テネシー便り(39) 福島幸人さん(昭41商)2010.2.15
「バーの無いテネシー州へご招待?」
百薬の長と言われているほどのお酒のお話ですが、我がテネシー州には州法
上残念ながら「お酒」だけを提供する「バー」はありません。 突然こんなお
話をすると、皆さんは即座に、そんな馬鹿げた話はないだろうと不審に思われ
るのも当然です。 そこで、今回はそんな不可解な法律にまつわる近況を紹介
したいと思います。
先ず、現行の法律によると、飲食店が酒類の販売許可を得る条件として、食
べ物の売り上げ高は酒類よりも多くなければならない。 もし、この規定に違
反し、酒類の売上げが食べ物よりおおくなると、飲食店に対し罰金が課されて
いる。 因みに、2009年度には、食べ物の売り上げ要件を満たさなかった
飲食店から罰金として$84,000が徴収された。
ところが、共和党トッド下院議員と民主党ジャクソン上院議員の共同提案と
して、この現行法律をもっと厳しく遵守させたいとの趣旨で、追加の改定法案
が州議会に提案されている。 その法案のポイントは、今後飲食店に毎月食べ
物類と酒類のそれぞれの売り上げ高を関係当局に報告させ、その報告内容を審
査する。 その結果、食べ物類が酒類より少なければ、罰金として毎月$1,500
を徴収するか、営業停止にするかの権限を与える法案としている。
実際問題として、飲食店の売り上げは顧客の嗜好に左右されるので、新たに
より厳しい法律が出来たからと言って、顧客が飲酒をひかえたり、一方で食べ
物を多くとるわけでもないはずです。 今まで、法律でお酒を楽しむ顧客を締
め出すようなことをしてきたこと自体理解に苦しむ話です。 特に飲食店の大
半の経営者は既に違反金を毎年払っても営業している。 何故ならば、飲食店
は食べ物類と共に酒類を提供しているが、しばしば顧客は食べ物類よりも酒類
を多く注文し召し上がっている為です。
それにもかかわらず、突如このような法案が議会に提案されている背景には、
表向きの理由は飲酒に起因する犯罪の軽減化を計るとの趣旨と強調しています。
しかし、昨年に提案された飲食店への拳銃の持込みが、飲食店側の反対(つ
まり、飲食店側の裁量で拳銃の店内への持込を禁止できる)の為、一部骨抜き
されて可決された経緯に対してのガン・ロビー活動側の飲食店を狙った敵討ち
的な雰囲気が漂っているかとも見られています。
次に、共和党トッド下院議員と共和党フォーク上院議員の共同提案として、
別の法案が州議会に提案されている。 現行の法律では酒類の販売を午前3
時から午前8時まで禁止している。 それを、今後は酒類の販売は深夜から午
前8時まで禁止にするという法案です。 理由は飲酒に起因する犯罪の軽減化
を計るとの趣旨です。 しかし、この法案は飲食店業者の死活問題に発展す
るほどの大きな問題となる危険が予想されされからです。 更に、深夜就業
者、及び早めの夕刻に飲食店へ行けない人々にとっては不公平な取り扱いと
なってしまうでしょう。
とにかく、このような法案が提案されているが、各方面から反対の大声が
上がっています。 例えば、ナッシュビルで「ブルーバード・カッフェ」を
経営しているエリカさんは、「これらの法案の提案者達はミュージック・シ
ティー(ナッシュビル市の愛称)からミュージックを無くしてしまいたい。」
と批判していた。 また、もしこの法案が可決されれば、テネシーの全て
のライブ・ミュージック・クラブの99%は閉鎖されてしまうでしょう。
つまり、そのクラブでのメニューは食べ物類ではなく酒類などの嗜好飲料
で、従って、結果として大幅な税収の減少や失業が見込まれたりするので、
これらの法案は適していないと指摘されているのは頷かれる点です。
以上のように見てくると、テネシーの市民だけが特殊なわけでもありませ
んが、あまりにも時代遅れとも思われるお酒にかかわる規制が米国の中にも
現存している事情を発見。 あらためて自由な我が国日本の大らかさを思い
浮かべる次第です。では、今夜はテネシー名産のジャック・ダニエルで乾杯!
以上
参考(資料) 2月12日
http://www.tennessean.com/article/20100212/OPINION01/2120344/-1/RSS05
テネシー便り(38) 福島幸人さん(昭41商)2010.1.15
「米国の女性裁判官38口径の拳銃を携帯」
前回のテネシー便り(37)「銃社会との共存とは」に関連して、興味深い
ニュースが目に留まったので、今回はその記事の内容を簡単に紹介したいと思い
ます。
実は1月11日付けの当地の日刊紙テネシアン(The Tennessean)を開いてみた
ら、それは女性の裁判官が法廷で、右手に38口径の拳銃を保持している姿の写
真でした。
既に、米国の銃社会の成り立ちを前回で少しお話しましたので、米国人が公に
拳銃を保持することは不法でないことはお分かり頂けたと思います。 しかし、
公正に裁判が行われるはずの法廷で、当の裁判官が身の安全を自己で負わなけれ
ば成らない事態には驚きました。
なお、このオリジナルの原稿記事はザ・ボストン・グローブ紙(The Boston Globe)
の1月10日付けの記事の一部を転載したものでした。ご参考に詳細記事のサイトは
http://www.boston.com/news/local/maine/articles/2010/01/10/budget_cuts_force_tough_choices_on_court_security/
(一部抜粋記事、上記2紙から引用;解り易くするために小生の解説を部分的に追加)
「裁判所は予算削減で安全管理を止めるかどうかで戸惑っている」
“致命的な射殺事件の誘引を心配”
毎日多くの人々が、子供の親権の事情聴取から殺人事件の裁判まであらゆる理
由で裁判所に到着すると、入り口では“ビープ”の音も発せず、金属探知機を歩い
て入って来られる。 裁判所では金属探知機を入り口に設置しているが、不況に
伴い裁判所の予算不足のため、操作する係り員を雇えず、その結果、金属探知機
は動作していない事態が発生。
経済不況で州や地方の予算の急速な大幅なカットの為、米国の裁判所は裁判業
務サービスを削減するか、又は安全管理費を削減するかと言う厳しい決断に迫ら
れている。 多くの裁判所にとって、それは9・11後の世界の中では人々を不
安にさせている。
先週ラス・ベガスの裁判所で致命的な射殺事件が発生した。 この事件は被告
の男性ががソーシャル・セキユリティ(社会保険)の給付訴訟に敗れた為、法廷
で銃で一人の警備員を射殺及び連邦警察官に重傷を負わせた。 直ちに、当局は
全米の連邦裁判所に法廷の安全管理の見直しを指示した。 一方、、近年連邦の
裁判官や検察官にたいする脅しの件数が過去6年間で倍増したとの情報が発表さ
れた。 つまり、2003年には529件だったが、2008年には1,278
件に倍増した。 これら2件の直後、この様な裁判所での安全管理に関する懸念
は、ようやく広まってきた。
マサチュウセッツ州でも、過去15ヶ月間も法廷の業務職員は空席のまま補充
されず、更に裁判所は職員の病欠や休暇の際に雇用される30人の臨時作業員の
使用を停止した。
これらの人員削減は担当官がこちらの法廷からあちらの法廷へと、やり繰りしな
がら裁判業務をこなさなければ成らないので、法廷の審理も遅れてしまっている。
この様な法廷業務のやり繰りは毎日起こっていると、マサチュウセッツ州の裁
判システムの広報担当者のジョアン・ケニーさんの言葉でした。
一方、テネシー州の南隣に位置するアラバマ州のバーミンガムの裁判所の女性
裁判官スーザン・チャイルダースさんは、Smith & Wesson製の38口径の銀色の
拳銃を机の下に保持している。 何故ならば、裁判所が予算不足の為、従来配置
されていた2人の法廷保安官を削減させてしまった為でした。
彼女は日頃法廷で繰り広がられる子供の親権や離婚訴訟で争う怒りに満ちた人々
と対面しているので、彼女自身、彼女のスタッフ及び一般の方の為に、法廷内で
何らかの防御手段が必要だと感じていた為です。
つまり、彼女が拳銃を保持せざるを得ないのは、法廷内で銃撃の容易なターゲッ
トになるような状況に成りたくないと言っていた。
(以上が引用記事の抜粋です)
この様な記事を見ると、裁判所と言うところは人間社会の最も醜い争いを当事
者間で解決できずに公開の場で解決を図る仕組み故、怒りや悲しみが浮き彫りに
出てくることは当然予測できる場です。 裁判所の法廷の安全管理が疎かになっ
ている実情は米国は銃社会のパズルにはまっていくような気がして来るのは小生
だけでしょうか。 結局、現在の人間社会がこの様な安全管理を機械にばかり頼
るシステムに変えていった結果ではと感じる次第です。
何故ならば、一見、機械によるシステムは科学的でかつ合理的なものと考えて
しまいます。 その背景には、われわれ現代社会では自己責任を回避したいとの
潜在的意図から、機械のシステムに任せれば、万一問題が起きても、直接的には
その責任を機械のシステムに転嫁したいとの意図がうかがえると思います。 卑
近な例では、担当者はトラブルを直ぐにコピューターの所為にしてしまうのとど
こか似ているような気がします。
しかし、問題の本質は機械が作動するとか作動しないとかのレベルではなく、最
終的にはわれわれ自身人間社会の問題であるとの認識に立ち返ってみることだと
思います。
個人が拳銃を携帯することでしか身の安全を守れない社会と共存してゆくのは
真に心苦しい感じです。
以上。
テネシー便り(37)
「銃社会との共存とは」福島幸人(昭41商)2009.12.15
12月10日付にて、当地ナッシュビル日本総領事館より在留邦人向け安全
