『慶應はなぜ早稲田に勝てないのか?』
2002.12.01寄稿 小野 喜也 昭33経
今年の学生スポーツは例年にもまして、早稲田に負けた結果が目立ちます。
体育会各部のホームページを片端からアクセスすると、試合結果は11月末現在
では次のような状態ででした。
野球は春秋ともにストレート負け、ラグビーは対抗戦で74対5と叩きのめさ
れました。早慶レガッタの対抗エイトでは4艇身差で負け。テレビ中継のあるこ
のあたりまでの試合結果をご存じの方は多いかと思います。
現在、慶應義塾体育会には39部がありますが、早稲田に勝てなかった部がず
らりと並んでいます。
柔道は連敗中、剣道も負け、水泳(競泳)は早慶戦のページは空欄でしたが、
六大学対抗リーグ戦では早稲田優勝、慶應は5位(6位は東大)。テニスは男子
9ー0、女子7ー0の完全敗北。バスケットボールも男女共に敗退。バレーボー
ルも同じく男女敗退。レスリングは完敗。アメリカンフットボール零敗。ハンド
ボールも負け。ソフトテニス負け。合気道8対4の負けと●印が続きます。
早稲田に勝ったのは、弓術の125-120、洋弓の7166-6686、馬術の11-9、
サッカーの1-0の四つしか見当たりませんでした。射撃、ボクシング、フェンシ
ングは12月が早慶戦ということで、これから結果が出ます。
その他、ホームページは発信していても早慶戦についての掲載が無いのが、水
泳、器械体操、馬術、スキー、卓球、準硬式野球、重量挙、航空とあり、果たし
て早慶定期戦が現在あるのやらないのやらが判りません。
自動車は定期戦は掲載されていますが、試合結果が現れませんでした。
ホームページがあるはずなのに、アクセスしても画面の現れないのが、競走部、
ホッケー、スケート、ヨット、バトミントン、少林寺拳法で、ホームページの管
理をする部員を確保出来ないのでしょうか。ホームページが無いらしいのは、空
手、ゴルフ、拳法、山岳です。
これがインターネットから見た、慶應の体育会各部の今年の状態です。
体育会OBはご自分の出身部についてはご存じと思いますが、体育会全体がこ
のような状態にあることをご存じでしょうか? 私は柔道部出身ですが、今回の
ネットサーフで改めて調べてみて愕然たる思いです。
体育会出身ではない塾員の方々は、この様な状態にもあまり関心をお持ちでな
い方もおられるかも知れませんが、野球やラグビーの不振にはご不満の方も多い
事でしょう。
全体を見ると、入れ替えのあるリーグ制の競技では、1部に止まれず2部や3
部に低迷している種目も多く、早慶戦の戦績だけだはなく、慶應のスポーツが戦
前や戦後の栄光ある歴史とは程遠い状態に陥っていることは間違いありません。
このような変化は、経済成長に伴う人口の大都市集中、国民所得の向上、大学
進学率の増加などの社会変化を背景として、大学生総数の増加の中で起きて拡大
したものです。私どもが在学したころ、昭和30年代前半の慶應の学部塾生総数
は約1万名で体育会所属は2千名ほどでした。学部増加により現在の学部塾生総
数は2万7千名程度となりましたが、体育会所属は僅かに1千4百名程度です。
つまり、塾生総数の増加に反比例して体育会所属塾生というスポーツ競技人口が
激減しています。
問題は、早稲田と慶應とが、この時代環境の変化にどのように対応しているか
という点にあります。先日、早稲田の漕艇部の創部100周年記念行事の挨拶の
中で、早稲田大学前総長は「スポーツ振興を大学の方針としている。体育会の総
べての部が全国優勝をすることを目標としている。」と述べられたと聴こえて来
ました。
今年の春先から、早稲田は重点競技への支援を強化しているなどと伝えられて
いましたが、どうやらより長期かつ大規模なスポーツ振興の構想があるようです。
快進撃をしているラグビーについては、一昨年の監督交替と同時期に、芝生の
練習場が3面ある施設を、某金融機関から買取ったそうで、フィットネス設備は
完備され、個々の選手の体力測定と強化を指導する訓練などと、従前とは様変わ
りの、資金投入と指導強化が行なわれていると聴こえています。効果はたちまち
現れて昨シーズン以来、早稲田のラグビーは体力で他校を圧倒しています。
一方、慶應は室内プール無し、室内競技となっているハンドボールも屋外で他
部とグランドを分け合っていることに象徴されるように、体育設備は国公立大学
に比べても低い水準に留まっています。また、教育訓練において最も重要な指導
者についても、野球(今年からラグビーを追加)それぞれ1名への報酬を慶應が
負担している以外は、すべてOBの手弁当ボランティアと、OB会費からの報酬
による外部指導者が担っている状態で、社会状況の変化によって、OBの方の事
情や都合も変化していることに対応する施策の変化は見当たりません。
今年の早慶戦の戦績の不振の背景は、今年だけの問題ではなく、両校の体育ス
ポーツに対する方針の相違ではないかという思いが募ります。
元来、福澤先生が『先ず獣身を成し、しかる後人の心を養え』とされて体育振
興に心を砕かれたこと。小泉元塾長が自らのご経験を元に『練習ハ不可能ヲ可能
ニス』という名言を残され、「スポーツのもたらす三つの宝」という教育の場に
おけるスポーツの価値を説かれたこと。この歴史の上に立つ慶應義塾こそが、知
育偏重が問題となっている教育界の中で、先頭に立って体育振興の先導者であり
たいものです。
早稲田のように古くは「二部」と称する夜学や、近くは人間科学学部のような
スポーツ選手を推薦で受け入れるような制度はなくとも、一貫教育校を含めて塾
生の体力向上と競技力向上への施策は様々にあるのではないでしょうか。
研究・教育において先導的な業績を上げている慶應義塾は、体育においても先
端的な指導訓練への改革を必要としていると思われます。
安西塾長の指揮の下、慶應義塾社中の英知と総力を結集して、あらゆる方法を
検討して出来ることから直ぐに実行し、この屈辱的な状態を脱して先導者の立場
を創り上げなければならないと考えます。それは決して不可能なことではありま
せん。体育改革を支持なさる塾員の方は数多いのではないかと思われます。
創立150周年を近く迎える我が国最古の学塾としての、慶應義塾の誇りと団
結を、より強固なものとするためにも、義塾社中の皆様に体育のあり方について
のご議論を頂きたく拙文をしたためました。
古市 尚久さん(昭55商)にご寄稿を頂きました。
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自己紹介
古市 尚久(ふるいち なおひさ) 昭和55年 商学部卒業
慶應義塾體育會自転車競技倶楽部 総監督
日本学生自転車競技連盟 常務理事
日本自転車競技連盟 競技審判
「知っていそうで知らない自転車の不思議を大公開」
慶應義塾體育會自転車競技倶楽部も紹介します
誰もが乗れる自転車ですがその実態はあまり知られていません。
ひとりの自転車マニアの目で、独断と偏見に満ちた説明をさせていただきます。
自転車の最高速度 270km/h あなたは信じますか?
なんと自転車の最高速度ギネス記録は、268.83km/h
1995年、米国ソルトレイクにてF・ロンベルバーグ(オランダ)が空気抵抗を減らす
レースカーに追走して樹立。
これがなんと自動車の記録ではなく自転車の記録ですから驚き!
自転車レースのスピードは、通常50〜60km/h、ロードレースの下りでは約100
km/h位でます。
自転車競技ってどういうの?
競技は大きく分けて、ロードレースと(ツールドフランス等の公道レース)と、
ピストレース(競輪等のような競技場内でのレース)に分かれていて、自転車は
それぞれ専用のものを使用します。一回のレースとして走る距離は、400m〜300
km程度まで競技によりさまざまです。
長距離で有名なロードレースは、ボルドー〜パリ間584.5kmで、これを約13時間半、
平均時速は47kmで走り切ります。
自転車競技の人気は、ヨーロッパではものすごく、サッカーと人気を2分してい
ます。
元競輪選手、中野浩一選手の世界選手権スプリント10連覇の功績は、日本では
アートネイチャーというかつらのコマーシャルに出てくる程度ですが、世界での
その評価は非常に高く、スポーツ界の神様として、陸上競技のカールルイス選手
より高い評価を受けているのです。
紙より薄いフレームのパイプ!
レース用の自転車の重量は6〜8kgしかありません。ママチャリは約15kgです
が、強度が数十倍になっている事を考えれば驚異的です。フレーム材質は特殊鋼
が主ですが、その厚さは薄いところで約0.2mm。紙より薄いのです。最近はアル
ミ合金、カーボン、チタンなど航空宇宙工学用に開発された材質を使用するよう
になりました。
キスマークとタイヤの深〜い関係
自転車競技用のタイヤの幅は約2.5cm、空気圧は車の約5倍、 接地面積は
キスマークと同じ位の面積しかありません。唇で逆立ちしているのと同じよう
な状態で走るわけです。これで下り坂を100kmで駆け抜けるのですから命が
けですよね。
F1メーカーが自転車を作っているの?
そうなんです。自転車には最先端技術が応用されるため、世界中のあらゆる工業
製品メーカーが参入しています。
自動車メーカーでは、フェラーリ、ロータス、プジョー、ポルシェ、メルセデス
ベンツ、アウディ、BMW、ローバー等。スキーメーカーではヘッド、ルック等
また逆に、自転車部品で有名なイタリアのカンパニョーロ社は車のレース用ホイ
ールを生産したりしています。
レース用自転車の値段ですが、例えばロータス社の自転車は英国の金メダル獲得
の秘密兵器として開発され、一般市販はしませんでしたが噂では1台2000万円と
もいわれています。フェラーリの自転車は1台250万円くらいです。安い?
世界の三大過激スポーツ 自転車
トライアスロンの起源をご存知ですか?
