の先生方でいつ
     もにぎわっています。

(14)黒島の牛: 石垣島から船で約40分。牛の方が人間より多いのは本当
    です。民宿に泊まりましたが、窓から牛が舌をのばして顔をなめられま
    した。

(15)喫茶・雅(みやび): 那覇市中心部の久茂地にある、ギャラリー喫茶
    です。沖展に出展しているようなすごい先生が常時出入りしていて、通
    うだけで文化人になった気がします。オーナーは近くのお医者様の奥様。
    新潟のご出身だそうですごく上品なご婦人です。

(16)粟国島の洞寺: 沖縄で洞窟といえば、玉泉洞が有名(ハブ対マングー
    スの競泳をやってます)ですが、粟国島の洞寺はそこよりすごい。何が
    すごいかと言えば、1.まず誰もいない、2.必然的に神秘な気分になる、
    3.(不正な手段で)賭に負けて流されたお坊さんの気持ちと同一化され
    る、等です。

(17)旧海軍司令部壕: 戦争関係遺跡、施設では、「ひめゆりの塔」や
    「マブミの丘」が有名ですが、ここにもお立ち寄り下さい。
    有名な太田中将の「沖縄県民かく戦へり」の電信発信の地です。

(18)やんばる探検隊: 「やんばる」とは沖縄本島北部の森林地帯のこと。
     横断道路等の開発が進み自然の保護が叫ばれています。わが、「やん
     ばる探検隊」は能勢隊長以下、週末にはやんばるの森にはいり植林
     活動に励んでいます。やんばるの森には本当に不思議な自然が残さ
     れています、是非、探検隊に入りましょう!!
     なお入会希望者は、(15)の喫茶・雅で、スタッフの奥浜さんに
     お申し出下さい。

(19)京都と沖縄を結ぶ書展: 京都の有名な書家 増川白陽先生の3回目の
    個展が、パレット久茂地で8/10〜開かれます。
    先生は、京都の学生時代に夏休みを伊是名島(何もない島ですよ〜。
    ぼくも行きましたが・・)で過ごした、少し変わった沖縄病患者(?)。
    尊敬する先生の個展に是非お越し下さい。

(20)電発・揚水発電と: 那覇から北へ車で3時間。世界でも珍しい、電源
    開発の揚水発電所があります。
    沖縄ガラス 藍 すぐそばに、京都出身の美人 寿 沙代さんのガラス
    アートが・・・。絶壁の上にたち、春には併設する喫茶の窓から、鯨
    がシオを吹き上げるのが臨めます。  以上   

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リレー・メッセージ 第63回 2004.06.15 上野 精一さん(昭58経)

 小姑おやじの人生訓     

1. 「小姑おやじ」とは

 僕は大阪で公認会計士・税理士を生業とする小姑おやじです。「小姑おやじ」と
は、家内が僕を主人公に描いている4コマ漫画でお堅い税理士会の機関紙に現在
も連載中です。このHPで小野さんとご縁がもてたのも「小姑おやじ」をある出版
社のコンテストに出したことがきっかけでした。この時大賞を争ったのがエンタ
の神様で人気の代田ひかるさんでした。一足先にブレークされてしまいました・・・残念!

2. 仕事の話 KESSの皆様注目!

 本業の方は、昨年より大阪御堂筋で「トータル・サポート・ブレインズ(TS
B)」http://www.tsb-net.com/_index.htmlのメンバーとして活動しています。
TSBは、弁護士、公認会計士・税理士、司法書士・行政書士、中小企業診断
士、ファイナンシャルプランナーの計7事務所50人の専門家等が同一ビル内に常
駐することで連携を一層強化しようという試みです。士業の人は意外と他の士
業との係わりが薄いため実務面はもとより、営業面でもとても頼りになる集団
です。そして何よりクライアントの方に喜んでもらえます。とはいえ、組織と
してはこれからですので皆様のお力もお借りしたいと思います。

 TSB発足にともない、天王寺の自宅事務所から本町に通勤するようになり家
族と接する時間が圧倒的に減ったのですが、小姑おやじがいなくなり家族には好
評のようです。本町では知人に遭遇する機会がとても増えました。先日も慶応
ESS先輩の塩屋さんhttp://www.actors-clinic.com/index2.htmlと20数年ぶり
に再会し、うちのマンションにも入居してもらうことになりました(父がマンシ
ョン経営してます)。出会いって面白いなあ・・・KESSの皆様、塩屋さんは
6月20日から大阪で映画を撮りまっせ!主役の高校生バンド ハングリーデイズ
にも注目してください 。

 仕事の面では、民事再生会社やデューデリジェンス・営業権評価の仕事をさせ
て頂きありがたかったですが、従来の税務のお客さまとの時間のやりくりに苦心
しました、最近の確定申告時期に開業当初のお客様の所を回ってしみじみ思うの
は、本当に人間的に暖かい方が多いなあということです。確かに大きな仕事は報
酬もいい反面、人間関係は希薄で精神的にはしんどい面もあります。44歳にして
まだまだケツが青い小姑おやじです。ということで、少しでもお尻が白くなるよ
うにいろいろな方から聞いた言葉を小姑おやじの人生訓としてまとめてみました。

3. 小姑おやじの人生訓 平成16年度版

● 醸造→熟成のプロセスを我慢できるのが大人である。
● この世に本当に怒らねばならない事は本当に少ない。
● 困ったことは絶対に起こらない。ツイてる連発。
● 人間である以上すべてのことを自由にはできない。
● 捨てるべきものを持ってこそ人生有意義に過ごせる。
● 優先順位に関する価値観を範疇ごとに明確にすること。
  仕事に関しては、経済合理性が意思決定基準。
  その他は、敵をつくらないこと。犬とはけんかをしない。もちは餅屋。
  目的は、家族の平和。みんなの笑顔。
● いやなことは忘れられないのが当たり前。でも、忘れるのも事実。早く忘れ
  たほうが合目的的。探し物もまったく同じ。
  誰のせいであれ、怒ったら損するのは自分。止めれるのは自分だけ。
● 放っておくことも大事。それが研修。今かなわないことも、いつかはかなう
  ようになる。焦りは禁物。
● 誰にもプライドあることを忘れないように慎重に行動する。
● いやなことほど先にする。欲しいものほど欲しがらない。
● 覆水盆に帰らず。やったことはすべてが自分のためになる。
  人間万事塞翁が馬。
● 運動は絶対必要。必ず65�を達成する。
● 自転車は危険。交通事故に気をつけて安全運転。
● 酒は人生の潤滑油。注ぎすぎると燃えてしまいすべてがなくなる。

4.  ご縁をありがとうございました。うーん年くったかなあ・・・

上野公認会計士事務所
☆ 好評です! 社長にわかるQ&A
∮ 小さな企業の応援団 @e's

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リレー・メッセージ 第62回 2004.04.15 二階堂雅彦さん (昭50塾高/特選)

「歯周病」のお話    

二階堂歯科医院・歯周病・インプラントクリニック
アメリカ歯周病学会認定歯周病専門医

今日はこのコラムではめずらしい健康の話題に触れたいと思います。

ご存知のように歯にまつわる二大問題というと、「ムシ歯」と「歯周病」という
ことになります。ムシ歯に関しては予防に対する取り組みが功を奏し、小児、学
童のムシ歯は70年代、80年代に比べ激減しています。対する歯周病はどうでし
ょう?  いまだに30代以上で歯を失う第一の原因とされる状態がつづいてい
ます。今日はこの歯周病の問題について取り上げていきたいと思います。

歯周病ってなに?

歯周病とは文字通り歯の周りの病気です。病態は、歯の周りの歯肉の炎症である
「歯肉炎」、炎症が深部まで及び歯を支えている骨が溶けてしまっている「歯周
炎」(つまりより進行した状態です)の二つに分けることができます。歯肉炎は
適切な処置をすれば完治しますが、骨が失われてしまう歯周炎では手当てが遅れ
ると処置ができず、抜歯に至ってしまうことも少なくありません。またかなり病
状が進行しないと痛みや腫れなどの自覚症状が出ないことも発見を遅らせること
になります。

歯周病の原因は?

歯周病の原因は歯や歯ぐきのまわりにつく細菌(歯垢=プラーク)です。したが
って歯肉炎は歯磨きを48時間以上サボれば誰でもなります。でもご安心くださ
い! そこでカンペキな歯磨きをすればまたもとの健康な歯ぐきを取りもどすこ
とができるのです。しかし歯周炎、特に重症なものには嫌気性菌という酸素のな
いところで活動する悪玉菌が関与しています。これらは歯と歯根の間にできるス
ペース(歯周ポケットといいます)に巣づき酸素の届かない奥のほうでぬくぬく
と育ち、同時に歯を支えている骨(歯槽骨)を少しづつ溶かしていくのです。

また細菌以外にも歯周炎を悪化させるさまざまなリスクファクターがありますが、
その中ではタバコが第一です。他に糖尿病、骨粗しょう症等の全身疾患、歯ぎし
り、食いしばりなどの噛み癖、極度のストレスなどがあげられます。また遺伝的
な要素もとくに比較的若い方(30代以下)、また重度の歯周病には関係していま
す。これは言い換えれば体質と言えますが、約10%の方々は体質的に歯周病が
重症化しやすいといわれています。反面歯磨きをしなくても歯周病になりにくい
方々もいます。ラッキーな方たちです!!

歯周病の成り立ちは他のいわゆる生活習慣病(前は成人病といいました)に似て
います。他の生活習慣病でも、たとえば甘いものをたくさん食べても、お酒をた
くさん飲んでも糖尿病にならない方がいる反面、感受性が非常に強く若いころか
ら治療が必要な方がいます。同様に歯周病も歯磨きをサボっても悪くならない方
がいる反面、歯周病の細菌に対し非常に感受性が強く注意深い治療が必要な方が
います。

歯周病の治療は?

歯周病治療に基本は第1の原因である細菌を排除していくことです。細菌は二つ
の形で存在しています。ひとつはネバネバと歯にまとわりつく歯垢(プラーク)
で、もうひとつは唾液中のカルシウムと結合し硬くなった歯石です。歯垢はみな
さんが歯ブラシで取らなくてはなりません。そのためにはきちんとした歯ブラシ
指導を受けましょう。
しかしいったん歯石となったものは歯ブラシでは取れません。ですから歯科医院
での治療が必要になります。残念ながらTVで宣伝されているような歯磨き剤を使
っても、一時的な症状の軽減はありますが、完治することはありません。また先
ほど申し上げたように重症になるほど歯周ポケットは深く、またその奥深く歯石
が強く付着していますから、進行した歯周病では麻酔をして歯の根の表面につい
た歯石をとっていきます(「ルート・プレーニング」といいます)。この治療で
歯周病の8割前後は治ります。これで治らなかった部分には「歯周外科」といわ
れる小手術が適用されることがあります。手術といっても比較的簡単なものです
からご安心ください。
この中で最近注目されているのは「歯周組織再生療法」と呼ばれるもので、バイ
オテクノロジーを利用して文字通り失われた歯周組織を再生するというものです。
エムドゲインというタンパク製剤を用いるのですが、これを歯周外科時に根の表
面に塗布することによりいったん歯周病に冒された歯に、歯が生えてくるときと
同じ状態を人工的に再現し歯槽骨や他の組織の再生を図るというものです。症例
を選べばかなりの効果が期待できます。

このように患者さんのブラッシング、ルート・プレーニング、さらには歯周外科
治療でよくなった歯ぐきを長持ちさせる秘訣は「メインテナンス」です。これは
歯ぐきや歯のチェックとクリーニングからなり、歯周病の方はメインテナンスを
1−6ヶ月毎に継続的に受けることによりお口の中の健康を維持していきます。
ちょうど他の生活習慣病の方が1ヶ月に一度病院で診察を受けるのと同じことな
のですよ。

歯周病の症状は?