情報のメールが届いた。 その内容は「総領事からのお知らせ(ナッシュビル
市街地中心部における銃器使用連続強盗事件の被疑者逮捕に関して)」でした。
その詳細は添付サイト資料(1)の通りですので、ご参考までにご覧ください。
(1)http://www.nashville.us.emb-japan.go.jp/index_j.htm
この銃器に伴う背景には、米国の歴史的な事情として1791年に施行され
た米国憲法の第二修正条項 (武装の権利)により、米国市民は武器としての
銃器を保持し、携帯する権利があるとされています。 その目的は、明確です。
つまり、自由な国家の安全の為との意図から発展させて、個人の安全の為、つ
まり正当防衛の為には拳銃を保持し、携帯する権利を有すると広く理解されて
います。
銃規制を緩和する主張は従来からも保守的な共和党支持者の地盤に強く、我が
テネシー州も、その州議会の構成は上下両院とも共和党が多数を占めております。
今回の拳銃の規制緩和に関する新法案も民主党のブレデスン州知事の拒否権に
もかかわらず、再度表決の結果、最終的にその法案は成立してしまいました。
当然ながら、全米ライフル協会はこの法案に対して、大きな支持母体の一つと
して活動してきたことが挙げられます。 そこで、今回はこの銃社会の国に生活
している立場からこの銃社会の近況を振り返ってみたいと思います。
ところで、先ずびっくりしないで頂きたいことがあります。 その内容とは、実
は今年7月に、テネシーではバー、レストラン、公園へ、拳銃を携帯して入っても
よいという規制緩和の修正法案が州議会で可決されました。 ただし、バーやレス
トランに入ったら、拳銃を携帯しているお客さんはお酒は飲んではいけないと制限
されています。 この法律の詳細はサイト資料(2)の通りです。
(2)http://www.tennessee.gov/safety/handgunmain.htm
でもこのニュースは当地の市議会を筆頭に各方面に大きな反響を与えています。
このような銃社会の事を言ったら、この21世紀の現代社会が急に19世紀の西
部開拓時代にタイム・スリップで戻ったような世界だと思いませんか。 実際、カ
ントリー・ミュージックの本場を背景に、カントリー・ウエスターンのファッショ
ンが幅を利かせているテネシー州のナッシュビルではカウ・ボーイ・ブーツやカウ・
ボーイ・ハットが良く似合う男女を街中で良く見られます。 ですから、今までも
映画に出てくるような、市内のバーやサルーンの看板のある酒場で彼らの姿も多く
見られたわけです。 今回の拳銃の酒場への持ち込みに関する規制緩和により、こ
れから彼らは拳銃を携帯して酒場へ入っていけると言うことになったのです。
小生の常識からしても、今まで拳銃の持ち込みを規制していた場所に、どうして
そのような規制緩和の修正法案を可決してしまったのか不思議に思えた程です。
実は、別の話ですが、この拳銃のバーへの持ち込み規制緩和の実施前、今年4月
にナッシュビルのカラオケ・バーで、そのオーナーは自分の奥さんのいる前で客に
拳銃で撃たれ殺される事件が起きました。 その奥さんは拳銃の規制緩和が実施さ
れてたら、自分は夫が殺される前に、夫を助けられたのではと、マス・メディアの
前で強調しながら、訴えていたのが印象的でした。
そこで、この規制緩和された修正法律には、バーやレストランのオーナー達の自
主的判断で、拳銃を携帯して来店されては困ると判断される時は、入り口に「拳
銃を携帯して入る事を禁止」する旨の掲示を表示せよと、明記されています。
だからと言って、飲み屋に行くのに、誰が正直に拳銃を車の中に置いてから、
バーやレストランへ行くかどうかは判りません。 例え、「拳銃の持ち込み禁止」
を入り口に掲示していても、入店の際に拳銃の有無の確認は許されていません。
ですから、そのお客が入店した後、カウンターでお酒を飲むかどうかするまで、
その本人が拳銃を携帯しているかどうか他人には判らないことになります。
そのような現実から、大半のお酒を提供するお店のオーナー達はこの規制緩和の
法律に大きな驚きと不満の声を秘めているといわれています。 問題はこの拳銃
の規制緩和に反対の声を個人単位で挙げることには、なかなか憲法上の個人の権
利と商売との兼ね合いもあって躊躇している状態です。つまり、オーナー達の自
己責任に委ねられている訳です。
とにかく米国は広大な国土ですから、緑の美しい公園にしても、人気のない場所
がたくさんあり、安心して公園内を散策するには、拳銃の携帯も必要だとの要請
も頷ける気がいたします。従って、今回の規制緩和の法律でも公園内も拳銃の携
帯を許可するとしています。 ただし、この法案に反対する地方では、市議会の
判断で公園の入り口に「拳銃の持ち込みを禁止する」旨の掲示板を設置する事で
対応して良いとしています。
市民が銃器を持つと危険だと言う意見もあろうかと思いますが、ここで、他国の
例ですが、永世中立国として有名なスイスを思い浮かべてください。 この国で
は国民皆兵制度の基で、全てのスイス人の家庭には銃器が保管されています。
つまり、国家を国民一人一人が防衛する為に、いざと言うときに備えて、常に
武器を保持し、定期的に訓練に参加する義務を負っているという国もあるわけで
す。 だからといって、スイスでは銃による犯罪率が米国やその他の国より多い
との話はほとんど聞いたことがありません。
そのスイスや米国とは反対に、日本では銃器の保持や携帯は厳しく制限され、基
本的に一般個人が拳銃を保持することは禁止されている状況です。 つまり、米
国のように個人の安全の為や、護身用に拳銃を保持することは許可されていない
わけです。 ただし、不法な拳銃が闇ルートで流通しているニュースは、しばし
ばマス・メディア上で目にすることがあります。 その結果、それらの拳銃によ
る重大事件を引き起こしている事実を思うと、一概に法律で禁止しているから、
安心だとも言えない気がします。 つまり、不法な拳銃で殺される前に、自己防
衛するすべとしての正規の拳銃の保持は許されていないので、結果的には残念な
がら、殺されてしまうというケースが発生するのは避けられないわけです。
この米国では銃がないと危険で安心して日常生活を送れないと、本当に思ってい
る人々がいる、一方では、わざわざ危険な場所や危険な時間帯をさければ、銃が
なくても日常生活にはさほど困らないと言う人々もいるのではないかと思います。
この社会では誰が拳銃許可証に基ずき正規に拳銃を持っているか、誰が不法に拳
銃を持っているかは不明な状態になっています。 それが又大きな不安を引き起
こしているのではないでしょうか。 ですから、例えば、ショッピング・モール
を歩いているときもポケットに手を入れて歩いていると、拳銃をかくし持ってい
るのではと疑われる危険があるので、ご注意のほどと言われています。
とにかく、出来るだけ周囲には気をくばり、リスクを見極めながら銃のお世話に
ならずとも過ごしたいものです。 しかしながら、もし、銃による自己防衛が必
要と考えれば、21歳以上の成人等の条件を満たせば、付近の射撃練習所へ行っ
て8時間の集中講習(一日で習得)を受け、拳銃保持の許可証を取得し、正式に
拳銃を身に着けておくのも方策の一つと考えられるわけです。 なお、拳銃や弾
薬は付近のスーパー・マーケットで簡単に購入できる仕組みになっています。
ところが、政権がオバマ大統領になってから民主党の銃規制の動きが加速すると
の見方が広がり、全米の銃販売店や大手スーパー・マーケットのウオール・マー
ト等は弾薬の品薄が始まっているほどです。 つまり、銃器保有者は将来入手が
困難になる前に、今のうちに出来るだけたくさん弾薬を購入しておきたいとの心
理が働いていると言われています。ですから、弾薬の購入が困難な他州から、わ
ざわざ我がテネシーまで弾薬を買いに来ているほどです。 もしかしたら、一部
であろうが、かつて、米国で禁酒法が発効された時代が来た時と似たような、不
安にかられるのではないかとさえ思われます。
しかしながら、この様な米国の動きはどこかおかしいのではと思えてきてしかた
がありません。 米国は国際的には21世紀の世界に於いて、自由と民主主義を
訴える先進国の立場を堅持する為にも、銃規制をスローガンの一つにしています。
しかし、国内的には前述したように、銃規制を撤廃する運動や、護身用に拳銃
を携帯しなければ安心できないような社会、あたかも19世紀にタイム・スリッ
プしたように、世界の動きに対し後戻りしている様に動いているとしか見えない
からです。 つまり、この様に米国はかなり屈折した社会を包含しているほど、
懐の深い社会であると感じる次第です。
以上
テネシー便り(36) 福島幸人(昭41商)2008.3.15
「セント・パトリック・デイのお祭り」
3月に入っても未だ朝晩は氷点下まで冷え込むテネシーですが、暦では先
ず3月9日から既に夏時間が開始。冬時間から1時間早送りされた為、ここ
テネシーと日本との時差は14時間遅れに変更されたところです。 この繰
り上げられた夏時間制度は、省エネ対策に寄与する為といわれるが、評判は
あまり宜しくないようです。
さて、次に3月の暦を詳しく見ると、今月の最大の行事はあらゆるところ
で「グリーン」が見られる「セント・パトリック・デイ」のお祭りです。
そこで、今回はこの「セント・パトリック・デイ」にまつわる話題を当地
の知人(アイルランド系アメリカ人夫妻)のお話を参考に少々紹介したいと
思います。
初めに独り言ですが、日本では、2月の「セント・バレンタイン・デイ」
が義理チョコプレゼント、それに続く3月の「ホワイト・デイ」の習慣(?)