ハワイで始まったアイアンマンレースなんです。世界中で一番辛いスポーツを
合体させて真の強者を決めようというのがその目的でした。
マラソン、自転車、遠泳、どれも確かに過激ですよね。
慶應義塾體育會自転車競技倶楽部
1902年(明治35年)創部、今年100周年を迎えた日本最古の自転車競技部です。
ライト兄弟の初飛行が1903年ですから大昔ですね。ちなみにライト兄弟の本業は
自転車屋でした。
初代部長は福澤諭吉先生のご長男である一太郎先生。
日本新記録やインカレ優勝経験も多数あり。
現在部員8名。
山田 健さん(昭52経)にご寄稿を頂きました。
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山田さんのお仕事をご紹介します。
National University of Singapore 大学教授です。
NUS Business School にて、
Finance & Accounting を教えておられます。
「新嘉坡」はシンガポールの漢字表記です。(^-^)小野 喜也
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「ことばのお話」
このたび新嘉坡に移り3ヶ月がたちました。昭和が平成に変わる少し前に日本
をはなれ、アメリカ、香港と渉ってきましたが、新嘉坡ほど日本人のためにイン
フラが整備されたところはないでしょう。幼稚園から高校まで、日本語の教育を
うけることができます。日本語で買物ができる魚屋があります。うちのうらには
日本人小学校があり、日本語が聞こえます。「カリアゲ」が通じる床屋がありま
す。
しかし、お店や屋台にいけば英語ではなく華語(新嘉坡でマンダリン=漢語の
こと)で話しかけられることが多いのには驚きました。着任そうそうはタクシー
の運転手から「お客さん、香港からでしょう」とか、お店でいきなり広東語で応
対されたのはびっくりしました。8年半もいれば香港人みたいになるのかなと思
っていましたが、カリアゲのおかげで最近そういうことはなくなりました。
今回はことばのお話をします。香港では97年の本土返還を契機に母国語教育を
重視することにしました。とはいっても完全な普通話(Putonhuaと発音、香港で
マンダリンのことをいう)教育はむりで、広東語が中心になります。英国領時代
は英語中心の教育で、公用語は英語とローカル言語の広東語だったので、正式な
普通話教育はやっていませんでした。そのため、普通話ができない人がずいぶん
います。香港で同僚だった本土人(北京出身)は、90年代のはじめ香港で普通話
を使うと、相手にされなっかたそうです。これには、たとえ普通話の内容がわか
っていても、本土人ゆえまともに応対してくれなかった、という意味も含んでい
ます。いまや状況はかわり、香港の街では普通話がだいたい通じるようになりま
した。
香港政庁は返還後、英語で他教科をおしえることを約半数の学校で禁止すると
いいました。英語ができなきゃ良い職につけないと、父兄が大反対しました。
またその影響で、それまで富裕層と外人のためだったインターナショナルスクー
ルに多くの親が子供をおくりはじめ、入学がむつかしくなりました。普通話か英
語か、ひとつを選ぶとなると、やはり英語なのでしょうか。
香港人の会話は、英語か広東語のいずれかで、混ぜることはあまりありません。
両方できる知合いの日本人によると、香港人は広東語でつきあうと、人がかわっ
たようにおもしろくなるといってました。英語で喋るときは、きっと真面目なの
でしょう。
さて、新嘉坡にきて驚いたのは、地元の人どうしでは3つぐらいの言葉を、平
気でごちゃごちゃにして使うことです。会話の途中で、どんどん切り替わって
いきます。華人でしたら英語、華語、福建語または広東語です。これに冗談用に
マレー語も加わるようです。英語自体もかなり特徴があり、語尾によけいなもの
をつけます。これがSinglishですね。Okay-laというふうに、語尾にラッ、ラーと調
子がよく、真似をしているとくせになりそうです。独特の抑揚もあります。
新嘉坡にしばらく住んでいると、だれでも影響されるみたいで、「本当の英語」
が母国語の人でも被害をまぬがれないようです。それにひきかえ、香港人の英語
はなかなか真似はできません。8つのイントネーションがあるうえ、息を微妙に
とめたりぬいたりする広東語をあやつる人たちですから、英語も複雑なのでしょ
う。
これからの中国ビジネスのため、華語はかかせない言葉です。そのため、新嘉
坡も学校でその教育に力をいれています。しかし、多民族国家でもあるゆえ、
マレー語、タミール語も公用語で、テレビ番組もそれぞれの言葉でやっています。
そういった意味で、新嘉坡の人たちはいろいろな言葉に寛容なのかもしれません。
カリアゲが通じるのもたすかります。
山田 健(1977年経済学部卒)
笹田 豊茂さん (昭31経)にご寄稿を頂きました。
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Henley Royal Regatta(略称:HRR)観戦記
ロンドンから西へ50〜60キロ行ったところにHenley on Thamesというテー
ムズ河畔の美しい土地があります。ここで1839年以来毎年開催されているボ
ートレースが有名なHenley Royal Regatta(ヘンリー・ロイヤル・レガッタ略して
HRR)です。
女王陛下をパトロンとして頂点に戴く伝統あるレガッタ=ボートレースで、
「ヘンリーを見ずしてボートを語るなかれ」とばかりに、我々は学生時代から頭
にインプットされていましたから、遠くから憧憬の念を持っていたものでした。
毎年春まだ浅き頃に行われる ケンブリッジ/オックスフォード両大学の対抗
ボートレースに代表されるように、英国は近代ボートレース発祥の地であり、そ
れだけに英国におけ
るボート競技の評価は非常に高いものがあります。ケンブリッジのオールカラー
はライトブルー、オックスフォードのそれはダークブルー。濃淡の差はあるとは
言え、共にブルーを基調としていることから、両校の代表選手は共に「ブルー」
と呼ばれ、社会的にも非常に高いステータスを持って迎えられるようです。
「私はケンブリッジでブルーを漕いだ」と言うだけで一目置かれるという訳です。
いわば階層社会英国の一面をしのばせるものがあります。
今年のHRRには各国から446組ものクルーが出場すると言う盛況。5日間
開催で、最終日に19種目の決勝レースが行われます。このHRRに塾端艇部O
B7名が観戦に出かけました。昭和27〜28年卒業OBが中心で、31年卒業
の小生が最も若いと言う編成です。
たぶんに赤ゲット風をまぬかれませんが、その時の印象を箇条書きにいたしまし
ょう。
1. さすがにHRRはよく準備された大会であり、また大変華やかな雰囲気を
持ちます。競馬の英国ダービーで紳士淑女が盛大に着飾って来場するシーンを
ご覧になったことがあると思いますが、HRRも全く同様、或いはそれ以上か
もしれません。我々も「エンクロージャー」と言う来賓席に入ったわけですが、
入場に際して服装規定があります。我々は三田漕艇倶楽部の濃紺のブレザージ
ャケットを着用しましたが、ズボンは白地を基調としなければならないとの規
則があります(また上着を脱いで歩くことは許されません)。
女性の場合にもドレスが膝下まであること、またズボン着用は禁止という規定
があります。これらは暗黙の規定で無く、案内状に明記されています。
2. 「エンクロージャー」と言う来賓席に入るには、その場で切符を買えばよ
いと言うような簡単なものではありません。日本を出発する3ヶ月も前から手
紙、e-mailなどでHRRの本部役員に申請して、ようやく許可されて手に入れた
ものです(有料)。たまたま三田漕艇倶楽部の恒遠顕現会長(26年OB)が
パイロット⑭の社長で、ヘンリーから近い町に英国法人があり、その方たちの
ご尽力もあって、ようやく手にした入場券(バッジ)でした。誰でも入れると
言うものではなく、いわばハイソサエティを対象にした英国の伝統的な階層社
会の姿を見せるものです。階層社会の是非論は本稿の目的ではありません。け
れども少なくとも単純な善玉・悪玉論は避けるべきだし、逆に内外を問わない
最近の社会規範の荒廃を見るとnoblesse obligeの意味を改めて考えさせられる
ものがあります。
3. 東京の隅田川での早慶ボートレースは、どこで見ようと勝手ですが、HR
Rはこれが厳重に規制されています。一般の人はどこで見るのだろうかと心配
になるほどで、恐らくレース後半のハイライトは、遠い位置からでしか見られ
ないと思います。
4. 会場施設は、すべてテントを張った架設建物ですが(大会本部とか艇庫は
恒久施設)、まず非常に大きな観戦用スタンドが何棟も準備されています。屋
根付、背もたれシート付の観客席ですから楽であり、またイングランド特有の
にわか雨(shower)が来ても心配がありません。大きなレストランが軒を並べ、
驚くなかれBarの出店まであります。制服に身を固めたブラスバンドが指揮者の
下、舞台の上でマーチや軽音楽を演奏しますが、曲目までが当日のプログラム
に詳細に掲載されています。そのほか多くの記念品売店(いわゆるHRRグッ
ズ)、みやげ物店があります。また、こうした大イベントで軽視されるトイレ
の問題ですが、大きく清潔なトイレ施設が用意されており混雑が全くありませ
ん。あれやこれや150年以上に及ぶ大会運営ノウハウの蓄積をうかがわせま
す。
5. 来場した観客の1/3位は観戦せずに、交歓の場をエンジョイしています、
確かに我々OBというのは自分の母校が出るレースは真剣に応援するが、他の
学校の勝ち負けには申し訳ないけれどもあまり関心はない。ましてや同伴の奥
様の場合は尚更ですから、友人知人と旧交を温めるのが大きな楽しみでありま
しょう。
6. こうして見ますと、日本との余りの格差に愕然とし、また驚きです。日本
でこうしたボートレースが開催されるのはいつの日になるのだろうか。緑に包
まれた美しい自然環境、資金、社会的認知度、そして伝統。どれをとってもた
め息が出ます。
7. 丁度ウインブルドンの開催と日程が重なっていましたが(いずれも7月7日
が決勝)、ホテルに帰ってTVのスポーツ番組を見ていると、テニスの方は事
細かに朝から夜まで報道しきりです。しかし、不思議なことにHRRのことは
一つも報道されない。なぜなのか? 我々のTVチャンネルの回し方が悪いの
かな? とも思ったが、そうでもなさそうだ。
そういえば会場でもTVカメラ用の足場などを一つも見かけなかった。と言う
ことから我々は次のように推測した、つまりHRRのプライドが、大衆迎合の
TV放映など無用とシャットアウトしたのではないか、と。案外これが正解の
ような気がしますが、この推測は誤りかもしれませんので情報通の方がいまし
たら教えて下さい。しかし新聞は別で、The Times紙上には詳細な解説記事が
連日写真入で大きく掲載されています。残念ながら日本の新聞では、ボート
記事などは小さくお義理のように出しているか、或いは全く無視しているの
とは大変な差である。
8. そして何よりも驚いたのは涼しさである。恥ずかしながら私は、ロンドン
がこんな北の位置にあるとは思わなかった。日本で言うと、樺太島の北半分に
ロンドンがあることを知ったのは驚きでした。旧日本領土境界線よりも北です。
とにかく涼しくて7月上旬と言うのに日本の晩秋と言う感じである。夜はおろ
か日中でも、上着に薄手のレインコートを羽織って歩いても、少しも暑くない。
こう見ると、亜熱帯を思わせる東京の炎天下でのネクタイ背広姿はまことに酷
としか言いようがない。日本のビジネスマンがこの苦行から解放される日が来
るのだろうか。
9. HRRを見に行く折角の機会だと言うので、イングランドからスコットラ
ンド地方を3泊4日のバスツアーで堪能した。ケンブリッジ大学やエジンバラ
などの古く美しい町々を数多く訪れた。現代文明とは無縁の名所旧跡ばかり選
んで見て歩いたものだから無理もないのだが、都市と都市の間に横たわるのは、
果てしなく続く平野とゆるやかな丘陵地帯の連続である。見えるのは緑の大地
と羊と牛のみで人影は全く見えない。「無人島みたいだね」と冗談を言ったく
らいである。山が多いわが国に比べると、その違いは大きい。
10. 次に「英国の料理はまずい」と定説のように言われているが、我々の感
想は「ホテルでの英国の朝食English Breakfastは本当に美味い」である。美味し
いベーコンやソーセージ、薄めにスライスしたトーストパン、小ぶりなトマト
などの野菜類、新鮮なミルクと紅茶、エトセトラ。これは結構な齢になりなが
らも いまだ食欲の衰えを知らない我ら体育会OBが味覚について寛容であるか
らだろう、と言う声があるかもしれません。しかし、かの文豪サマセット・モ
ームが「英国で良い食事をしようと思ったら、朝食を三度とれば良い」と言っ
ておりました。何やら ほめたのか、けなしたのか判断に迷う点もありますが、
朝食が美味しかったのは間違いない。何でも不味いと誤解されている英国食卓
の名誉のために、一言付け加えておきましょう。 嗚呼、小生もたった10日
間の旅行で、随分といっぱしの英国びいきになったものかな。
11. さて、旅も終わりに近づきHRRに行く前夜、ヘンリーに近いマーロー
橋のそばにある由緒正しき瀟洒なホテルThe Compleat Angler(see釣魚大全)に泊ま
