Top
規約・会員登録
三田会情報
慶應義塾情報
キャンパス情報
国際交流
Who's Who
会社情報
餅は餅屋から
これは便利
趣味・道楽
相互交流メンバー案内
オフライン会
会員からのメッセージ
インターネット演説館
公開掲示板
サイト・マップ

「日中再考」
著者 古森 義久(こもり よしひさ)
発行 (株)産経新聞ニュースサービス 定価1,300円

●驚くべき中国の歴史教科書の実態! ●したたかな中国、手玉に取られる日本
●日本からの累計6兆円の援助は何に使われたか・・・など
真の日中友好のあり方を説いた衝撃のレポート!

日本への憎しみと恨みを徹底的に教え込む教育。
そしてビジネスの現場では、日本製品の模造品が公然と出回り、
日本企業に対する当局公認の債務不履行が続く。
日本人が中国に親しみを感じているのとは裏腹の、中国の実態に果敢にメスを入れた話題作。

著者略歴

昭和16年(1941年)生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業,ワシントン大学大学院留学。
毎日新聞社社会部記者、サイゴン・ワシントン特派員、政治部、編集委員を歴任。
1987年に産経新聞社に移り、ロンドン・ワシントン支局長、初代中国総局長を経て、
2000年12月からワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。
著書に「ベトナム戦報道1300日」筑摩書房、「日米異変」文芸春秋
「大学病院で母はなぜ死んだか」中央公論社、「北京報道700日」PHP研究所 など多数。


目次/はしがき/あどがき ご紹介

-----------------------------------------------------------------------------

はしがきー古くて新しい日中関係

 中国というのは、日本にとっても、いつも古くて新しく、近くて遠く、複雑に錯綜する独特の
存在である。
 日中関係というもの、「友好」の名の下に親密なきずなが保たれている一方、ときには両国の
利害や価値観が激しくぶつかり、摩擦が引き起こされる。水面下では、さらにどろどろとした心
情と、ぎらぎらする実利の要因が多様にからみあい、屈折した潮流が生み出される。
 要するに、矛盾や背反までをはらんだ特殊な世界なのである。
この書は、そんな日中関係の現実を、二年間とはいえ中国に居をすえた日本人ジャーナリストの
視覚で正面から眺め、率直に伝えようと努めた報告である。

 私は1998年12月に、産経新聞の初代中国総局長として北京に赴任した。
この年までの三十一年間、産経新聞は北京への特派員の駐在を認められていなかった。主要な理
由は、台湾においた特派員や支局を引き上げよ、という中国政府の要求をのまなかったことであ
る。台湾に特派員をおく日本のマスコミには中国本土の特派員常駐を認めないという中国政府の
条件自体が、日中関係の異様さを物語っていた。
 だが中国政府はどういうわけか、この長年の条件を引っこめて、産経新聞に台北の支局を現状
通りにしたまま北京に特派員を常駐させることを初めて認めたのだった。

 産経としては三十一年ぶりの北京への特派員派遣の再開だが、特派員二人体制の中国総局の開
設というのは初めてだった。その初の総局長に、ワシントンなどを拠点に長年、国際報道にあた
ってきた私が選ばれたわけである。

 私は日本国内での社会や政治の取材に加えて、ベトナム、アメリカ、イギリスなどに特派員と
して常駐し、国際報道に長年あたってきたが、中国本土からの報道はまったく経験がなかった。
文字通りの白紙からのスタートだった。
 ジャーナリストが取材対象の国の言葉や実情をよく知らないのは、もちろんハンデではあるが、
中国という特殊な国が相手の場合、利点もあった。

 日本のマスコミが中国専門記者を中心に長年、中国当局のあの手この手の圧力やコントロール
を受けてきたのに対し、私のような門外漢はきわめて鈍感なまま対応できるからだ。
 中国側の威嚇や恫喝による心理的呪縛とか自主規制にも、中国報道が専門ではなかったゆえに、
ほとんど陥らないままでいられたと思う。長年の報道活動で自然に身につけた常識的な感覚や価
値観で、中国や日中関係の出来事をみることができたといえよう。

 しかしそんな国際常識で眺めた日中関係という世界は、奇妙な倒錯に満ちていた。
 ごくふつうの理屈や認識が一見、機能しそうで、実は機能しない。表面は正常にみえるのだが、
内実はどこかとてつもなく歪んで異常である。
 日ごろ叫ばれる日中両国間の「友好」というキーワードも実際には、まぼろしのようにさえみ
えた。