が広く定着していたのを覚えていました。 ところが、欧米人と違い宗教観
に捉われない商魂たくましい我が日本人は、もし3月のこの「セント・パト
リック・デイ」をもっと早くから把握していたら、日本独特な「ホワイト・
デイ」などの奇抜な造語を考えずに、このキリスト教の神様の命日をいち早
く日本流に変換し、今頃は我々は本来のお祭りの意味とは無関係に、「セン
ト・パトリック・デイ」の言葉と共に、更にビジネス・チャンスを創造した
のではと想像しています。 もしかしたら、既に、日本のどこかで「聖パト
リック」の緑のお菓子が出回っているのかもしれません。
このお祭りは本来はアイルランドのお祭りです。つまり、アイルランドに
初めてキリスト教を広めたセント・パトリックの命日、3月17日を「セン
ト・パトリック・デイ」として国中でお祝いのパレードが行われる。 アイ
ルランド人にとってはクリスマスよりも最大の年中行事で、今やお祭り好き
な世界中の人々に一日だけアイリッシュの雰囲気に溶け込んでお祭りを楽し
むほどに盛り上がっています。
アイルランドは別名「エメラルドの島」といわれています。 つまり、気
候的には島国の周囲をメキシコ湾暖流が北上しているので、北緯55度前後
の高緯度にもかかわらず、温暖で雨も多く、全島はみどりの草木に富んでい
ることからこの別名がつけられたと言われています。 そこで、この「セン
ト・パトリック・デイ」には我が祖国「エメラルドの島」をたたえる為にも、
誰もが緑色のものを身につける慣わしとなったというわけです。
セント・パトリックとはアイルランド人にキリスト教を広めた司教で、ア
イルランドの守護聖人として尊敬されている。 生まれはイギリス西部のウ
エールズで、神学を学ぶ為ヨーロッパ大陸へ渡り、432年ローマ教皇から
布教の命を受け、その後アイルランドを訪れ、土着のケルト系信仰とキリス
ト教を融和させる形でキリスト教を布教した。 その際、シャムロックを手
に、「三位一体」をといた為、シャムロックは彼のシンボルとなったと言わ
れています。
言い伝えとしては、シャムロックは至る所に生息しており、そのセント・
パトリックはキリスト教を伝えると共に毒蛇を追いやったと言われています。
従って、そのシャムロックを表す緑を身につけていないと、その毒蛇に襲
われるので、皆何らかの形で緑色のものを身につける慣わしです。 アメリ
カでは3月17日は週末日でないので、今年は3月15日(土)に全米の各
地で「セント・パトリック・デイ」のお祭りのパレードが盛大に開催される
予定です。 我が市のハイスクールのマーチング・バンドが選ばれて、15
日のニューヨーク5番街の大パレードに参加すると言われています。 その
他シカゴやジョージア州のサバンナ市のパレードは特に盛大といわれていま
す。
お祭り大好きな陽気なアメリカ人ですから、なんでも緑色にして楽しもう
と、緑色の染色剤を川に投げ入れて、みどりの川に変身させたり、ビールに
染色剤(食べられる)を入れた緑色のビールで乾杯したりと、様々な変わっ
た行事が見込まれます。 ついでに言うと、我が'住宅地の通りの名前はすべ
て、アイルランドの地名や川の名前にちなんだ名称となっているの気がつき
ました。 アメリカは全ての通りに名前をつける仕組みなので、世界中の地
名などもみうけられるのは興味深い点です。
次に、3つ葉の植物はアイルランドの国花、シャムロック - Shamrock で
す。これは日本の三つ葉のクローバーに似ていますが、それよりも大変小さ
い花びらです。 セント・パトリックはシャムロックの3枚の葉をそれぞれ、
(1)父なる神、(2)子イエス・キリスト、(3)聖霊、に例え、それら
が一つの茎でつながっていることを示して三位一体を説いたといわれています。
とにかく、アイルランドの歴史の話を聞くと、テネシーほどの広さの島国
で、イングランドからの圧力と国内の沢山の諸侯間で争いに巻き込まれ、常
に貧しい苦しい生活を強いられていた農民達の多くは新大陸へと移民した背
景がありました。 1840年代の有名な「ジャガイモ飢饉」も大きな引き
金となって餓死と移民の結果、アイルランド本国の人口のほぼ3分の一も減
少したと言われています。実際に、現在のアイルランド全島の人口は約56
0万人。
一方アメリカをはじめ世界中に居住するアイルランド系の人口は約700
0万人と、本国よりも多いわけです。 アメリカについで、カナダやオース
トラリアへの移民も多数を占めたといわれています。
アメリカ人の名前を見ると、アイルランドの出身者がわかると言われます。
参考に トップ5を上げてもらいましたら、(1) ケリー(Kelly)、
(2)ケネディー(Kennedy)(3)オコーナー(O’Connor)
(4)マックナマラ(Mac Namara)(5)マーフィー (Murphy)のよう
でした。 ですから、名前を見ればどこの出身かかなり明確に分かるそうです。
且つて、奴隷解放が実施されたときに、奴隷達は自分達の名前を決めるに
あたり、主人の名前を借用して付けたそうです。 従って、多くの奴隷はそ
れぞれの主人であるイングランド人、スコットランド人及びアイルランド人
達の名前をつけているので分かるそうです。
次にアメリカに渡ったアイルランド人は、移民人口のほぼ30%にも達し、
アイルランド人を先祖に持つアメリカ人は今やあらゆる分野で活躍している
姿が見られます。 何故こんなに「セント・パトリック・デイ」を国民的に
祝うのかというと、アイルランド人の人を思いやる、親切な気質は大変なも
ので、昔からの人々の純朴な性質がアイルランドの全島に今でもあちこちで
見られると強調されていました。 例えば、地理に不案内な見知らぬ人に対
しても、一緒に近くまで連れて行ってあげるほどです。
小生は未だアイルランドへは足を伸ばしたことが無いが、機会があったら
緑が豊かなエメラルド・グリーンの島を是非訪問してみたいと思っておりま
す。
以上
参考文献
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Patrick
http://www.honda.co.jp/yatsugatake/nasu/003/index.html
INJ - セイント・パトリックス・デイ - 人物、パレード、歴史
http://www.inj.or.jp/seanachai/ireland/06stpatrick.html
テネシー便り(35) 福島幸人(昭41商)2008.1.15
「ポーラー・ベア・プランジ」 01-12-08
一年で一番日本人らしい行事と言えば、何と言ってもお正月の行事でしょう。
ところが、当地では元旦のみが単に休日となるが、新年を祝う伝統行事など
一切ありません。「正月3ケ日は、、、」と言って、慣れ親しんできた我々
日本人には何か物足りない気がします。 ただし、大晦日のカウント・ダウ
ンを合図に、「ハッピー・ニュー・イアー 」が合言葉となっているぐらいで
す。 ああ、これで新年なんだと感じるが、翌2日目からは通常通り、会社
も学校もスタートです。
そんな味気ない新年を迎えてばかりかと言うと、最近盛んになってきた冬の
行事「ポーラー・ベア・プランジ(Polar Bear Plunge)」が注目されています。
当地では、今年も新年早々この行事が付近のスポーツ・コミュニティー・
センターで開催されました。そこで、今回はその様子の一端を紹介したい思い
ます。
この行事は日本人にはお馴染みの「寒中水泳」大会気分とちょっと似ていま
す。
しかし、実際のところ、この行事は日本流で表現すると単なる「寒中飛び込
み」大会といった市民参加のイベントです。 ところが、全米の各地で、毎年
「ポーラー・ベア・プランジ(Polar Bear Plunge)」の名称の下で開催され、
年々盛んな勢いです。 北極圏にいる白熊などは毎日極寒の中の生活ですから、
これを見たら何ていうでしょうか。
わが国の「寒中水泳」も米国の「寒中飛び込み」も同じ真冬の寒中に、氷点
下近い水中に入るわけですから、かなりの勇気と度胸がないとなかなか決心出
来ない気がします。寒中の水に関しても、我々日本人はとかく昔からその水を
自然崇拝の神聖な神々の一つと、伝統的に考えていました。 しかし、当地の
彼らは水にその様な宗教的な意味合いを持っていません。 主催者である市当
局は、今回の行事を年初めの市民参加のリクリエーション.イベントを兼ね、
フード・バンクを支援するチャリティー活動ととらえていました。
当日の会場は午前10時の飛び込みで始まり、気温約4度Cの屋外の プール
は昨年よりかなり冷え込みでした。ところが、念が入ったことには北極の白熊
並みの水温になるようにと凝ったのか、係員はプールに沢山の氷を投げ込み、
水温は34度F(約1度C)と見るからにふるえる冷たさでした。 今回は
コスチューム.コンテストも兼ねていたので、参加者は水着の上に思い思いの
衣装を着け、続々と元気に飛び込んでいたのには驚きました。 参加者達は年
齢に関係なく、子供から中高年者まで、親子共々も含め、365人に達する盛
況でした。 和やかな雰囲気で、年の初めに何か自分の自由意思で何か実行し
たいと決心した人々でした。
なお、屋外のプールでの「ポーラー・ベア・プランジ」とは別に、冷水には
飛び込めない参加者の為、「臆病者の飛び込み」と銘打って、隣接した施設内
に水温83度F(約27度C)の温水プールの「チキン・プランジ」が用意さ
れていた。
当地の主催者は参加者に参加費は無料だが、寄付として保存用食品(缶詰や
乾燥食品等)の持参を要請。 その結果、イベント終了後には、屋内の会場で
は参加者から寄付された保存用食品が山のように積まれ、ほぼトラック一台分
の保存食品がフード・バンクへ寄贈されることになりました。
米国は世界で豊かな社会といわれているが、その反面、多くの生活困窮者に
対し、必要な食料の配給支援活動は、「フード・バンク」のネットワークの名
称で代表されるように、全米各地で幅広く企業や市民に浸透しています。
このような市民参加のイベントへの参加者は、リクリエーション・イベント
として家族共々楽しむと同時に、イベント参加費はお金ではなく、生活困窮者
への保存用食品の寄付活動を通し、自然にフード・バンクをサポートしている
様に思えました。 このような市民参加のイベントは、必ずといって良い程何