TVのコマーシャルではありませんが歯ぐきから血がでるというのは歯周病のサ
インです。その他歯が揺れる、歯ぐきが腫れる、見た目の歯が長くなった、口臭
が強い、硬いものが噛めないなどが歯周病の症状です。この中の二つ以上が当て
はまる方は手遅れにならないうちに歯科医院に行きましょう!

どの歯科医院に行けばいいの?

残念ながら歯周治療への対応は歯科医院によって大きな違いがあります。またわ
が国では専門医制度が確立していないためこの広い東京でも歯周病専門医の資格
を海外で取得した歯科医師は10人足らずです。そこで歯周病をケアしてくれる
歯科医選びのポイントは上記のブラッシング指導やルートプレーニング、メイン
テナンスを丁寧にやってくれる歯科医院です(率直に聞いてみましょう!)。他に
関連学会である日本臨床歯周病学会 、日本歯周病学会所属の歯科医師、認定医
であることも参考になるでしょう。

忘れてはいけないのは「歯科三田会」です。塾出身の歯科医師の集まりで、塾員
の方のお役に立てることを日ごろから願っております。

私のもうひとつの専門であるインプラント治療についてはまた機会を改めて述べ
させていただきたいと思います。

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リレー・メッセージ 第61回 2004.03.16 伏見 靖さん(平3理工)

 「商標を巡る最近の話題」

 インターネット三田会の皆様、こんにちは。平成3年に理工学部機械工学科を
卒業 しました伏見靖と申します。現在、東京の特許事務所に勤務しつつ、法学
部通信教育 課程に在籍し、2度目の大学生生活を満喫しています。社会人大学
生の奮闘ぶりもお 知らせしたいところですが、それはまた別の機会(卒業報告
?)に譲るとして、今日 は知的財産のお話をさせていただきます。

 昨年から今年にかけて、新聞やテレビで「青色発光ダイオード200億円訴
訟」や 「阪神優勝商標事件」等が報道され、知的財産を巡る話題を目にしない
日はありませ ん。特許については以前もリレー・メッセージでお話が出たよう
ですので、今回は商標 を巡る話題について紹介させていただきたいと思います。

 商標とは、自社の商品や役務(サービス)を他社の商品や役務と区別するため
の目 印として使われる標章(マーク)のことをいいます。よくトレードマーク
とかサービ スマークなどと言われることもあります。また、商標は企業名を示
すハウスマーク、 製品のカテゴリを示すファミリーネーム、個別の商品毎に付
けられるペットネーム等 と呼ばれることもあります。商標のうち国に登録され
ているものを登録商標と呼び、 商標権者は登録商標を独占的に使用できます。

 商標はマークに過ぎないのに、何故国が「財産」として保護するのか、と時々
訊ね られます。国は商標自体を保護するのではなく、商標にリンク付けされた
企業の業務 上の信用を保護しているのです。つまり、企業が商標を付けて品質
の良い商品やサー ビスを提供してゆくと、やがてこの商標が付いている電化製
品は壊れにくい、この商 標が付いているタクシーは応対が丁寧だ、等のように
良い評判が消費者・取引先に商 標とリンクして知られるようになります。良い
評判はやがて、企業にとって「財産」 である業務上の信用として蓄積されてゆ
くのです。

 このように商標にリンクして業務上の信用が徐々に高まっているにも関わらず、
第 三者が自由に商標を使えるとなると、企業の永年の努力が意味をなさなくな
り、粗悪 な商品に著名商標を付する等の悪質な行為が横行し、産業が健全に発
展しなくなりま す。そこで、国は登録商標の独占使用を認めることで、企業の
業務上の信用を保護 し、産業の健全な発展をサポートするのです。なお、同じ
商標を使っている商品は一 定の品質を維持しているものと考えられることから、
消費者を保護するという側面も あります。

 一方、商売を営む上で、自社の製品等を示す独特のマークを付け、品質の良い
製品 を提供し続けることにより、消費者がマークを見ただけで選んでくれる可
能性が高く なります。したがって、自社の製品に付けるマークを商標登録をし
ておくということ は、将来の業務の発展を考える上で重要な戦略の1つとなる
のです。

 それでは、自社の商標を登録したい場合にはどうしたら良いのかを考えていき
まし ょう。まず、出願に際しては標章とともに、この標章を用いる商品・役務
を指定する 必要があります。商品・役務は1〜45類に分類され、その類の中
からさらに細かく 自社の業務に関連する商品に該当するものを選びます。全て
の類から選択しても構わ ないのですが、出願コスト、登録コスト、維持コスト
がかかりますので、十分に検討 しなければなりません。

 一方、標章は文字や図形、立体的な形状、及びこれらの組み合わせから構成さ
れま す。それでは、文字や図形の組み合わせであれば何でも登録できるか、と
いうとそん なことはなく、一定の制限があります。例えば、対象となる商品・
サービス自体を示 す普通名称・慣用名称、三角や四角等のありふれた図形、
「東京」や「ニューヨー ク」等の著名な地名、「おいしい」や「迅速」等の商
品・サービスの説明に一般的に 用いられる言葉は登録できません。また、消費
者の誤認を招く商標、赤十字や菊花紋 章、国旗等の特別なマーク等も登録でき
ません。

 次に、自分が選んだ商標が、既に登録されている他人の商標に同一・類似する
とと もに、同種の商品・役務に使用されているか否かの調査をしなければなり
ません。他 社の商標と類似した商標を使っていると、他社の商品等と混同を招
くという理由で登 録を拒否されるのはもちろん、使用差止を受けたり、損害賠
償を求められる可能性が あります。類似の判断は難しい場合もあり、トラブル
を避ける上でも、予め特許庁や 専門家である弁理士と相談するのが良いでしょ
う。

 同一・類似のものが無いようでしたら、書類を調えて特許庁に出願します。
出願さ れた書類は、審査官が一定の条件を満たしているか否かを判断し、拒絶
理由が無けれ ば登録されます。拒絶があった場合でも補正をすることで登録さ
れる場合もありま す。出願から登録までは分野にもよりますが半年から2年程
度かかっているようです。
 商標自体は登録されなくても使用は可能ですが、未登録で使用して信用が蓄積
した としても実は他社の登録商標に類似していることが判明して、使えなくな
ってしま う、という虞があります。車や電気製品等、莫大な広告宣伝費を使う
商品については ダメージが大きいので、各企業はそれなりに対策をとっていま
す。

 それでは日本で登録した商標は海外でもそのまま使えるでしょうか。商標に
限らず、知的財産権は原則として各国毎に権利が発生します。したがいまして、
輸出を考 えている場合には、輸出国の商標も取得する必要が生じる場合もあり
ます。日本国内 で取得した商標と同じ商標でも良いのですが、海外では他人の
著名な商標と類似する という事例も多々あるため、国内と海外とでブランド名
を変えているという商品・役 務も見受けられます。なお、海外では日本では認
められていない「音」の商標が認め られている例があります。

 最後に最近の事件から有名な商標関連の事件をいくつかご紹介いたします。

(1)阪神優勝事件
 わが阪神タイガースが優勝した、というのも事件ではありますが、これは商標
の事 件です。千葉県の男性が有する登録商標「阪神優勝」について、阪神球団
が商標譲渡 を求めたものの交渉が決裂したため、阪神球団が出所混同を理由に
無効審判を請求し たという事件です。商標権者の男性は、「阪神といっても阪
神地区を指す場合もあ り、阪神球団を指すとは限らない」と主張したのですが、
結局、「阪神優勝」という ロゴが入ったTシャツ等は、「阪神球団の公認グッ
ズであると消費者が混同する虞が ある」という理由でその登録商標は無効とさ
れました。
 この一件で、グッズの販売に際し無用な紛争を防止するためには商標を登録し
てお くべきだ、ということに気付いたことと思います。この事件の影響かどう
かわかりま せんが、一部のプロ野球選手やプロレスラー等は既に登録商標を持
っていたりします。

(2)TIGERs事件
 続けてわが阪神タイガースの話題で恐縮ですが、阪神球団とタイガー魔法瓶が
「T IGERS」という登録商標の有効性について争った事件です。結局、阪
神球団が 「Tigers」、タイガー魔法瓶が「TIGER」を使い、さらに
混同を避けるた めに異なった字体を使うことで決着しました。双方の事業を尊
重するということは結 局双方の利益にも繋がるという良い例だと思います。
(3)がんばれ日本事件
 東京在住の男性が有していた「がんばれ日本」という商標が日本オリンピック
委員 会の請求により3年間不使用として一旦は取り消されたものの、実は男性
が主催する 会の会報に商標が使用されていたことが証明されたことで、また商
標登録が復活した 事件です。商標は一定期間使用しなかった、不正な目的で使
用した等を理由として取 り消されることがあります。登録しただけで安心せず、
適正な形で使用を継続する必 要があります。

(4)青森事件
 前述したように著名な地名を商標として登録できないのは外国でも同じです。
しか し、中国企業が「青森」という商標を中国商標局に出願したところ登録さ
れてしまいました。登録されると「青森産」のリンゴ等を中国に輸出できなく
なる虞があるため、青森県を始めとする計24団体が中国商標局に対して「青
森」という商標を取り 消すべく異議申立を行いました。結論が出るのは1〜2
年後らしいですが、どうなる ことでしょう。

(5)Lindows vs Windows事件
 米国のソフトメーカー「Lindows.com」に対して米国マイクロソフト社が同社
の 「Windows」という商標と紛らわしいという理由で差止訴訟を行っています。
「Lindows.com」側は「Windows」は一般語に過ぎないと主張するものの欧州
では仮差 止が認められたため「Lin---s.com」という商標を使用したり、米国で
は裁判が延期に つぐ延期となったりで、大変に揉めている様子です。裁判にな
ると多大な時間・莫大 な費用がかかることを考えると、紛らわしい商標を使わ
ない、というのが賢明だと思 います。

 以上、とりとめもなく書いてしまいましたが、商標はビジネスに直結している
だけ に、調べれば調べるほど興味深いものがありますし、判例集を読んでいて
も、人間ド ラマが見え隠れして特許訴訟とはまた違った面白さがあります。特
許庁では電子図書館というシステムがあり、HPから商標を調べることができ
ます。福澤先生に関する 商標も多数出願されているようですから、調べてみる
のも面白いかと思います。

 伏見 靖(理工学部機械工学科久納研究室1991年卒)
 鈴榮特許綜合法律事務所 勤務
 知財翻訳研究フォーラム/知財取引業研究会 代表幹事
 連絡先:fushimi@mbk.nifty.com
http://www.k-fushimi.com/
http://www.fabbo.jp/

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リレー・メッセージ 第60回 2004.03.16 俵谷 保さん(昭48政)

「冬のかまくら」

 雪国秋田でもとりわけ雪が深い横手は県の南部に位置しており盆地なために
冬は寒く、夏場は暑いと言うなんとも寒暖の差が大きい土地柄です。
冬の小正月行事として「かまくら」は少しは全国的にも認知されて来ているよ
うです。とは言ってもまだまだ認知度は高くないと思います、そこで「かまく
ら」が一体どんな物で、どうして発生したのかを簡単にご説明してみます。

