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『学問のすすめ』
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
これは福澤先生の言葉ではありません。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといえり、されば・・・・
『学問のすすめ』初編の書き出しの言葉を、よくお読み下さい。
<といえり、>とは<と言われている、>という意味です。
人間の平等を唱えたというこの言葉は、アメリカ合衆国の独立宣言の中のものです。
福澤先生が天と訳した言葉は<Under the God>です。
されば・・・・から続く文章には、
学ぶと学ばない差によって、賢人と愚人の別の出来ることから説いておられます。
だからこそ、『学問のすすめ』なのです。
「学問のすすめ」は、明治5年2月の序編から明治9年11月の第17編まで、
岩波文庫に全編が納められています。(現在定価400円+税)
当時のベストセラーは、時代を越えて生きています。塾員の座右の書としてお読みください。
本屋に行く時間も無い人のために、一部活字が異なりますが、初編全文を掲載します。
慶應義塾社中の行動指針として、今こそ新鮮かつ重要であることをご確認ください。
学問のすゝめ 初編
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下
の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資
り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各々安楽に
この世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、
貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相
違あるに似たるは何ぞや。
その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり
とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり。
また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事を
する者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心
を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。
故に、医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、数多の奉公人を
召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。身分重くして貴ければ自ず
からその家も富んで、下々の者より見れは及ぶべからざるようなれども、その本を
尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによってその相違も出来たるのみにて、
天ょり定めたる約束にあらず。諺に云く、天は富貴を人に与えずしてこれをその人
の働きに与うるものなりと。
されば前にも言える通り、人は生れながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を
勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人と
なるなり。
学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を
作るなど、世上に実のなき文学を言ぅにあらず。これらの文学も自ずから人の心を
悦はしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すよう、さま
であがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少なく、和歌
をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、その子の
学問に出精するを見て、やがて身を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。
無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実
学なり。例えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、
天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぷべき箇条は甚だ多し。地理学とは日本
国中は勿論世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見てその働き
を知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書
物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学と
は身の行いを修め人に交わりこの世を波るべき天然の道理を述べたるものなり。
これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名
にて用を便じ、或いは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実
事を押え、その事に就きその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべ
きなり。
右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賎上下の区別なく皆こ悉くたしなむべき
心得なれば、この心得ありて後に士農工商各。その分を尽し銘々の家業を営み、身
も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり。
学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生れ附きは、繋がれず縛られ
ず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自
在とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。即ちその分限とは、天
の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達すること
なり。
自由と我儘との界は他人の妨げをなすとなさざるとの問にあり。例えば自分の金
銀を費やしてなすことなれば、仮令い酒色に耽り放蕩を尽すも自由自在なるべきに
似たれども、決して然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり遂に世間の風俗を乱り
て入の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりと
もその罪許すべからず。
また自由独立の事は、人の一身に在るのみならず一国の上にも在ることなり。
我日本はアジア洲の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず独り
自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡
来せしょり外国交易の事始まり今日の有様に及びしことにて、開港の後も色々と議
論多く、鎖国攘夷などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところ甚だ
狭く、諺にいう井の底の蛙にて、その議論取るに足らず。
日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月
を眺め、海を共にし、空気を共にし、情愛相同じき人民なれば、ここに余るものは
彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもな
く誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸を祈り、天理人道に従って互い
の交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリ
ス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず
命を棄てて国の威光を落さざるこそ、一国の自由独立と申すべききなり。
然るをシナ人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくち
に夷狄々々と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賎しめこれを嫌い、自国の
力をも計らずして妄に外国人を追い払わんとし、却ってその夷狭に苦しめらるるな
どの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えは天然の自由を達せず
して我儘放蕩に陥る者と言うべし。
王朝一度新たなりしより以来、我日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をも
って外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せ
しが如きは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基こに定まりたり
と言うべきなり。
されば今より後は日本国中の人民に、生れながらその身に附きたる位などと申す
は先ずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処とに由って位もあるものなり。例
えば政府の官吏を粗略にせざるは当然の事なれども、こはその人の身の貴きにあら
ず、その人の才徳をもってその役義を勤め、国民のために貴き国法を取扱うがゆえ
にこれを貴ぷのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。
旧幕府の時代、東海道に御茶壷の通行せしは、皆人の知るところなり。その他御
用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二
字を附くれば石にても瓦にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千
百年の古よりこれを嫌いながらまた自然にその仕来に慣れ、上下互いに見苦しき風
俗を成せしことなれども、畢竟これらは皆法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあ
らず、ただ徒に政府の威光を張り人を威して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方
にて、実なき虚威というものなり。
今日に至りては最早全日本国中にかかる浅ましき制度風俗は絶えてなき筈なれば、
人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みか
くして暗に上を怨むることなく、その路を求めその筋に依り、静かにこれを訴えて
遠慮なく議論すべし。天理人情にさえ叶う事ならば、一命を抛て争うべきなり。
これ即ち一国人民たる者の分限と申すものなり。
前条に言える通り、人の一身も一国も、天の道理に基づきて不羈自由なるものな
れば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに
足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。まし
てこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、何れも安心いたし、ただ天理に
従って存分に事をなすべしとは申しながら、凡そ人たる者はそれぞれの身分あれば、
またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには物事
の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学はざるべからず。こ
れ即ち学問の急務なる訳なり。
昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を
並ぷるの勢いに至り、今日にても三民の内に人物あれば政府の上に採用せらるべき
道既に開けたることなれば、よくその身分を顧み、我身分を重きものと思い、卑劣
の所行あるべからず。
凡そ世の中に無知文盲の民ほど隣れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なき
の極は恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧究に陥り飢餓に迫るときは、己が
身を罪せずして妄に傍らの富める人を怨み、甚だしきは徒党を結び強訴一揆などと
て乱妨に及ぷことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の
法度を頼みてその身の安全を保ちその家の渡世をいたしながら、その頼むところの
みを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。
或いはたまたま身本確かにして相応の身代ある者も、金銀を貯えることを知りて
子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。
遂には遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。
かかる愚民を支配するには、迚も道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威を
もって脅すのみ。西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。こは政府の
苛きにあらず、愚民の自ら招く災いなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上に
は良き政府あるの理なり。
故に今、我日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮に人民の徳義
今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべ
く、もしまた人民皆学問に志して物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府
の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぷべし。
法の苛きと寛なるとは、ただ人民の徳不徳に由って自ずから加減あるのみ。人誰
か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外
国の侮を甘んずる者あらん、これ即ち人たる者の常の情なり。
今の世に生れ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配
あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきて先ず一身の行いを
正し、厚く学に志し博く事を知り、銘々の身分に相応すべきはどの智徳を備えて、
政府は政を施すに易く諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得
て共に全国の太平を護らんとするの一事のみ、今余輩の勤むる学問も専らこの一事
をもって趣旨とせり。
端 書
このたぴ余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりた
る同郷の友人へ示さんがため扁を綴りしかば、或人これを見て云く、この冊子を独
り中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし、との
勧めに由り、乃ち慶應義塾の活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。
明治四年末 十二月
福 沢 諭 吉 記
小幡篤次郎
(明治五年二月出版)
『学問のすすめ』全編はこちらでお読みになれます。