らかのチャリティー活動と密接に結び付いていることが分かります。
以上
テネシー便り(34) 福島幸人(昭41商)2007.12.15
「クリスマス・ホリディーを迎えて」
今年も例年通り、11月22日のサンクスギビング.デイが終わるや、ショッ
ピング.モールはクリスマス商戦一色へと変身です。そこで、今回はクリスマ
ス・ホリディーに際し、少々の所感を紹介したいと思います。
さて、零金利政策のわが国と違い、米国は景気回復へと再々金利引下げを実施
しているが、依然として先行き景気が不透明と言われています。 米国は自作自
演のサブ・プライム・ローンによる不良債権と見込まれるジョーカー札を大量に
作り、当初多くの関係者はそれで大きな利益を謳歌。その結果が予想外の金融不
安。 悪いことにそれを多様なファンドに巧みに紛れ込ませ、ばば抜きゲームで
はないが、世界中の金融機関を経由してジョーカー札と言う不良債権を拡散させ
てしまった事情を思うと、消費者心理に不安要素となるのも頷ける話です。
いつどこで爆発するか分からない地雷のような不気味な感じです。 もし、お
手元にファンドをお持ちのお方は、変な地雷が含まれていないか気にかかること
でしょう。
さらに、原油の高騰が引き金で、車社会の米国の消費者はより厳しい毎日に直
面しています。ですから、クリスマス.ホリディーも未だ一般消費者としての
客足も昨年比で見ると、今ひとつだそうです。 しかし、クリスマス.ホリディ
ーはアメリカ人には欠かせない最大の伝統行事の一つ故、そのクリスマス.プレ
ゼントの買い物客のピークはクリスマス直前の数日が勝負と予想されています。
その背景は、小売店側は売り上げ拡大策としてのセールと値引き作戦、一方消
費者はセールの中からより割り引き率を更に高く変更する日、つまり、いつか
ら、より大幅な値下げされるかと、直前まで確かめたい気分です。そんな駆け
引きがクリスマスの直前まで持ち越される雰囲気だそうです。時間限定や、金
曜日夕方6時から翌日土曜日の昼までの特別割引セール、などなど。連日いろ
とりどりの商戦状況です。
ところで、先週末、付近のモールに出かけてみたら、広い駐車場は満杯でびっ
くり、クリスマス.ショッピング客で大盛況でした。 人が多く集まるところ
は、どこでも犯罪の危険が見込まれるので、防犯対策の一環として、特に犯罪
が多い広範なモールの駐車場を歳末警戒よろしく、騎馬警官が特別に巡回して
いる光景が見られました。 普通、見慣れたパトカーとは違い、意外に家族ず
れの子供達にも親しまれておりました。 特に、乗馬姿の警察官が高い位置か
ら警戒の目を光らされているので、警備上も、かなり効果的と言われています。
その背景には、テネシーはウオーキング・ホース.レース(特殊歩行する乗
馬競技)が盛んな所なので、これらの馬が警察官の乗馬用にも利用されています。
さて、モールの中に入ってみると、各お店に並んでいるギフト用商品はどれ
もこれも米国製品のデザインで、なかなか手ごろな値段で人気があります。
しかし、これらはほぼ全てと言えるほど、実際は中国製品であることから、
あたかも中国の為にアメリカ人は最大の買い物を先を競っているような気がし
ます。 中国の経済が急成長するのも当然でしょう。
日本でも話題に成っているように、ここ米国でも子供用のおもちゃを初め、
あらゆる製品において、中国製品の度重なる品質不良ニュースで目にします。
そのように度重なる製品の品質不良を繰り返していても、継続的に米国は中国
製品を輸入し続けているのはどうしたわけでしょうか。 一方、米国自身もそ
の責任の一端が問われてくるのではないでしょうか。
例え、多少品質不良があろうとも、今や麻薬中毒ではないが、中国製品なしで
は米国の消費構造を維持できない状況に、米国自身が陥っている様な気がしま
す。
貿易論の比較生産費論を思い出すまでも無く、安い労働力を当て込んで、米国
メーカーが国内の工場を閉鎖し、製造を中国に委ねておきながら、品質だけは米
国並みを期待するのは、いかがなものかと思う次第です。
では、今年の締めくくりとして、この辺で、我々日本人の大部分はクリスチャ
ンではないが、神仏合体の柔軟な精神構造を持っている皆様に、あえて年中行
事の一環として日本で定着した日本流の「メリー.クリスマス」と「ハッピー.
ニュー.イヤー」のメッセージを送らせていただきます。
以上
テネシー便り(33) 福島幸人(昭41商)2007.11.15
「米国定年退職事情」
間もなく、団塊世代が一斉に定年退職するが、その世代にとってはセカンド・
ライフをどの様に過ごすかが、大きなテーマと思います。 中には、再就職し
て、更にがんばる人々が居る一方で、セカンド・ライフを海外移住や世界旅行
で、優雅に過ごそうと言う話も耳にします。 そこで、今回はこの米国で定年
退職はどの様に捉えられているのか、その一部分をご紹介したいと思います。
ところで、この米国では制度的に定年退職制度はなく、自由の国と言われる
様に、自分で退職する時期を決めるわけです。 ですから、これまで一生懸命
頑張って来たのだから、退職後はハッピー・リタイヤメントと考え、自分の好
きな様に生きたいと思うのが世の常です。 つまり、就労に際し、年齢を条
件にすることが禁止されている為です。 そこでは、就労する職種の要求する
能力が条件ですから、その条件を満たすかどうかがキーとなります。
そこで、皆さんに考えていただきたいが、お上が定年退職を決めてくれる国
が好ましいのか、それとも、自由に自分で決められる国の方が生きやすいと考
えるのか、いかがでしょうか。
次に、退職をハッピー・リタイヤメントと夢膨らましても、問題は退職の時
期をどの様に決めるかと言う点です。 自由な国を標榜するこの米国社会は自
分の意思に反し、時には突然のレイオフやリストラ等による失職のリスクが多
く潜在しております。 更に、もし就職中に家族に病人が発生したら、新たに
民間の医療保険に加入できないと言う厳しい規制があります。民間の医療保険
会社は既に病気に罹っている場合は、新たに保険に加入できない為です。
この様な姿は、あたかも、「前門の虎後門の狼」という状態に見舞われた感
があります。
従って、65歳までは、国家による医療保険制度が存在していない為、高額
な民間の医療保険に加入できない人々は、退職すれば無保険者となるリスクを
抱えています。ですから、出来るだけ会社の医療保険の恩恵を受ける為にも、
65歳までは働き続ける事を余儀なくされている姿が実情の様です。
この点、わが国は制度的に国民皆保険制度があるので、60歳の定年退職を
迎えても、患者本人の負担は多少あっても国の医療保険制度により、自由の国
アメリカよりも格段に安心な国と思います。
かつて、民主党のクリントン大統領時代に当時のファースト・レディーだっ
たヒラリー夫人が推進した国民皆保険法案は挫折した経緯がありました。もし、
今後再度この様な国民皆保険制度が提起されたら、米国の民間の医療保険会社
は一斉に大反対の行動に出てくる事が予想されるでしょう。今から、来年の大
統領選挙の動向に関心をもって見守りたいと思います。
ところが、民主党が指向するような大きな政府に頼らずに、原則自由な競争
社会を志向してきた米国では、一部の富裕層を除き、早期退職したくても、前
述の保険制度の足かせもあり、一般大衆はなかなか早期退職によるハッピー・
リタイヤメント・ライフは夢の話です。 小生としては一応65歳をいわゆる
「米国流定年退職?」と呼称してみたいと思います。 近所の知り合いも65
歳まで働き、近年退職したと話しています。 知り合いの大学教授は70歳近
くになり今春退職したが、先日出会って、大学には定年退職の制度があるのか
聞いたところ、全く無い為に、希望すればまだまだ教授を続けている人もいる
と話してくれました。
さて、そんな訳で、いわゆる米国流定年退職の65歳の誕生日の3ヶ月前か
ら、地元の社会保険庁事務所の窓口へ行き、公的老齢年金(ソーシャル・セキ
ュリティー)と公的老齢医療保険(メディケア)の申請手続をはじめます。
(1) 先ず、この公的老齢年金は、日本の最低25年以上の勤務年数に対し
て、米国では最低10年以上の勤務年数が必要条件です。 毎月の保険料は日
本の厚生年金の様に、毎月の保険料を事業者と被雇用者が各50%負担する仕
組みです。 この老齢年金の支給のみで生活をするのは大変苦しい状況です。
支給方法は日本の隔月支給と違い、毎月支給です。又、希望すれば、指定の
銀行口座に自動振込みも可能です。
ただし、米国も人口の高齢化の増大に伴い、老齢年金の支給が懸念されてお
り、将来もらえるかどうかと不安が言われています。 そうは言っても、毎年
の老齢年金はインフレ分の加算調整がなされており、近年の過去平均2〜3%
程度が毎年加算支給されています。 一方わが国では、デフレ分が減算調整さ
れて毎年減額支給されているのが実情なので、将に正反対の状況です。
従って、日米両国で勤務した結果、両国から老齢年金支給を受けている日系
日本人の場合は、米国のインフレ分と日本のデフレ分で双方の調整額が相殺さ
れるケースも中には見られる事でしょう。
米国在住の邦人の年金受給者は円価を支給日の為替レートで換算し、ドルで
日本から送金支給されるので、円高になると増額されたドルの受給額となる。
しかし、円安となれば、その反対で減額されたドルの受給額となり、為替リ
スクを負いながら年金生活者となるわけです。 何とも、海外での年金生活者
は自分で制御できない為替リスクと共存しなければならない事情です。
(2)次に、公的老齢医療保険(メディケア)は、3ヵ月先に65歳の誕生日
を迎える米国市民及び米国永住権を持っている人々を対象に、加入手続を始め
ます。 ただし、最低10年以上の勤務年数が必要です。 つまり、この老齢
医療保険料も老齢年金の場合と同様に企業と被雇用者で負担しているわけです。
この医療保険制度は実のところ大変複雑で、米国人と話をしても、彼らも理
解が十分出来ないほどで、多くの苦情が寄せられていると、最近のニュースに
も出ておりました。 その背景に、昨今は詐欺まがいのダイレクト・メールが
届き、メディケア説明会への無料参加の勧誘、節税がらみのセミナーへの無料
昼食付き招待状、個人情報の不正収集を目的としているような、連邦政府の官
製封筒に類似した様式を真似た怪しげなアンケート等、様様なメールに老人を
