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全国高校生小論文コンテスト
近年、子供たちの学力低下を懸念する声も高まっていますが、
このコンテストに応募してくる高校生の文章を見るかぎりにおいては、
高校生の段階ですでに、高い水準の思考と表現の能力を身に付けている人が存在します。
また若さ溢れる理想と新鮮な感覚を持っていることを知ることが出来ます。
中高生を持たれる塾員の方々は、彼らの小論文に目を通されて、
マクロの議論に振り回されることなく、
ご家庭内での教育に役立てて頂きたく存じます。
「三田評論」1月号に当選小論文と選評が掲載されます。
第31回 小泉信三賞 審査結果
◇第31回 受賞者と論文
小泉信三賞......... 己を生きる〜福澤諭吉と民主主義 山下聖秀 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
次席.........「ホンモノ」と「ニセモノ」 水野花 (兵庫県・県立三木北高等学校二年)
佳作......... ゴッホを巡る「本物とニセモノ」考 新井宏昌 (長野県・県立長野高校学校二年)
佳作......... 国と国との距離とは 佐竹恵 (米国・慶應義塾ニューヨーク学院高等部十二年(高校三年)
◇入選者を除く第2次選考通過作品 7名は次ぎの通り。(五十音順)
石井可業 (茨城県・私立常総学院高等学校二年)
大浦結子 (米国・慶應義塾ニューヨーク学院高等部十二年(高校三年)
梶原安希子(東京都・私立白百合学園高等学校二年)
小峠ひとみ(岩手県・県立久慈東高等学校三年)
鈴木香音 (東京都・私立白百合学園高等学校二年)
鈴木美音 (東京都・私立白百合学園高等学校二年)
山嶋仁実 (宮崎県・私立延岡学園高等学校二年)
◇応募総数 130扁 第一次選考通過作品 25扁 第二次選考通過作品 12扁
◇審査員
岩谷十郎(法学部教授) 荻野安奈(文学部教授)小林陽太郎(富士ゼロックス相談役)
鷲見洋一(文学部教授)速水淳子(志木高校教諭)
小泉信三賞
己を生きる 〜福澤諭吉と民主主義〜 山下聖秀 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
「学問のすすめ」
明治初期に書かれたこの書が、平成を生きる我々にとっても”啓蒙書”として読み継がれている。
これこそが「学問のすすめ」が単なる「洋学のすすめ」だったのではないということの証であろ
う。「富国強兵」という時代において、その洋学の重要性は誰もが認識していたが、福澤はその
”危険性”にいち早く気がついた数少ない人物であった。
今日、民主主義は社会を流動的にすることで、個人の選択肢を増やし、人々に平等と自由をも
たらした。しかしその一方で、貨幣経済による急激な発展が、ものの間にある質的な差異を数字
化することで事物の多様性を均一にならし、人々を投げやりで、依存的な生き物に変えたという
事実も否定できない。記号的な社会は人々から
「自己」という認識を奪い、その内面を完全に腐らしてしまったのである。
福澤は社会がこうなるであろうことにおそらく気付いていたのだろう。「学問のすすめ」には
彼の必死の警告が記されているが、結局社会はそれを活かすことが出来なかった。
民主主義のあり方が再び問われている今、福澤が託した言葉達をもう一度振り返り、われわれ
の生きる現代を見つめ直していきたい。
「孤独でいられない人々」
現代における、交通・通信技術の発達はものの間に存在する距離を取り払い、その進化を続け
てきた。今では地球の反対側に生きる人々に瞬時に手紙を送ることさえ可能になり、ここ数十年
のうちに世界は一気に縮小された。 中でも携帯電話の発明は、個人による自由度の高い意思の
発信を容易にし、増大させた。日本においては、その加入数が九000万台を突破し、一億台に
到達する日もそう遠くはないだろう。しかし、この携帯電話の普及が最近ある問題を生んでいる。
所謂「ケータイ依存症」は、基本的に若い世代に多く見受けられるが、最近ではOLや中年層
の間でも拡まりつつあるようだ。特にその依存が激しい女子高生の間では、一日に何百というメ
ールが取り交わされ、メールは彼女達の生活になくてはならないものとなった。しかし、そこに
現れる文字は、人という個体を通して発せられた意思としてのそれではなく、馴れ合いを求める
彼女達の心を満たす”記号”でしかない。つまり彼女達はこの通信機器を自己表現や他者理解など
を可能にするコミニュケーションとしてではなく、他者と自己とを結びつける”心の一部”として
利用しているのである。
この新たな習慣の中で問題となるのは、現代人における”孤独でいられる能力”の欠如ではない
かと私は考えている。
ここで社会を人と人の間に起こる「相互作用」そのものだと仮定するならば、今日の日本社会
はこの「相互作用」が互いに依存しあうことによって成立しており、いわばトランプで造ったタ
ワーのように、非常に不安定な状態なのである。
福澤は人の性質について、「群居を好み決して独歩孤立するを得ず」と述べているが、もしこ
れが本当に人間の本質だとするならば、現代の”孤独でいられる能力”の欠如は人々の馴れ合いを
誘発し、強いては人々の独立をも妨げているということになる。
そもそもなぜ人々は孤独でいることが出来なくなったのだろうか。それにはある風潮の流行が
深く関係していると考えられる。
「戦後の幻」
実は人間関係というものが、これ程強調されるようになったのは近代になってからの事である。
確かに古くから「家族」や「仲間」などといった関係は存在していたに違いないが、それはあ
くまでも生きていくために必要な「生産の場」を形造る「相互作用」に他ならないのであり、現
代におけるそれとは本質的に違うものであった。
しかし、物質が豊かになり、人々に少しずつ生きる余裕が発生してくると、親密な人間関係こ
そが人類の幸せであり、人生の目的であるといったような考え方が登場した。この考え方は、凄
まじい速度で一般社会に広まり、その根をおろしていったが、この流れは「孤独」という存在を
それと対極するものとして位置づけ、社会からの排除を促した。
そして現代に至り、人と人と結びつきは、さらにその重要性を増すことになった。
近年日本では、大学卒業後もなお親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者が増
え、中には定職を持とうとしない者まで現れてきている。これが俗に言うパラサイトシングル、
ニートと呼ばれる人々の出現である。
彼らに共通して見られる特徴は、その豊かさである。彼らは基本的消費や家事労働などを依存
先である親に求めることで、経済的にも時間的にも豊かな人々として、社会に存在しているので
ある。
この存在と共に注視しなければならないことは、この存在を支えている親と子の相互依存関係
である。
戦後、日本ではホワイトカラーの出現に伴い、家庭におさまる女性が増え、家庭は「子育ての場」
として認識されるようになった。そしてそこでは母性愛という名の下に子供を愛しつくす親がひと
つの理想とされ崇められた(近年にいたり母性愛は否定されたが、それでもこの風潮は消えていな