ることになった。この日だけは張り込んだ高級ホテル宿泊である。前庭で佇ん
でいると、ボーイに荷物を持たせて令夫人が横を通り過ぎて行くのだが、何や
ら聞き覚えある特徴的な口調。すぐ思い出した、サッチャー元首相の声だと。
しかし残念ながら別人でしたというお笑いの一幕も。部屋に入ると支配人から
のプレゼントとして高級なシャンパンが氷で冷やしてテーブルの上にあった。
飲むべきか否か、飲んだら更に宿賃が上がるのではないかと、しがない議論を
したが、これは支配人からのプレゼントだから最初から勘定に入っているはず
であると判断。各自が部屋にあるシャンパンを持ち寄って一室に集合し、まず
は盛大に乾杯した。
トランクの底に残っていた鱈の干物や柿の種ピーナッツが酒の肴、なんと日本
的であることよ。さらに部屋にはCD装置があることを発見。実はそういう場
面もあろうかと、応援歌CDを私が密かに持って来ていた。そして「塾歌」を
聴いた。もちろん我々も静かな雰囲気のホテルで大声を出すような愚は避け、
全員耳を傾け、静かに口ずさんだのである。けだしテームズ河畔で音は小さく
とも、我が塾歌が流れた恐らく最初の瞬間だったろうと思う。楽しい夜だった。
いつの日か、我が慶応クルーがヘンリー・レガッタで優勝する日を夢見たい。
私事になりますが、今回のHRR参加に際し、同大会委員長への慶応端艇部か
らの心ばかりの記念品として端艇部創立100周年記念ネクタイと、会長なら
びに先輩諸氏からの指示で私が学生時代に翻訳したフェアバーン著「Rowing
Notes」を献呈いたしました。フェアバーンはケンブリッジ大学の漕手、コーチ
であり、ローイングのバイブル的な本でした(今年3月に改訳の手を入れ、
追加一編を新たに加えて完成。全100ページ余)。慶応三色旗を刷り込んだ英文
献辞の下に参加者全員がサインして献呈しました。私としては大変名誉な思い
出になり感謝しております。
最後に、9月15日(日曜)9時から、戸田コースで塾の「水上運動会」が開
かれます。今年は少し華やかさを加えて開催されるでしょう。慶応艇庫の対岸
の方が大会本部ですから、本部の方においで下さい。
学生諸君、OB諸先輩、ご父兄の方、お友達の方、皆様のご来場をお待ちして
おります。
笹田豊茂 1956年経済学部卒業。体育会端艇部OB:三田漕艇倶楽部会員。
⑭アンカー 代表取締役 t_sasada@kk-anchor.com
http://www.kk-anchor.com
星野 佳路さん (昭58経)にご寄稿をお願い致しました。
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『新別荘族のすすめ』 星野リゾート 星野佳路
「新幹線が軽井沢に来て日帰りが増えて困っている」という人が私の周辺にもい
るが、実際には、新幹線は観光需要にあまり影響を与えていないと私は考えてい
る。ツーリズム産業には3時間ルールというのがあり、交通インフラの整備で大
都市圏からの距離が3時間以内になると観光に大きな影響を与えるということで
あるが、このルールに従えば、もともと2時間で行けた軽井沢が、新幹線で1時
間になっても大きな影響はないということであり、実際その通りであったと考え
ている。日帰りも増えているがその傾向は以前からであり、かと言って宿泊が減
っているということも特には感じない。
しかし、新幹線の開通や高速道路の整備は、観光以外の面で大きなインパクトを
与えようとしている。それは軽井沢が通勤圏内に入ったからだ。新幹線開業時の
人口は約15000人程度であり、それ以前10年間で特に大きな増減がなかっ
たが、新幹線が開通し4年たった本年は17000人を超えてきている。星野エ
リアの周辺には以前より小池真理子さん、藤田宜永さん、内田康夫さん、高中正
義さん、そして玉置浩二さんなど、文人やアーティストが多く仕事をしながら生
活の拠点としているが、ここ4年ではビジネスマンが軽井沢に本宅を移し、東京
に毎日通う「新住民」と呼ばれる方々が増えている。私は、東京に出張にでかけ
る時に7:17分軽井沢駅発をよく利用するが、だいたいホームに立っているス
ーツ姿の面々は馴染みの顔である。
このような新住民の増加もあるが、実はそれよりも大きな変化があったのは、別
荘の利用の仕方であろう。今までは夏を中心に年に何回か利用するというパター
ンが主流であったが、東京の本宅と軽井沢の別荘を行き来しながら2重生活をす
る「新別荘族」が急増しているように感じる。星野エリアの周辺では、最近、東
京でビジネススクールを経営している方が別荘を建て、毎週末のように子供3人
とともに軽井沢の自然の中での生活を満喫している。
この新別荘族の特徴は、第1に別荘と本宅を頻繁に行き来し、別荘の利用が過去
と比較にならないほど多いことである。第2は、年間通して利用する傾向にある
ことだ。過去の軽井沢は夏のイメージが中心であったが、新別荘族は冬を含めて
四季を通して利用し、むしろその変化を季節ごとに楽しんでいる。第3は仕事を
引退した後に別荘ライフを始めるのではなく、仕事は現役、そして子育ての真最
中にファミリーにとってのライフスタイルとして軽井沢を選択している点だ。彼
等は東京が提供できるものと軽井沢が提供できるものをしっかりと区別し、その
両方を普段の生活の中に自然に取り込んでいるのである。
これからの別荘ライフは、単なる避暑ではなく「自然の中での生活が与えてくれ
る効能の享受」という方向に変わっていくと感じている。その機能は、都会では
得ることができない十分なスペース、別荘を取り囲む豊かな自然、そしてそれら
がもたらす癒しの機能なのであり、軽井沢と東京の2重生活は、日本におけるホ
リスティックなライフスタイルの実現なのである。
星野リゾートでは、こういう将来ビジョンに向かって新しい提案を始めている。
それは年間通して別荘を機能的に利用していただくためのお手伝いだ。避暑で
3週間程度滞在することだけを想定していた別荘とは異なり、年間利用の場合
にはある程度の都会的な利便性が重要になる。別荘における情報インフラも重
要だ。ある程度の仕事が別荘でできてしまえば東京に通勤しなくて良い日が増
えるであろう。別荘の掃除や食事の宅配などの機能も必要であろう。そして、
レストランでの食事などもいわゆる観光地価格ではなく、日常的な価格で質の
高い内容が要求されてくる。星野リゾートではこういう新別荘を企画する部門
を数年前に立ち上げ、これをSOBO(SmallOffice 別荘 Office)と名付け
た。新別荘族候補に立候補を考えている諸君は、是非ご連絡をいただきたい。
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星野佳路さんは「星野リゾート」社長、弟さん星野 究道さん(昭61経)と
共に経営しておられます。ホームページにお立寄りください。
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田中 浩さん(昭63文学部心理学専攻)にご寄稿をお願い致しました。
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『不真面目のススメ』
インターネット三田会の皆様、私は昭和63年文学部卒の田中浩と申します。
卒後は精神科単科の病院や女子短大の学生相談室等に勤務しておりました。
また、インターネット三田会では会員交流掲示板を運営させていただいており
ます。(みなさんの書き込みをお待ちしております。)
以前から、小野様よりリレーメッセージの依頼を頂いておりましたが、あれ
やこれやと理由をつけては、先延ばしにしておりました。今回も、お引き受け
した後で、何を書けばよいのか随分悩みましたが、結局、自分が一番関心のあ
ることがいいだろうと思い、メンタルヘルスについて、というか、その周辺に
関することを、若干書かせて頂こうと思います。
不真面目(非 生真面目)の奨め
一般に真面目というと よいイメージばかりだと思いますが、ここでは、
真面目、特に生真面目のもたらす心の弊害について書いてみようと思います。
なお、これらはあくまでも、可能性、私見、等のレベルであり、当然ながら
(表題のとおり?)あまりまじめなものではありません。参考程度に留めて
おいてください。
1、鬱、そして、自殺
★自殺者が4年連続3万人台 「負債・失業」は最多
・昨年1年間の自殺者は前年に比べ2・9%減の3万1042人で、
4年連続して3万人を超えたことが24日、警察庁のまとめで分か
った。負債や失業など「経済・生活問題」による自殺は過去最多と
なるなど、依然、リストラや景気の深刻な状態がうかがえる。
これは三大新聞のうちのひとつよりの抜粋です。例年自殺者は、平均交通
事故の3倍程度と言われていますが、この数年、異変がおきています。自殺
をする一番の理由は、鬱です。生真面目な人は鬱になりやすく、遊びが下手
でストレスを発散できないといわれています。不景気続きでリストラがはや
り、人員削減で一人当たりの仕事量が増加、疲労の蓄積、休むに休めず、、、
、休んでいては今度は自分がリストラの対象になってしまう、、、、そんな
悪循環がどんどん鬱状態の人を増加させています。
未成熟な人間の特徴は、
ことにあたって高貴な死を選ぼうとする点にある。
これに反して成熟した人間の特徴は、
ことにあたって卑屈な生を選ぼうとする点にある。
(J.Dサリンジャー ライ麦畑でつかまえて 野崎孝 訳 白水社 より)
生真面目に生きて自殺してしまうより、ある程度不真面目に生きて、ふて
ぶてしくいきましょう。 切り替えさへ上手にこなせれば、うまくいくはず
です。 そこが難しいと言われそうですが、その考え方自体が生真面目!
だめならだめで、再度チャレンジ! さあ 何度でも 必要に応じて頭を
不真面目モードに切り替えましょう。
2、心疾患と痴呆、そしてまじめさ
心筋梗塞や狭心症といわれる虚血精神疾患などは、几帳面、仕事一本槍な
人や、挑戦的な性格の人に多いといわれています。
これらの疾患の後遺症として、半身不随や痴呆があります。それまでいろ
いろなことを几帳面にこなしてきた人が半身不随になり、体の自由が効かな
くなると かなりのストレスを感じて、一層の悪循環におちいりがちです。
一方、血管障害によって脳の一部が壊死し、痴呆がでてくることもありま
す。一般に、ぼけると、それまでの性格が一層強く現れるようになるといわ
れています。つまり、真面目な人は一層まじめに、頑固な人はより頑固にと
いうわけです。(もちろん例外もあり、まったく逆のパターンを示す人も結
構おられるようですが。)
物事にこだわってしまう人(粘着質=ある意味まじめ)程ぼけやすいとい
う研究結果もあります。
老後の生活を考えてみても、社交的で人付き合いのよい人ほど刺激の多い
生活になるのでしょうか、老後も活発に生活しており、ぼける傾向はすくな
いらしいです。適度な好奇心もよいことだと思います。生涯学習が盛んな今
日、学問のススメではないですが、いろんなことに関心を持ち、学んでいく
こともいいかと思います。ただし、うまくいかなくても「あーだめだ 頭が
老化してる」などと決して悲観的に考えず、ここでも、軽く考えて、多少不
真面目、不謹慎なくらいに、「歳なんだから、すんなりいかなくて当然」く
らいにふてぶてしく?とらえるといいかと思います。
几帳面できちんとしていることは、健康な頃はいいかもしれないですが長
い目で見ると(人の性格など、特に生活パターンは 一朝一夕に変えられる
ものではない)決していいことだけではありません。それなりの大雑把さや
おおらかさ、人にも「ハンドルの遊び」のようなものが必要なのです。
この時期 暑くて熱くて大変ですが、熱中症にかかりやすい人の条件の
ひとつとして、
性格的に、我慢強い、まじめな者など「熱中しやすいひと」
というのがあります。 サボり気味くらいでちょうどいいのかもしれま
せん。
このメッセージに書かれたことも あまり気にせず軽く考え、深刻になら
ずに、肩の力を抜いて、、、根性だとか、精神論はいまどきはやりません
生真面目は不真面目(怠惰)に似たり
というのが最近の私の生き方です。休むに似たりな安直なものですが、み
なさまのご参考になれば幸です。
今月は、北御門 強さん(s59政)にご寄稿をお願い致しました。
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インターネット三田会の皆さん、こんにちは。
私は昭和59年(1984年)(政)卒の北御門と申します。卒業後は、米国系
コンピュータ会社の日本ユニシスで、I.Tスペシャリストを目指し14年在籍し
ました。
1989年にポーランド人と結婚した関係で、98年に日本精工(NSK)が
ポーランドのベアリング会社を買収したのを契機に、I.T Project担当として英
国にある欧州NSKに転職しました。そこからポーランドに派遣される形で現在
に至っております。この6月でポーランド滞在まる4年になります。会社はワ
ルシャワから南へ170KmのKielceという地方都市にあります。10分の徒歩
通勤なので「朝干した布団を、昼休みに裏返す」という芸当もできます。
(こんなことで威張ってどうすんの!!)
さて、今回はポーランドの生活で感じたこと、欧州旅行を通しての日本人と
してのIdentity、Internetの効用について、思いつくまま書かせて頂きます。
■ポーランド人は親日的?