 毎年2月14日から16日にかけて開催されておりますが、最近はモデル地
域と言う物を設定して市内の何カ所かに会場を設けております。
もともとは「水飢饉」への畏怖から、「水神様」を御祀りすることが最初であ
ったものが時代による変遷を経て現在のようなお客様をもてなすという風習に
なって来たようです。
楽しみとして何も無かった時代に屋根から下ろした雪と降り積もった雪とを積
み重ねて室を造ってその中に水神様を奉って子供たちが火鉢でお餅を焼いたり、
甘酒を温めて遊んだ事が、今ではその形だけがアレンジされて受け継がれてい
るようです。

 しんしんと降る雪の夜に雪の室の中でろうそくの灯りがともされると、なん
とも幻想的な世界が出現します。 ブルーノ タウトがその素晴らしさに絶句
したと言われておりますが確かに東洋的なおとぎ話の世界が感じられる事もあ
ながち的外れではないでしょう。
ただしそれも新雪が降って路面が雪で真っ白な状態の時ならばという条件がつ
きます。 「かまくら」の形も以前はやや幅広の円錐形とでもいうものであっ
たのが現在の車社会の影響から道路の通行の邪魔という事から円柱形に変化し
ています。これではどうしても「日本むかし話」的な雰囲気は出せません。

 家々の手作りのかまくらが、かまくら職人と呼ばれる人たちによる画一的な
形態になり、どれをとってもすべて同じように造られている造形品のようなも
のに様変わりしてきています。 ですから観光客の目にはそれがどのように映
るのかは、、、それでも都会の雑騒を遠くはなれて目にする物としては新鮮に
映る物かもしれません。

 地元で生活している身としては、とにかく寒いというのが第一です、冬は寒
いと相場は決まっているとはいうものの、芯から寒いです。
でも、そんな時こそ秋田のお酒と鍋は一層おいしさが増しますからありがたい
です。外の寒さが熱いお酒と鍋で帳消しになる、いやそれ以上に生きている事
の楽しさ、ありがたさが実感出来ます。

 さらに秋田おばこと称される秋田美人が県南には多いのも事実です。
これは諸説がありますのでどうなのかは定かではありませんが、寒さと水の良
さと日照時間の短さとが関係しているとまことしやかに流布しております。実
際に素肌のきめ細やかさと、色の白さは事実なので何か原因はあるのでしょう。
都会から来た人が一様に言うには「最初は一目見たときに、その姿形の素晴ら
しさに息をのむくらいだけど、ひとたび言葉を聞くと愕然としてしまう。」と
いう事です。なんといっても秋田弁は聞き取りにくい言葉なんでしょう。
外見と言葉とのギャップが引き起こす現象に皆さん驚かれているようです。

 「冬はつとめて、、、」とあるように冬の早朝は素晴らしい物があります。
まだあけやらぬ空に雪が降り止んだ時の凛とした気配は、人の世界ではない神
の存在が感じられる時さえあります。
自然界の素晴らしさは四季の変化が体感できる田舎暮らしにこそ与えられてい
る物なんじゃないかと思えてなりません。

 Softly as in a morning sunrise  これが体感出来るなんて幸せ以外の何
者でもないと思える時があります。 朝日が昇るのを見て気持ちが高揚する体
験はしばらく忘れていた事でした、子供の頃に感じた一日の始まりのうれしさ
がよみがえった時はしばらく身動き出来ないほどでした。

 自然の素晴らしさと温泉の心地よさを味わいに是非一度、みちのく秋田まで
足を運ばれてみてはいかがでしょうか?


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リレー・メッセージ 第59回 2003.12.15 久保内統さん(平8法)

 始まる市民の司法参加  〜あなたも裁判員〜久保内統(弁護士)

ある日突然、皆さんに裁判所から「招集通知」が郵送されてきます。封を開け
るとパンフレットなどと一緒に「『裁判員』候補者に選任されましたので裁判所
までお越し下さい〜」という通知が入っています。皆さんは裁判官と対等に審理
に立ち会って有罪無罪の判決を出すという役割を担う裁判員になるのです。今ま
では裁判官という縁も関係もないと思っていた人が執り行っていた司法の場に誰
もが直接に参加することになるのです。
しかし、裁判員制度ができるという話はあまり社会に浸透していません。日本
国籍をもつ25歳以上の人は誰もが裁判員に選ばれることとなるのに、ほとんど
情報が行き渡っていません。偶々私自身は弁護士(会)の立場から裁判員制度に
関わる作業をしておりますので、裁判員制度の概略をまとめてみました。数年後
には他人事ではなくなる制度ですので、一度お目通し頂ければ幸いです。

【司法制度改革】

  今日本では、政治改革、行政改革、規制緩和などの様々な改革が唱えられ動
き始めています。総裁更迭でもめた道路公団問題も、日本郵政公社による郵便局
の運営も、国公立大学の独立法人化も、いずれも前後50年以上を経てようやく動
き始めた諸改革のなかで発生していることがらです。
  これらの改革は突き詰めると、市民が自律して自由で公正な社会を作ること
のできる国造りを目指しているものといえます。国になんでもお任せして(ある
いは何かと制限されて)生活をするのではなく、自分たち自身でものごとを推し
進められるようにしよう、そうすることで豊かな創造性とエネルギーが取り戻せ
るはずであるという志が形をなそうとしているものです。
このような社会の変革の中で、これまでは市民参加とはほとんど無縁の世界で
あると考えられてきた「司法」の分野も大きく変わろうとしています。裁判とい
えば、よく分からない人たち(裁判官・検察官・弁護士)が、よく分からない場
所(裁判所など)で、これまたよく判らないこと(裁判)をしている、という印
象を持つのが普通だと思います。しかし、いざ紛争が起こったり、犯罪が起こっ
たときには裁判手続などでそれらが処理されます。自分の日常生活とかけ離れた
世界ととらえられがちな司法が、実は自分の生活に非常に大きな影響を及ぼして
いるのです。これだけ重要な影響を及ぼす司法の世界だけが国民の参加もなけれ
ば国民による監督もなされないままでよいはずはなく、政治や行政と同様に改革
されなければならないとされたのです。

司法の世界にも市民が積極的に関わっていけること、(一個人であれ企業であ
れ)市民が求める法的サービスを得ることができることが、一連の諸改革の中で
も「最後のかなめ」として重要な意義を有しているのです。
法曹資格に関する規制緩和(司法書士が裁判所での代理権を取得できるになっ
た)、行政訴訟手続を「使える」ものにしようとする制度改革、裁判以外の手続
による紛争解決機能の強化、法科大学院制度の創設、などなど多くの制度改革が
今まさに進められています。その中でも「裁判員制度」の導入は、誰もが直接裁
判に関わっていくという極めて重要な改革なのです。

【裁判員制度とはなんなのか】

では、近い将来始まる裁判員制度とはどういうものなのでしょうか。
裁判員制度は、職業裁判官だけでなく、選挙人名簿から無作為抽出されて選出
された裁判員が(つまり司法とほとんど関わりのない人も誰もが)、裁判官と共
に評議・評決を行う制度となっています。現時点では殺人や強盗などの重大な刑
事裁判での導入が決まっていますが、否認事件と自白事件(被告人が有罪である
ことを争っていない事件)を問わないとされています。ドラマや映画で目にした
ことがあるアメリカなどの陪審員制度をイメージしていただければ、裁判に参加
してなにをするのかがなんとなく判って頂けるかも知れません(実際には陪審員
制度とはかなり異なりますが)。

制度の詳細は確定していませんが、簡単にまとめると、(1)選挙人名簿から
各裁判毎に無作為に選ばれた裁判員が、(2)審理(裁判手続)に立ち会い、(
3)適切な評議が出来るために証人などへの質問権も有し、(4)裁判官と共に
評議を行い有罪無罪の決定を行い、(5)有罪の際の刑の量定も行うこととなっ
ています。最も重要なのは、(6)評議にあたっては裁判官と裁判員の権限が対
等とされていることです。
裁判員は裁判官の補佐役であったり参考意見をいうだけの人ではなく、裁判官と
同じ権限を持っているのです。それだけに、裁判員になった市民の良識が評決
(判決)に反映されることでよりよい裁判を実現することが期待されています。
来年の通常国会で法案が提出されることとなっていますので、今はまさに最後の
検討段階に入っているものです。

裁判員と裁判官の人数構成や裁判員の要件は激論が交わされています。日本国
籍を持つ25歳以上の人から無作為に裁判員が選ばれることになることはほぼ決
まった模様です。裁判員は1つの裁判ごとに選ばれますので、任期というものは
ありません。担当する裁判だけ、その裁判が終わるまで裁判員となります。
人数は、1つの裁判について裁判官:裁判員を「3人:4人」「3人:5〜6
人」という両案がたたき台として出されました。この数日の各政党の委員会では
「3人:4人」(自民党)、「2人:7人」(公明党)と、政権与党内でも意見
が割れています。裁判員はお飾りではないので、裁判内容の決定に主体的・実質
的に関与できるようにするためにも、一定人数がいなければならないでしょう。
裁判員の具体的な選任手続も確定していませんが、原則として辞退は認めず、
公正な裁判の実現を期待できないと判断した人を裁判員に選任する拒否する忌避
(きひ)手続が認められることとなります。

【裁判員になって裁判などできるのか】

裁判手続は難しくて全く判らないと考える普通だと思います。しかし、裁判員
に求められているのは小難しい法律の問題ではなく、「事実はなにか」というと
ころが中心です。誰でも日常生活で「嘘」か「本当」かの判別はしながら生活を
していると思います。目の前で話している人が本当のことを話しているのか、部
下から上がってきた報告書は適切な事実把握をしているのか(都合の良いことだ
けでまとめられていないか)、公園での噂話は本当なのか、そういう判断は誰で
も日常生活の中でやっていることです。裁判員になってやることも基本的にはこ
れと同じです。ですから、「自分にはできない」ということはないのです。
ただ、裁判の手続きや裁判でのやりとりの内容がよく判らないと考えるのはも
っともです。そこで、裁判員が加わる審理に先だって十分な準備手続が行われる
こととなります。裁判員が参加する前の段階で争点を明確にし、証拠調請求する
証拠などの確定作業などが行われます。裁判員が参加した時点では「何が争われ
ているのか」「この証人にはどの事実を明らかにさせるのか」などが明確になっ
ているのです。結果として、裁判員が参加する時間も短くなり、負担も軽減され
ます。

【裁判員の負担はどうなるのか】

いくら軽減されても、裁判員になったために有る程度の負担をおうのはやむを
得ないこととなっています。裁判員になればその間は裁判所に行って裁判に立ち
会うこととなりますので、時間的・経済的負担がでてきてしまいます。国民の義
務だといわれても、学校や仕事、家庭があるのですからきちんとした配慮がされ
なければ誰も裁判員などなりたくありません。
裁判員になった人には国が相当額の旅費・手当等の支給をし、職場を休むこと
で支障が出ないように「裁判員休暇」(ある種の法定休暇)を制度化するなどが
検討されています。また、先述の準備手続をきちんと行うことで、裁判員が参加
しなければならない日数を短期間におさえる配慮もされています。裁判員になっ
た場合に裁判所にいかなければならない日数は、殆どの裁判では1日〜2日と考
えられています。数日になるときも、午後5時で一旦帰宅できますので、アメリ
カなどの陪審員映画でみられるようにホテルに缶詰めにされるようなことはあり
ません(実際にはアメリカでも陪審員が「隔離」されるのは極めて希です)。
裁判員になると、出頭義務だけでなく評議の内容が漏洩してはならない守秘義
務という大きな義務を負います。最近の新聞などでも「守秘義務」についてはか
なり報道されるようになってきましたので、目にしたことがある人もいるので
はないでしょうか。現在、裁判員が秘密を漏らした場合に刑罰まで科すのかどう
かをめぐっても議論が紛糾しています。