い)その為、いつのまにか愛情を注ぐという行為のみが家庭における親の社会的役割として認識さ
れるようになり、これに依存する親が登場し始めたのである。
一方、子供たちは生まれてから現在に至るまで、この親の愛情を一身に受けて育った。つまり子
供は子供で、親に甘えることを家庭における社会的役割としてその甘い蜜をためらうことなく享受
しているのである。
日本では大学生の一人暮らしといえば親からの仕送りによってその生活を維持しているものが多
い。地方からの学生であればやむをえない情況だが、最近では自宅が都心にある者の中にもこうい
った学生が増えている。つまり一人暮らしによる精神的独立を求めながら、経済的には親に依存し
ていようという考え方が一般化しているのである。
大学生ともなればいくらでも稼ぐことが出来るはずである。実際欧米ではそれがスタンダードな
ライフスタイルであり、学費さえ自分で賄う学生も大勢いる。このような欧米にみられる自立の習
慣は、家庭において子供の役割が小さい頃からはっきりと与えられ、家庭が一つの社会として機能
していることによるものだと考えられる。その為、子供達は社会における自分の役割をはっきりと
認識し、比較的早い段階での自立が促されている。一方日本では親からの一方的な享受に慣れ、自
立は自分自身の豊かさを失うイベントとして捉えられがちである。このような意識こそ、まさに近
代日本における人間関係への盲目的崇拝が生み出した悪癖に他ならないのである。
この一例のように、日本の社会は人間関係へのエゴイスティックな期待の流行により様々な問題
を抱えてきたのである。さらに踏み込んで言えば、この流行による「孤独」の排除こそが日本人の
独立の気風を奪ったと言えるだろう。
「孤独」
孤独、確かに出来るならば避けて通りたい道ではある。しかし、本当に孤独を孤独を絶対的な悪
だと断言することは出来るのだろうか。
社会学者ゲオルグ・ジンメルは「結びついていると感じるのは、まず別々に離しておいたものだ
けなのだ」と言っている。まさに目から鱗である。我々は他者とのつながりを求める際、まず相手
と理解し合い、お互いが歩み寄ることばかりを考えがちである。しかし、彼の言うように、まずは
相手と自分とが違う個体として存在していることをはっきり認識できなければ、この二つの個体の
間につながりを求める事は不可能なのである。
ではどのようにすれば、自分と他者を切り離すことができるのだろうか。ジンメルによれば、そ
れは限りなく連なる空間の一部分を切り取り、そこに小屋を建て扉を設けることだという。
相手とのつながりをもつために、同一空間に身をおくのではなく、自分だけの小屋を作る。つま
りただ慣れ合うだけではなく、お互いが独立した状態でそれぞれの「孤独」を所有する。これが他
者と自分を切り離す条件なのである。ここで重要になるのが扉を設けるといういうことだ。なぜな
ら、扉とは内と外とを隔てる強力な意思の顕示であると同時に、また内と外とに常につながる可能
性を与えるという特殊な働きを持っているからだ。
こう考えると、孤独は人生における有意義な行動のひとつでと言うことが出来はしないだろうか。
人はどうしても他者と交わる際に、自分の本心や本能が制約されてしまいがちである。なぜなら社
会における自己というものは、他者のまなざしに対する自己自身への理解の態度であり、決してそ
の人の本質ではないからである。そこで”本の自分”に回帰する空間を確保し、本当の自由と本質的
な退却とを可能にすることが必要になってくる。そうすることで自己発見や自己実現を可能にし、
自分の心の底にある欲求を自覚することが出来るからである。
己を知り、他人を知る。それを実現する空間こそが孤独に他ならないのである。
「真の結びつき」
現在日本では一人でいることを毛嫌いし、他者との結びつきばかりを重視するような風潮が見ら
れる。もちろん友情や愛情が価値ある一生を送る上で必要不可欠であることに疑いの余地はない。
愛情や友情とは実に不思議なものである。家族も友人も、結局自分とは別の独立した個体であり、
この個体との間には相容れない空間が存在し、それは絶対に克服することの壁として存在し続ける。
しかし、現実に、私たちは彼らとの間に何らかの特別な関係性を見出し、様々なものを得ている。
ある時私たちは内に秘めた思考や悩みを誰かに打ち明けたり、相談したりする。すると考えがふ
っとまとまったり、自分の悩みの小ささに気付かされたりするものだ。またある時私たちは苦労を
共にした友人と仕事の成功を喜び、涙を流したりする。
「心事を丸出しにして颯々と応接すべし。故に交わりを広くするの要はこの心事を成る丈沢山に
して、多芸多能一色に偏せず、種々の方向に由って人に接するに在り」
福澤によって語られたこの言葉に、私は人が人と関係を結ぶ最大の理由が存在しているのではな
いかと思う。他人を完全に理解することは不可能であり、また自分という存在をすべて理解させる
事も同様に不可能である。しかし他者と理解し合えないことを嘆くのではなく、むしろ少しずつ分
かり合える喜びに目をむけ、見栄を去り、率直で飾らぬ態度で相手と向き合うこと。そして広く付
き合い自分自身を成長させること。これこそが真の人間関係であり、その意義であると思うのだ。
しかし今、人々のつながりはこういった意義を失いつつある。馴れ合いを求めるだけの友人、い
つまでも寄生し合う親子、他人に見せるためのアクセサリーとしての恋人......。
現代における人間関係を極端に重視する風潮は、人々にその枠組みばかりを追い求めさせ、これ
を空虚で薄っぺらなものに変えてしまった。
人を受け入れることが出来ないのは、その本人の意思が虚弱だからであるという福澤の言葉を裏
返せば、他人を受け入れるには自分の意思を強く持つことが必要であるといえる。
現代のこの人間関係を克服するには孤独と向き合わなければならない。自己との対峙によりはっ
きりと自分の意思が見えたときこそ、本当の自立と人間関係を取り戻すことができるのである。
さてここまでは現代人の”人”に対する依存について述べてきたが、彼らの依存先はそれだけに留
まらない。もうひとつの彼らの依存先。それは”過去”そのものである。
「社会に依存する人々」
少し前、ある若い国会議員が次のようなことを言っていた。
「我々若者はやれば出来る。だからその力を発揮する職場を与えて欲しい」
私はこの言葉に何か投げやりな無責任さを感じずにはいられなかった。彼らはあくまでその責任
を社会に求める。不景気、学歴社会、格差社会。時代がこういった問題に直面している事は事実と
して認めざるを得ない。しかし我々は、本当にその責任を社会だけに転嫁できるものだろうか。
バブル崩壊後の日本では求人倍率が低迷の一途を辿り、若年層の未就職者が街に溢れた。仕事を
したくても出来ない若者は確かに存在したのである。しかし、近年においてはその情況も改善され
つつあり、今年においては、雇用需要の超過が逆に問題視されるまでに至っている。社会は人材を
求めているのに、未就職者が増えるというこの不可思議な現象は、若者の仕事に対する意識の変化
がもたらしたものと考えられる。