 この書では、一般的な常識でみた日中関係のどこがどれほど異様なのか、できるだけ実証的、
客観的に報告することを試みた。
 中華人民共和国という存在が、よくも悪くも、日本にとって超重要であるは、自明であろう。
中国との関係がどうあるかが日本の対外関係にとって重要なことも同様に明白である。
 そんな重要な対外関係を禁忌や呪縛に満ちた異様な世界のままに保っておくこはできない。
異様なことを異様だと指摘することさえ許されない不健全な関係にしておくことはできない。
 日中関係は重要であるがゆえに、あるがままに語られねばならない。
 私がもっとも強く感じたのは、この点だった。

 この書は、私が産経新聞で報じた記事を基礎に加筆して完成させた。
 この機会に私の中国報道、日中関係報道を支えてくれた産経新聞の先輩、同僚たちへの感謝の
意を表明したい。これら同人の支援や協力なしには、このテーマの常識的な報道は成り立たなか
った。

 2001年6月     赴任地のアメリカ、ワシントンで、   古森 義久

-------------------------------------------------------------------------------

第1部 似て非なる隣人

 1 北京暮しの逆説
 2 中国人は一般的に日本人が大嫌い
 3 国家間の「友好」とは
 4 政治家の「北京詣で」
 5「軍国」日本への糾弾
 6 愛国高揚の道具になる「反日」
 7 中国の真意を見抜いた欧米記者
 8 日本の援助で大阪市を圧する五輪誘致
 9 外交戦略なき旧輸銀の資金供与
10 軍事的影響考えない輸送・通信への援助
11 軍事大国が日本の軍国主義復活を非難する怪
12 中国には日米安保条約は目の上のタンコブ
13 中国の顔色をうかがう対中ビジネス
14 偽造品があふれる中国市場
15 偽造品の犠牲者はだれか
16 当局が公認する債務不履行
17 中国でのトラブルは誠意を示すと逆効果
18 先人企業家の思い入れ
19 圧力・自粛に揺れる中国報道
20 中国国営放送と癒着するNHK

第2部 友好の虚実

21 日中交流担う民間窓口の不可思議
22 中国側はあくまでも共産党主導
23 中国の立場を代弁する日中友好七団体
24 日本側の善意は中国人には伝わらない
25 対中ビジネスを斡旋する時代錯誤の友好人士
26 学者討論会は日本糾弾の政治集会
27 学術シンポジウムにみる病巣
28 偏った歴史認識すりこむ青少年交流
29 日本への中国人留学生は欧米組の下
30 実利ない中国新幹線受注をなぜ懇願するのか
31 サクラは全滅の日中友好植樹事業
32 歪んだ現実に直面しながら手探りの中国取材

第3部 歴史の教え方

33 中国絶対主義が日中間をきしませる
34 小学一年生に残虐な画像を焼きつける
35 許されない「南京大虐殺」の否定
36 抗日の教えが祖国愛を強める
37 南京事件の犠牲者は東京裁判判決を水増し引用
38 「虐殺」教育で日帝への恨みを刻む
39 政治で左右される中国歴史の授業内容
40 中国では十分通用する東京裁判検察側資料
41 中学生が知っているのは大塩平八郎だけ
42 日清戦争は侵略戦争か
43 日本軍は常に侵略非難の矢面に
44 親日派はいつも「売国奴」扱い
45 偽造「田中上奏文」も”史実”になる
46 廬溝橋事件での断層
47 いつも勝つのは中国共産党の軍隊
48 音楽や国語でも日本憎悪を増幅
49 慰霊より政治的偏向際立つ南京大虐殺記念館
50 信憑性欠く「七三一細菌部隊」の展示
51 日本の首相は「日本軍の残虐行為」を認めたのか
52 日本への憎しみを永久保存する抗日戦争記念塑像公園
53 「木をみて森をみず」では未来に教訓生かせず

 前向きであればこそ禁忌を排してーーあとがきにかえてーー

 この書は2000年10月から2001年3月にかけて産経新聞に掲載された長期連載「日中
再考」を一部手直しし、一部を書き加えて、まとめた日中関係の報告である。

 まず第1部「似て非なる隣人」では、日本と中国との関係で重要な部分を占めながらもあまり
論じられない食い違いや歪みを中心に報告を始めた。
 第2部「友好の虚実」では、日本と中国が「友好」の名の下に進めてきた各種の交流や接触の
実態を知らせることに努めた。
 第3部「歴史の教え方」では、日本のからむ歴史が中国側の教科書や展示館でどう教えられる
かに光をあてた。