裁判員になったところテレビや新聞で騒がれているような事件にあたったとか、
傍聴席を黒服の組員や思想支援者が埋め尽くすような暴力団組織犯罪・公安事件
の担当になった場合には、身の危険を覚えるのは当然です。そこで裁判員につい
ては氏名以外の情報を公表しないとされています。個人情報の保護を徹底し、関
係者が裁判員に接触すればそれ自体を犯罪とする、請託や威圧に対しては刑罰を
もって臨むなどの安全確保なども実施されることとなります。

【認知度の低い「裁判員制度」】

司法制度改革のなかでも極めて重大な位置づけとなっている裁判員制度ですが、
残念ながら、このような制度ができるということの認知度は極めて低いものです。
少し前に読売新聞が行った調査では、全国の約7割の人が裁判員制度については
全く知らないという結果が出ていました。政治改革、行政改革よりも有る意味で
は直接に自分の生活に関わってくる(直接裁判に参加することとなる)という制
度であるにもかかわらず、余りに認知度が低い現状を危惧する声も上がっていま
す。

私は今年、日本弁護士連合会(日弁連)の裁判員ドラマ製作委員会のメンバー
として、裁判員制度のPRドラマの製作にも携わりました。NHKの大河ドラマを
多く手がけた近藤晋プロデューサーに、新宿鮫の石橋冠監督、市川森一脚本監修
のスタッフをそろえ、石坂浩二・左時枝・岩崎ひろみ主演と、日弁連には珍しく、
相当の予算をつぎ込んだ本格的なドラマとなっています。このドラマは全国各地
で上映され、BS放送(BSiで9月7日にも放映)を皮切りに地方TV局などでも放
映されています。

<日弁連の裁判員ドラマの紹介>

しかし、このような活動にもかかわらず、残念ながらいまだに「裁判員制度」
という言葉すら知らないという人が圧倒的に多いのが現状です。先日私が講演
に出向いた横浜市内の女子大学では、聴講生約130人のうちに「裁判員制度」
という名前を聞いたことがある人が3名だけというものでした。それだけ社会全
体の関心が低いままに、重要な改革が進められているのが現状です。
この10月には韓国のKBSテレビで日本の司法制度改革が取り上げられ、私も
裁判員制度についてのインタビューを受けていますが、外国でも注目されてい
るのに肝心の国内ではあまりに認知度が低い状況です。司法制度改革の看板と
いいながら、どのような制度にするのかの検討作業がなかなか進まないでいる
ことや、マスコミ報道などで取り上げられる機会が極めて少なかったこと、裁
判員制度の広報活動が殆どなされていないことが原因だと思います。

【裁判員制度のいろいろな情報】

それでも裁判員制度は始まります。来年の通常国会で法案が可決されれば、数
年の移行期間(広報期間)を経て実際の運用が始まります。ならば、今のうちに
少しでも裁判員制度がどういうものなのかを調べてみたいという方もいるかもし
れません。
ところが肝心の情報は余りに限られており、調べてみようと思っても十分な情
報を提供しているところはあまりありません。試しにAmazonで「裁判員」「
裁判員制度」と打ち込んでみると、書籍としては10冊もありません。法律家向
けでない一般向けの書籍にいたっては3冊しかありません(うち1冊が後述の
「あなたも裁判員」)。HPを探してみても、具体的な内容まで説明しているサ
イトは僅かです。
  漫画でわかりやすい説明をしたものとしては「裁いてみましょ」(集英社・
漫画雑誌YOU連載を単行本化・原作酒井直行:漫画きら)が先日出版されまし
たが、この本より先だって日本評論社の「Causa(カウサ)」では一般向けの
裁判員制度の解説を漫画で連載しています。「あなたも裁判員」というタイト
ルの連載は、偶々のなりゆきで私が原作を書いております。藤山成二さん(読
売国際漫画大賞も受賞した実力者。最近では新聞の4コマ漫画の連載もしてい
ます)が漫画を描いており、これから裁判員になる人のための手引きになるべ
き本としてはほぼ唯一の本です。この夏に単行本(「あなたも裁判員〜漫画で
見る裁判員制度」日本評論社)にもなって大手書店には並んでいます。お暇な
ときに立ち読みでもして頂ければ幸いです。多少手前みそになってしまいまし
たが、売れても私の印税は笑えるくらい少ないものですので、売り込みをして
いるわけではありません。
この外に、HPなどでは「市民の裁判員制度つくろう会」では割と詳しい説
明をしています。私自身のHPでもそれなりの解説をしております(最新の検
討経過においついていませんので、多少古い段階での説明になっていますが)。
併せて参考にして頂ければ幸いです。

○政府・司法改革推進本部事務局のパブリックコメント募集のお知らせ

「あなたも裁判員」(日本評論社)

「市民の裁判員制度つくろう会」

「裁判員になったらこうなる」(私のHP内)

 数年すると、泣いても笑っても皆さんのもとに裁判所から「裁判員候補者に
選ばれました」という通知が来る時代がやってきます。非常に社会的関心が低
いまま法律が作られていこうとしていますが、何かの折りに「自分が裁判員に
なったらどうなるのだろうか」と思い抱い「て、少しでも関心を持って頂けると
有り難いです。

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リレー・メッセージ 第58回 2003.11.15 鈴木榮子さん (平9文・通)

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==「イケバナを楽しむ外国人」==  鈴木榮子

 木曜日の朝、スーザンからe-mailでイケバナ作品の写真が送られてきた。
彼女は私のイケバナ教室の元生徒で、8月にアメリカに帰国したばかりだ。
デトロイトのガーデンクラブでイケバナ講師をすることになりそうなので練習
しているが、これでいいか見てほしいという。木曜は私の広島のイケバナ教室
日で、出かけるためにパソコンを切ろうとしているときの受信であった。

時差があるのでデトロイトは、今、水曜日の深夜のはず。きっと、スーザンは
寝る前にe-mailしてきたのだ。すぐコメントを送れば、彼女は木曜の朝一番
にそれを見て練習ができる。私はパソコンの前に座りなおし、「枝の下に葉を
いれること、後にひいている青の小花をまとめてもう少し前に」と書き、「大
丈夫、これだけ上手にできれば立派な講師です」と励ます言葉も加えて、すぐ
返信した。e-mailを受信してから5分もかかったかどうか。
夜遅く教室から帰ると、スーザンから礼のe-mailが入っていて、今日のクラス
の花材は何だったかとも聞いてあった。私は、先ほど教室でデジカメ撮影して
きた写真を送った。
木曜日になると、私を思い出してくれる元生徒は世界中に少なくない。

★「お礼のつもりで教室開講」
「Let’s Enjoy Ikebana」と広島在住の外国人のためのイケバナ教室を開講し
て20年になる。開講のきっかけは日本人友人からの一本の電話。その頃は、広
島に本社のある自動車会社マツダとフォードの提携が、一層深まり始めた時期で、
アメリカ、イギリス、オーストラリアのフォード社員の多数が広島駐在になった。
駐在社員は家族を連れてくる。広島の町は急に国際化し活気づき、子息のための
インターナショナル学校が設立された。

ある日、その学校で働く友人が電話をしてきて、生徒の母親の中には文化、言葉
の違いで広島に馴染めずホームシックにかかる人がいる。彼女たちのために何か
してあげてくれないかという。

神戸育ちの私は、1960年代、短大卒業後JALスチュワーデスになり世界中を飛
び回り、カナダで出会った日本人青年と恋愛し結婚。バンクーバー、シアトル、
ロスと西海岸で7年ほど駐在員家族として生活していた。カナダ、アメリカ生活
では、その地の行事や習慣を満喫し異文化体験を楽しんできたが、それは現地の
方々が、外国人の私に親切だったから。今度は日本人の私が、日本駐在の外国人
に親切にしてあげる番だわ。友人からの電話を聞きながら、私は自然にそう思っ
た。私にできることで、日本文化を楽しんでいただけることって何だろう。
学生時代から嗜んでいたイケバナの教室でも開きましょうか。

最初の生徒はイギリス人のアンだった。広島市郊外のアンの家に外国婦人二、三
人が集まり、毎週木曜日のクラスが始まった。稽古日の前には、使う花材の名前
と特徴を調べ、それらを辞書で確認しながら英訳しておくといった具合に、私に
は毎週の宿題ができてしまった。大変だったが、皆さんに喜んでいただけるのが
嬉しかった。それに、レッスン後のティータイムは楽しく、毎週が待ち遠しくさ
えあった。ホームメイドのケーキやクッキーが持ち寄られるようになると、私も
ひな祭りや端午の節句の行事を紹介するなど、おしゃべりにも花が咲き、いけば
なクラスは毎回パーティーのようになった。次第に人数が増え、そのうち日本人
も加わってきた。

★「磨きをかけなきゃ」
回を重ねると、講師としてのいけばな技術が気になってきた。週一回開講するの
に、私も週一回稽古通いをしていたのでは間に合わない。磨きをかけなきゃ。
その時分には、いけばな自体が面白くもなっていた。そこで、私のいけばな師匠
にお願いして週に何度も稽古させてもらい、また、大阪でも東京でも技術向上に
結びつく講習会と聞けば、できるだけ参加するようにした。

一方、季節の話や実技くらいになら間に合っていた私の英語が、文化、歴史、政
治の話題になるとスムーズに話せないことに歯痒さを感じていた。思い切って、
英語学校に通うことにした。

英語の先生は広島きっての同時通訳の若い男性で、授業は私には高度で、情け容
赦なく蹴落とされるスパルタ式であった。予習やテスト準備やと、私の生活には
また宿題が増えてしまった。

英語学校に何年か通ったある日、その学校の主事から「英語でイケバナ」という
講座をもたないかと、思いがけなくも嬉しいお話をいただいた。日本人、外国人
がイケバナという共通目的で集まり、そこで私がデモを見せながら技術指導する
という、現行のクラス形式に整ったのは、このときである。

ますます、私はいけばな技術、英語力の向上に追いかけられる日々になったこと
は言うまでもない。

★「慶応とのご縁」
毎週、海外の方々と接していると、日本人は自然にやさしく温かく、この「ぬく
もり」は世界に類をみない独特のものではないかと思い始めた。なぜだろう。
宗教からくる思想だろうか。仏教国のタイ、ミャンマーからの生徒にも、日本文
化に影響を与えた中国、韓国からの生徒にもみられない、何か異なる文化。
世界中どこででもなされる花飾りを、華道にまで昇華したのは、日本人のもつ
「ぬくもり」の故ではないか。

文化は歴史、地理的条件など複雑に絡み合ってできる。日本文化の根本など考え
もせず、日本文化の華道指導にあたる自分が、急に恥ずかしくなった。少し知的
な勉強がしたい。そんなとき慶応義塾大学に通信教育があることを知った。通信
教育なら広島にいても勉強できる。