高度経済成長期には、田舎から単身都会にやってきた若者が多く、当然ながら彼らに職を選んで
いる余裕などは無かった。彼らはとにかく稼いで今日を生きていかなければならなかつたのである。
だが現代の若者は違う。やりがいのある、自分に在った、高収入の仕事でなければ就職の必要はな
い。なぜなら無理に就職などしなくても、親に寄生し、アルバイトでもしていれば十分豊かに生き
ていくことが出来るからである。
つまり彼等は社会に対しては仕事がないと不満を漏らしながら、特に努力するわけでもなくとり
あえず今日を楽しく生きているのである。このような若者達は社会がいつか変貌し、今よりも豊か
な生活が保障されるまではそこから抜け出すことはしないだろう。しかし、実はこの”心事高大にし
て働きに乏しき若者達”こそが一国の独立を妨げ、ひいては経済回復の弊害となっていることを我々
若い世代の若者が認識しなければならない。
「諦めグセ」
先のような”若者達”には特徴的に諦めることへの抵抗が少ない性質があるように思われる。「才
能がない」「無駄だ」などという意識がこの現象を招いているのだと思うが、この考え方は一般的
に「学歴が高い」などと呼ばれる人々の中にも多く見ることが出来る。「生きるものは永遠に生ま
れ変わることを熱望する」と言った人がいるように、私達は常に他者と自分とを比べ、劣等感を感
じて生きているのだ。
”天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず”
この言葉に対し私は「偽善だ」と感じざるを得なかった。近代科学は、人間の能力を決めるDNA
という存在をわれわれに教え、さらにそれが買い換えることの出来ない「運命」であることを証明
した。だから私の中に「人間は平等だ」などという考えは少しもなかったのである。
しかし、本書の全編を読み通し、もう一度この言葉と向き合ったとき、私の考えは変わっていた。
人間は確かに平等に造られていたのだ。
”大凡世間の事物、進まざる者は必ず退き退かざる者は必ず進む”
つまりこの言葉にあるように、我々は努力できるという点において平等なのであり、それにより
必ず前進できるという点においてもまた平等なのである。この平等に与えられた権利を、初めから
無駄だと決めつけ放棄することほど愚かな事はないだろう。やってもみない事の成否を疑うのは勇
気のない事だ。そして今、この努力こそが若者に必要なのである。
ところが努力というものは、「ではやつてみよう」と言って出来るほどお手軽な代物でもない。
はっきり言って大抵の場合努力とは報われないものだし、またこの空しい作業には相当の意思と忍
耐とが必要であるからだ。このような努力の性質から、”諦めグセ”のついた人々が生まれるのだろう。
福澤の時代においても、若者はみな困難を避け、安易を好む傾向があつたようだが、現代におい
ては尚のことである。しかし社会での自立にはどうしてもこの”諦めグセ”を克服しなければならない。
ではいったい私たちはどうすればいいのだろうか。
「痩我慢という方法」
”凡そ人生の行路に富貴を取れば功名を失い、功名を全うせんとするときは富貴を棄てざる可らざ
るの場合あり”
これは福澤の「痩我慢の説」の中の一節だが、私はこの”痩我慢”こそ現代人に求められる心構えで
はないかと思う。親元を離れ独立することや一度”孤独”の中に自分の身を置くことなど、およそ自立
というものはどれも一時は自分の富貴を損なうものばかりである。しかしここで”痩我慢”をしてみる。
努力という言葉を用いてしまうと何か実効的なイメージが伴い、どうしても抵抗がある。なかなか誰
にでも出来ることではない。一方、”痩我慢”にはもっと人間的な弱さやもろさといったものを感じる
ことが出来る。つらいという気持ちを抱きつつもグッと我慢する。実に日本人らしい心の持ちようで
はないだろうか。努力が逆風を振り払うのだとすれば、”痩我慢”とは風が止むのをじっと耐えること
なのである。
若い人々が理想をもつことは、人生に意味を与え、独立を促す大事な要因である。しかし、理想の
価値は決してその高さにあるのではなく、その高尚さに帰属することを忘れてはならない。そしてそ
の実践のために”痩我慢”をしてみる。それはまさに自分の足で大地に立ち、自立することを意味する
のである。
「社会の中に生きる」
私たちの生きる社会は確かに豊かになった。しかしその反面、人間同士のつながりや、心の問題は
複雑化し続け、様々な現象が引き起されている。こういう社会では、いったい自分が何を頼って生き
ていけばいいのかがわからなくなりがちで、人々はどんなものにでも依存しようとしてしまう。しか
し、依存しあう社会など成立するはずはない。なぜならそのような社会では、個人は己の理非を己で
見分けることが出来ないからである。民主主義という流動的な社会の中で生きていくためには、「他
人」でもなく「社会」でもない、一人一人が自分の力で独立していかなければならないのである。
”一身独立して一国独立”
福澤が託したこの言葉は世紀を超えた今なお私たちに問い続けている。私達はこの社会の未成熟さ
を真摯に受け入れ、もう一度、私自身が社会の一要因であることを再認識しなければならない。社会
に甘えるのではなく、社会を支える人間になるために。
(参考文献)
福澤諭吉著「学問のすすめ」(岩波文庫)
福澤諭吉著「福澤諭吉全集 第六巻」(岩波書店)
フランシスコ・ベーコン著「世界の名著 ベーコン」(中央公論社)
ゲオルグ・ジンメル著「ジンメル・エッセイ集」(平凡社)
菅野仁著 「ジンメル・つながりの哲学」(NHKブックス)
アンソニー・ストー著「孤独」(創元社)
山田昌弘著「パラサイトシングルの時代」(ちくま新書)
しまようこ編「自立の心理学」(BOC出版部)
◇第29回 受賞者と論文
小泉信三賞.........「言葉は時を超えて」 袴田優里子 (静岡県・浜松市立高等学校三年)
次席.........「共生と正義」 大西奈穂 (北海道・私立札幌聖心女子学院高等学校三年)
佳作.........「カタカナ語に見る日本の言語観」 影山巴留乃 (米国・慶應義塾ニューヨーク学院十二年)
佳作.........「在宅介護〜最高の別れ〜」福岡佐織 (愛知県・私立南山高等学校女子部二年)
佳作.........「ある異文化からの巣立ち」福田拓 (東京都・都立立川ろう学校高等部二年)
◇入選者を除く第2次選考通過作品 8名は次ぎの通り。(五十音順)
石井真奈 (神奈川県・私立カリタス女子高等学校二年)
今村春菜 (米国・私立慶應義塾ニューヨーク学院十二年)
勝山彩友里 (東京都・私立桜陰高等学校三年)
中西蘭 (東京都・私立宝仙学園高等学校三年)
羽田晃子 (福島県・県立福島東高等学校一年)
張 渓子 (東京都・私立品川女子学院高等部三年)
松浦佐甫子 (高知県・私立土佐塾高等学校二年)
宗藤美奈 (神奈川県・私立横浜雙葉高等学校三年)
◇応募総数 249扁 第一次選考通過作品 21扁 第二次選考通過作品 13扁
◇審査員
岩谷十郎(法学部教授) 荻野安奈(文学部教授)松崎欣一(志木高校教諭)
鷲見洋一(文学部教授)小林陽太郎(富士ゼロックス会長)
◇第27回 受賞者と論文