 産経新聞での「日中再考」としての掲載では、第1部「似て非なる隣人」が2000年10月
23日から11月15日までだった。
 秋深い北京からの発信となった。
 その後、私は東京を経てアメリカに再赴任したため、第2部「友好の虚実」は中国での体験や
考察の事後の報告として、2001年2月6日から2月18日までの産経新聞の掲載となった。
 第3部「歴史の教え方」は2月27日から3月23日までの新聞掲載となった。
 この分も物理的にはワシントンから記事を送ることとなったが、内容はもちろん中国での考察
を基点とした。
 新聞でのこの報道「日中再考」は通算すると延べ五ヶ月にわたる合計51回の日中関係報告と
なった。
 その間、北京の秋からワシントンの春まで、東京の冬をはさんで、国によって風情のまったく
異なる季節のうつろいを眺めてきた。
 だが、報告の内容は、あくまでも中国での2年間の経験や見聞を基礎としている。
 第1部「似て非なる隣人」の報告を終えて北京を離れる直前の2000年12月初旬、中国外
務省の代表数人が私のために送別の宴を催してくれた。
 暖かい接待と楽しい座談の一夕が終わりかけたこと、先方の一人が「あなたの書いている連載
記事に一言、感想を述べさせてください」と口調をやや硬くして、語りかけてきた。
 日本の駐在を終えて間のないという女性の日本専門官だった。
「ひとつひとつの記事はそれなりに正しいようですが、全体としてなぜ両国関係の暗い部分を主
にみるのか。なぜもっと明るい面を伝えないのか。私の要望は日中関係の明るい面をみてくださ
い。ということです。」
 その女性外交官はさらに、自分の家庭にも暗い問題はいろいろあるが、それにこだわらず、と
にかく明るい側面だけをみているようにしており、それが幸福の秘訣ではないかと述べ、一同が
笑いとなった。

 たしかに、日中関係には明るく前向きの側面も多々ある。
 だがその陰に根深い不一致や不条理が暗渠のように横たわることも、日の当たらない領域にひ
そむそれら要因がときには超重要であることも、現実である。
 さらに深刻な現実は暗い部分を論じることを禁じさせる独特の空気や構造が日中関係には存在
してことだといえる。
 いや厳密にはそんな空気は日中関係における日本側に存在してきたというべきだろう。中国側
は日本に向かってなんでも遠慮なく発言するからだ。
 しかし、中国側は日本側での批判的な発言は自由に許さないという姿勢があって、その禁を破
れば、さまざまな形での制裁措置を報復としてとってきた。あるいは報復措置がとられると日本
側が思うような枠組みや空気を保ってきた。
 しかし相互に重要な独立国家同士の関係で白を白、黒は黒と呼んではならないようなタブーが
あってよいはずがない。
 いくら特殊な歴史の経緯があるといっても、近代国家の対等なつきあいに禁忌や呪縛がいつま
でもあってよいはずがない。
 両国間に前向きで健全な関係が必要であればあるほど、その種の抑えつけは排すべきである。
不自然な抑制は長くつづけば必ず不自然な感情や不満を堆積させ、両国関係を危険に揺さぶりか
ねない。

 こうした認識こそが、この本での報告の出発点でのエンジンであり、終着点でもまた繰り返し
強調したいアピールである。
 執筆の途中で少なくなくとも地理的には日中関係をアメリカからみる形となり、つい米中関係
と日中関係の相違をも意識した。この比較は日中関係を再考するのに国際規範をも指針とすると
いう試みともなった。

 アメリカがイコール「国際」といえないが、日本の対中アプローチの指針をアメリカのそれと
くらべると、「民主主義」と「軍事動向」という二大要因が決定的に抜け落ちていることを改め
て痛感した。
 アメリカでは中国の民主主義の抑圧に過敏なほど反応する。普遍的な価値観の否定として厳し
く非難する。だが日本では政府も政治家も、中国政府が民主主義の動きをどれほど弾圧しても、
日本には無関係だとして沈黙を保つ。
 中国の核兵器や弾道ミサイルなどの軍事動向に対しても、日米間にはほぼ同様のギャップが
顕在する。