初めは、華道史、日本文化形成に関係ありそうな科目について、一流大学の学者
の論を学べればそれで充分、くらいに考えていた。ところが、慶応の先生方が執
筆された教科書は中身が濃く、勉強すると試験を受けてみたくなり、採点される
と単位が面白いようにたまっていく。ゲーム感覚の通信教育のやり方に、私は、
はまってしまった。
ちょうど、夫がタイに単身赴任したのを機に、夏季スクーリングにも参加し
「近代いけばなの成立と発展」という論文で一気に卒業してしまった。私には遠
い、高嶺の花であった慶応義塾大学が身近になり、幸いにも卒業生の末席に入れ
ていただくことになった。

弾みがついたまま、私は自宅近くの女子大大学院で「いけばなにみる日本人の美
意識」を書いて修士号を取得した。義父母の介護を抱えていたので、手近な大学
ですませたといったところである。学位は研究した本人につくものなので、どこ
の大学で取得しても同じくらいに思っていたのだ。しかし実際は、そうでなかっ
た。慶応で培われた学術的探究心は、そう簡単には満たされなかった。まだ物足
りなく、今度は芸術学博士号取得を目指して大阪に通学することにした。現在、
私は日本伝統芸術コースを開講される神戸大学名誉教授の追っかけをしている。

★「イケバナを楽しむ外国人」
イケバナ開講20年間には多くの出会いがあったが、外国人は数年駐日の後には
帰国するので別れも多い。ススキの穂が銀色に輝く頃になると、私はロレーンを
思い出す。ABCC(現Radiation Effects Research Foundation:放射線影響研
究所)所長夫人として広島に住んでいたロレーンは、15年ほど前の生徒だった。
小麦色の肌、少ししわがれた声で話す彼女は、気さくで陽気なアメリカ人。彼女
が、ススキがいけばなの花材になると知ったとき、「Gee、ウチの裏庭で次々に
でてくる雑草のススキが、いけばなになるの! 抜くのに大苦労していたのだけ
ど、これからは大事に育てなきゃ」と大声で叫んだ。ロレーンが帰国して久しい
が、まだ秋にはススキを飾っているかしら。

マツダの社長にフォードの社員が就任するようになってからは、代々の社長夫人
が生徒としてみえた。年3回、生徒の稽古の成果発表の場としてプチ花展をして
いる。今年の夏の花展にはブース社長が秘書を伴い、夫人の作品を見に会場を覗
かれた。私たち一同、少し緊張し、また、光栄にも思った。

イギリス人のブース社長は、その後ドイツに転勤となった。ちょうど先週、夫人
から元気にドイツ語のレッスンを始めたとe-mailがきたところである。彼女は
いけばな免状まで取って行かれたが、それをいかす場があるといいのだけれど。

今期の教室には、呉の石川島播磨重工関係の駐在員夫人数人が加わってきた。
外国人生徒の国籍は一層広がり、数えてみると、ノルウェイ、スウェデン、ドイ
ツ、フランス、イタリア、オランダ、ウェールズ、イギリスといったヨーロッパ、
それにアメリカ、オーストラリア、南ア連邦、インドと12カ国にのぼる。英語を
母国語としない方々も、互いの意思の疎通は英語。世界中の共通語が英語である
ことを、再認識する昨今である。

ご主人が、一日会社を休んで稽古に来たいと言っているがいいかとノルウェイ人
に聞かれて驚いたことがある。明治以降、女性の嗜みごととして発展してきたい
けばなであるが、国際舞台に出ると性差は消える。私の目から、音をたてて鱗が
落ちた。

これらの方々が、イケバナの芽をもって母国に帰り、それぞれの母国語で説明し
ながら日本のイケバナを飾ってくれると嬉しい。日本人の深い「ぬくもり」を
知ってくれるかもしれない。

★「ホームページ」
1999年、私は教室のホームページを開設した
(http://www.hbs.ne.jp/home/suzuki)
生徒の様子、作品などをデジカメ撮影し、面白がってホームページにあげると、
予期しなかった反応が色々あった。生徒の顔写真をあげると、その生徒は、友人
にどこからでも見てもらえると喜ぶ。特に海外からの生徒は、母国の親戚や友人
に自分の近況を知らせることになり、また、自作のイケバナ作品を見てもらって
鼻を高くする。

私も生徒の表情を、なるべく美しく撮るように、角度や笑い方に注文をつける。
モデルよろしく、にこやかにポーズをとる生徒もでてきた。「美人揃いの教室で
すね」と、よく言われる。「ハイ、入門希望者には面接試験するのです」と冗談
めかして答えるが、実は私も内心、粒揃いの生徒たちだと思っている。読者の皆
様はいかが思われるだろう
(http://www.hbs.ne.jp/home/suzuki/6class.htm)

立体のイケバナ作品をホームページ用に平面の写真にすると、必ずしも満足でき
ないことがある。そんな時、私はパソコンの画像処理プログラムで、写真作品の
枝を切ったり花弁を加えたりして、画面上のバランスを取り、ここだけの話だが、
それを生徒の作品としてホームページにあげる。多分、作者も手直しに気づいて
いないだろう。

写真というと、私たち自慢のクラスカレンダー2004年度が出来上がってきた。
来年で5年目になるが、毎年、12人の生徒に好きな月を担当してもらい、1年か
けてその月に合う作品を写真撮影してもらう。それらを月別卓上カレンダーに印
刷するのである。表紙には、参加者の笑顔の写真を並べる。

参加生徒は、毎年の同月に同じ花の作品を撮影する者、1年参加して音を上げる
者、照明を持ち込み撮影にこだわる者など、色々である。大半の参加者は日本人
であるが、外国人生徒の中にも、出来上がりカレンダーを見ると、翌年用参加者
募集に物怖じせず手を挙げる者、陰でそっと参加したいと言ってくる者、勧める
と喜んで参加すると言う者など、国籍、経験の多少に関わらず多種多様である。
(ご参考までに、2003年分は
http://www.hbs.ne.jp/home/suzuki/15mini-e.htm
でご覧いただける)

★「インターネットで繋がる」
母国から遊びにきている友人を一回だけ受講させてくれと教室に連れてくること
は頻繁にあるが、あるとき、こんなこともあった。シンガポールの女性から、何
ヶ月か先のことだが、いついつの2時に行くので受講させてもらえるかとe-mail
がきた。私のホームページを見て連絡してきたという。どうぞ、どうぞとこちら
の電話番号、携帯番号、地図、すべて書いて返事した。しかし、その日が近づい
ても、その後の連絡は何もない。場所はわかるかしらと気になりながら当日にな
った。1時55分になっても電話もない。まわりの生徒に「もう来ませんよ。ラン
チに行きましょうよ」と誘われ、出かかった2時ちょうどに、それはかわいい女
性が現れた。ご主人が広島に出張になったので付いてきたと言う。e-mailでア
ポをとっているのだから、電話など思いもつかなかったのかもしれない。

彼女は、この夏も「先ほど広島空港についたので」と、教室に顔をみせてくれた。
現在スイスに住んでいるが、夏期休暇でシンガポールの実家に帰省中。妹と日本
に遊びに来たが、木曜なら私に会えるかと思ったので広島に寄ったと言う。何で
もご主人は航空会社勤務だそうで、アジアの国々は彼女にとっては国内同様なの
かもしれない。

帰国した生徒が、スーザンのように、現地の花で制作した自作イケバナ作品の画
像をe-mailしてくることも多い。私は、それらをホームページにあげたり、コメ
ントを送ったり、相手の要望に応じる。家族の写真が送られてくると印刷して、
翌週、教室で披露する。楽しい、嬉しいニュースが伝えられると、ホームページ
のお知らせ欄に書き込む。帰国後、再来日して教室を訪ねてくれる方の写真もあ
げる。「ホームページで懐かしい顔を見た」と連絡がはいると、それも書いてし
まう。

世界中、異なる国に帰国しても、私のホームページをキーステーションに、誰も
がいつまでも繋がっていることができる。もはや、帰国時の別離も「じゃあね」
と軽く手を振れるようになった。

★「大阪でイケバナ教室開講」
今年の夏、私のホームページを見たJTB東京さんから連絡をいただいた。広島に
来る外国人観光客に、イケバナのレッスンをしてもらえるかという内容だった。
もちろん! 即答した。一件落着後、JTBの人材バンクに私を登録していいかと
聞かれ、これも面白そうなので承知した。

かくて、私は先月から大阪駅前のJTBカルチャーサロンで「英語でイケバナ」と
いうクラスを開講するに至った(http://www.jtb.co.jp/salon/side.html 
電話06-6348-1450)。まもなく第2期、1月開講の詳細が決まる。

「英語でイケバナ」のクラスを、どのように展開させるかは、これからである。
開講20年間には数え切れない多くの方々が、イケバナの芽をもって世界中に去
った。今度は、その芽を開花させる手伝いができたら楽しそう。彼女たちの国を
訪ね、その地の花を使ってプチ花展やワークショップを開催すればどうかしら。
これは、私一人の力ではできない。広島、大阪教室の皆に呼びかけて、参加した
い人が力を合わせ、旅行に関してはJTBさんに力を発揮してもらって。

その日のために、イケバナ技術も英語も磨いておこう。誰もが、家元みたいに
上手にいけられなくていい。イケバナの奥にある「ぬくもり」に気付き、植物
の見つめ方と扱い方を知っていれば、あとは現地の方々と一緒にワークするのだ。
ハサミ1本で民間外交官になれるって、楽しいではないか。私のホームページは、
ますます、花で繋がる笑顔が増えることになるだろう。

(小原流いけばな一級家元教授)

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リレー・メッセージ 第57回 2003.10.15 寺田心平さん(平7年総合)

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 ■レストランの楽しみ方

 ちょっと前まで小さな劇場でロングランを続けていた作品で、「ディナーラッ
シュ」という映画があった。NYのあるレストランで一晩の間に起こる出来事や
人間模様を、様々な角度や人物の視点から描いた作品である。オーナーとシェフ
である息子の葛藤、乗っ取りを企むマフィア、女性のレストラン評論家とシェフ
の関係、ひねくれた客、スタッフの恋愛、飲食業の様々な側面が凝縮されている。

 客やスタッフなど毎日多くの人間が関わって成り立っているレストランでは、
映画のとおり日々色々なことが起きていて、まさに劇場そのものだ。会員の方に
は飲食業に携わる方もおられることと思うが、そうでない方もそうした舞台の裏
側にちょっと目を向けてみると、これまでと違った視点でレストランが見えてく
るかもしれない。思いもかけずレストラン経営に携わるようになってすでに4年
半、私も色々なことを見て、そして楽しんできた。そうしたレストランならでは
の楽しみ方をお伝えできればと思う。

【人、人、人…….】

 労働集約型産業であり、かつ不特定多数を相手に商売する飲食業では、「人」
がとても大事な要素であり、同時に最大の楽しみな部分である。レストランに入
ってみたら私はまず人を見て、人と話してその店の空気を感じる。レストランの
マネージャーやシェフ、社員やアルバイトなどお店に関わる人の動き方、スタッ
フどうしのコミュニケーション、あるいは店にいる常連達、それらを観察するだ
けでお店について多くのことを学ぶことができるはずだ。そしてあまり人間性を
感じない店やいい加減なことをする店には、一度行くだけでほとんど戻ることが
ない。