小泉信三賞.........「日本人として生きるー身体性と間の存在ー」 中村優子 (北海道・私立藤女子高等学校三年)
次席.........「福沢諭吉の美学」 久保陽子 (東京都・私立青山学院高等部三年)
佳作.........「限界突破〜「伝える」とは、そして、「言葉」とは何か〜」飯島幸太郎 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
佳作.........「自分の言葉を」大竹裕嗣 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
佳作.........「09・11からの一年」松野健太郎 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
◇入選者を除く第2次選考通過作品 6名は次ぎの通り。(五十音順)
有元沙矢香 (大阪府・府立北野高等学校三年)
磯村沙織 (ニューヨーク・私立慶應義塾ニューヨーク学院(高等部)十二年)
大坂朋史 (東京都・都立上野高等学校三年)
川越碧 (北海道・私立立命館慶祥高等学校三年)
中原潤之介 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
原田寛子 (鹿児島県・県立鶴丸高等学校三年)
◇審査員
小林陽太郎(富士ゼロックス会長) 坂上弘(作家)
鷲見誠一(法学部教授)鷲見洋一(文学部教授)松崎欣一(志木高校教諭)
小泉信三賞 「日本人として生きるー身体性と間の存在ー」
中村優子 (北海道・私立藤女子高等学校三年)
母とは私はお芝居を観ることが好きで、昔からよく二人で観に行った。これま
ではバレエやミュージカル・オペラといった西洋的な舞台を観る事が多かったの
だが、春に上京した際に私達は歌舞伎を選択した。それにはある目的があった。
小さな頃からクラシックバレエを習っている私は中学生ぐらいから、自分の下
半身のたくましさが嫌になっていた。練習を積めば積むほど頑丈になってゆく足
腰。外国のバレエ団の公演を観に行く度に、彼女達の身体線のしなやかな美しさ
に、見愡れるとともに、わが身と比べ、そこには羨望のまなざしも入り混じって
いたように思う。
というのも、バレエにおいて身体の柔軟性(関節と筋肉両方の柔軟性)は必要
絶対条件なのである。白鳥の湖の『オデット』や、眠れる森の美女の『オーロラ』
であれ、『ジゼル』であれ、はかなく可憐な主人公達を演じる際、その表現に重
きをおくバレエに於いて、柔軟性は欠かせない。いとも簡単に頭を捕らえるつま
先、柔軟な筋肉によって生み出されるしなやかな手足の動き、それらは観る者を
魅了する。
一方我々日本人は、その身体的傾向として、下半身の強さを持っている。丈夫
な足腰はケガの回避には有効であるが、その代償として柔軟性という点に於いて
日本人は彼ら欧米人に著しく劣っているのである。この事は、オリンピックなど
の国際大会で、日本人新体操選手と欧米人選手とを見比べてみれば一目瞭然であ
るし、現に多くの日本人バレエ留学生達が、留学先でまず痛感したのは、現地の
ダンサーと自分との柔軟性の差であったと嘆くことからも明らかである。
「バレエ=西洋文化」という等式が常に頭の中で成り立っていた私は、下半身の
柔軟性に欠けているという事が、とてつもなく大きな弱点に思え、日本人らしい
丈夫な自分の足腰を疎ましくさえ思っていた。その為、何か作品を踊る際にはい
つも腕や、手足や足の先といった腰から上、ふくらはぎから下の部分の表現力に
命を賭けて、その動きや表現力でもって、自分なりの(対欧米意識)を満足させ
ようとしていたのだった。柔軟ではないという身体面における先天的短所を、意
識と技術という後天的に獲得出来るもので補おうとしたのだ。
けれどそれが年を重ねるにつれ、「バレエ=西洋文化」という認識の枠組から
自分自身の身体がはみ出していた事がかえって「何故日本人は足腰が強いのだろ
うか」という<日本人の身体性>について、疑問というよりむしろ興味を持つよ
うになった。以後私は、テレビなどで日本文化の特集番組を見る様になり、その
中でも、比較的目にする機会が多く、馴染みのあった歌舞伎に、是非生で触れて
みたいと思ったのである。
生まれて初めて歌舞伎を観た私が、まず最初に歌舞伎に対して持った印象--
それは「重量感」であった。幼い頃からクラシックバレエに親しんできた私にと
って、重量感を前面に押し出す歌舞伎の舞台は、ある意味で衝撃的であった。
と言うのも、バレエの世界では、男性にしろ、女性にしろ、ダンサーたるもの
は、極力「体の重さ」を感じさせぬ様、努めるものだからである。--歩くときは
踵をつけずポアント(つま先)歩きで、ジャンプは軽やかに、着地の際は音をた
てるべからず--これが原則である。
けれども歌舞伎は違った。彼等の摺り足、着地の際に我々観客に伝わってくる
あの音をたてるような振動、そして男役の役者方が身にまとつている衣装が観る
者に与える印象などは、明らかに『重量感』を意図しているように感じられた。
その迫力はただ視覚を通しているだけにもかかわらず、実感に迫る感覚をおこさ
せた。
そしてさらに、このバレエとは相対する歌舞伎という日本文化の中に、私は自
分がバレエを続ける中で抱くようになった興味、『日本人の身体性』と『足腰の
強さ』。この二点を結びつける手掛かりを見出したのである。
「一見したところ、そんなに大柄とは思えない彼等があのように堂々たる風格
を魅せつける事のできる、その源は一体何なのだろうか」「あの重量感は一体何
に由るものなのだろうか」という疑念を抱いた私は、それを意識しながら観る内
に或る事に気が付いた。それは彼等の体の重心が(腰、ないしは腹部に在る)と
いう事である。「腰、ないしは腹部に据えられた重心は、あんなにも堂々と、重
量感を帯びて、観ている側に伝わって来るものなのか」と感じたその瞬間、私の
頭の中にあった二つの点は一本の線に結ばれた。
--腹と腰--これこそまさに、私の疑問に対する答えだったのだ。
「腰を据える」「腰が引ける」「腹が据わる」「腹を括る」などという表現に見
てとれるように、我々日本人が体の中でも、特にこの「腰と腹」がしっかりと定
まっていることにこだわり、重きをおいて来たことがわかる。そしてこれら慣用
句としても表現されている様々の伝統的所作は、古来人人の心に根ざし、現在も
我々の精神の底流に在り続けている。そしてそれが私達日本人の身体的傾向と深
い関わりがあるという事は、決して否めない。
このような古くからの精神面に於ける伝統に気付いたことによって、私の中で
『日本人の身体性』として足・腰(歌舞伎でいう腹・腰)を改めて位置付ける事
ができた。
しかし、私にとってこの日本人の身体的特性としての足腰の強さは、依然後ろ
めたいものとして残っていた。
そんな折、バレリーナを志している友人が、コンクールで「ドン・キホーテ」
の”キトリのバリエーション(小作品)”を踊ることとなり、その参考の為に日
本のトップバレリーナであり、かつ名門英国ロイヤルバレエ団のプリマとして第
一線で活躍している吉田都さんのビデオを共に観ようという事になった。
音楽が始まり、幕が開く。舞台の上ではキトリ(主役の少女)の遊び仲間が戯