戸惑わせています。 小生のところにも頻繁に届くが、すべてシュレダー行き
としている次第です。
ここで、問題はこの公的医療保険制度は最低ラインをカバーする観点から、
地域医療機関の制限が見込まれる場合があります。 従来の自由に地域医療機
関を選択できるようにしたいとの希望者に対し、その辺のメディケアの不足分
を補完するために、民間の医療保険会社が各種の補完用の医療保険を売り出し
ているわけです。 保険ブローカーは多数の保険会社の取扱人も兼ねているの
で、比較情報に基ずき、顧客に適切なアドバイスが出来る仕組みです。
なお、65歳から加入した老齢医療保険(メディケア)の保険料は毎月の公
的老齢年金(ソーシャル・レキュリティー)の毎月の支給日に相殺されて、残
額が支払われます。 更に、別途、補完用の私的医療保険に加入した場合は、
毎月その保険料を別途支払うことになります。 つまり、公的医療保険と補完
用の私的医療保険の二本立てとなるわけです。
この様に見てくると、米国で定年退職を考える事は、わが国で60歳が定年
だと言って、やれ年金、医療保険、介護保険、等の問題点をマス・メデイアは
ニュースのネタに大きく扱っている。 しかし、世界に自由を標榜してきた米
国は、なかなか自国民の身近な生活面では大きく出遅れている感がいたします。
その背景にはこの米国は歴史的生い立ちからして、規制を逃れて自由な新天
地を建国した国民性を考えれば、大きな政府を目指すよりは、できるだけ規制
で縛らない自由競争社会により、拡大発展を志向する制度設計が取られて来た。
しかし、一般大衆層の労働者階層にはとってはリスクの大きい就業社会環境
になっているのも事実です。
今後の我われの社会生活は多少個人の自由裁量は二の次にしても、お上の決
める規制に護られた、一見個人のリスクが少なくなる様な社会制度を指向する
のか、それとも、アメリカを代表例とする様に、グローバル化の流れに乗って、
世界規模の市場競争に自由に参加できる社会制度を指向するのか、それとも、
その他の道を選ぶのか、サイは皆さんの手中にあることだけは確かな事です。
以上
注:米国の給与支給の概要は、時給ベースは週毎、サラリー(年俸)ベースは
2週間毎。 従って、正確には、保険料の支払いはそれぞれの給与支給時に天引
きされると言う意味です。
テネシー便り(32) 福島幸人(昭41商)2007.10.15
「POWのライセンス・プレートに想う」
今の米国は国の威信を賭けた「テロとの戦争」と言う、「終わりなき戦争」
に突入したが、これからもこの事実と対峙してゆかねばならない大変厄介な
社会になってしまった。 従って、一見静かな自然に囲まれた環境で生活し
ている我々の日常生活に於いても、過去の戦争に従軍し既に帰還した兵士達
や、又、現在戦場へ派兵されている兵士達の動向にも、最近は身近な出来事
のように感じられるわけです。
幸運にも直接的にテロの脅威をほとんど感じない日本に長く居ると、世界
のトップを走る米国の実情は、日本の現状認識とはかけ離れた世界の様に見
えるのかも知れません。 しかし、先月から今月にかけてテネシーとケンタ
ッキー州境にあるフォート・キャンベルの陸軍基地から、イラク及びアフガ
ニスタンの戦闘地域へ向かう増派部隊の兵士達と彼等の親族との別れの映像
ニュースを見ると、やはり生死の瞬間と言う何か重苦しい空気を思わざるを
得ません。 例え、志願兵制度下の派兵とは言え、若い兵士達の気持ちを同
世代の現在の日本人に容易に理解できるかと問われたら、なかなか答えられ
ない話ではないでしょうか。
とにかく、こちらから眺めると、インド洋で自衛隊が給油活動を継続する
かどうかの議論で、国のトップが大騒ぎをしているなど考えられない話です。
やはり、日米間を隔てる太平洋は、幕末に福澤先生が咸臨丸で始めて米国に
渡航した時代と変らず、依然として広大な海と思わずにいられません。
ところで、昨日市内を車で出かけ、丁度交差点の赤信号で止まったところ、
前方に止まった車のライセンス・プレートの中央に「POW 2345」
(但し、ここでは仮の4桁数字を使用)、その上段には「Tennessee」下段
に「Former P.O.W.」と書かれているのが目に入った。 当地では、車のラ
イセンス・プレートは一般用の他に特別に数十種類あり、当局は希望者特別
に追加料金(25ドルから100ドル程度;その内の一部はその団体基金へ
寄付金として配分される仕組)で公共性のある団体の基金にサポートする意
味で、各種の特殊にライセンス・プレートを配布している事情があります。
なお、個人の名前や数字を入れた個人専用のライセンス・プレートも時々見
受けます。自己主張の傾向の強い国民性為か、各州毎に各種のライセンス・
プレートが公式に使用されている。
さて、この「POW」とは「 Prisoner of War」の略、つまり戦争捕虜
のことです。 従って、このPOWのライセンス・プレートを付けた車のド
ライバーは戦争捕虜の関係者と思いました。 もう少し正確に解説すると、
このPOWのライセンス・プレートは米軍人(退役軍人も含め)向け24種
類の分野の中に含まれています。この対象者は第一次世界大戦、第二次世界
大戦、朝鮮戦争及びベトナム戦争に参戦した兵士で、POWの当事者として
生存している者、又はその未亡人で、ただし、再婚するまでの期間と限定さ
れている。 このPOWライセンス・プレートの費用は自家用車2台までは
無料ですが、追加1台毎に$21.50の料金が課せられる。当地のこの種
の費用は小額で、日本の自動車税に相当するような負担はありません。特に
POWの方には、2台までは無料ですから、自家用車の自動車税は一切 無料
と同じです。
私は米国市民ではないが、長らく当地に住んでいると、毎日の生活を通じ
て米国市民の感情に感動することがしばしばあります。ここでは我々日本人
が戦争と言う思い出したくない苦い遠い昔の話ではなく、この現代社会でさ
えも、過去不運にもPOWという苦い体験した兵士達を賞賛し誇りに思う社
会をごく自然に思えてきます。 いろいろ問題の多い米国ですが、過去すべ
ての戦争に勝利したわけではない歴史的事実はご存知のとうりです。
わが国の現憲法では戦争を放棄しているので、海外派兵による日本人がP
OWとなる危険はないはずですが、かつて第二次大戦では多くの日本兵のP
OWが連合軍の収容所で苦い体験した話を聞いたことがありました。しかし、
戦後のわが国では帰還兵が自分がPOWだったと広言したり、POWを支援
する人々の姿など想像も出来なかったでしょう。 同じように国の為に命を
懸けて戦った兵士にも拘らず、一方では、不運にもPOWとなったが帰還で
きたことを国を挙げて全国民て賞賛する国と、他方では、当時公知の国際法
・ジュネーブ条約に基ずく捕虜の権利の存在とその内容を兵士に教えずに、
賞賛どころか不運にもPOWとなった者を生き恥をさらす者と非難した國が
存在していた。 我々はこの歴史的事実を他人事と考えるのではなく、我々
自身の問題として、少し立ち止まって考えたいと思います。
良い例として、米大統領候補としても常に人気があるマケイン上院議員
(共和党)は、米国が勝利できずに終わったベトナム戦争のPOWだった
経歴の持ち主です。 国民や国家から高く賞賛され続けているのは何故だ
ろう。
いずれも、戦場で戦った日米の兵士であるのに、そして要は共に敗戦の
POWであったことも同じと考えると、人間の生命の価値が国が違うと
180度逆転する社会が何故形成されてしまうのだろうか。
いつの時代でも、例え国際法で認めらた行為であっても、戦争は人殺し
を正当化する非情な且つ非人間的な行為です。 なお更、戦場でその相手
側に捕らわれたPOWが苦渋の恥辱にもかかわらず、その後無事に母国に
生還できた事を少なくとも暖かく称賛する社会でありたいものです。
この米国に来て以来、日本では見たり考えることさえしなかった事象を眼
にする度に、何か新鮮な珍しい事柄に触れたような気がします。
なお、もし米国内を自動車旅行する機会がありましたら、是非ハイ・ウエイ
を走る車のライセンス・プレートにも目を向けてみてはいかがでしょうか。
きっと、一味違った未知のアメリカの姿の発見に出会えるかもしれません。
以上
テネシー便り(31) 福島幸人(昭41商)2007.09.11
「格差社会の代表米国の或る一面」
先の参院選挙で与党の大敗を期に、野党の主張は民意だと衣を変えて大攻勢を
かけている論調が、連日目に触れるようになってきた。 ここ米国でも野党の民
主党が上下院の議会で主導権を執っているので、9・11の追悼行事を挟み、対
テロ戦争の大儀が薄らいだ長引くイラク戦争から、米軍の早期撤退要求の大攻勢
をかけている。 何だか日本の動向は米国を追っかけている気もしてきます。
さて、外から眺めていると、一見社会主義的制度の色彩が強いわが国では、戦
後万年与党の政権独占体制の宿命のような対米従属性の強い政府に対し、最近の
野党やマス・メディアは直接「反米」を唱える代わりに、はやり言葉のように格
差社会を悪者の代名詞の様に喧伝しているきらいが伺えます。 従来から格差社
会の代表は米国と言っても過言ではありません。 それにもかかわらず、世界中
からアメリカン・ドリームを求めて、このアメリカへ合法、非合法を含め毎年多
数が移住して来るのはどうしたことでしょうか。 やはり、世界一の格差社会の
国でも、とにかく悪い面もあるが、それ以上に自国よりも魅力ある社会として世
界には見られているのでしょう。 そこで、今回は格差社会の代表格の当地米国
の一面を紹介したいと思います。
この様な格差社会の米国に住んでいると、連邦国家の形態ゆえ、各州は国家とし
ての州の憲法が制定されており、50州が独立した国家のような物と見えます。
世界には当然ながら、富める国とそうでない国(発展途上国と呼称されている)
が存在している様に、この米国連邦も、富める州とそうでない州が混在していま
す。 つまり、各州間の格差は大きく、又州内でも地域間の格差も大きく混在し
ているわけです。
振り返ってみると、何でもアメリカをお手本としたがるわが国は、実際の格差の
様子を本当に理解しているのでしょうか。 多少問題はあろうが、お上主導の過
保護とも思われる国民皆保険制度は米国にはありません。つまり、医療保険も、
歯科保険も、介護も国民年金もありません。納税さえも全て個人による納税申告