 レストランを経営する側からしてみると、「人」の問題はビジネスを決定する
最大の要素でもあり、頭痛の種でもある。サービス業界では絶対的な人材不足が
続いており、最近話題の施設に開業した某ホテルのように良い人材は1年単位で
早くから給料を払って囲い込んだり、あるいはあるホテルのように「紳士淑女が
紳士淑女に奉仕する」などと悠長なことを言っている場合ではなく、サービスが
犠牲になるのを承知で未経験者をトレーニングしながら使っていったりすること
になる。流動性が特に高い飲食業界ではビジネスの悩みの8割は人の問題だと言
っても過言でないほど日常的な問題である。

 即戦力がほしいのは事実だが、私の会社でも人を雇うときのポリシーはやはり
性格ありきだ。基本的な技術やワインの知識などは教えればできるが、性格だけ
は教えて変わるものではない。(変わったらと思うことがあるのも事実だけれど) 
人材不足の中ではそうやって性格がよく忠誠心の強いスタッフを育てていくしか
ない場合もある。日本でフリーターが増えているのは飲食業界にとって良い傾向
であると思うが、接客という心理学的・統計学的・生物学的に非常に微妙でテク
ニックのいる仕事は教えれば誰にでもできるものではなく、ホスピタリティとい
う素質と独特のテクニックを必要とする1つの専門職なのだ。

 そういう意味では、飲食業という職業も一昔前とは異なり欧米のように1つの
職業として徐々に確立されてきているようである。ある小学生以下の子供を対象
とした「将来なりたい職業」の調査では、10年前には10位にも入っていなかっ
た「食べ物屋さん」が、2002年ランキングの女子で1位、男子でも「学者・博
士」「サッカー選手」「野球選手」に続く4位に上がったのだという。ご存知の
方も多いと思うがグローバル・ダイニングなどの会社が飲食業に能力主義を持ち
込んだりして以来、飲食業の地位というのが飛躍的に向上してきたのも事実であ
る。流行っているお店で見てみると、やはり目が活きている人が多いことに気づ
いたりする。

【あなたにとってレストランとは?】

 厚生省の調査によれば、20歳〜40歳代までの男性のうち3割以上がほぼ毎日
1回以上は外食をしており、レストランが人々の生活の中に占める割合はどんど
ん高まっている。そうしたなかで、ランチなら1時間、ディナーなら2時間とし
ても、1日の活動時間のうちかなりの部分をレストランで過ごすわけで、生きて
いる間じゅう週に1回外食するとしても、人生80年ならそのうち1年はレストラ
ンで過ごすことになる。そう考えるとレストランの選び方にもついつい力が入っ
てしまうというもの。

 会員の皆さんは食事する場所を選ぶときに、どういう基準で選んでいますか? 
それぞれ意識するとしないとに関わらず、自分なりに快適な場所選びの基準とい
うものがあると思うけれど、私がお店を選ぶ基準は大きく言えば「顔が見えるこ
と」と「バリュー」の2つであり、これはそのまま私の経営するお店のコンセプ
トでもある。

 「顔が見える」というのは、やっている人の個性が出ているかどうか。人の問
題はすでに述べたが、レストランとして大事な料理、内装、細かいディテールな
ど、そこにお店に携わる人たちのメッセージや気持ちがどれぐらいこもっている
かを見る。その結果自分が行く店は、やはり大きい会社組織が無機質にやる店よ
りも、多少クセはあっても個人がやるお店になってくる。
 また「バリュー」というのは価格に見合った価値があるかどうかということ。
単に値段が安ければいいというのでなく、高いなら高いなりに、安いなら安いな
りに満足感があるかどうか。最近の大型商業施設にあるお店は、あまりにも価格
と内容が釣り合っていないケースが多くガッカリする場合が多々あるし、そうか
と思えば町中の定食屋さんで食べる数百円の食事とおばちゃんの絶妙な接客術に、
この上ない満足感を感じて帰ることもあるわけなのだ。

 飲食業というのは見た目の華やかさと違い、難しい商売である。いざお店を開
こうと思ったら、決めねばならないことはたくさんある。どんな業態をやりたい
のか、どんな立地を選ぶか(どんなエリアか、表通りか裏通りか、1Fか地下か
など)、どんなフードとドリンクを出すのか、それらをいくらで売るのか、内装
はどうするか、店内に飾る物や使う備品、印刷物、全てのもの1つ1つにオーナ
ーのポリシーと哲学が詰まっている。それらが完璧にそろっていれば申し分ない
が、現実的にそういう店をやるのは容易なことではない。ただせっかく美味しい
のにサービスがひどくてもったいないと思わせるケースもあれば、食事は普通で
も居心地のよさから通ってしまうお店、そんなところもあるはずだ。またサービ
スが悪くても逆に冷たいオヤジさんの仕打ちが味になったりするケースもあるの
でよくわからないが、要は全体の中でその店独特のバランスがとれていれば、そ
れがリピーターを作っていく。それは店によって違うし、その違いを見てみるの
も楽しみの1つだ。

 また会社によっては、セールスに重点を置いているところも多い。レストラン
という商売はいかに原価を下げて売上高を確保するかというのがポイントになっ
てくるが、そのあたりをおさえてスタッフやメニューを眺めていると、お店の個
性が見えてくる。ドリンクやデザートの勧め方などもそうだし、グループ向けの
パーティーメニュー、またミネラルウォーターなどのセールスもお店としての考
え方やセールストレーニングの程度を判断する上では重要な情報だ。ただあまり
裏を読み過ぎるのも問題かもしれない。前菜とメインを決まった数品の中から選
べるプリフィクスメニューで原価が高いものを選ぼうとしたり、ひねくれてきて
しまったりすることもあるのだ……

【新しいお店】

 このたび慶應幼稚舎の近く、広尾で新しいお店を開ける準備を進めている。
もともと天王洲で「ティー・ワイ・ハーバー」という運河沿いでビールを造って
いるお店を経営しているが、そこでは運河が多い「水の都」東京で、飲食を通じ
て水に親しめる数少ない空間を提供してきた。270席以上ある大きな店舗である
が、大きいなりにいちおう「顔」が見えているかな、と思っている。広尾のお店
はまったく新しいコンセプトの2号店で、スペイン・モロッコ・イタリアなどの
地中海沿岸をテーマに、暖かい雰囲気で友達と気軽に飲み、食べ、語り合えるそ
んな場所を目指している。自分たちが行きたくなるような、日常的に使えるお店
にするのが目標だ。

 人気のある個人店が誘われるまま商業施設などに出店して失敗したり、あるい
は突然拡大路線をとって「昔はいい店だったのに」と言われてしまったりするケ
ースがあるが、私の会社はただのレストラン会社でもなくビール会社でもない、
小さくても光る会社にしたいと思っている。天王洲のお店などすでにご存知の方
もおられると思うが、一度見ていただき私なりの「楽しみ方」を感じていただけ
れば光栄です。

平成7年総合政策 寺田心平

広尾 新店舗オープン 9月24日
■店名:HP: CICADA
■住所: 東京都港区南麻布5−2−40
■電話: 03−5447−5522

天王洲 HP:「ティー・ワイ・ハーバー


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リレー・メッセージ 第56回 2003.9.16 笹田豊茂さん(昭31経)

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「体育会端艇部:全日本大学選手権(インカレ)で優勝・・・観戦記ほか。」

 2003年8月24日、埼玉県戸田コースで行われたボート競技の「全日本大
学選手権(インターカレッジ)」で、最終レースつまり大会の華「エイト」で、
わが慶応クルーが見事優勝しました。9年目の栄冠です。
「エイト」と言ってもおなじみでない方のために簡単にご説明しますと、エイト
は8人漕ぎで、それに舵手が乗りますので合計9名のクルーです。テムズ河での
有名なケンブリッジvsオクスフォードの対校レースなどもエイトが主役です。

 今回も戸田コース2000mで争われ、最初のスタートダッシュから飛び出し
た慶応クルーが終始他校を抑えて力漕し、約一挺身差の6分17秒でゴールイン
し晴の栄冠を手にしました。以下中央大学、東北大学、日本大学という順位にな
りました。なお、舵手つきのフォア(四人漕ぎ)も、東京経済大学に続き準優勝
となったのも立派な成果です。

 今年4月の早慶レガッタでは早稲田に二連敗の苦杯を喫しただけに、今回の優
勝には現役、OB共に快哉を叫んだ次第。特に塾端艇部(ボート部)の場合も、
一部大学に見られる高校の優秀選手を集めると言う手段が思うように行かず、塾
高、志木高を中心に、外部高校からの入部者も加えて地道に鍛え上げた成果です
ので、部員ならびに監督・コーチ諸兄に心から拍手を送りたいのです。
 同時に全国の高校生の中には、心身とも健全で尚且つスポーツを愛する学生が
沢山いるはずですから、こうした学生を慶応に多く迎え入れたいものです。これ
は体育会各部共通の願いであろうと思います。

以下に雑感を二つ三つ述べます。

1. 昔、と言っても戦後数十年つまり昭和が終わる頃までは、日本のボート競技
は学生スポーツの独壇場でした。つまり社会人のボートなどと言うのはほとんど
存在しなかった。だから全日本選手権イコール全日本大学選手権であり、常に大
学が優勝した。いわく東大、一ツ橋、早稲田、慶応が常に中心にあって、優勝を
競いあった。ご参考までに言うと、東大は野球が弱いから他のスポーツすべてが
弱いと判断しがちだが、ボートは例外で大変な歴史を持っている。全日本優勝の
最多校は東大であった(現時点でもそうだと思うが定かではない)。なぜ東大の
ボートが強かったのだろうか。良く分からないが、私は伝統の力だと思う。東大
クルーは強くなければならないと言う部員の自覚が自らを強くする。これは慶応
も同じだ。早稲田も然り。つまり明治、大正、昭和から平成の時代まで、東商早
慶の伝統四大学が日本のボート界をリードしてきたと言っても宜しいでしょう。
他の大学は異論を唱えるでしょうが、ここはインターネット三田会記載と言うこ
とでご勘弁いただきたい。

2. そんなことで私ども戦後世代は、何かというと早慶戦と全日本に勝つことを
至上命題とした。しかし時代は移り、平成に入ると社会人ボートが俄然強くなっ
てきた。そしてついに近年は、全日本エイトの優勝栄冠を社会人クルーが獲得す
るようになった。いわくNTT,トヨタ、東洋レーヨン、明治生命、等々の著名
大企業の強豪クルーである。こうなると選手の漕歴、体格、強化資金など、どれ
をとっても大学は歯が立たない・・・ラグビーと同様。だから私は個人的に、大
学クルーは対校レースかインカレのどちらかに勝てば充分と考えたい・・・つま
り社会人を加えた全日本に重きを置く必要はないと。慶応で言えば、早慶レガッ
タに勝つことがそれだけで貴重な経験であり名誉である。インカレで勝てば更な
る名誉といえよう。プロで無く学生スポーツという原則に立てば、学業のことも
あり当然と考えるものです。早慶戦に勝つこと自体が大変なことです。

3. 今回インカレの応援に出かけて観客の多いのには驚かされた。炎天下でもあ
り屋根付の観覧スタンドで見ようと遅めに出かけたら考えが甘かった。既に超満
員であり、その数倍にもなろうという人達が、芝生の上に延々と広がっていた。
学生も多いが、子ずれの家族観客もずいぶんと多い。いつ頃からこんなに観客が
増えたのだろうか? めったに応援に行かなかった自分の認識不足かも。