れている。と次の瞬間、私の目は画面に釘付けになった。おそらく共に観ていた
友人もまた「吉田都」の登場、正確にいえばその跳躍(ジャンプ)に目を奪われ
た事であろう。
画面上に颯爽と現れた彼女のジャンプは、単に高く飛んでいるのとは違い、軽
やかで、まるで空中を舞い飛んでいるかのごとき跳躍なのである。
そこに重力の存在は感じられない。
長身ぞろいの外国人ダンサーと比べると、決して大柄ではない彼女だが、広い
舞台がまるで七畳間(私の部屋)であるかのように思えてしまう程の、その躍動
感は、バレエ作品ドン・キホーテの中のキトリという枠を超えて、まさに(勝気
なスペイン娘キトリ)そのもののイメージを我々観ている側に髣髴とさせてくれ
る。西洋文化であるバレエ、しかも名門ロイヤルバレエ団といえば、一流ダンサ
ー達が鎬を削っている。しかしそういった中で、彼女がプリマとしてその存在を
位置付けることができた、その大きな要因となっているのは、紛れも無くあのジ
ャンプであろう。あの中に私は先程述べた、日本人が傾向的に持っている(下半
身の強さ)が隠されているように思った。けれどもそれは、私がこれまで忌み嫌
っていた”弱点”としての傾向性ではなく、独自の、むしろ長所となりうべき資
質として存在しているように感じられた。私は彼女から、単に欧米人との身体的
違いを嘆くのではなく、自分の身体の特性を特長としてとらえ、それを生かす方
向へと気持ちを向ける、という事を教えて貰った。
このように、バレエや歌舞伎を通じて私の考える『日本人としての身体性』が
それなりの裏付けのある信憑性を帯びてきたように思う。
そして、更にもう一つ、彼女の踊りを繰返し注意深く観るうちに、その踊りの
中に、私は我々日本人の心に根ざすある感覚の存在を感じたのである。
それはまさに--間--と呼ぶに相応しい。
ジャンプの前段階に一瞬、踏み込みという動作がある。その際、我々の足腰の
強さは『ため』を作り出すことを容易にし、それによって驚くほどダイナミック
なジャンプが可能となる。この『ため』というのを、私は一種の『間』だと考え
る。この『間』という感覚を。私は以前から奥ゆかしく感じ、且つ大変興味深く
思っていた。
というのも、この間というものの存在はいつも、次の段階を意識しているから
である。次へ進むことなしに、間の存在はあり得ない。言うなれば、間とはある
二つの物の間を結ぶ、重要な役割を担っているのだ。しかしながら、その存在は
時間の流れと調和して、明確には意識されない。極めて自然体である。人は皆、
その次ぎの段階を見た時に初めて、その以前に『間』があったことに気付く。
いや、大半の人は気付かないであろう。それが心地よいものであればある程、人
の意識に拾われにくい。反対に、もし目に訴えかけて来たとしたらば、それは伸
びすぎであったり、足りなかったりしている、ということだ。『間』とはそうい
う性質のものであり、それ故、それを使う側の技量は受け取る側に明白である。
バレエに於いて、ある動作から別の動作へ移行する際に、この一瞬の『間』が
はさみこまれる事で、これは視覚的にには<余裕>となって現れてくる。そして
その余裕は、その踊り手の実力を示す重要な指標となるのである。つまり、踊り
の善し悪しは、次々と展開される動作の一つ一つの合間に、どれだけ準備を施す
ことができるか、に大きく左右されるのだ。
そういった点においても、彼女は卓越している。プリマを務めるに相応しいと
私は思う。彼女ほど、この『ため』をジャンプの前に十分に、然も無理なく適当
に確保することは、柔軟性に傾き、それを武器とする欧米人ダンサーには至難の
技であろう。何故なら、体を支える土台となる部分が柔軟であるという事は、同
時に不安定さと危うさをも伴うという事だからである。不安定な踏み込みでは十
分なためは作り出せず、それ故観客にも心地よい”余裕”として伝わらない。自
然な『間』を創り出せないのである。
彼女吉田都さんが日本人として生まれ持った身体的基盤、その支えによって生
み出される<余裕の間>こそがその存在を絶対的なものになしえているのだと思
う。
考えてみると、日本文化の一つである茶道もまた、「間」を大切にする文化と
言えるのではないだろうか。
点前をする側が、単に手順を滞りなく行うことを目的とする段階にあっては、
まだ正座や摺足といった茶道の型と言うべき基礎の安定感に欠け今ひとつの印象
を受ける。しかし稽古を積むにつれ、そういったものが定まってくると、その所
作には余裕に似た落ち着きが感じられるようになり、こちら側も心地よくお茶を
頂けるようになる。
そのような推移は、腰の据わりが確立されることによって起こる現象であり、
それを私は”腰の安定による間の出現”であると考える。そしてここに於ける”
間”は点前をする側の時間の意識の上では客に対する思いやりとして、お茶を頂
く側にとっては亭主の思いやりの心として感じられる。ここに、茶道がもてなし
の文化と言われる一つの所見が隠されているのかもしれない。
よく外国人、特に米国人と日本人との国民性の比較として、物事の考え方や、
表現方法に大きな違いがあると言われる。米国人はストレートであり、率直であ
るが、日本人は言葉を選び、婉曲な表現をするあまり、心の底で何を考えている
のか解りにくいとさえいわれる。
しかしながらもてなしの心、即ち誠意を表現するのが下手であるというのと、
持ち合わせていないというのは別物であって、それもまた、文化の違いなのでは
ないだろうか。西欧文化の下に暮らす人々にはまどろっこしく感じられるかも知
れないこの「間」は、決してリズムではなく、深い呼吸であり、相手に対する思
いやりからの気配りであると言い切りたい。
バレエに於いての「間」が、踊り手が観客に魅せる為の”準備の間”であると
表現するならば、ここに於いての「間」は我々日本人の相手に対する”思いやり
の間”であると言う事ができよう。
こうして考えてみると、異国の文化の中で、日本人としての己の身体性を生か
し、世界を舞台に活躍しているのが彼女吉田都さんであり、一方日本の伝統文化
の中で、その身体性を思う存分活かし切っているのが歌舞伎を始めとする諸文化
に精進する方々なのだという事に改めて気付く。
そして更に、日本人としての身体的資質に伴う”間”と、日本人の心の中に溶
け込んでいる”間”。これら二つの”間”は、日本という國によって培われてき
た究極的な「間」として集約できる。
--水がその器を満たすように、間が相手の心を満たす--日本とい國が育んで来た
のはそのような間であるのだ。
国際化の進んだ現代に於いて、「国際人」或いは「ボーダレス社会」などとい
う言葉が今や重要なキーワードとなっている。私はこの「国際人」・「ボーダレ
ス社会」という言葉の意味を、”自国に捕われない人””地球全体を一国として
捉える社会”であると取ってきた。
しかし、今回、この論文を書くに当って、「自分の生まれた國、日本とは何か
」「自分は何なのか」と自らに問いかけていくうちに、それまでの「国際人」・
「ボーダレス社会」という言葉の認識に、変化が起きた。
世界を大きな一つの國として考えようとした際に、それまでの境界線を消し去