 しかし、現実には日本も中国の民主主義抑圧と軍事動向には特別の注意を払うことを国際的に
宣言したに等しいのである。
 日本の対中政策の最大支柱の政府開発援助(ODA)供与に、それは付帯条件として明確に記
されているからだ。
 日本政府が対外的に宣言した「ODA大綱」では、援助の供与に際し相手国政府の民主主義弾
圧や軍事力増強への十分の注意を払うことが明記されているのである。

 中国側の民主主義不在も軍事力増強動向も、たとえそれらの現象が日中関係での暗い部分だと
されても、日本が国際的に表明した政策でうたう注意の対象なのである。あたかもそうした部分
が存在しないかのごとく装い、沈黙を保つというわけにはいかないはずなのだ。

 中国はいま日本への輸出を急増させている。
2000年の中国の対日貿易黒字は250億ドルという史上最高の巨額を記録した。
 巨大な市場というのは実は中国よりも日本だったわけだが、ODAについていえば、年間3兆
円という貿易黒字を稼がせた相手に財政赤字に苦しむ日本がなお毎年2千億円もの援助を贈ると
いう倒錯現象がつづくのである。

 いま日中関係の報告を終えるにあたり、あえてまた対中のODAがらみの諸問題を指摘するの
は、日本の中国への巨額の援助継続が日中関係でなお再考をされつづけるべき一連の未解決案件
のシンボルだからである。

 国連安保理常任メンバーとして大国のパワーを誇示し、核兵器や弾道ミサイルを増強し、高度
経済成長を保ち、巨額の外貨保有で経済ダイナミズムを発揮し、さらに日本に関連しては反日教
育をつづけ、日本の教科書の内容にまで干渉するという中国に、経済苦境の日本が公的資金をな
を捧げつづけるという行為が正常な外交なのだろうか。
 こうした両国間の現状をみるとき、「日中再考」の作業は機会と形式を変えて、まだまだつづ
けねばならないと感じるのである。


蛇足: この本を読んで感ずることは、日本の外交政策を立案し実行しているのは誰なのかという疑問です。

敗戦後は国連中心主義を掲げながら、アメリカの対外政策に歩調を合わせて冷戦の時代を過ごした日本は、

ニクソン政権の中国カードを使った対ソ連政策に大いに驚き、台湾との関係を損なっても田中首相が中国政府

との国交回復を行いましたが、冷戦終結後の中国の経済解放政策による、共産党独裁政権の生き残り政策への

中国の転換に上手に対応できていない様に感じられます。

 国家の基本である予算の編成や法律の立案までも官僚に依存してきた我国は、外交という国と国との関係を

左右し国の運命を定める問題もまた外務省に依存してきたのでしょうか? 国の予算をかすめ取る習慣に染ま

った官僚とそれに依存して利権を追い求める政治家に、国民の運命を任せておいたのでは安眠できません。

 小泉首相はODAの10%削減を打ち出していますが、一律の削減ではなく我が国にとって有効かつ真に

友好的な関係を築ける相手に援助対象は限定することが当然なのではないでしょうか? すでに米びつの底が

見えて来た日本の経済力を建て直し、国境を接する国々との交渉に軍事を使用しない我国としては、経済力を

効果的に使うことが外交政策・手段の中核でなければならないでしょう。

 一方、慶應義塾には解放政策以後の中国から多数の留学生が学んでいます。すでに卒業して日本企業に就職

している人、欧米の大学に進んだ人、欧米で就職している人と様々な塾員が当会のメンバーとして登録されて

おられます。これらの方々とのおつき合いを通じて、中国の人々は政府の政策や方針がいかなるものであろう

と、どの時代においてもしたたかに自己の立場を貫いてきた歴史を持っているように思えます。

 中国の古くからの諺では「官という字には二つの口がある」と言うと村松暎文学部名誉教授に教わりました。

官は二枚舌を使うから信用してはならないという意味だそうです。政府の方針に逆らうことは命がけですから、

表面的には従いますが、面従腹背が当然という生き方です。「お上に従い、お上に頼る」性向の強い日本人と

は大分異なることを認識する必要があるでしょう。 この辺りの国と国民の関わり合い方が「国のかたち」を

決めている重要な要素です。

索引へ戻る