4. 各大学の応援指導部の面々も駆けつけて応援に熱を上げていた。彼らの応援
振りを見るのは本当に楽しい。他方、男子学生の炎天下での詰襟制服姿での全身
応援には、彼らも大変だろうなと同情した。暑かろうと思うが、若い時はそんな
に感じないのかな? 老婆心ながら盛夏応援用のシャツ制服でも作ったらどうか
と提案したくなるが、応援指導部なりの拘りがあるのでしょう。応援指導部生活
も人間形成には大いに役立つだろうなと思う。

5. チアガールの応援といえば、春に行われた東大・一ツ橋大の対校レガッタを
観戦した時の、一ツ橋のチアガールリーダーの大活躍ぶりには大変感服したのを
思い出す。名だたるOB諸氏から学生まで大勢を端から端までを統率し、声をか
らして応援に駆り立てていたのは圧巻だった。その所為ではないでしょうが、一
橋大が対抗戦五連覇という偉業を成し遂げ、更に連勝を伸ばそうという意気込み
が伝わってくる。ボートの名門一橋大学の復活ここに在りというところか。かっ
て東大の連勝が続いていたのを考えると、ここ数年の東大が鳴かず飛ばずなのは
どうしたことか、気になるところ。

6.昔はなかったが、最近のレガッタでの優勝クルーは「Victory Row」と称して
スタンドの前を校歌演奏の下で漕いでゆく。これは良いことと思う。地味なスポ
ーツだから勝った時くらいは、この程度の華やかさを演出するのは良いと思う。
高校野球などでは長打を放ったりすると塁上でやたらにガッツポーズをとりたが
るが、こういうのは私の好みではない・・・時代も変わったから少し位は良いか
なとも思いますが。 ボートのルーツである英国ケンブリッジ大学の名コーチ:
スティーブ・フェアバーン氏が著書の最後に書いている「レースが終わった時、
もし君が勝ったのであれば、負けたクルーの心を察して欲しい。また、もし君が
負けたのであれば、自分がベストを尽くしたことを喜んで欲しい」と。 学生ス
ポーツは、こうした美学を内に秘めて欲しいものである。

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リレー・メッセージ 第55回 2003.6.15 

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『タイ國の特性観察』   所澤 さやかさん (平9総合)
 
 タイにも他の東南アジアの国と同じように、沢山の中国人が移民している。
しかし、ここでは世界的に例を見ないほどに中国人が完全にタイ人に同化し、
タイ語を話し、タイの名前を持ち、タイ人と同じようなものの考え方をして
いる。これはタイが大変うま〜く外国人を取り込んできた一つの例かもしれ
ない。

日本でタイ留学生のお世話をしていたとき、1人の学生が悩みをぶつけてきた。

「ボク、引っ越したいんです。一緒の寮に住んでる中国人や台湾人が嫌いな
んです。食べ物の捨て方も汚いし。」

「でもさ、タイにだって沢山華僑はいるじゃない、どうしてここではだめな
の?」

「そ...それは...ボクも実は中国人なんですが...違うんです!とにかくボクたち
とは違うんです!」

 本当は両親とも中国人の彼が「自分はタイ人だ」「中国人は嫌いだ!」な
んていうとは、いかにタイで華僑が「タイ人化」しているかわかる。隣国マ
レーシアで人口の約6割を占めるマレー系と3割弱の中華系、1割弱のインド
系が完全に分離し、別世界をつくっているのとは全く違う。

 タイでは実に色々な国の人を見かける。外国人を歓迎してはくれるが、彼
らは絶対に自分のペースを乱さない。断固対決する、というよりはのらーり
くらーりしている間に気がつけば結果的にむこうのいいようになっているこ
とが多い。

 東南アジアでこの国だけが植民地支配されなかった理由は、偶然だけでは
片付けられそうにないのだ。 実際、列強の植民地化の時代に領土の一部を先
んじて割譲してごまかしたり、近代化のためにと招聘した外国人アドバイザ
ーについても、1つの国に偏ることのないよう気を配り、お互いにタイに貢
献させようと競争させるなど、その外交手腕は実に見事。

 また日本の植民地化政策を逃れるために日本と同盟を結び、英米に宣戦布
告。しかし戦後には「あれは無効だった」と主張し、何故か「戦勝記念塔」
まで建ててしまった。敗戦国と戦勝国ではその後の展開に雲泥の差があるこ
とを重々知っていたわけだ。

 変わり身の速さは天下一品。仕事で「え、この間ああいったのに!」「い
つのまに決定が変わっていたの?」ということはタイで仕事をした人なら何
度も経験しているだろう。でも、それがこの国のしなやかさを生んでいるの
かもしれない。

●所澤さんはバンコックでお仕事をされています。ご自分のホーム・ページ
を発信して、バンコックのグルメとショッピングガイド、タイ七不思議、
タイの豆知識などの情報を発信しておられます。
 今回のご寄稿の『タイトル』は編集者が付けさせて頂きました。

所澤さんの個人ホームページ

お仕事先 アジア教育振興NPO SEED

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リレー・メッセージ 第54回 2003.5.14 
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『永井荷風と小泉信三』  宮川 幸雄さん 昭42法律

 永井荷風が文化勲章を受章したのは昭和27年、荷風73歳の時である。世
評では受章を辞退するのではないかといわれたが、あっさり文部省からの連絡
に受諾の返事をした。着用するモーニングコートも無く、中央公論社社長嶋中
鵬二氏のものを借りて皇居に向かったという逸話が残っている。一方、小泉信
三が文化勲章を受章したのは昭和34年、信三74歳で当時の皇太子殿下御教
育参与として、ご成婚での重責を果たした年でもあった。結局、この三田が生
んだ巨人同士が晴れの舞台で遭遇することはなかった。もし二人が同時に受章
したら、いったい、どのような会話を交わしただろうかという想像が、この小
文の起点である。

 久保田万太郎が死去して、その全著作権が慶應義塾に寄付された。その基金
をもって慶應義塾大学連続講座「詩学」が昭和39年に開設された。翌年の昭
和40年に小泉信三は四人目の講師を引き受け、文芸談を試みた。この時、私
は学部3年生で幸いにして聴講する機会があった。この講座は10月18日に
始まり翌年1月24日まで、毎週月曜日午後一時より二時五十分に行われ9回
にわたった。現在この時の講義録は講談社文芸文庫に「わが文芸談」という書
名で所収され読むことが出来る。ここで小泉信三は「永井荷風」を取り上げて
いるが、あくまでも三田文学との関連で述べていて、鴎外、漱石、露伴のよう
に一章を構える内容にはなっていない。しかもかなり荷風に対しては批判的で、
学生たちに薦める作家としては取り上げていなかった。当時の講義風景を思い
出しながら、「わが文芸談」から「永井荷風」の興味ある箇所を抜書きすると
次の通りである。

 「(フランスで勤務していた荷風が)正金銀行のリヨン支店に転任させても
らうのです。荷風は非常に喜んで転任するわけですが、そこで勤まらないので
す。そのときの支店長が後に私に、永井君はいくら帳面をつけても帳面が合わ
ないと言っておりました。」
「永井は後にデカダンというか、頽廃的な、しまいには精神異常者みたいにな
りましたが、その時分は几帳面に講義のノートを作ってきまして、フランス文
学について学究的な話をしました。その講義を聞いてずいぶん得るところがあ
りました。」
「永井荷風は前に申しましたように慶應義塾から招聘されて『三田文学』の主
幹となりましたが、結局、大学教授たるには適さない人だったんです。一時は
まじめに勉強して講義をやったようでありますが、大学の教授というような拘
束の多い生活や仕事には、向かない。耐えられない人である。彼れは道楽者、
放蕩児でありますから、大学教授という仕事には、いまはどうか知りませんが、
その時分は明らかに適さなかった。」

 永井荷風が慶應義塾に森鴎外、上田敏の推挽で招聘されたのは明治43年で
ある。慶應義塾は大学令施行前の学制だったので大学は「大学部」と称してい
た。荷風の肩書きは「大学部文科教授 永井壮吉」で文学評論、フランス文学、
フランス語を担当し、三田文学編集主幹を兼務した。同じ年、偶然のことなの
か、それとも二人の出会いの不思議さなのか小泉信三も大学部政治科を卒業し、
慶應義塾大学部教員として採用された。「塾の方では、採用したものの、隅々
私にやらせる仕事がないというので、一年間ただ月給をくれて遊ばせてくれた。
」と当時を小泉信三は述懐している。そしてこの自由な時間を使い、小泉信三
は永井壮吉教授の講義を文科の学生より熱心に聴いたのである。

 平成13年に慶應義塾大学出版会から「青年小泉信三の日記」が出た。明治
44年から大正4年までの日記で、昭和40年代に刊行された「小泉信三全集」
(文藝春秋社)には入っていないものである。この日記の前半、「明治44年
の日記」「明治45年の日記」を読むと、「永井さん」「永井さん」と連日の
ように永井荷風が登場し、さながら「永井荷風熱中日記」になっているのであ
る。例えば明治44年7月8日の項では永井荷風の小伝を写している。雑誌「
新潮」明治43年1月号に掲載されているもので、15行にも及ぶ長文である。
さすがにご本人も照れくさくなったとみえて「これを写してからつまらないこ
とをしたと思った。」と告白している。更に極め付きは明治44年5月24日
の項である。この日、永井荷風を初めて三田山上ヴィッカース・ホールでの「
例の会」に招き、その会合を終えた後、「永井さんについて色々感じた事はあ
るけれどもとても書けない。」とあって、その前後に削除されている文言があ
る。「青年小泉信三の日記」はその巻末の本文注記で、以下のように前後の削
られた文章を浮かび上がらせている。

 「永井さんは上品な優しい、しかし強い所のある、そして或意味に於いて賢
い人だ。そしてその底を『あきらめ』の心が流れている。何だかこの人は自分
が小供の時にどこかで見た事のあるような気がする。物の云いよう、色々の表
情も自分には『初めてのもの』ではないようだ。」
「自分は人に好かれたいとは思わない。少なくとも世上一般の男に好かれよう
とは思わない。しかし、永井さんだけは取り除けだ。」

 この日記の削除は一体、いつ行われたのか。当然のことながらその注記には、
それ以上の説明は無い。しかしこの削除こそ小泉信三が永井荷風への傾倒から
批判へと変わっていった道筋と思われるのである。若き日の考えが、いつまで
も続くものでもない。ましてや人との交際に永遠の持続というものはあり得な
い。人間関係は切断して、観察すれば一瞬のこと、一時的なものである。小泉
信三にとって永井荷風への心服から、認めることの出来ない人物に変化したこ
とは人の常である。更に言えば永井荷風は毀誉褒貶の人である。そこには何の
不思議もない。たまたま偶然に空襲で焼け残った小泉信三の若き日の日記が刊
行されて、小泉信三の落差のある永井荷風像を捉えることが出来たのは、幸い
とすべきことである。