ろうとする余り、ともすると自国の文化までもないがしろにしてしまいがちであ
る。しかし世界という広い視野の中においては、寧ろ自国の文化を基とし、互い
にその線の内外を行き来できる様になる事の方が、真の「国際人」・「ボーダレ
ス社会」への近道なのではないだろうか。
--自分は日本人である--というこの偶発的、且つ運命的である事実を強く意識
し、またそれを受け入れる事によって、私は自分の内に生きる日本<身体的特性>
と<間>の存在に気付くことができた。
そしてそれらは自分が日本人として生まれたことの証しとして、また決してな
いがしろにはできない、誇るべき<日本らしさ>の象徴として、私の内にもしっ
かりと息づいている。
第26回 小泉信三賞 受賞者と審査結果
◇受賞者
小泉信三賞.........「学問とは何か」 寺沢薫 (東京都・早稲田大学高等学院三年)
次席.........「ひとりの私と、応える存在」 府川美和子 (東京都・東洋英和女子学院高等部三年)
佳作.........「チリワックで体験したこと」白水隆 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校三年)
佳作.........「21世紀型の大人になろうとするわたしの展望〜単純な二元論を越えて〜」武内亜里 (大分県・県立日田高等学校三年)
佳作.........「感情の共有」藤生教誉 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校二年)
◇入選者を除く第2次選考通過作品 7名(五十音順)
伊澤新 (埼玉県・慶應義塾志木高等学校二年)
大久保駿 (東京都・早稲田大学高等学院三年)
海江田希望(東京都・白百合学園高等学校三年)
平野奈津子(神奈川県・県立大和南高等学校三年)
矢内紫 (東京都・白百合学園高等学校二年)
薮下容子 (神奈川県・カリタス女子高等学校三年)
渡辺真矢 (岡山県・岡山高等学校二年)
◇応募総数 521篇 ◇第1次選考通過作品 20篇 ◇第2次選考通過作品 12篇
◇課題(以下の中から1題選択)
(1)日本と地球の共生
(2)私を育ててくれた場所
(3)大人になるということ
(4)『学問のすすめ』を読んで、学問とは何かを論じる
◇審査員
小林陽太郎(富士ゼロックス会長) 坂上弘(作家)
鷲見誠一(法学部教授) 松崎欣一(志木高校教諭) 宮下啓三(文学部教授)
◯小泉信三賞
「学問とは何か」 寺沢 薫 (東京都・早稲田大学高等学院三年)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」。とても有名な文である。
いわゆる「活字離れ」と呼ばれる現代っ子の模範生と思われても仕方ないほど本を読
まない僕が、初めに『学問のすすめ』と聞いて思い浮かんだ、唯一のキーワードだっ
た。『学問のすすめ』.......福澤諭吉.......一萬円札......ああ、欲しいなぁ.......。こんな馬
鹿な事しか考えられなかった僕が、後に、見事福澤諭吉によって、「学問」をすすめ
られてしまうのだった。
冒頭の一文で始まる『学問のすすめ』の初編は、万人はみな生まれながらにして平
等である、という全ての理念の前提となる事柄の表明で幕を開ける。では何故、世の
中には貴賎貧富の差別があり、「賢人」「愚人」を分つものがあるのか。それらは
「学ぶと学ばらずとに由って」生じるものであり、つまりは学問の有無によるものだ、
と続く。だからこそ、学問を修め、「身も独立し家も独立し天下国家も独立すべき」
である。個人が、そして国家が独立することで、世の中は安定するのだ。というよう
な内容が説かれている。
この初編から、おおまかに言えばであるが、学問=独立のための手段、という図式
が見えてきた。だが、そこで疑問点が浮かび上がる。もし仮に、日本国民がみな学を
志し、独立できたなら、そして日本という国家が、ひとつの国家として独立できたな
ら、福澤の主張する理想の状態になったならという事を考えてみて欲しい。(現在の
ようにマスメディアが発達していない当時に、個人の思想の影響力を国中に波及させ
るのは不可能に近かったと思うが。)すると、「独立の手段」として存在した学問の
存在意義ははくなってしまうのだろうか。
だが、福澤がすすめた「学問」とは、それで存在意義が消えてなくなってしまうよ
うなものではなかったはずだ。では、福澤の意味した、「学問」の意味とは何か。そ
して時代が移り変わった現代において、福澤の意味した「学問」はどのような形で存
在意義が見い出されているのか。これらを切り口として、「学問とは何なのか?」と
いう大きなメインテーマに挑みかかっていきたい。
まず初めに、『学問のすすめ』の中で、特に前半部「初編〜第七編」のキーワード
になっている「独立」という言葉が、「学問」とどのような関連性があるのかという
ことに触れておきたい。先程挙げたが、初編で福澤は、人は皆平等だと言っている。
そして「人は同等なる事」という題を付けられた第二編において、それは「権理通義」
即ち生まれながらにして天から授かった権利における同等を示しており、学問の有無
によって不平等が生じるのは「有様」における同等であるというように、前者は普遍
の原理として、後者は個人の問題として区別している。このことは、人民と人民の間
だけでなく、人民と政府の間にも同じことが言えよう。だからこそ福澤は、政府に対
して卑屈になり、自分たちを支配される側だと思い込んでいる文盲な人民に意識改革
をさせようとしたのだ。政府にも人民にもそれぞれなすべき「分限」があり、それが
違うだけで人民も政府も同等な存在なのである。「全体」が「個」の集合であるよう
に、政府とは全体の中から何人か選ばれた代表者にすぎないのだ。これは人民がわか
っていなければならないことだった。そして人民が、「個」としてしっかり独立する
ためにこそ、学問が必要不可欠だったのである。
さらに第三編からは、人民と人民(または人民と政府)はその権利において同等で
あるという論理は、日本と外国という国家レベルの関係においても同様だ、というグ
ローバルな展開を見せる。先進強国(欧米諸国)と後進国(当時の日本)という「有
様」の差はあれど、両國が本来持っている「権理通義」においては同等のものを持っ
ているはずだ。それゆえ「一身独立して一国独立す」つまり、人民が学問を志し独立
をすることで、日本という国家の富強を謀れば、先進国との差を埋められるのである。
そして後半部となる第八編以降、福澤の論はさらなる段階へ進む。初編以来説いてき
た「独立」の大切さはあくまで土台であり、独立した「個」の集合体である「社会」
の中での人間同士の関わり合いが新たな焦点となるのだ。それぞれが学問に励み、そ
うして高められた智徳が集まることで、外国とも競えるようになる。
このようにして、福澤は互いのことを考えながら人と交わっていく「人間交際」の
大切さを説いた。こうした一連の福澤の主張から読み取れる福澤が学問を通じて目指
したものは何なのであろうか。大塚健洋編著の『近代日本政治思想入門』によると
、福澤のねらいはつまり、「学問を通じて日本人の意識や思考様式を変革すること」