制度です。 身近な例では、救急車も有料制ですから、タクシー代わりに悪用
される等の問題は見られません。 つまり、個人の自己責任の社会なわけです。
更に、皆さん全米のどこにでも行けますよ、ただし、自分で車を運転して行く
ことです、てな具合です。 ですから、老齢に達したら、在留邦人の中には帰国
して、お上の各種保険に加入したほうが老後は安心だと考える人もいると聞いて
います。 こんな事を考える外国人は日本人以外いないのではないでしょうか。
GDP世界一の米国がこの実態ですから、それに比べるとGDP世界二番目の
わが国は、皮肉でないが、より人に優しい住みやすい国と思われるのでは無いで
しょうか。 あまり毎日身近にいると、「美しい国日本」にはなかなか目が届か
ないのかも知れませんが。いかが致しましょうか? つまり、お上のやることは
お任せとの発想はなかなか居心地が良いので、そこからは脱却できないのかも知
れません。
ところで、参考として、全米の最近の連邦国勢調査局の概算資料(注記1)に
よると、平均世帯あたりの年収の実態は次のようになっています。 一度、皆さ
んの地域と比較してみてはいかがでしょうか。
2004年 2005年
2005年 2006年
2ヵ年の平均値 2ヵ年の平均値
全米の平均世帯あたりの年収(US$) 47,584 48,023
上位10州
1. ニュー・ジャージー 62,223 66,752
2. メリ−・ランド 61,724 63,082
3. ハワイ 60,787 61,005
4. ニュー・ハンプシャー 59,749 60,411
5. コネティカット 58,756 60,551
6. アラスカ 58,249 57,071
7. ミネソタ 57,939 56,102
8. マサチュウセッツ 56,690 56,592
9. ユタ 55,455 55,619
10.バージニア 54,102 55,368
(11位から40位までは省略。)
下位10州
41.ニュー・メキシコ 41,226 40,126
42.テネシー 40,668 40,696
43.オクラホマ 40,582 38,859
44.アラバマ 38,733 38,160
45.ルイジアナ 38,671 37,472
46.ケンタッキー 37,956 38,694
47.アーカンソー 37,601 37,458
48.モンタナ 37,391 39,821
49.ウエスト・バージニア 36,631 38,029
50.ミシシッピー 35,525 34,343
トップのニュージャージー州とラストのミシシッピー州の差は2005年と
2006年の2年間平均値で比較すると1.94倍と大きな差が見られます。
だからと言って、この'格差を無くす際立った動きは見られません。 背景に
は地理的、歴史的、社会的、政治的などいろいろな仕組みがあり、唯わが国と
違い、広大な国土のため、個人の自由意志で他の場所へ自由に移動できる高い
移動社会が補完している為と思われます。
つまり、ミシシッピーに住みたい人はそこに住んでいれば良いし、又、より
良い仕事を求めて他州へ移住することも自由な選択です。しかし、すべての地
域に鉄道網やその他公共交通機関が無いと困るとか、自己都合ばかり考えてい
たら成り立たない国である事も確かです。 当たり前な話ですが、全米が全て
大都会のニュー・ヨークと同じレベルを求めているわけではありません。
こちらの格差はわが国の唱える格差の深さとは段違いのレベルです。 その
主な要因に人種と宗教が潜在している点で、より深刻です。移民国家ゆえの歴
史的社会的宿命として格差と共存せざるをえない立場と思われます。従って、
社会構造的には格差社会は存続し、拡大してゆくのは自由社会の成り行きです。
そこで、我々市民が国家を形成している立場に立てば、弱者救済として民意
に基ずく政治(民主政治)が介入するわけです。 つまり、われわれの国民は
お上からお恵みを受けるとの発想を、そろそろ再考する時ではないでしょうか。
そんなことに目を向けると、我がテネシーは上記の表のように平均世帯所得
が全米で42位と下位10州のひとつで、いわゆる発展途上国とみなされるか
もしれません。 つまり、カントリー・ミュージックの本場として盛況で、生
活を楽しんでいますが、一方、平均的に所得が低く、生活弱者対策が必要と考
えている州なわけです。 最近のテネシーの制度的な例を少し紹介したいと思
います。
その一つは、テネシーは所得税制度がなく、代わりに固定資産税制度が税
収の基本です。つまり、不動産所有者から定額を納税させる制度が定着して
います。そこで、近年の住宅価格の上昇に伴い、所有する土地や建物の課税
価格が毎年改定し、税収の増大を計っている。 しかし、この毎年の増税を
大きな負担と感じている老齢者がいるわけです。 そこで、来年度より65
歳以上の老齢者に対し、住んでいる住宅の固定資産税は本年度の金額で凍結
すると言う優遇策を法制化しました。ただし、年収35,000ドル以下の
方に限るとしています。 つまり、今後の住宅課税価格がいくら上がろう
とも、固定資産税額は将来とも現在の税額と同じとするとの朗報です。
テネシーには多くの日系自動車メーカー関連の工場が展開しており、固定
資産税の納税に大きく寄与しているのは評価されています。
次に、当地テネシーで好評なタックス・ホリディーの件について触れたいと
思います。これは消費税を只にする日と言う意味です。 つまり、新学期が始
まる前に(8月中旬ごろ)学用品関連及び事務用品の商品の購入時には、消費
税が全額免除されると言う、特別なタックス・ホリディーを制定しているわけ
です。 これは特に低所得者に限らず、だれでも適用されますが、特に低所得
者層には消費税、当地では9.75%で全米でももっとも高い消費税率が免除
されるのは大きな魅力です。 ただし、地元で買い物をすれば、市民が支払っ
た消費税の一部が地元の税収入に還元される仕組みです。 従って、当地の市
当局は市民にできるだけ、地元で買い物や食事をしてほしいと薦めているわけ
です。
わが国では、消費税が5%据え置きとなっていますが、自分が支払った消費
税が自分の住んでいる市町村の税収に還元されている姿が見えるようにすれば、
この消費税の考え方も柔軟に成るかも知れませんが、いかがでしょうか。
いずれにしても、これら下位10州は経済的発展を図る為に、企業誘致によ
る雇用の拡大が急務となっている。最近のトヨタの新規工場設立計画は、50
位のミシシッピー州に決定され、テネシーは選から漏れた次第。 これらの工
場進出には廉価な労働力が背景にあることも魅力となっている事が、全米で平
均所得が最下位の州を選んだ点からうかがわれる。 結果として、雇用の拡大
と所得の増加、引いては将来の税収増見込み等、州に見返りが大いに寄与する
ことでしょう。
この様に見てくると、アメリカ流の良いところも多々あるが、あまり、アメ
リカ流を消化不良のまま追いすぎると、国土の狭さも相まって、人種、宗教、
外国からの移民等の対応困難な課題の洪水に直面するリスクが推定されるので、
この辺でほどほどにしてみては如何でしょうか。
以上
(注記1)
資料は次のサイトから抜粋したので、詳細についてはサイトをご覧下さい。
http://www.census.gov/hhes/www/income/income06/statemhi2.html
テネシー便り(30) 福島幸人(昭41商)2007.08.15
「リトル・ボーイとファット・マン」
今年も暑い8月を迎え, いわゆる「怒りの広島」と「祈りの長崎」と呼称され
る両市から被爆者慰霊の追悼メッセージが世界へ向け発信された。 しかし、
被爆62年目になるが、日本以外どの国も体験していない為か、近年は手軽な
核談義が蔓延しているのはどうしたことだろう。
「咽もと過ぎれば熱さを忘れる」と言われている様に、実体験した人々の生
の肉声も世界には、次第に届かなくなっていることは残念に思います。
世界とは言わず、被爆を初体験したわが国自身からして、その被爆の悲劇を
声にする事さえ、もはや疲れているのか、それとも諦めているのか良く分から
ない様な空気を眺めると、我がバックヤードの真夏の青空とは対照的に、何故
かさっぱり心が晴れない気持ちです。 振り返ってみると、何もかも戦争に負
けたが為に、ただただ生きたいが為に、言いたい事もあまり言わない風潮に安
住。 あっという間に過ぎ去った半世紀以上。 つまり、他人のせいではな
く、よく考えることを停止してしまった我々自身の心の事情が大きな要因かも
知 れません。
そんな事を考えていたら、たまたま在住している我がテネシーが世界で初め
て投下された原爆と、意外にも深い係わりを持っていた事情を思い出し、今回
はあらためて少しばかりその関係について話したいと思います。
今回ここに登場したのはリトル・ボーイとファット・マンです。 誰だかご
存知でしょうか。 最近マス・メディアではあまり紹介されませんが、広島に
投下された原爆がウラン型原爆で、別名リトル・ボーイ。生まれは異国の地、
日本中に一世を風靡したテネシー・ワルツでお馴染みのテネシー東部の山間部
の片田舎。その名もオークリッジと申します。 当時のテネシーもカントリー
・ミュージックを愛する南部魂いっぱいの静かな地方でした。 又、長崎に投
下された原爆はプルトニューム型原爆で、別名ファット・マン。 このプルト
ニューム型原爆はワシントン州のハートフォードで生産され、ここも、テネシ
ー同様に静かな山間地帯でした。
さて歴史を紐解くと、当時、日本の真珠湾攻撃に引き続き、ドイツが対米宣
戦を布告。 予てより独系米人のアインシュタイン博士は、ドイツがウラニュ
ームの原子核分裂による原爆製造の実用化実験をしていた事を重視し、ルーズ
ベルト米大統領へドイツの原爆開発の潜在的リスクの緊急警告を提言。
その結果、ルーズベルト米大統領により、秘密裏に原爆を開発するトップ・
シークレットのプロジェクト「マンハッタン計画」が立てられたのが日米開戦
の翌年1942年でした。
この計画全体のリーダーは米陸軍のグローブ大将の下、原爆製造は指揮はオ
ッペンハイマー博士の下で実施された。 そして、この計画で建設されたテネ
シーのオークリッジ核施設は、ロス・アラモス国立研究所(ニューメキシコ州)
とハンフォード核施設(ワシントン州)と並ぶ3大拠点のひとつだった。