ポーランドは一般的日本人から見れば、まだまだ地理的にも精神的にも遠い
国でしょう。歴史的にはコペルニクス、キュリー夫人、ショパン、現在ではロ
ーマカトリック法王ヨハネパウロ2世、ノーベル平和賞受賞者であるワレサ前
大統領、アンジェイワイダ監督、最近ではスキージャンプのアダム マーウェ
シが国民的ヒーローですね。
ポーランド人は概して、日本人に対して好意的です。年配者でしたらロシア
嫌いのため、「ロシアを負かした国」であること、また一般的には、Sony/
Panasonic等の高品質な精密機械、エレクトロニクス、故障の無いToyota/Honda
等の自動車等、日本製品のイメージは大変良く、「知的で働き者で金持ち」と
いうステレオタイプ化されたイメージが浸透しているようです。
ワレサ大統領時代も「第二の日本を目指す」という言葉もよく聞かれました。
良し悪しは別にして、同じアジア人でも「日本人」だと分かると、態度も友好
的になります。私の場合も、電車では子供、学生からご年配者まで良く話しか
けられて、日本の話をすると盛り上がり、最近では楽しみの一つになっていま
す。時にはあまり日本の良いことばかり言うので、「実際に見たらがっかりす
るかもよ」といろいろな問題点に触れることも少なくありません。
しかし実際に空手、柔道、合気道等の日本武道も盛んですし、最近見た国立
オペラハウスでの「蝶々夫人」では最近の日本舞踊も取り入れらる等、とても
勉強熱心です。
テレビで放映される日本関連番組も、鳥や自然の生態系を写真で撮りつづけ
るカメラマン、チンパンジーのアイの特集、ポーランド版おかあさんといっし
ょでは、NHK作成の人形劇等が紹介されています。2,3数年前、英国で見た
BBCの日本特集が、未だにヤクザ社会とか宝塚とか特異な日本をおもしろおか
しく紹介していたのと比較しますと、むしろより客観的に日本の文化の紹介に
取り組んでいる印象を受けます。
■ポーランドの負の遺産−共産主義精神は未だ健在
しかし、役所や切符売り場等の公的機関の窓口とか、昔からある店では「お
客の扱い」が共産主義時代と変わっておらず、「なんで客の私が、こんな目に
あうの!」と思わされることもよくあります。初めての旅行者は、彼等の態度
の悪さに驚かれると思いますので、その点はお覚悟を。
今、4年前に購入したワルシャワ郊外の森林地帯の中にある土地に家を建て
ています。自分が立てたいように自由にデザインして、それを少しずつ具現化
していく、というそのプロセス自体が楽しいですね。多くのポーランド人は何
年もかけて自分の手で作業をしますが、それが、月給3000ズロチ(10万
円前後)でやりくりしているんですね。
「この冬はドアをつけよう」とか「来年は床を貼ろう」とった感じです。
また、こちらの人はよく家族や夫婦で散歩します。「お金を使わないで人生
を楽しむ」という点においては、ポーランド人から学ぶものは多いと思います。
しかし、同時に役人からのいろいろな規制や要求には悩ませられました。
道路まで来ていた公の水道と、家の水道パイプとつなげるのに1年以上かかり
ました。
個人の家一件建てるのにも橋を建築するとの同様の手続きが求められたから
です。例えばワルシャワ都市開発担当12人のサインが必要で、その後に区役
所に持っていきます。役人は粗探しをするのが仕事だと認識している人が多く、
細かなことで簡単につき返してきます。「来週来い」とか「来週は自分が入院
するから3週間後に来い」等等。そうすると、またはじめからやり直しです。
木を切るのも一本一本チェックし、そのプロセスで賄賂を期待している人も
います。あんまり酷いので、「官僚組織は自分達の存在のためにある。ただ威
張るだけ、国民の生活を良くするためにはぜんぜん機能していない、経済発展
の邪魔。いっそのこと、役所を、コンビニしてしまったらどうか、」と思う今
日この頃ですが、最近の日本のニュースを聞く限り、あまりよそのことは言え
ないですね。
■ポーランドを拠点とした欧州旅行、そして日本人としてのIdentity
ポーランドに来て一番満足しているのは、「ワルシャワを基点とした欧州旅
行」がおもしろいこと。それも前もって歴史を勉強していくと10倍は楽しめ
ますね。99年は車でドイツを横断し、フランスのロアール川流域のシャトー
巡り(親戚宅に一週間滞在)、大西洋岸Nantes、モンサンミッシェル、そして
帰りはベルギーで結婚十周年の指輪を買い、オランダ、再度ドイツ(友人宅)
経由でポーランドへ戻りました。計5000キロを越すドライブでした。
2000年は、ブルガリア人の友人の地元である黒海沿岸の街バルナに飛行
機で飛んで2週間滞在しました。自家製トマトがうまかった・・・。地図を広
げて周辺を見ると、黒海対岸(勿論見えませんが)は聖書の舞台となったトル
コ、ギリシア方面ではテサロニケ、隣はアレキサンダー大王のマケドニア等々、
歴史ファンとしてはゾクゾクしてきます。ソフィアで地下鉄工事をすると、未
だに2,3世紀のローマ帝国ゆかりの遺跡がボロボロと出てきます。また掘り
出し物を求めて、アメリカ人やドイツ人がよく発掘に来るそうです。タクシー
の運チャンも「昔俺もそれをやっておまわりさんにつかまっちゃった。次回は
日本製の良い金属探知機を手に入れて金儲けしたいね。」なんて調子です。
2001年は、車でチェコ、オーストリア、スロベニア経由でクロアチアへ、
南のドゥブロブニクまで行き、カーフェリーを使いながら北上しイストリアへ、
そしてベニス。帰路はオーストリアのザルツカンマーグートのルートからザル
ツブルグに入り、最後はミュンヘンからアウトバーンに乗り、ドレスデン周り
でボーランドのブロツワフへ帰る、という4500Kmのドライブでした。
アウトバーンでは150Km近く出しているのに後ろのBMWから、「チカチ
カッ=遅いやつはドケ」 とやられてあせりました。とにかくクロアチアの海
岸線や島々、特に南部は海が綺麗で、2,30mの底まで透き通って見えます。
この国がディオクレティアヌス帝等のローマ帝国の舞台となった場所であるこ
とも意外と知られていないようです。多くの遺跡が戦争で破壊され、沢山の銃
弾の跡(穴)があちこちの遺跡に見られたのが痛々しい限りでした。それがた
った数年前の最近のことなんですね。
ウクライナのルブフへの小旅行も印象的でした。ポーランドの平均給与は
600USD前後、安い人(警察官や先生、看護婦さん等)はその半分くらいに
なります。ウクライナはそのまた、半分から1/3くらいですので、ポーラン
ド人が金持ちに見えました。失業率は裕に50%は超え、多くのウクライナ人
が失業率20%近くのポーランドへ出稼ぎや貿易で流れていますが、厳しい状
況の中、何とか生きていこうとするたくましさも感じられます。 日本経済が
今厳しいとは言っても、まだまだぬるま湯なのかもしれません。
今はまだ行っていない、スペイン−ポルトガル、ギリシャ、トルコ、北アフ
リカ等のルートの計画を練っている最中です。
ポーランド滞在も含めて、こうした海外旅行をしていて、痛感することは、
「日本の良さ、美しさ」「世界の中での国力」の再認識です。もちろん悪い面
もありますが、それに関しては多くの書籍や雑誌で指摘されていますので、敢
えて省略します。
自然環境にしても、英国ではウェールズ以外の海岸線やドイツの自然が意外
とつまらなく単調だったりすると、「海、川、山、海岸線で溢れている日本は、
実は多彩で美しい国である」という側面を再認識させられます。
同じような境遇で、同じように感じられている方も多いと思いますが、国外
に出て、日本人であることで恥ずかしい思いをしたことはありません。むしろ
「一目置かれている」感じです。もちろん、出会う人たちとの誠意ある会話が
大前提となりますが。
また、不運な歴史から国として機能してこなかった過去のつけが現国民にの
しかかっている国々を訪れる度に、福沢先生を始めとする明治初期の指導者や、
戦後復興時、日本の経済基盤を築き上げられた諸先輩の方々への感謝の念は、
抑えることができません。
また、今でも受け継がれている、「無闇に争いごとを好まない和を尊ぶ精神」
「相手(人)の立場にたって考えようとする道徳」「学ぶ謙虚な精神」等は世
界では当たり前ではなく、日本的美徳であり、今後も日本人として、世界の中
でリーダーシップをとって大切にしていきたいと思います。
■Internetの威力と大学OBネットワークの大切さを痛感
最後に、情報処理技術者の一人として。
海外生活が長期化して日々実感しているのが「Internetの威力」です。
10年前なら、米国に3週間出張しただけでも「浦島太郎」状態でした。
いまや、ポーランドの田舎都市に居ても、主要氏のニュースはもとより、ラジ
オのトーク番組も聞けますしね。書籍も紀伊国屋のインターネット書店を利用
すれば、1週間で手元につきます。但し本代と同額以上の送料がかかりますが、
書籍の場合は納得できる投資です。その内Book用両面印刷プリンターが発達す
れば、注文者の場所で本にする、というパターンも出てくるでしょう。また時
には九州の実家にいる父親や親戚の叔父叔母に対して、Polandの田舎都市にい
る私から、「今そちらの市役所で、こんなイベントやってるから言ってみたら
?」なんてアドバイスをすることもあります。
反面、これだけ技術が進歩しながら、自分の見たいテレビ番組がみられない、
という不満もあります。JSTVはNHK主体の番組編成だったり、スポーツの肝
心なシーンで、放映権の理由から静止画になったりするので、今ひとつ設置に
踏み切れません。早く、ブロードバンド環境で、ビデオオンデマンド操作によ
り、自分の好きな番組をダウンロードして、見た分だけカードで決済されるシ
ステムが、こちらまで浸透することを期待している次第です。
今月は、澤崎 至さん(昭47法)にご寄稿をお願い致しました。
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「私とジャズと慶応義塾」昭和47年法学部法律学科卒業 澤崎 至
私は、昭和41年慶応義塾大学法学部法律学科に入学、昭和47年に卒業しま
した。皆さんすぐお判りのように塾には6年在学していたのです。それは何故か
って?そうです、在学中は明けても暮れてもジャズの演奏に没頭していたからな
のです。現在では、中堅流通業の役員を経て公認会計士とともに大阪にて経営コ
ンサルタント業を営んでおります。
私が音楽活動の一歩を踏み出したのは、中学一年生の頃親から買ってもらった
アコースティックギターを手にしたときから。当時、エレキギターはまだ全盛で
はなく、ラジオで流れているポールアンカやエルビスプレスリーなどのロカビリ
ーなどをよく聴いていました。ポップスのためのギター教則本なども現在のよう
にまともなものもなく、カルカッシギターの教則本を頼りに、なんと古賀メロデ
ィーを弾いていたのです。高校入学と同時に友人の影響で一転クラシック少年に。
本当はオーボエかフルートをやりたかったのですが新設校には吹奏楽団は無くや
むなく混声四部合唱団に参加していました。
そんな私でしたが、大人っぽいジャズの響きに都会的なかっこよさを感じてお
り、多くのクラシックレコードに交じって初めて買ったのが全盛期のアートブレ
ーキーとジャズメッセンジャーズの「モ−ニン」でした。
はじめてドラムを叩く
大学入学後、初めてドラムに触れたのがなんとプロのバンドのテストでした。
信じられないことだと思われるでしょうが事実なのです。当時、おとなの遊びを
教えてくれた高校の先輩が早稲田の法学部におり、自由が丘の深夜喫茶でアルバ
イトをいっしょにすることになったのです。ろくにお客の来ない暇なお店でした
ので、よくカンターで長いスプーンとマドラーをもってBGMに合わせリズムを
とってカタカタとっていました。するとカウンター内にいたチーフに、「おまえ
ドラムできるの」と問いかけられ「いや、やったこと無いです、でもあんなの出
来るんじゃないですか」と思わず生意気にも応えてしまったのです。するとその
チーフが「新宿のキングというキャバレーでドラマ−を探しているけどテスト受
けてみない」。私、「でも触ったこともないし」。チーフ、「触れるだけでもい
いじゃん」。私は生来、楽観的というか、無鉄砲というか、向う見ずというか、
とにかくそういう人間でしたので「それもそうだな」と大胆不適にもテストを受
けに行ったのです。
湿った狭く薄暗い通路の先にあるステージの袖でしばらく見ていた後、バンマ