だった。ここで大事なことは、福澤が三度の欧米体験から、欧米の繁栄の理由をその
社会の基調にある欧米人の思考様式、福澤が言うところの「文明の精神」にあると注
目したということである。このことについては、少し後で詳しく触れることにしたい
と思う。
さて、ここまで何度も繰り返し「学問」という言葉を用いてきたわけだが、福澤が
提唱していた「学問」とは一体どんなものだったのだろうか。『学問のすすめ』第二
編端書によると、「学問とは広き言葉」であり、「知識見聞の領分を広くして、物事
の道理を弁え、人たる者の職分を知ること」であるとされている。つまりは、ただ文
字を読むことができるだけで、物事の道理、真理がわかっていなければ、その人は学
者でも何でもなく、その人が学んでいたのは机上の学問、即ち「虚学」でしかないと
いうことだ。そこで福澤の提唱したのが「実学」である。『学問のすすめ』とは「一
般の人の心得となるべき事柄を挙げて学問の大趣意を示したるもの」であるという。
ならばこの「人の心得となるべき事柄」という言葉の意味は、日常生活に直接役立つ、
実用の学-「人間普通日用に近き実学」になるのである。それは例えば、「いろは四十
七文字」であったり、「手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い」とい
ったようなところから、「実学」であるという。
だが、今挙げたような意味での「実学」がそれまでなかったかというとそれは考え
にくい。丸山真男著・松沢弘陽編の『福沢諭吉の哲学 他六編』によると、「福澤
が伝統的な学問意識に対して革命的な転回を与えたことは広く承認されている」とあ
る。それはどのような転回であったのか。これこそが、それまでの実用の学から、実
用的かつ福澤流の要素を含んだ「実学」への転回だったのだ。福澤流というのが具体
的にどういうことであったかというとそれは、物理学(数理学)を学問の範型に置い
たということであり、「実験的精神」つまり実証することを「学問的方法の中核に据
えた」ということだった。このことは、山住正己編の『福澤諭吉教育論集』の中の、
『小学教育の事』という項目で、それまでの日用の実学のことを「智見(ノウレジ)」
とし、さらにプラスアルファとして必要なものを「学問(サイヤンス)」としている
ことからもわかる。こうした転回は、それまでの実用の学としての「実学」に、
ものごとの道理、真理といった、科学的分野に代表される理屈っぽさを良い意味でと
り入れた、実証の学としての要素が加えられたということなのだと解釈できる。では
福澤がこのような「実学」の転回を世に放った意図はどこにあったのかということに
なる。それは、実証の学としての実学を世に奨励することで、人民に「合理主義」を
身に付けさせようとしたところにあった。人民の意識や認識の起源を理性(道理・も
のごとの筋道)に求める考え方である合理主義を日本の世の中に浸透させることで、
「日 本人の意識や思考様式を変革すること」で、日本という国家の発展を目指した
のである。
だが、福澤が真理の学問である物理学を学問の範型に据えたということは、さらに
深い意味があるように思える。ここで思い出していただきたいのが、先程挙げた、福
澤の欧米に対する考え方である。福澤は欧米諸国が繁栄した要因のひとつに、社会の
基調にある欧米人の思考様式にあるとにらんでいた。このことを考えると、日本人の
思考様式を修正し、欧米人のそれに近づけるために、科学的な学問が必要だったので
はないだろうか。そう、つまり日本人の気質の問題点がここに浮き彫りになるのでは
ないか。日本人に「合理主義」を身に付けさせようとしたとき、ある問題点が生じる。
それは、日本人が対他意識の強い民族であるということである。当時急速に外国の文
化・文明を吸収していた日本という国家は、物事に対して多視点で、デフォルメする
という気質をもっていた。
このことは日本人が「独立」の前提である「克己たる自分」を持っていないという
状況へつながっていたように思えてならないのだ。そしてデフォルメされたものに日
本人の価値観は固定化・一元化されてしまっているのだ。それに対して欧米の文明と
いうのは、「遠近法的」な考え方、つまり、まず視点を固定し、一点透視することで
「捉える私」をつくり出し、そこから周りのものを遠近感をもって見るという多元的
価値観が土台になっているのだ。
これらを裏付ける例として、二枚の絵の話がある。当時、日本人の画家と外国人の
画家が同じ風景を描いたとき、外国人の描いた絵が遠近法を駆使し、二箇所視点を
固定した上で風景を描きあげていたのに対し、日本人の描いた方の絵は、風景をデ
フォルメし、全てが同じ視点の中で、つまり遠近感なしに描かれていた。簡単に言
えば、主人公がひとり存在する外国人の絵と、主人公が複数存在する日本人の絵とい
うことだ。そして、この主人公こそが「自分」であり、克己たるひとりの「自分」を
もっていない日本人の気質を表しているのである。
こうして、福澤が「物理学」を学問の範型としたということを見ると、福澤の啓蒙
活動の何たるかが見えてくる。『近代日本政治思想入門』の言葉を借りれば、福澤の
啓蒙活動とは「伝統的権威・権力や世俗的因習を排して、近代自然科学に基づく合理
的精神を身に付けることを説く思想運動」である。学問は、このような福澤の思想の
中でも非常に重要な位置を占めていたのだ。
学問を人に教え、育てるのが「教育」である。『福澤諭吉教育論集』の「教育の目
的」という論の中では、「教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。そのこ
れを導くは何のためにするやと尋ねれば、人類をして至大の幸福を得さしめんがため
なり。」とある。そして、その「至大の幸福というのは「天下泰平」「家内安全」で
あり、これを福澤は「平安の主義」と名付けた。つまり、世の中には宗教、思想、政
治、経済など「趣を一に」しないもの、「相互に背馳するもの」ばかりだが、「平安
の主義」に関しては誰もが皆望んでいることなのだから、そしてこれこそが、「教育」
の目的なのだから、「教育は全国一般にあまねくすべきもの」なのだという主張である。
そして、さらに福澤は、「人の子は生まれながら物事を知るに非ず、先にこの世に
生まれて身に覚えのある者が、その覚えたることを二代目の者に伝え、二代目は三代
目に授けて、人間の世界の有様を次第次第に良き方に進め」ようではないか。そして
「人間世界の有様」が良くなるためには、下の世代に「実学」を教えなければならな
いのだ。ということを言いたかったのではないだろうか。
そして現代、「義務教育」という形で、福澤の「教育は全国一般にあまねくすべき」
という願いは現実のものとなった。さらに、日本という國の文明は欧米諸国と肩を並
べるまでになったといっても大丈夫だろう。だが、実際のところ、僕には世の中が良
い方向を向いているとは思えない。
福澤は『学問のすすめ』第四編の中で、日本が外国に劣っているものは「学術・商
売・法律」だと述べている。「世の文明は専らこの三者に関し、三者挙がらざれば國
の独立得ざること」は明らかだとし、さらに、当時これらの整備・拡張がなかなか進