このオークリッジ核施設は山間部に広さ144km2の敷地に3つの施設を
建設し、コード・名をそれぞれ、X−10,Y−12, K−25と命名。
施設従業員14000人を新規に雇用し、従業員用の住宅の建設を1軒あ たり
30分の超スピードの速さで建設されたと言われています。その為、当時の市
の人口は倍増した程でした。 とにかく、このプロジェクトは国家的なトップ・
シークレット扱いで、従業員は一切核施設の内容を外部に口外する事を禁じら
れていた。
この核施設では、比較的ウラン濃縮プロセスが容易と言われていたガス分離
方式で、濃縮ウラン235を取り出した。 広島に投下されたウラン型原爆、
別名「リトル・ボーイ」はこの場所で製造。 その起爆機構が容易で比較的コ
ンパクトに出来た為、爆弾の形態も小型化にまとめられたので、この名称がつ
けられた。 当時、ここでは濃縮ウラン235製造に使用されたガス分離方式
の設備は、一挙にトレーラーを100台並べて設置した長さ1600mに達し
た巨大なもので、これは当時世界最大規模の工場と言われたそうです。
このリトル・ボーイは完成後はテストせずに、ぶっつけ本番のテストとして、
広島に投下されたわけです。 そんな事情は知らずに、当時のわが国は竹やり
訓練に明け暮れていたとのお話をしても、戦争を知らない今の世代の日本人に
は先ずは理解できないのではないでしょうか。
一方、長崎に投下された原爆、別名「ファット・マン」は濃縮プルトニューム
239を使用した型の原爆でした。 この濃縮プルトニューム239はハンフ
ォート核施設で製造され、その起爆装置は容易に起爆しやすいため、その起爆
機構のコントロールが複雑で大型化した為、この様に呼称された。
比較的、起爆が難しい機構のファット・マンは、長崎に投下する前に、広島
投下の直近7月16日に初期テストをニューメキシコ州アラモゴールドで初
めてのプルトニューム爆弾のテストを実施。その後、はじめて都市への投下
テストが長崎で実施されたわけです。
ところで、不思議に思うことですが、既にドイツは5月に降伏して、ドイツ
の原爆の脅威は消滅。残るは対日戦で、ポツダム宣言受ける云々の降伏間際の
どさくさにまぎれて、何故二種類の原爆(広島のウラン型の原爆と長崎のプル
トニューム型原爆)を、敢えてたった3日の間隔で人口密集した都市を対象に、
投下テストをしたのでしょうか? この様な疑問について、現代の教科書で
はどのように教えているのだろうか興味深く思います。 この辺の原爆にまつ
わる国民感情は日米に大きな差があるのも事実です。 つまり、核兵器を保有
を当然視する米国社会と、戦争放棄を謳う現憲法と非核3原則を国是と表明し
ているわが国との間には、センシティブなギャップがあるのが現実です。
このテネシーで製造された原爆が日米に与えた影響は62年前に終わったわ
けではありません。 つまり、被爆した人々は日本の広島と長崎だけではな
く、当地ではこの核施設に関係した人々の多くは、原爆の製造や実験作業を
通し、一般人も兵士も知らされぬまま、目に見えない放射線障害に苦しんで
いる事情が多く伝えられています。例えば、原爆投下後、爆心地の被爆状況
の調査の為、米国から派遣されたの調査団達の被爆二次災害始め、ビキニ環
礁の住民等、被爆者の苦しみは、自分たちがその同じ被害に遭って初めて、
日本人の被爆者の苦しみの声が理解できると言っています。
更に、米国は常に核兵器の世界での優位性維持の為に、冷戦下を通じ、核
爆弾のテストを米国各地で継続的に実施してきた。 例えば、1950年代
ネバダ州の核爆弾テスト現場では、住民に拡散した放射能が人体にどれほど
影響するか、各自の衣服の胸にフイルム状の放射能反応バッジを付け、住民
に は風が吹いている時だけテストするので人体には無害だと公表し、戸外で
人体 実験を実施。又、ユタ州南部のパロワンでは100回以上核爆弾のテス
トを実 施。住民には同じく安全だと公表していたが、テストの内大部分の拡
散した放射能災害を受け健康に苦しんでいる話は今でも広く伝承されている。
米国内 ではこれら、核爆弾テストによる放射能を浴びた被爆被害者を
「ダウンウインダーズ」と呼称し、別名、「冷戦下の無言の退役兵士」とも
呼ばれている程です。あま
り目立たない状況だが、原爆を製造し、投下した当事国の中にも多くの
被爆者が存在している事実を考えると、原爆は国を問わず住民に大きな被害
を与えている実態を再確認したいものです。
最後に、この人類が探求した核開発は大量破壊武器であれ、平和利用であ
れ、安全の保証は未だ発見されていない事実を思い起こし、この核による受
益者とそのリスクの受忍者の重みを再度考えてみることが我々に課せられた
大きな課題と思います。最近の中越沖地震で被災した柏崎刈羽原子力発電所
の事故を見れば、その安全性とそのリスクの大きさを、誰も理解できていな
いまま、原発の電力の恵みのみを享受したいと言う我々の悪い癖が垣間見え
ています。 科学の発展が人類を幸せにして来たと信じられているが、必ず
しもそうとは限らなかったのでは無いでしょうか。 従って、この問題解決
の為には、単に大声でわめ いたり、祈ったりするだけで、この世から自然と
消滅するような代物ではないことだけは、理解したいものです。
以上
追記:本日付け当地の新聞(The Tennessean)に、ナッシュビル在住の
5大統領に仕えた著名な写真家オドーネル氏の訃報と共に、爆心地広島の
歴史的写真記事が掲載されていた。 参考の為に、記事の一部を紹介いた
しますと、
「大統領専属写真家オドーネル氏は爆心地広島の現場に派遣され、その破
壊と痛ましい死傷者の惨状を目にしてからは、原爆は二度と繰り返しては
いけないと度々主張していた。 彼自身も、爆心地へ撮影業務で踏み込ん
でいた為、放射線障害を受けその後ずーと健康被害に苦しんでいた。しか
し、彼自身の苦しみについては、日本人自身が受けた苦しみの方がずっー
と痛ましいと感じていた為、あえて口にする事はなかったと、オドーネル
氏の写真 作品を展示している絵画商のブラウン氏は話していた。」
これは一例です が、被爆の実態に直面した米国人の感覚と、そうでない
人との間には、やはり核兵器に対する大きな見方の開きがあるのが実情です。
テネシー便り(29) 福島幸人(昭41商)2007.07.15
「日米新聞事情」
今や、新聞を語るときはネット時代故、その情報量の多さ、その迅速性、及び
その内容の充実性から、その新聞の発行する電子新聞も、多いに利用しています。
しかし、その傍らで、毎日早朝に我家のドライブ・ウエイに放り込まれる宅配
新聞も長らく楽しみにしている一人です。そこで、今回はこの新聞にまつわる主
な所感を日米を対比しながら紹介したいと思います。
さて、この新聞の販売方法は一般のスーパーやコンビニ等の店頭販売と宅配です。
しかし、日本で見られる全国に張り巡らされた独占的な宅配新聞専門販売所の様
な仕組みは無く、直販システムです。 こちらの宅配は個人と新聞社との個別宅
配購読契約ですから日本のそれと流通形態が異なります。 私が宅配購読して
いるテネシーの代表的日刊紙「The Tennessean」は朝刊のみで、テネシーではこれ
が普通の一般紙です。 因みに、10年前以上には、夕刊紙のみの日刊紙もあり
ましたが、発行部数が伸びず、上記新聞発行会社に吸収され、その姿を消してい
ます。 現在我家に宅配されている新聞は2種類あります。 一紙は従来から宅
配購読している上記の日刊紙、他の一紙はマイナーで昨年から無料で宅配され、
市内のローカル・ニュースだけを扱ったフリー・ペーパーです。
次に宅配契約の形態は、おおまかに大別すると、(A)毎日購読タイプ、
(B)ウイーク・デイ購読タイプ、先月まで月曜日から金曜日までの5日間でしたが、
幸運にも今月から購読料据え置き、土曜日も含め6日間と改定されました、
(C)日曜版のみの購読タイプです。 この購読料はタイプ別、及び契約期間毎に割
引が設定されているので、顧客のニーズに合わせて購読できるような仕組みです。
そこで、上記のタイプ別の現在の3ヶ月契約の月額割引宅配購読料を紹介すると:
(A)10ドル、(B)と(C)は各8ドルです。この価格体系の背景には、当然なが
ら新聞経営の観点から、多様な顧客のニーズに合わせた施策によるものと思われます。
とにかく、この購読料の安さには驚かれるのではないでしょうか。 為替換算する
と、1ヶ月間、毎日約1200円相当の宅配購読料で、新聞を楽しめるわけです。
因みに、皆さんが現在お支払いになっている宅配購読料と比べてみては如何でしょうか。
私の購読タイプは当地に在住以来、長らく上記タイプ(A)毎日購読タイプでした。
しかし、インターネットを利用しだしてからは、日曜版よりも、ウイーク・デイ版の
新聞情報で十分と判断し、日曜版の購読を割愛し、(B)ウイーク・デイ版だけの購
読に切り替えたので、購読料は少々下がりました。 しかし、当然ながらインターネ
ットの新規ケーブル接続料金の発生により、より便利になったが、通信費の大幅増。
ところで、このタイブ(C)日曜版がウイーク・デイ版と同額の購読料であるのを
ご理解できるでしょうか。皆様の判断材料として、その重量ボリュームの視点から、
最近の日本の日曜版の事情は良くわかりませんが、例えば、お正月特別版のボリュー
ムを想像していただければ、それが当地の毎週の日曜日版とほぼ同じくらいと思います。
問題はボリュームだけではなく、その中身のお話しを致します。 特にこの日曜版
の購読者のメインは家庭の主婦と言われています。 主婦の皆さんの関心事は洋の
東西を問わず、ショッピング。 いかに良いものを何処よりも安く買うかと言う心
理が常に働いているわけで、その為の情報収集がトップ・プライオリティー。
そこで、日曜版が登場。つまり、日曜版に添付されている膨大な広告情報を得る
ために、日曜版の購読料を支払っても、特別セール情報を掘り起こし、ショッピン
グ・モールへと殺到(?)。そんな訳で、購読料もペイ・オフしてしまう。 その
上、たくさんおつりが来てしまう。 つまり、投資に対するリターンを考えると、
日曜版の購読料と言う少額投資で10〜20倍以上のリターンに相当する特売情報
や割引クーポンが見込まれると言う結構なお話しです。 しかし、ただ闇雲に、メ
ーカーの甘い宣伝文句に乗ってしまうと、思わぬ無駄なショッピングになるリスク
も当然あるので、要注意!