スの「ちょっと演ってみて」言葉に勢いを付けられて生まれて初めてスティック
を握ったのでした、しかもキャバレーのステージとはいえプロのバンドの本番中
に。
ステージが終わって「あそこ合わなかったし、あれはどうやるんだったか」と
内心びくびくしていた私に、控え室に引き上げてきたバンマスから思いもかけぬ
「じゃあ、何日からきてくれるかなあ」の言にびっくり仰天。でも生来の無鉄砲
精神からなんとかなるかと「じゃあ来月の初めから」と応えてしまったのです。
しかし、来月からとは言ったものの、それこそ今まで叩いたことがあるのは、祭り
の太鼓のまねごとだけ、リズムのパターンも何も知らないわけですから、急遽ロ
ックバンドをやっていたことがあるらしいことを聞きつけて、これも早稲田の友
人(アイスホッケー部!)にコーチをお願いしたのです。いまや、コクヨオフィ
スシステムの副社長を務める黒田國雄君を無理やりその店に呼んで、忙しく開店
前の掃除をしているボーイさん達の前で遠慮しいしいロックンロールの基本パタ
ーンを伝授してもらったのでした。
結局、そのバンドではほとんど歌謡曲とダンス音楽が中心であり私の志向する音
楽とは異ったため一月半ほどお世話になって辞めてしまいました。
昭和41年の秋でした。日本がまだ押せ押せの高度成長期にあってバンドも払底
しており、とにかく音が出てれば結構仕事になった頃の平和な物語でした。
大学のジャズバンド
わずかな期間でしたが、ドラムスに触れた経験から塾内に目を転じてみると大
勢の学生バンドがありました。そこで、熱心に勧誘をしていたKDJC(Keio
Dixieland Jazz Club)に加わりました。そのバンドではラッキーなことにドラマ
ーが欠員ですぐにレギュラーの座を与えられたのです。このバンドは名前のとお
りニューオリンズから発生した土臭い南部のトラディショナルジャズをもっぱら
演奏していました。しかし私はもともとスマートなモダンジャズ志向でしたので
トラディショナルジャズ一辺倒のKDJCには結局ついていけずここも一年参加
したのみで退部してしまったのでした。KDJCそのものは、十年位前にメンバ
ーの不足から塾内でのクラブは癈部となってしまいましたが、OB・OG会が残
っており、活発な演奏活動を今も続けています。このときのメンバーには六年程
前から交流が再開し現在も親しくさせていただいています。このKDJCには、
「あんたも発展途上人」などの名コピーを産みだ出し、コピーライターのいまや
大家となった真木準がトロンボーンで在団cしており、はにかみ屋の無口な青年だ
った当時桙フ彼の姿を懐かしく思い出します。
(KDJCのホームぺージ)
そしてKMPへ
KDJCを退部したあと、幸か不幸か二年生をもう一度(結局はあともう一回)
やることとなってしまい、改めて本格的に取り組めるバンドに入ろうと決心しま
した。二回目の二年生オリエンテーションで様々なクラブが勧誘する中、目にと
まったのがKMP(Keio Music Players )New Sound Orchestraでした。KM
Pが演奏していたのは当時のモダンジャズの大ヒット曲でジャズロックの走りだ
った「カミングホームベービー」でした。その垢抜けたサウンドもさることなが
ら、ネクタイをびしっと締めたスーツ姿のユニフォームのかっこ良さに大阪の田
舎高校出身の私はたちまち魅せられ一も二も無く入部を決めたのでした。そのバ
ンドには、リードアルトサキソフォンに、後年モダンジャズ界の重鎮と称される
山口真文氏(昭44政治卒)が在団され、温和な人柄ながらも厳しい指導をされて
いた記憶があります。(山口氏のホームページ)
このKMPはまだ創立されてから7年(「昭和35年創立」)と歴史が浅く、
新しい息吹に充ちておりました。一方、塾内には学生バンド最古参と言われた
「慶応ライトミュージックソサエティ」が存在し、お互いによきライバルとし
て競い合ったものでした。ある早稲田のバンドOBは「慶応は凄いよな、早稲田
の半分の学生数で二つの優勝を狙える水準のオーケストラがあるんだから、4倍
の差だもの」と言っていたのが印象的でした。当時のメンバーには塾の情報誌
「三田評論」2001年11月号に「JAZZが止まらない!」で閑談している赤坂
のジャズバー「リトルマニュエラ」のオーナーピアニストの中田光雄(昭45年
政治卒)も在団しておりました。
KMPの活動
KMPは、毎年12月に行われる年一回のリサイタルが最大の行事であり、その行
事成功のための練習そして夏・秋の合宿、リサイタル資金獲得のために塾内外の
クラブの主宰する演奏会やパーティへの出演等が大きな活動の柱となっていまし
た。夏には「ビータ」と称する各地の学生慶応会が開くコンサートへ二週間ほど
の演奏旅行に出かけ、一分間の乗換えのため駅のホームを重いドラムのケースを
抱え汗まみれになりながらあわただしく走りまわったこともありました。現在で
はほとんど行われないようですが、当時の春と秋のダンスパーティシーズンには
ほとんど毎週のようにホテルニューオータニや目黒パークレーンなどに出演して
いました。ちなみに、私の妻と始めて出合ったのも昭和44年12月の赤坂プリン
スホテルでの慶応のゴルフ部主催のパーティだったのです。また、大橋巨泉司会
のTBSのラジオ番組「大学対抗バンド合戦」での優勝めがけての活動、関東六
大学ビッグバンド連盟のコンサートへの出演、「三田祭」慶早戦前夜祭の「ラリ
ー」への出演とスケジュールがひっきりなしに続いていました。
そのKMPもメンバー不足のため一時癈部の危機がありましたが、先輩諸氏の
助言や援助により、塾公�Fの文化団体連盟所属の創立42年を迎える堂々たるクラ
ブに成長しております。
(KMPのホームページ)
慶応義塾出身のジャズミュージシャン
ここで慶応義塾出身のジャズミュージシャンに触れてみたいと思います。
慶応義塾の出身者は、政界・経済界・文学界・医学界等々で目覚しい活動をさ
れていますが、ジャズ界においても大きな足跡を残しています。伝統的に慶応出
身のジャズミュージシャンにはピアニストが多いようです。
ここではジャズピアニストに絞って少し詳しく述べてみます。
まず第一に取り上げなければならないのは、日本にバップスタイルのピアニスト
としてアメリカよりも早くそのスタイルを完成させたとされる伝説のピアニスト
といわれた故守安祥太郎氏(昭21年経卒)です。私は、故守安氏については全く
歴史上の人物としてしか判りませんが、その突出した先駆性は多くの人の言い伝
えとなっております。不幸にも昭和30年自死されたのでした。詳しくは、植田紗
加栄著「そして、風が走りぬけて行った・天才ジャズピアニスト守安祥太郎の生
涯」講談社1997年刊をご参照ください。
次に、もはや巨匠といっても差し支えが無いと思われる佐藤允彦氏(昭39年経)
はジャズ界のみならずクラシックにも影響を与えジャンルを超えた活動されてい
ます。また、ルパン三世などの映画音楽などで活躍され現在は自己のトリオを率
いて再びジャズ演奏を盛んにされている大野雄二氏(昭39年政卒)も挙げておか
なければならないと思います。
さらに昨年急逝された故鈴木宏昌氏(昭37年経卒)は、コルゲンさんの愛称
を持ち日本を代表するトランペッターとなったデビュー当時の日野皓正バンドの
ピアニストとして活躍をされていました。後にザ・プレイヤーズを結成、タモリ
の「今夜は最高」などTVにライブに元気に活躍されていました。私は、鈴木氏
とは親しくお話を交わすといったことはほとんどありませんでしたが、卒業後あ
る北欧系のアパレルブランドのファッションショーを手伝ったことがあり、その
際鈴木宏昌トリオに赤坂のクラブでの演奏をお願いしたことがあります。鈴木氏
にお願いしたのはショーの雰囲気に合わせ自由にスタンダードを演奏していただ
くことでした。趣旨を的確につかんでいただいた鈴木氏は、北欧の香りを漂わせ
る透明感のある演奏をして大いにショーを成功に導いていただいた記憶がありま
す。
5年ほど前青山のライブハウスに、前述の山口真文さんのテナーサックスとベ
ース・ドラムスの鈴木宏昌クァルテットの演奏を聴きに行ったことがあります。
魂の全てを燃焼し尽くすような演奏を目の当たりに見て、こんな演奏をしつづけ
ればジャズミュージシャンと言う人たちは長生きできないんじゃないかと、妙に
真剣に思った経験があります。
佐藤允彦氏のホームページにその鈴木氏との交流をつづったエッセイが載って
います。このエッセイを読むと塾の先輩後輩という暖かいつながりの中�ナ互いに
尊敬し高めあっている様子や素晴らしいお仲間との交流が良く判ります。
(佐藤氏のホームページ)
佐藤氏がプロデュースした鈴木氏のピアノソロアルバム「WITH MY WHOLE
HEART」(1996年)日本クラウン発売、特に和音の展開など偉才を発揮された
傑出したソロアルバムです。
テナーサックスの山口真文氏は最新作にはCD「INVITATION」スキップレコ
ード発売(1998年)、がありスタンダード中心の密度の濃い演奏が楽しめる作
品です。
日本のジャズドラマーの草分けであり、後に性格俳優として名をなし、晩年は
大阪芸術大学の教授となられた故フランキー堺氏(昭年26年卒)はじめ。管楽器
奏者としては、ジャズクラリネットの北村英治(昭和28年卒)氏がテディウイ
ルソン等海外のミュージシャンとのレコーディングを何度も行うなど、世界の
EIJI KITAMURAとして100枚を超えるアルバムを発表されています。また
西条孝之助氏(昭29年卒)は、ウエストコーストスタイルのバンドを結成・活躍
の後、現在ではよくNHKの番組などで前田憲男氏の率いるオーケストラ・
ウインドブレーカーズにてスタンゲッツを髣髴とさせる流麗なソロを披露されて
います。また関西で活躍されておられるヴィブラホーンの第一人者である鍋島直
昶氏(ジャズボーカルの大ベテランの笈田敏夫氏と同期)も現在76歳のご高齢
ながら今年も新作CDを発表の準備をされるなど元気に活躍されています。
以上私がざっと知りうるだけ(諸先輩とその周辺のみ・詳しくはありませんが
若い世代にも優秀なミュージシャンがいます)でも多くのミュージシャンがおり、
他にもレーシングドライバーとしても有名であった作・編曲家でピアニストの故
三保啓太郎氏、ジャズ評論家に大御所の故油井正一氏、私たちもライブをやらせ
ていただくなどたいへんお世話になった評論家で自由が丘「5スポット」のオー
ナーだった故いソノ・てルヲ氏、ジャズ評論家であると同時にジャズを現場で支
えるライブハウスやジャズ喫茶の経営でも多くの人に影響を与えた吉祥寺
「Funky」の故野口伊織氏や、現在も四谷で「イーグル」を経営されている後藤
雅洋氏など多士済済、「慶応とジャズ」というだけで優に数冊の本が出来てしま
うくらいです。
再開したバンド活動
昭和47年に大学を卒業後、しばらくはプレ戟[ヤーとしてトジャズからは遠ざかっ
ておりましたが、昭和60年現在も所属しているBJO(Bluesinユ Jazz Orchestra)
の創設に参加音楽活動を再開しました。現在は第五代目のバンドマスターをして
います。
このバンドは関西在住の社会人からなり、女性三名を含む17人のフルバンド
編成となっています。このバンドには慶応OBが私を含めて4人在団しておりま
す。スケジュール調整の難しさや転勤に伴うメンバーの欠員等々仕事をもつ社会
人バンドならではの苦労がありますが、週末三々五々と楽器を持つ20代から60
代のメンバーが現われ一つ一つの曲を仕上げていく喜びには、仕事の疲れや生活
のストレスも吹っ飛び、なにものにも変えることは出来ません。カウントベーシ
ーのビッグバンド曲や比較的スタンダードなものを教育委マ員会の主催のコンサー
トやライブハウスそしオてパーティなどで演奏しております。
(BJOのホームページ)
KOPの結成
また、一昨年の2000年には、ミレニアム関西合同三田会の開催の際、念願
の関西在住者からなる慶応卒業生によるバンドを結成、デビューすることが出来
ました。バンド名はKOP(Keio Old Persons)Super Band(OB・BANDとし
なかった理由はお判りですね)と名づけました。もはやインターネット三田会で
もおなじみとなった、小川理子さん(昭61理工卒)のボーカルとピアノをフィチ
ヤ−リングしたスタンダードジャズバンドです。アルトサックス・テナーサック
ス・トロンボーン・ヴィブラホーン・ピアノ・ベース・ドラムス正式メンバー7
人編成、内訳はKMP・OB二人、ライト・OB三人、他バンドOB二人となっ