 明治45年5月に小泉信三は慶應義塾より経済学研究のためイギリス及びド
イツへ三ヵ年留学を命ぜられる。留学から帰国し、大正5年4月に慶應義塾大
学部教授に就任した。小泉信三の帰国、教授就任を待っていたかのようにその
翌月、永井荷風は慶應義塾大学部文科教授を辞し、「三田文学」の編集からも
退くのである。そして作家生活に専念し、昭和34年まで書き続けられる長い日
記「断腸亭日乗」はその翌年、大正6年9月16日より書き始められる。この「
断腸亭日乗」に小泉信三は一度だけ登場する。「断腸亭日記巻之五大正十年歳
次辛酉 荷風年四十三 十二月二九日。慶應義塾教授小泉沢木の二氏、小山内
氏と余とを八丁堀の偕楽園に招飲す。余腹痛あり。酔を成す能はず。」文中の
「沢木」は荷風の後任「三田文学」編集主幹となった文科教授・沢木四方吉、
「小山内氏」とは文科教授で劇作家でもある小山内薫のことである。
 両極端な生き方をした二人の関係の余韻を残す記述と言って良い。
   

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リレー・メッセージ 第53回 2003.4.15 

「昭和16年夏の敗戦」…現実の「数字」から学ぶべきこと 

 田坂 裕人さん s41経  

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最近、道路公団の民営化論議で活躍している作家の猪瀬直樹さんの著作のひと
つに、「昭和16年夏の敗戦」がある。約20年前に書かれたものだが、今日
的な意味もあり、是非一読をお薦めしたい。

昭和16年夏と言えば、日本が未だ米英に宣戦布告する数ヶ月前だが、開戦前
に「敗戦」していたとは一体どういうことかと訝る読者も多いことだろう。昭
和16年夏、当時の内閣部内に、若手の官僚、軍部、民間人等三十数名の頭脳
を集めた「総力戦研究所」なる研究機関が設けられ、「日米もし相戦わば…」
のシュミレーションが行われた。資料を元にした討議の結果は、「戦争となれ
ば日本に勝ち目は無い。従って対米英との衝突は避けるべきだ…」となったの
だが、時の政府は、この意見を容れること無く、戦争に突入して行く。

「昭和16年夏の敗戦」は、この間の事情を当時の資料と関係者の証言を元に
再構築している。何故、時の政府は、事前のシュミレーションを重ねながら、
開戦に踏み切ったのであろうか。一口で言えば、現実を直視しない、また、資
料を改竄してまでも開戦に踏み出す当時の日本全体を覆う狂気にあったと見る
べきなのだろう。当時の日米の工業力、軍事力を比較すれば、まともな感覚で
は、総力戦に勝利することは不可能であったが、軍部と官僚は、数字の読み替
えで、日本の戦力は十分維持できる、工業力、造船力は戦争に突入しても何年
かは維持出来る、と結論付けている。楽観的と言えば聞こえは良いが、国家の
命運が掛かっている時に、この楽観と数字の読み替えは致命的であった。勝算
の無いまま開始された日米戦は、4年後の日本の全面降伏へと繋がることとな
った。

道路公団の問題も、「昭和16年夏の敗戦」と極めて似た様な話ではないか。
我々は50数年前の教訓から何ら学ぶことも無く、数字の操作を繰り返して、
再び「敗戦」を迎えようとしている。一日の交通量を水増し予測して、その建
設を促進しても、現実の数字はすぐその後から追いかけてくる。この様な話が
いつまでも続く訳が無い。今から考えると、四国と本州に連絡橋が3本も必要
はなかったが、当時は全ての橋で採算が取れると試算されて、建設が促進され
ることとなったのである。そして、地元の利害、政治家・官僚・業者の癒着が
あり、公共投資は続けられている。

道路問題に限らず、昨今のもろもろの「数字」を聞くと暗澹たる気持ちになる
のは、私だけではないだろう。道路はこのまま作り続けて良いのか。郵便貯金、
年金問題の将来、医療費の問題、国の借金の額は一体どこまで増え続けるのか。
多くの場合には、確かな「数字」が提示されているにも拘わらず、余りに天文
学的数字である為に恰も他人ごとの様に思えてくる。自分達の世代、子と孫の
世代の問題でもあるのに、我々が現実を直視しようとしないのは一体どうした
ことであろうか。

50数年前に誤りを犯したように、「先ず結論ありき」であってはならないと
思う。現在は、現実の「数字」を元にした、冷静な判断が求められていること
は明らかであり、あらゆる意味で、日本の「構造改革」が求められていること
も事実である様に思う。
現実の「数字」を読み替えてはならない。また改竄してはならない。
「昭和16年…」の歴史が、我々に確かな警鐘を鳴らし続けている。


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リレー・メッセージ 第52回 2003.2.15 

最近の中国の身近な話題 松原陽一さん (昭44・工) 
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 香港に来て3年半が過ぎました。
中国に出張の機会が多いこともあり最近の中国事情を報告致します。
日本の新聞を読 んでいると中国ビジネスについては記事が出ていない日はな
いほどホットな話題とな っており、上海を始め経済特区の目覚ましい発展ぶ
りが報告されています。ここでは華やかな経済事情ではなく、身近な話題を
お話します。

1)交通事情

 中国と言えば自転車というイメージを持っている方も多いと思います。日
本に比べる と確かに多いですが北京、上海なでの大都市では以前と比べると
随分少なくなりました。二階建てバスの導入や地下鉄の路線拡大で少しずつ
減ってきているのではないで しょうか。
 中国で一番注意しないといけないのは交差点を渡る時です。赤信号であっ
ても自動車 は常に右折可ですので、青だと安心して横断しているとあやうく
ひかれそうになった ことが何回かあります。
 日本のように人優先ではなく、車優先です。車は止まらないと思った方が
安全です。 現地の人に車の運転手と目を合わせてはいけないと、言われまし
た。目があうと相手 は止まってくれると思い、そのまま突っ込んでくるとの
こと。悠然とひくならひけと いった感じでゆっくり歩くのが良いとのことで
すが、私はどうしても走ってしまいます。

 街中のタクシーはボルことはありませんが、空港(特に北京空港)のタク
シーは注意 しないとふっかけられます。特に白タクには注意が必要で、日本
人とわかると片言の 日本語でしつこく誘ってきます。空港から60元くらいの
ところで300元とられた人も います。普通のタクシーでもメーターを隠し、
いいかげんな値段を言う運転手もいま す。メータに値段が表示されていても、
空港で客待ちに4時間かかったので余分によ こせといわれることも度々です。

 運転も結構乱暴で乗っていてひやひやの連続という場合が多いです。少し
でも隙間が あるとさーっと入りこむ車も多く、交通道徳と言う言葉は中国に
は存在せず、早い物 勝ちがルールです。スピードもなかなかのもので、市中
でも80-100キロで飛ばしま す。笑い話ですが日本のご婦人がタクシーに乗り、
あまりのスピードに思わず”怖 い、怖い”と言ったら運転手はさらにスピード
をあげたとのことです。中国語では早くを”快”と書きますが、この発音が
”クワイ”で”怖い”が”快”に 聞こえたためです。(中国でタクシーに乗る
機会があれば、一度試して下さい)

 北京、上海のタクシーは、ホテルと同じく星級ランク付けがあり無印から
1,2,3星と あります。5星もあるようですが、残念ながら乗ったことはありま
せん。星の数が増 えるほど、道を良く知っているとのことです。運転マナー
も良いとのことですが私は あまり変わらないような気がしました。

2)トイレ事情

 トイレについては皆さんも大に扉がないとか仕切がないとかいろいろ聞いて
いること と思います。これは事実です。もちろん北京や上海の大都市ではお目
にかかったことはありません が、少し地方に行くと本当です。私も天津に行っ
たとき公衆トイレに入りましたが、暗がりでじっとしゃがんでいる人 と目が合
ってビックリしたことがあります。
 ホテルのトイレは全く問題ありませんが、大きなレストランでもトイレはひ
どいとこ ろがあります。足の踏み場がないくらい糞尿が溢れていおり、つま先
立ちしてやっと 用をたしたこともあります。西洋トイレの台座はこの上に乗る
人が多く、汚れており どうすればいいのか、まったく困ります。なぜ中国の人
達はこんなところで用をたせ るのか不思議です。水洗であっても水の流れが悪
いので、紙は流さず、そばに置いて あるバケツに捨てるのがルールです。これ
をやらないと、溢れてしまいます。
 中国を回っていて一番気をつかうのがトイレです。お腹をこわさないよう注
意する事 が大切です。(生水、生ものはもちろん、水割の氷にも注意。包丁で
切った果物は食 べない等等。)

 中国はどんどん発展しており新しい建物も沢山できていますが、一般の生活
はなかな か変わりません。何かきっかけがないと、この状況は続くのではない
でしょうか。

 ある国の文化レベルを見る指標として
1)道路を安心して歩けるか?
2)トイレは安心して入れるか?
3)タクシーに安心して乗れるか?
の3つがあると中国でしみじみ思いました。

以上

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リレー・メッセージ 第51回 2003.1.15 

 慶應チャペル 浜地道雄さん (昭40年経)

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 歴史的建造物である小学校舎の存続を巡って紛争の続く滋賀県豊郷町のことを
偶々インターネットで知りました。そこから手繰って、何と、慶應義塾につなが
りがあることを知り、びっくりしました。つまり、この豊郷小学校を設計したア
メリカ人建築家ヴォ−リスは実は慶應高校日吉グランドの隅にある
「YMCAチャペル」の設計者でもあるとのことです。

 サイトでその写真も見れます。ヴォ−リスの名前を継承してる(株)一粒社
ヴォーリズ建築事務所にて発見されたという古い青写真にChapel for Keio 
Gakuenという言葉や、YMCA Hiyoshidaiという字も見え、本当に心が和みます。
ご参照

 この宣教師として来日、建築家に転向、日本人と結婚して帰化したアメリカ人。
さて、どうしてヴォ−リスがこのチャペルの設計をするになったのか、是非、経
緯を知りたいものです。

 ヴォ−リス。何と心に響く名前でしょう。御茶ノ水から下がったところにある
御茶ノ水スクエア。そこは主婦の友社の跡を改築したコーナーで、カザルス・
ホールがあり、小さなヴォ−リス・ホールもあります。その前には近江兄弟社。
つまり、彼が創立したメンタムことメンソレータムという懐かしい薬の製造元で
す。

 豊郷小学校の写真をみながら二つの感動を思い出しました。
一つは、石川啄木が教員をしてた盛岡の渋民村の小学校。
もう一つはレノックス(小澤征爾さん指揮のタングルウッド音楽祭の拠点)近く
にあったシェイカー教徒の村の小学校。
どちらもそのシンプルさがゆえに美しいのです。そこで学習する(した)子供達
の姿を想像し、その人間の生き様に思いがいったものです。

 豊郷の小学校のことは知りませんでしたが、何とか保存して欲しいものです。
今の日本には必要な宝物です。マンハッタンは摩天楼の街ですが、そこここに
条例で厳然と残されている歴史的建造物が人々をほっとさせます。
街づくりの重要要素です。単なる懐古趣味の押し付けでなく、その「心」が大切
です。
 今流行の「おじいさんの古時計」は、アメリカ北東部、ニューイングランドに
ゆかりのこの曲。「古きを思う心」を子供らに是非残すというのは我々の重要な
責務でもあります。

 (豊郷小学校関連サイト)
その1
その2
その3

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●滋賀県豊郷町の小学校立て替えを巡る町長と住民の対立は、遂に町長リコール
の投票が3月に行なわれることになりました。この小学校の設計者ヴォ−リスが
日吉キャンパスのチャペルを設計したという、ご縁を浜地道雄さんがお知らせく
ださいました。 浜地さんご寄稿を有難うございました。
日吉へお出かけの折りにはお立寄りください。

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