まなかったのも、個人において立派でも全体としては愚かになる、というのが問題で
あると述べ、この後には個人の独立から人間交際を主張するわけだが、現代の世の中、
「学術」も「商売」も「法律」も欧米諸国に追いついたと言えるだろう。だが、個人
が立派でも全体は愚かというのは今を言えることではないだろうか。
日本の政治は問題だらけだ。いくらひとりひとりが立派(かどうかもわからないが)
な政治家でも、日本の景気は良くならない。それに今日もニュースでは、組織ぐるみ
の不正な隠蔽事件が流れている。さらに、僕は決して、日本人が「個」として独立し
ているとは思えない。投票率の低さが良い例だ。「政府と人民が対等な立場に立って、
互いの分限を守り、バランスを保って」....。現代の人民は政治に興味のない人間が多
いのだから、無理な話だ。それら全て、根底には様々な原因があると思うが、その中
の一つが現代の教育体制ではないだろうか。
良い学校へ入るための偏差値学習。授業が大嫌いな子供達。今の教育過程には、
「進学」ばかりが組み込まれている気がしてならない。小・中学校は義務教育。大人
たちが押しつける勉強。これら様々な「義務化」は逆に子供たちから学問への意欲を
奪い、その結果独立できない子供や大人が増えてしまっているのだろう。学校や塾で
英語を学んだって英語は喋れるようにはならない。物理や数学を学んだって論理的思
考や合理的な考えは身に付かない。歴史や地理を学んだって......。これらは全て、詰め
込み学習だからである。目の前のテスト、受験、成績のためにやらざるを得ないのだ。
これは社会全体の風潮なのである。
最近よく耳にする「ゆとり教育」。僕はとてもいいことだと思う。ただ、「ゆとり」
を持って、少し考える時間が出来るからこそ、そこで何をするかが大切だという意味
でである。子供たちは、自分が何故学ぶべきなのか、何故学んで独立すべきなのかを
考えるべきである。そして、大人たちも、子供たちにどのような方法で、どのような
学問を教えて、子供たちを育てるべきかを、もう一度考え直すべきだろう。
学問は、独立して國がよくなるためのものでもあるが、あくまで「自分のため」で
あることは忘れてはならない。『近代日本政治思想入門』の中で、福澤の「賢人と愚
人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るもの」という論について興味深い考え
方があった。このことは逆に言えば、どんなに貧しかろうが、己の学問次第・努力次
第で人生は切り開けるのだ。ということなのだ。という論である。まさにその通りだ
と思う。
「学問次第」。だからこそ、今の教育過程にも、現代版福澤諭吉風実学を取り入れ
るべきなのだ。現代に合った実学というものを探し出し、広めることが、現代の日本
社会の課題と言えるかも知れない。「学問」とは、それだけ世の中に必要不可欠なも
のなのだから。
◯選評・今年の選考を終えて
小林陽太郎(富士ゼロックス会長・塾員)
毎年同じような感想を持つのだが、年々選ぶこと難しさを増す。今年も昨年より
私としては入選作品を絞り込むのに苦労をした。その中で寺沢薫君の「学問とは何
か」は最初に第一次選考通過の全作品を一読した後で「これかな?」との感じを強
く持った作品だったが、結局寺沢君が今年の小泉賞に選ばれた。私が寺沢作品に特
に印象を強くしたのは、一口にいって内容と形式のバランスが大変に良いと考えた
からだ。
福澤の学問論の中心的課題を、虚学と実学の比較、学問における実証の重要性の
強調と認識し、それとの対比において虚学的傾向が横溢する今日の政治や教育のあ
り方をストレートに批判する筆者の視点は鋭く、的確である。また使用される引用
例も適度で、小論文の形式もキチンと整っている。バランスが良いことは時に印象
を弱めることにもなり易いので、タイトルはこの内容からすれば「現代の実学を求
めて」とした方が、より効果的であったかも知れない。
冒頭に述べた「今年の難しさ」は、実はこの後に続く入選作の絞り込みに於いて
であって、今回入選した佳作以下の四作品はそれぞれ優れたもので、それは後に触
れるが、これらと同数位の力作が私のスクリーンにかかり、残った。最終選考の場
では、他の委員諸氏も夫々同様の思いと悩みを持って集まられたのが判り、結果と
して選考のプロセスや、そこでの委員間の意見交換は、中々熱の入ったものになっ
た。
順不同だが、田畑英朗君の「大人になりたがるということ」の一寸シニカルな現
代社会論、ドライなユーモアで笑いの大切さを説く伊澤新君の「笑う門には僕がい
る」、オーソドックスに『学問のすすめ』に挑んだ大久保駿君の「福澤諭吉の学問」、
そして大人も子供も共生出来る世界を描き、静かな説得力のある海江田希望さんの
「大人になるということ」の四点が、紙一重の惜しい落選作品で、作者諸兄姉の今
後の健闘を期待したい。
さて、次席になった府川美和子さんの「ひとりの私と応える存在」は、第二テー
マ、私を育ててくれた場所に応じた力作。自らが大切にし、また自信さえ持ってい
た「ひとりの世界」に生きるということを、読書、スポーツ、教育といった自らが
好み「ひとりの世界」と思っていた側面から省みる。結局人は、無機的な自然界と
の触れ合いの中にさえも何らかの「応えるもの」を求め、見つけているので、自分
の場合、今や応える人や、応える物と応えある生き方に誇りを持っている物と結ぶ。
間違いなしの力作だが少々文章や表現に力が入り過ぎかとの印象が残る。
白水隆君の「チリワックで体験したこと」も課題二への応募作品だが、カナダで
の体験、特に現地のネイティブ、原住民の人の生き方や、それに対する白人社会の
対応を観察しながら、あらためて日本や日本人を振り返り、そのアイデンティティ
に思いを馳せる。資料やヒアリングに結果を活用し、論文形式も整っいる好感の持
てる素直な作品。
武内亜里さんの「21世紀型の大人になろうとする私の展望」は「大人になるこ
と」とは社会体制を維持する一個人になること、思い切った割り切り方で書き出す。
大人と子供の「分」がわかり難くなった、また個人の大切さや「ゆとり」の真意が
はき違えられている現代の種々の問題を指摘する中で、「わたしの展望」はやや見
え難くなるが、単純なAかBかの二元論を超えて、自らが将来への大事な走者とし
て、これからの世界へ完璧につなげようという前向きの結論。
藤生教誉君の「感情の共有」は、正直なところ、最後までわかり切れなかった作
品。最初に読んだ際の読後感として「大人っぽい文学的表現を借りた子供のモノロ
ーグ」と書いてある。作者には失礼な言い方だが、選考委員会での意見交換を経て
も、基本的にこの個人的感想が消えることはなった。しかし、別の言い方をすれば、
単純に私には読み切れなかったということか。
今年の応募作品を読んで、例年とは異なる一つの感想がある。それは従来論文的
形式の整ったものが多かったということ。別に形式にとらえられることなく、何と
いっても内容の訴求力、文章力、そして出来れば構想力や創造性が中心であるけれ
ども、論文としての形式が徐徐にではあれ、多くの作品に見られる様になっている
ことは喜ばしいとの感想を記して私の選評とする。