ています。関西合同三田会の後、たいへん評判がよく、あちこちのライブハウス
から声がかかり活動を進めようとしていた矢先、小川さんはじめメンバーの約半
数が転勤、小川さんの帰阪スケジュールに従ってライブハウス、三田会催し等で
不定期に活動をしています。
好きでありつづけること
思い返せば、ドラムスのスティックを握ってからブランクはあったものの36年。
よくまあ続いてきたものだと思います。この年齢(現在55歳)になるとよく人に
「楽器が弾けるって素晴らしいですね」と言われます。「いやでも若い頃は先輩
に怒鳴られたり、自分の才能の無さにがっかりするなど、ずいぶんつらいことも
あったんですよ」とはいいますが、実際私自身音楽を続けられる喜びを日々感じ
ております。
こうした趣味を一貫して持ちつづけることの出来ることの喜び、何故自分がこ
うした趣味を持ちつづけることが出来るのか、今まで当然のこととして深く考え
ることもなかったのですが、最近次の言葉を聞いてたいへん納得しています。
大リーグへ渡ったイチロー選手が少し前ある証券会社のコマーシャルの中で語っ
ていた言葉です。
「今、自分がやっていること...が好きであるかどうか、それさえあれば、自
分を磨こうとするし、常にこう前を進もうとする、自分がいるはずなんですよね。
」 ジャズが、音楽が大好きなのです。なんといわれようと好きなものは好きな
のですね。好きでありつづけることの大切さ、素晴らしさを実感しております。
無論、家族も好き。研究したり、ものを書いたり、人と話したりすることが好き
だから仕事も好き。人生にとって最も大切なことは「好きなことを見つける」
「好きでありつづける」ことではないかと痛感しております。
これからもこの言葉を胸に、勝手きままな人生を支えてくれた妻や家族そして素
晴らしい友人や仲間たちを�蜷リに、仕事にも音楽活動にも精一杯t取り組んでいき
たいと思っております。
以上
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澤崎 至さんご多用の中のご寄稿を有難うございました。
当会サイト「趣味・道ケ楽/ジャズ」のライブハウス紹介の関西情報は、
澤崎さんにご提供頂いております。
今月は、掛田 成徳さん(平4政)にご寄稿をお願い致しました。
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「日本ブランド」を育もう
早速ですが、中小企業とは資本金1億円未満の企業のことをいうそうです。
個人事業の形態で、全社員数は社長を入れて14人というわが社は、中小企業と
いうより零細企業と呼んだ方がいいかもしれません。ある一つの零細企業から
見た自社とそれを取り巻く環境についての思いを書いてみたいと思います。
零細企業として、小さくても意地はあります。誇りもあります。その根拠に
は長年貫き通してきた会社としても信念があります。
ここでまず、そんなわが社の紹介をさせていただきたく思います。わが社は
日本軽電機製作所といい、東京都府中市で電源機器の設計・生産・販売を業と
しています。自社ブランド“AUTO STAC”を冠した独自の製品を、独自の販
売ルートで販売しています。主力製品は「自動電圧安定器」というもので、商
品の性質上、製品を100%輸出しています。それも90%は商社を介さない外国
企業との直接取引です。東南アジアや中近東においてはわが社のブランドは広
く知られ、市場をほぼ独占している国もあります。零細企業でもここまでやっ
ています。自社ブランド製品を自社で直接販売していく、これはひとつの誇り
です。
偉そうなことを書いたかも知れませんが、実は私自身この会社に入社したの
は昨年の6月でした。わが社は電子部品のトランスメーカーとして、今から42
年前に現在も社長の父が創業しました。電機業界では創業30年で老舗と言われ
るそうですが、その点ではわが社も老舗の部類に入ります。そんな父と叔父た
ちファミリーで経営するこの会社に私は入社しました。というより、感覚的に
は帰ってきたというほうがぴったり来ます。私は生まれた時から工場の敷地内
にあった家で育ちました。
慶応義塾大学卒業後、飛び込みでマレーシアにある日系電線メーカーに就職
し、現地で6年間勤務しました。その間には同社の仕事で、一人アメリカ事務所
を立ち上げて一年間勤務したこともあります。今、私は外の世界との接触が比
較的少ないわが社に少しでも新しい風を吹き込めれば、と考えています。現在、
総務と商社関係の営業を担当しています。もちろん人手の少ない零細企業です
から、生産が忙しい時には現場に入って作業もします。気が付いた仕事はなん
でもするのが基本です。経理もやりますし、外国からの引き合いの処理もしま
す。
話が遠回りしました。わが社の貫いてきた信念に話を戻しましょう。
日本のメーカーが続々と中国をはじめ海外に生産拠点を移す中、わが社はいま
だに日本での生産を行っています。これは一つの小さな意地といえるかもしれ
ません。中国への生産移管を提案する企業からのお話も頂きますが、すべてお
断りしてきました。なぜなら、日本でやっていける、またまだやっていくべき
だと考えているからです。
わが社が日本で製造業としてやっていくその理由は単純明快です。それは
日本で創業し、日本で育ち、日本人が経営している会社だからです。また日本
でやっていく上での大きなメリットはいまだ健在の「日本ブランド」のおかげ
です。MADE IN JAPANの製品を喜んでくれるお客様が海外にはたくさんいま
す。これは特殊技術を駆使した一品料理的な製品に限りません。わが社も同じ
製品を月産3,000台から4,000台販売しています。
日本には戦後50年にわたって培ってきた「日本ブランド」を手放す方向の
企業が多いことに、実は私は驚いています。日本メーカー各社の海外移管は
生産にとどまらず、さらに技術移管まで進みつつありますが、これが進行す
ればやがて「日本ブランド」は霧散してしまうでしょう。「日本ブランド」
は国の非常に貴重な財産であると思います。それが無くなってしまった場合に
日本産業界には何が残るのか非常に心配です。
コスト第一で考えれば、それは中国などで生産した方がよほど有利でしょう。
最近は中国製品の品質も上がってきていると聞きます。しかし、一つの信念と
して、「日本ブランド」を育て、またこの恩恵を授かってきた日本企業である
以上、このブランドをいつくしむことはわれわれの責任だと思います。また、
長い目で見れば国にとっても、各企業にとっても非常に有益なことだと思いま
す。一度失ったブランドイメージを取り戻すことは至難の業です。日本企業と
いいながら、実態は外国国籍といったほうがよい企業がいかに多いか。将来日
本は生き残れるのか、東京郊外の零細企業の工場でそんなことをつらつら考え
てしまいます。
話を広げさせてもらえれば、昭和40年代生まれの私たちの世代は、戦後の日
本の成長期にがんばって日本を豊かにしていただいた世代の方の遺産を受け継
ぎました。経済的な豊かさ、これを正の遺産の一つです。あえて具体例はあげ
ませんが、もちろん負の遺産も受け継がなくてはなりません。正の遺産はこれ
をより大きく育て、負の遺産はこれをより小さくするように努力し、次の世代
に引き継ぐことは当然の責任だと思います。偉大なる正の遺産である「日本ブ
ランド」を大事に育てるということはわれわれの世代にとっても大切な責任な
のではないでしょうか。
さて、これからのわが社の課題ですが、大きく2つ挙げさせていただきたい
と思います。現在わが社はサウジアラビア文部省のお仕事を頂き、実際のとこ
ろ生産が追いつかなくなるのではないか、と心配になるくらい仕事を抱えてい
ます。しかし、常に新たな商品を開発してアピールしていかなければやがて市
場から取り残されてしまいます。そこで昨年来、無停電電源装置の開発と、国
内同業者との大型の自動電圧安定器の共同開発を進めてきました。これらの商
品化が数ヵ月後に達成される予定です。もちろん市場に既存の製品とは一味も
二味も違うわが社独自の製品になります。
また、2、3年前から報道されて問題になっている模倣品対策も早急に実施し
なければなりません。その多くは中国製で、非常に厄介な問題です。わが社の
名前とMADE IN JAPANを印刷した外観がそっくりの模倣品が出回るようにな
った当初は驚き、呆れ、当社の製品も有名になったものだ、などと苦笑いして
いたのですが、最早笑って済まされる程度ではなくなりました。模倣品メーカ
ーも分かっているだけで5社あり、現在専門家の意見を聞きながら法的実力的
対策を講じているところです。この件につきましても、日本産業界が長年培っ
てきた「日本ブランド」という貴重な財産の侵害行為であり、わが社もその計
り知れない被害者のほんの一粒だと思います。これはわが社にとっても国にと
っても、なんとしても阻止しなければならない問題です。資金の問題や中国関
連当局の不透明な部分もあり、本格的な対抗策がなかなか打てず、正直なとこ
ろ、今では歯軋りする思いをしています。
最後になりましたが、私自身の将来の目標を掲げておきたいと思います。
今までの社会人としての経験から、多くの人と有益なお付き合いさせていただ
きましたが、今の自分にとって最大の目標人物は父である社長です。現在70歳
になりますが、会社経営者として40年の間蓄えてきた経験、度胸、勘など、
すべての力をなるべく短い時間で学び取って、父以上の零細企業のオヤジにな
るのが私の目標です。そしてこの会社の良い伝統を引き継いで、よりよい形で
次の世代まで育てたいと思っています。
皆さんのご意見がいただければ、是非参考にさせていただきたく思います。
ご意見がありましたらメールsskakeda@hotmail.comまでお願い致します。
今月は、甲野卓治さん(昭61文)にご寄稿をお願い致しました。
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「コンピューターの日本語表記について」
インターネット三田会の皆さん初めまして。昭和61年文学部人間科学専攻
卒の甲野卓治と申します。インターネット三田会では平成10年の秋、自宅でイ
ンターネットを始めた時点からお世話になっていますので、会員歴だけは古い方
だと自負しています(笑)。
私は卒業後、大手化学メーカーに入社し、大阪で印刷機材を扱う営業としてや
って来ましたが、数年前に当時の得意先であった印刷会社に転職、現在ではプリ
プレス部門のシステムおよびネットワーク管理の仕事を担当しています。印刷製
版の分野でもDTP(デスクトップパブリッシング)と呼ばれるMacintoshを中心
とするパソコンでの処理が主体となり、ここ数年で大きく業態が変わっておりま
す。
今回、小野様よりリレーメッセージの依頼を頂き、安直にお引き受けした後で
何を書けばよいのか随分悩みましたがパソコンを日常使って仕事をしている自分
の経験から少しでも会員の皆さまのお役に立てる事はないかと考えた結果、コン
ピューターの日本語表記について書かせていただくことにしました。DTPの現場
で最もトラブルが多く頭を悩ませるのは文字化けや字送りの乱れなど文字の処理
に関することです。ただ、ここでは専門的な事よりも皆さんが日常パソコンを使
われる時に知っておけば便利と思われることをいくつか選んで説明させていただ
くことにします。
1)コンピューターは日本語表記が苦手である
まずこれは覚えておいて頂きたいことです。Windows、 Mac、Unixなど現在の
主要なOSは英語圏で生まれたものであり、文字表記に関してはアルファベットの
大、小文字と数字、記号等、百数十文字を管理できれば事足りるシステムをベー
スとしています。しかし、日本語の場合、ひらがな、カタカナは勿論のこと数万
字を越える漢字かあり、とてもそのシステムでは賄いきれません(アジア、中東
諸国も事情は同じです)。よって欧文フォントの表記手段を拡張させた方法で現
在の日本語表記のシステムは作られていますが、これが日本語表記を巡る状況が
混乱している第一の原因です。
ちなみに2進8桁を基本とするコンピューターのデータ単位から欧文フォントは
1バイト(8ビット=2の8乗=256文字の表記が可能)フォント、和文フォントの
場合は2バイト(16ビット=2の16乗=65 ,536文字の表記が可能)フォントと
呼ばれています。また、日本語フォントのファイルは1バイトの文字グループを
無理やりグループ化して2バイトにまとめた煩雑な作りになっています(*近年、
文字をC-Mapと呼ばれるコードで文字を管理するCIDと呼ばれる新しいフォント
も出ていますが話が煩雑になる為ここでは触れません)。
またJISの規格によって取り決められた文字コードを元に幾つもの文字セット
が作られていますが、現在主流となっているフォントは主要なJIS第一水準と第
二水準の漢字のみのサポート(約7000字)となっており、それに漏れた漢字は
標準ではコンピューターでは表すことができません。ワープロなどで自分の名前
を正確に表記できない方がいらっしゃるのはそのためです。
2)データを交換する時には機種依存文字は使わない
メールなど、データのやり取りの際に注意すべきことがあります。異なるOS間
には互換性の無い文字があるということです。例えばWindowsの場合は90ms、
Macは90pvと両者ともJIS90に準拠した文字セットを採用していますが一部の記
号系の文字(マル日、ハートマーク、平方メートルといった文字)に互換性がな
い部分があり(一部はあるからややこしいのですが)、それらの文字はOSが変わ
ると必ず文字化けを起こします。こういった各OSが独自の文字コードを割り当て
ている文字のことを機種依存文字と呼びます。
有名な所ではMacの半角カタカナは1バイトで作られた特殊な文字コードとなっ
ているためWindowsへ持っていくと文字コードの判別が狂い、その文字以降の文
章が全ておかしな記号に化けてしまいます。
相手の使用する環境が分かっている時以外、特にホームページの作成やメール
のやり取りの際には記号パレットから選びだすような特殊な文字は使わない方が
無難です。
3)今後の日本語環境について
継ぎ足しだらけで成り立っているのが現在の日本語表記とも言えるのですが、
こういった状況を世界レベルで共通化しようという動きがあります。
第一が文字コートのユニコード化。
これは世界の全ての言語を一つの文字コードにまとめようとする動きです。こ
れが完成すれば言語別にカスタマイズされているOSやソフトのディスクを一本化
でき、またOSの違いによる文字化け等の問題もなくなります。しかし、元々ソフ
トの製造コストの削減を狙った欧米主導で進められた規格だったため、漢字の扱
いに不備な点が多く、現在も改定作業が続けられています。Windows98、Mac
OS8.5以降はOSレベルでユニコードをサポートしていますが、フォントとア
プリケーションの対応が必要なためメリットはほとんど形になっていません。
第二に「OpenType」と呼ばれる新しいフォントフォーマットの登場。
現在のフォントには、主にプロの出力に用いるPostScriptフォント(Macの
細明朝体など)と一般用のTrueType(WindowsのMS明朝、MSゴシック、Mac
のOSAKAなど)の二種類がありモニター表示やプリント時の仕組も全く異なった
ものとなっています。
元々はソフトメーカーの利害関係から異なる規格のフォントが存在することに
なった経緯があるのですが、最近のユニコード対応の動きをふまえて、これらを
統一するための新しいフォントの規格として登場したのがこのOpenTypeフォン
トです。簡単に言えば、従来の二種のフォントの良いところを合わせ持つ上、ユ
ニコードに完全対応した文字セットから成り、ファイル自体もOS間で共通という
新しいフォントフォーマットです。
しかし、このフォントが革新的なのはユニコードに含まれるJIS第三水準や第
四水準の漢字を含むJIS X 0213の総数20000文字を表記できることです。これ
は従来電算写植機しか扱うことができなかったほとんどの漢字が含まれる為、
この環境が一般的になればワープロで自分の名前を正確に印字できないなんて事
は無くなります。
OSではWindows2000、MacOSX以降が標準でサポートしていますが現在、
日本語フォントとしてリリースされているのはMacOSX付属のヒラギノ書体と
Adobe社の小塚書体の二種類のみです。また、この機能もアプリケーションの
対応が必要であり、現在使うことができるのはプロ用レイアウトソフトの
Indesign(Mac/Win)とMac用のワープロソフトEG-Word13(MacOSX版)
のみとなっています。実際のところ細かい問題はありますが今後、徐々に普及
が進んで行くと思います。
以上、コンピューターの文字について書いて来ましたが蛇足ながら最後に一言。
現在のコンピューターのスペックアップはすさまじいものがあります。私が学生
だったころ、社会心理学を専攻していましたので卒論では社会調査を行い、デー
タの解析は三田の電算機室のメインフレームを使いましたが、なんとプログラム
やデータ入力はパンチカードへの打ち込みで行っておりました。当時、西校舎と
生協の間にあったプレハブのパンチ室に何日もこもってデータ処理をしたのは懐
かしい思い出ですが、今ならExcelあたりで数式を作成すれば簡単に処理できて
しまう内容です。正に隔世の感ですが、ツールの向上は便利な反面、逆にある意
味での余裕を奪っている面もあるのではないでしょうか。データ処理が手軽にな
った分だけ多くの事を求められている現役の学生の方は本当に大変だと思います。
我々のDTPの現場でも数年前までは職人さんの手作業で丸一日かかっていた処
理や1億近い投資が必要だった専用システムで行っていた作業が、数十万のパソ
コンで簡単かつ迅速に処理できるようなってしまいました。確かにDTPが作業の
標準化と低コスト化に果たした役割は計り知れないものがありますが、短期間に
ここまで環境が変わると作業現場での職務分担にも大きな歪みが生じ頭の痛い問
題となっています。また、この手軽さが値引や納期競争の引き金になってしまっ
た一面もあります。
しかし、わずか数年で陳腐化してしまうハードの問題はどうにかならないでし
ょうか。特に今の職場では営業時代に自分で売込んだ機械に囲まれている私にと
っては深刻な問題です。たった5年前にUNIXサーバーのわずか40GBのディスク
アレイが1500万もしていたような世界ですから。償却の問題もあり簡単に廃棄
するわけにもいかず、そうかといって作業に支障をきたす遅い機械を放置するわ
けにもいかず・・・と、いかに好きで選んだ道とはいえ毎日複雑な思いで仕事を
している今日この頃です(笑)。
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『経済思想から見た教育制度』
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メールマガジン「日本国の研究」 2002年01月23日発行 第126号 論説号
に掲載された論説を、筆者と編集者のご了解を得て転載させて頂きました。
「日本国の研究」 編集長 猪瀬直樹氏サイト http://www.inose.gr.jp/
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「経済思想から見た教育制度」慶應義塾大学経済学部助教授 池田幸弘
●民間活力と教育制度
前回に引きつづき(拙稿「経済思想から見た規制緩和論」、本メールマガジ
ン65号参照)、今日私たちがかかえる諸問題をフリードマンとともに考えてい
くことにしたい。今回の問題は教育制度である。国立大学が独立行政法人化し
なければならないのはなぜか。どこの大学でも学生による授業評価が問題にな
っているのはなぜか。また、都市部での一般的傾向として、早い時期から私立
校を選ぶ両親が増加しているのはなぜか。
こうした問題を原理的に考えるためには、ジャーナリズムや現場での議論を
追跡するほか、教育や経済の言説にかんして古典とされてきた文献に立ち戻る
ことが必要であろう。前回同様、フリードマンの『資本主義と自由』と『選択
の自由』をもとにして、こうした問題について考えるヒントを探ってみたい。
●初等教育と授業料クーポン制度
まず初等教育段階からはじめよう。初等教育段階においても公立校、私立校
という制度上のちがいがある。フリードマンは現行の制度は、私立校にたいし
て不利に働くとし、その論拠を大略以下のように説明している。
いま公立校の運営にかかわるもろもろの費用を国庫が負担していると想定し
てみよう。これらは最終的には税金を通じて民間の経済主体によって負担され
る。簡単化のため、社会に存在する人間は二人だとしてみる。それぞれA、B
とする。公立校の運営にかんする国庫負担額が総額100万円だとすれば、こ
れらはA、Bによって負担される。A、Bの負担額はそれぞれ50万円になる。
ここで、Aは実際に公立校に通い、Bは私立を選択したと想定する。この場合、
Bはさらに付加的にたとえば100万円という私立校の授業料を負担する。B
の負担額は全体で150万円になる。Bはこれらの金額全体を負担していると
いう感覚はもたないかもしれないが、フリードマンは現行の制度は公立校、私
立校の間の競争、そして初等教育の選択を歪めているという。もし、税負担が
なければ、私立校を選ぶ消費者層は増大するはずだからである。
このような問題を解決するために考案されたのが、授業料クーポン制度であ
る。クーポン券にはある額面が記されてある。このクーポン券は、私立、公立
を問わずどこの学校でも使用することができる。もし額面40万のクーポン券で
あれば、国庫から学校にその額だけの支払いがなされる。このような制度の変
更によって何が変わるのか。
まず公立に通っていたAであるが、この生徒が通う学校の運営にかかわる費
用が50万であれば——これはさきの公立校の運営にかんする費用が総額100
万だとすれば、一人あたりの費用としては不自然ではない想定であろう——40
万をクーポン券で払い、残りの10万を私費で払うことになる。またBは100
万の授業料のうち40万をクーポン券で残額の60万を私費で払うことになる。こ
のとき、最終的にはクーポン券の支払いが民間の税負担によるものだとすれば、
Aの負担総額は50万、Bの負担総額は100万になる。Aの状態は以前と変わ
らないが、Bの負担は明らかに小さくなる。これが、授業料クーポン制度の含
意なのだ。
現行の制度は明らかに公立校に有利で私立校には不利だと、フリードマンは
言う。もちろん、現実の制度は日本にしてもアメリカにしてももっと複雑であ
る。しかし、受益者負担という原則からすれば、フリードマンの議論は明快だ
といえる。
●高等教育をいかにファイナンスするか
以上は初等教育段階での問題を指摘したものだが、さらなる問題としては大
学レヴェルでの教育を誰がどのようにしてファイナンスするかという問題があ
る。まず、フリードマンの所説を紹介する前に、誰が支払うかということにつ
いて予備的な考察が必要であろう。しばしば指摘されるように、大学での授業
料は我が国では両親が支払うケースが多い。これにたいして、欧米の大学では
学生本人がなんらかの形で負担することが多いとされている。
もっとも正確に言えば、森嶋通夫がその半生伝『終わりよければすべてよし』
(朝日新聞社)で述べているように、アングロサクソンの国では本人負担、ギ
リシャなどの南欧の国では両親が負担するという傾向もあるらしい。これは、
以下の議論にさいしても決定的な重要性を持っているが、家族制度の差異も手
伝ってのことなので、本人が負担せよといっても簡単にそうなるものでもない。
さて、このような問題が解決されたとしてみよう。『資本主義と自由』や
『選択の自由』で推奨されているのは、学生が将来の所得を根拠として授業料
に必要な金額を調達するというシステムである。簡単に言えばローンを組むわ
けだ。このようにして経済的に恵まれない学生であったとしても必要な資金を
借りることによって学業をつづけることができる。このさい、ローンの株式化
をフリードマンは示唆している。つまり、将来所得の一定割合を投資家に支払
うことを定めたうえで投資家と学生が契約を結ぶということになる。同じく年
収の1パーセントを投資家にたいして支払うという約束であっても年収500
万が期待される場合と年収1億が期待される場合とでは、投資家の意欲は大い
にちがってくる。有望な学生のローンが株式化されれば、高値で取り引きされ
る。また、流通市場が整備されたものであれば、投資家としても初期の時点で
すべての金額を固定化してしまう必要がなくなる。必要であれば途中で株式を
売却すればよいからである。
●終わりに
このように、フリードマンの考えの根底には受益者負担という概念がある。
学生は教育サーヴィスを買い、教員はできるだけ良質の教育サーヴィスを売る。
これは、経済学の基本的な概念を教育に適応したもので、新古典派の経済学者
にとってはさほどの違和感はないが、教育の現場にいる人びと、あるいは教育
学者にとっては議論の設定そのものに異論があるだろう。冒頭で述べた学生に
よる授業評価についても同じような見地から批判がなされることがある。いま
の学生にはたして授業の評価ができるだろうか、というわけだ。
筆者自身は授業評価にさいしては、二つの点を区別しなければならないと考
えている。形式的な評価と内容的な評価である。後者については、確かにその
ような評価が可能かどうかは議論の余地が大きい。しかし、形式的な評価は可
能だろう。ここで言う形式的な評価とは、声が大きすぎる、小さすぎる、板書
が多すぎる、少なすぎる、話し方が早すぎる、遅すぎるといったことである。
このような諸点については、受益者たる学生のコメントは参考になると思われ
る。たかが教育上の技術といって無視してはならない点であろう。
■著者略歴■
池田 幸弘 (いけだ ゆきひろ) 慶應義塾大学経済学部助教授、経済学博士。
専門は経済学史・経済思想史。主要な著作に Die Entstehungsgeschichte der
Grundsaetze Carl Mengers, St. Katharinen, 1997. "Carl Menger
in the
1860s", in Gerrit Meijer ed., New Perspectives on Austrian
Economics,
Routledge, London, 1995 他。
今月は、田久 浩志さん(昭53工/55修)にご寄稿をお願い致しました。
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『ロト6を当てやすくする方法』
中部学院大学 人間福祉学部 健康福祉学科 田久浩志
昭和53年工学部電気科卒、昭和55年工学研究科電気専攻修了の田久(たきゅ
う)ともうします。塾には中等部から12年ほど在学し、その後、産業医科大学、
東海大学医学部、東邦大学医学部、そして現在の中部学院大学と移動してきまし
た。工学、医学、福祉とわたりあるいた変り種です。医師ではありませんので
病気の相談はご容赦を。
現在の大学では、統計学、医療情報学、病院管理学などを教えておりますが、
お前の専門はなんだ?と言われると少々こまります。世の中、「専門がなけれ
ば」という風潮がありますが、近頃の不景気では少し風向きがかわてきました。
何でも出来るほうが案外生き延びれます。何でもできるスペシャリストにはな
りたいと思いますが、一つのことしかできないスペシャロイドになる気は毛頭
ございません。今日は、私の好きな「読者の立場にたった統計学」の話をいた
しましょう。
【お宝の山をほりあてよう】
データマイニングという言葉を聞いたことがあるだろうか。データに潜む規
則性を見つけ、それを役立てようという話である。まじめに行えば、会社や病
院に蓄積されている膨大なデータから役立つ情報を探し出す話になるが、なか
なか興味を持っていただくのは困難である。そこで、頭の体操もかねて今日は
「宝くじ」の話をお届けしよう。
ここで対象とするのは「ロト6」である。SMAPの中井君のCMで有名になっ
たが、43個の数字から異なる6個の数字を取り出してその一致度を競うもの
である。すべてあっていて賞金の積み残し(キャリーオーバー)があると最高
3億円も夢ではない。
私は仕事柄、看護婦の研究活動の支援が多く、誰もが興味をもってくれるLO
TO6の「データを題材にして授業をするのも悪くはない、と考えた。そこで、
データを第一勧業銀行のHPからダウンロードし、ああでもない、こうでもない、
とグラフを作り始めた。そんな作業をしていた2001年の暑い夏の夕方、妙なこ
とに気がついた。
全体の43個の数字の出現頻度をみると、特にどの数字がでるという傾向はな
い。しかし、見方を変えるとある種の規則性がデータの分布にあるように見え
るのである。この規則を読み出せば、中井君ではないが3億円入手するのも夢
ではない。1億あったら何をしようと夢は膨らむ。不動産、株式などを除いた
ら貧乏人にとって一億は使いづらいお金である。ロールスロイスやフェラーリ
もたかが3000-4000万円で買えてしまう。アンティークは値段があってない
ようなもの。いっそのこと、景気良く塾にどかっと寄付でもしようか、自分の
名前をつけた奨学基金でもつくろうかなどと夢は膨らんでくる。その日から、
8割のそろばん勘定と、2割の研究心(?)からの解析バトルが始まった。
【さいはなげられた】
メールの文字だけで、数字の分布を示すのは難しいので下記のURLをご覧に
なっていただきたい。
http://www.ccn.aitai.ne.jp/~takyu/takyu.html#LOTO
ここで用いた数字は少しまえのものでだが、第1回から第43回までのLOTO
6の当選番号をグラフに示したものである。このグラフを見ていただきたい。
これは、数字の1から数字の43までの頻度がほぼ一様になっているのを示して
いる。特にどの数字がでるようにも見えない。いくつかの数字は多く出現して
いる印象はある。
http://www.ccn.aitai.ne.jp/~takyu/TAKYU/LOTO/LOTO-00.htm
次に、6個の数字を小さい順に並べ、それをd1,d2からd6と名づける。この
d1からd6毎の頻度をみてみよう。今度は、かなり傾向がでているのがわかるだ
ろう。一番小さいd1は1から15あたりまでに偏り、逆に一番大きいd6はかなり
大きい数字に固まっている。
もしでたらめに数字を6個選ぶよりは、この法則を考慮して数字を選べば何十
倍もあたりやすくなるはずである。
http://www.ccn.aitai.ne.jp/~takyu/TAKYU/LOTO/LOTO-01.htm
そこで、第一勧業銀行にLOTO6の抽選の仕方を尋ねた。そうするとボール
43個をぐるぐる回し、そこから6個取り出すとの回答を得た。「ひょっとす
ると物理的なゆがみかな?」一瞬そう考えた。もし円盤をアーチェリーで射抜
く以前の宝くじの当選方法なら、数字の偏りはでない。しかしボールの現物を
ぐるぐるかき回していたら、ゆがみや傷で選ばれる確率はかわるのはありえる。
そのころ参加した統計ソフトSASの全国大会で友人の統計学の専門家に、こ
のことを尋ねてみた。皆から「田久さん、あんたのいってることはただしいと
思う。このデータは偏りがあるよ。」との返事をえた。こうなると勇気百倍、
こちらの思い違いではなさそうだ。その時、真面目な先生が発言した。「これ
はまずいですよ。第一勧業銀行におしえなければ」、とその瞬間である。専門
家が彼を囲み、一言「あんた、あした、横浜の運河にうかんでいるよ」。真面
目な先生いわく「失礼しました。出すぎた発言でした」。専門家も案外怖いも
のだと思い、その日は家路に急いだ。
【小さな疑問】
統計学の教科書では試料のばらつきをもとめる演習がよく記載されている。
0から1の間に一様に分布する試料から10個の試料を取り出して、その平均
と分散を求める、といった手合いの演習である。結果はほぼ、正規分布に近く
なるのであるが、それと、どこかLOTO6の問題が似ているのに気がついた。
理論的に考えるのは情報屋(このことばはあまり好きではない。ミステリーに
でてくるタレこみ屋に似ているからである)は好きではない。情報屋はいかに
効率よく仕事をするか、いかに簡単にデータを出すかにしのぎをけずるものだ
と私は思っている。どうせやるなら数値実験だ、43個の数字から6個の数字を
ランダムに取り出して、出た数字を記録するプログラムを作成して1万回繰り
返した。結果は、ほぼ理論的なd1-d6の分布となるはずである。その結果を表
示して驚いた。
http://www.ccn.aitai.ne.jp/~takyu/TAKYU/LOTO/LOTO-02.htm
その結果と、実際の数字の出現頻度はほぼ一致した。理論的な変数分布と試
料の変数の分布の一致度をはかるKolmogorov-smirnov検定という方法があ
るが、それにかけても、分布は同じと考えてよいという結果がでた。
つまり、誰も気がついていなかったが、LOTO6の数字のでる範囲は理論的に
推測できた訳である。
【確率はどれくらい?】
さて、LOTO6のあたる確率はどれくらいだろうか。最初の数字を43個から
選ぶとする。そうするとその確率は1/43。残りの42からまた選び、次は41か
らと繰り返すことを考えれば、理論的な確率が求まるはずである。つまり、
43*42*41*40*39*38 分の1の43億分の1があたる確率である。
今まではでたらめに数字を選んだから43億分の1であった。しかし、もし
d1がほぼ1から17の間からでると考えると、1/43でなく1/17の確率になる。
以下、他のd2,d3,d4,d5,d6に同じ操作を繰り返せばあたりやすくなった確率
が求まる。
試算の結果、ほぼ25倍当たりやすくなるという結果になった。LOTO6が
25倍当たりやすくなる、非常に魅力的なキャッチフレーズである。しかし、
ちょっとまっていただきたい。元が43億、25倍あたりやすくなっても1億
7千万分の1である、世界で一人しか当たらなかったのが、ほぼ日本で一人
あたるようなもの。こんなに当たりやすくなったと考えるか、これしか当た
らないと考えるか。それはその人の性格次第であろう。
また、d1が90%の確率ででる数字の範囲はここからここ、と自信を持って
いえるが、実際には6個の数字の組み合わせが必要である。つまり、どの数
字が当たるとはいえないのである。
しかし、ここまで来ると読者の皆さんは確率統計のおもしろさが少しはわ
かっていただけたであろう。それはそれで非常に重要なことである。
【おわりに】
統計学を学生に教えるのは難しい。正式には数III程度の積分の知識が必要
である。しかし数IIIの知識がなくても、保健、医療、福祉の分野に学生は進
学してくる。それらの学生に本気になって数式、積分を使って統計学を教え
れば、黒板の文字は華麗に睡眠薬に変身してしまう。そして多くの学生が、
卒業後の研究活動で必須の統計学より脱落してしまう。
これは教えるほうにも問題があり、一種のファカルティデベロップメント
の問題となり、教員の資質が問われるがその詳細はここでは言及しない。
しかしながら、学生が興味を持つLOTO6のような題材を使えば、脱落者は
少なくなるはずである。説明するのに難しい確率密度関数なる概念も、どの
数字を買えばどの程度あたるかと同じ話と説明すれば誰でも理解が可能である。
学生、受講者、読者が興味を持つ素材をいかに探すか、それが教員にとって
大きな課題である。そのような意味でデータマイニングの考えは役にたつ。
なぜなら、見過ごしていたデータにお宝が潜む可能性があるからだ。
【参考】
現在、使っている看護婦向けの統計題材を示します。誰もが興味をもつ生の
データを提供してもいい、という方は連絡してください。お礼に今回、話した
d1-d6の数字のでる確率をさしあげます。
大安吉日になると患者は退院するか
看護婦は茶髪をどこまで許すか
気合のはいったデートではヒールの高さは高くなるか
病棟によってつめの長さはことなるか
患者さんのちょっとまってはどれくらい?
学生の「友達みんな」は何人ぐらい
理想のBMI、現実のBMI
スマートな子は背の高い彼がすきか
イッキ飲みの経験とアルコール代謝能力
今月は、高橋洋文さん(昭47経)にご寄稿をお願い致しました。
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『伝統工芸』
私は昭和47年経済学部卒業の、高橋洋文と申します。
小野先輩より私が従事する、伝統産業あるいは伝統工芸に関し何か書いてみたら
というご依頼があり、拙き文ではありますが最近つらつら思う雑感を記してみま
す。
全国に多々ある伝統産業や、種々の伝統工芸をひとつに縛って語るのはかなり
無理があります。というのも中には機械で作られているものもあれば、こつこつ
とした職人の技でのみ成り立つものもあるからです。又そうした伝統工芸の中に
も、一つの作品、完成品を殆ど一人の力で作り上げることの出来るものと、一つ
一つの仕事がそれぞれ伝統工芸でありながら、それのみではただの一つの