ところで、お得情報ですが、このクーポン割引は米国生活には欠かせない生活の知
恵の一つです。 新聞や広告に掲載されている点線で囲まれた箇所があったら、先
ずそちらへ視線が行ってしまうと言うほどです。 ついでに、全米で最大な食料品
のスーパーが我が市にも6箇所に増え、そこではこのクーポンに該当する商品を購
入すると、そのクーポンの割引金額を特別に「2倍適用日」とか時には「3倍適用
日」と宣伝しているほどです。因みに、州ごとに異なりますが、テネシーの消費税
率は制限限界10%ぎりぎりの9.75%と言う、全米でも最高消費税率適用州の
一つです。
従って、多くの主婦は買い物の節約手段として、このクーポンを上手に利用してい
ます。一方、地元市内でショッピングすれば、消費税額の市への還付金が増える仕
組みなので、市当局は市民に出来るだけ遠くに出かけずに、市内でのショッピング
を推奨しています。日本の景気動向は米国の国内消費動向に左右されると良く聞く
が、現実に米国人の日頃の消費購買力の旺盛さには目を見張る物があります。
その重要な一助に、毎週宅配される日曜版と共に添付される膨大な広告媒体が大き
な役割を果たしているのも頷けます。
さて、ご存知の通り、日本では各社一斉に毎月一回の新聞休刊日と言う制度はあり
ますが、こちらでは新聞に休刊日等ありません。つまり、新聞は毎日365日宅配
されます。 何も問題はありません。 何故日本では、ニュースは毎日休み無しに
起こっているのに、そのニュースの公共の送り手と錦の御旗と銘打っている新聞自
身が、勝手に休刊日を作って、購読者に新聞を届けないと言うのは頂けません。
マス・メディアが常に口に出す台詞ですが、その当事者が国民に知る権利を制限し
ているような社会では、すぐに市場から脱落してしまうでしょう。 それが脱落せ
ずに長く維持されていると言う事は、国民の権利を制限しない国から眺めると、不
思議な国日本と外から見られても致し方ないでしょう。我々自身がそれを不思議だ
と自覚しない限り、この不思議さは自然に消える事はないでしょう。
休刊日の起こりを振り返ると、日本の新聞配達は少年やアルバイトの勤労学生が多
く働いていたと記憶しています。日本経済の成長に伴い、独占的な新聞専門販売所
で無休で毎日配達業務に従事していた彼らに、少なくとも休日を与えよとの声援が
高まった。その為に、休日出勤者を新た雇用せずに、新聞を休刊するとの方法で、
配達員に休日を与える形としたと記憶しております。その背景には、購読者の我々
をして、恵まれない勤労青少年の新聞配達員が休日無しでは、可哀想との同情と哀
れみを誘い、何となく反対の声を上げにくい空気を醸成してきたのではないかと思
います。とにかく、身内の労務問題を新聞の休刊日で解決する方法とは、宅配購読
者への情報提供の重要性よりも、新聞社と独占的な新聞専門販売所側の両者の都合
に基ずく制度の方が優先した結果と推測される訳です。
最後に、当地を含め米国の安い宅配購読料と日本の高い宅配購読料を比べ、その根
本的な推定要因をまとめてみると;
(1)販売チャンネルの違い、各新聞社は自前の直販制度による中間販売コストの軽
減が可能な米国に対し、販売コストの多大に架かる独占的な新聞専門販売所の全国販
売網制度に歴史的にも依存している日本。その為、日本の独占的な新聞専門販売所の
コストが新聞の総収入のほぼ40%にも達し、結果として顧客宅配購読料を大幅に押
し上げている。
(2)新聞の再販売価格制度の有無、つまり、購読料の自由価格競争が当たり前の米
国に対し、市場競争原理が働かない再販売価格制度で業界の購読料が保護されている
日本。従って、拡販のキーは他社との新聞の内容や価格の比較で無く、単に拡張販売
員が販促用に持参する小額のおまけの提供と同時に、かなり強引な訪問勧誘が大きな
決め手となっている。
(3)宅配購読者の顧客情報の入手方法と管理運用の違い、各新聞社が独自の直販体
制で得られた購読者情報を直接管理運営しているので、迅速な拡販活用可能な米国。
それに対し、宅配先の顧客情報が新聞社でなく、独占的な新聞専門販売所に一手に握
られている日本。
(4)新聞の掲載広告収入割合の違い、全体の総収入のほぼ80〜90%前後といわ
れている米国。其れに対し、ほぼ20〜25%に留まっていると言われている日本。
以上の様な事情を考えると、米国の新聞社の収益性の観点からも、ネットへの移行
に危惧を感じずに積極的に電子新聞の充実へ向かうものと予想されます。 一方、
日本の新聞社のネットへの取り組みは、部分的な取り組みでお茶を濁しているので
はないでしょうか。何故ならば、徐々に購読料の減少につながるとの危機意識が強
く、結果的に、全国に張り巡らされている膨大な新聞専門販売所の存続意義が問わ
れ、大変難しい課題となるでしょう。しかし、世の中のネットへの流れは間違いな
く益々電子新聞へと流れる為、その流れに上手く乗れるかどうかで、新聞の将来へ
の浮沈が決まることでしょう。 新聞業界は現代の黒船が既に足元に来ている事を
重大な危機と感じ、適切な対策を採り得るかどうかです。
新聞の歴史も、又それぞれの国の社会文化を表している指標の一つでしょうから、
今回の新聞事情の断片を見ても、日米の違いを深く認識させられる良い例だと思い
ます。いずれにしても、今日も宅配された新聞を開き、趣味のスポーツ蘭のイチロ
ー選手MVP記事を読んだり、リビング蘭の数独パズルに釘付けとなったりと、
まだまだ新聞とお付き合いしている新聞愛好家の一人です。
テネシー便り(28) 福島幸人(昭41商)2007.06.15
「準備体操の導入について」
かつて、私は当地で工場設立時から米国人の従業員を雇用し、或る製品の製造
に関する工場経営を経験した事がありました。 当時1980年代の米国では、
日本経営が持て囃された時代でした。 進出の当初は出来るだけ日本式の経営の
導入をいろいろ考慮し、当地の従業員に指導を始めました。 しかし、日米文化
の違いでおおいに戸惑った事に度々遭遇したものでした。 そこで、今回はその
一つをお話したいと思います。
日本の企業や学校では当たり前となっている始業時間前の準備体操を導入した
ところ、当地の米国人達には異様な行事と映り、理解させるのに苦労致しました。
参考までにその背景についてお話しすると、当地の学校では日本でのおなじみの
全体朝礼やそれに先立つ準備体操など一切ありません。
さて、当地の一般の会社は短期的な収益重視の企業経営組織体ですから、当然
ながら経営者は直接生産性に関係ない準備体操など考えるはずは無いのです。
始業前の準備体操は、従業員にとって安全と健康の為に大切なのだと言って、
わざわざ始業前に実施している現地会社に出会った事がありません。 従業員に
対しての健康管理は自己責任の問題で、各自の裁量でやれば良いと考えられてい
るわけです。 ですから、日本の会社では従業員の定期健康診断が当たり前の制
度として定着していますが、当地の会社ではその様な従業員の定期健康診断制度
などの福利厚生もありません。
その背景には、国民皆健康保険制度のある日本とそうでない米国の事情があり
ます。 つまり、国が何でも面倒を見てくれる、一見擬似社会主義国家の様に
見える我が国に住んでいると、見かけは何でも自由そうに思えるが、何事も自己
責任に直面する米国社会は反って大変厳しい社会と映る事でしょう。 しかし、
一方ではその様な厳しい米国にも係わらず、世界中から続々とアメリカン・ドリ
ームを求めて米国へやって来る人々の中には、現在ホットな政治課題である不法
移民の外国人が今や13百万人にも達している実情です。
その様な何でも自己責任が問われる社会環境に住んでいると、我が国の伝統的
な「和の精神」とか「思いやりの精神」等、理解しがたいわけです。つまり、残
業代が支給される時給労働者にとっては賃金は拘束作業時間に対する対価なので、
当然ながら正式に拘束される事柄なのか、そうでない事柄なのか明確にされる事
を要求してくるわけです。 正式に拘束される事柄でないとなれば、その参加に
ついては本人の自由意志にゆだねられるので、結果的には誰も参加する者はいな
いという状態になりかねません。 つまり、賃金に対応する時間のみ出社と割り
切るわけです。その辺が、日米間で文化のギャップとみなされた訳です。
さて、準備体操ですから当然始業前に出社し、全員に準備体操を要請したわけ
です。 なお、事前にその必要性を説明しておきましたが、しばらくすると、従
業員からクレーム出てきました。 そのクレームとは、もし会社が従業員に準備
体操をする為に始業時間より五分早い出社を義務ずけるならば、つまり、一日8
時間の拘束労働時間をオーバーするので、そのオーバーする時間に対しては超過
賃金を支給して欲しい。さもなければ、準備体操は始業時間後に始めるようにし
て欲しいと言う事でした。
日本では暗黙のルールで始業前早めにに出勤し、会社の決めた準備体操の音楽
に合わせて従順に身体を動かしていた事を覚えています。 その背景には、少し
でも早く出社して上司から良い評価を得ようとの打算も働いていたわけです。
ただし、会社は従業員に対し始業時間前の準備体操を義務とは明示していませ
んでした。しかし、これは我が国社会の独特な空気の力で、間接的に従業員を全
社一色にまとめるツールの一つとして、実践されていた様にも思えます。
つまり、始業前の身体の準備体操は怪我の予防になるとか、業務遂行に必要な
頭脳の活性化のためになるとか云々。
とにかく、もくもくと表立って文句を言わず過ごしてきたのが日本文化と言わ
れてきた姿でした。 小生もその日本文化にどっぷりと浸かって来た一人でした
ので、当地に来ていざ当たり前と思っていた事が、米国人から言われてみるとそ
のギャップに一瞬立ち止まってしまいました。 それが太平洋を渡ると、そんな
文化は口で言っても判らない。 言葉は当然英語ですが、理解させるには、合理
的な理由が必須なわけです。 そこで、結局、準備体操のスタートは始業時間に
合わせる様に変更することにしました。 それで、全員が始業時間から準備体操
をすることになりました。
ところが、実態はどうかと言う事です。 体操とは身体を動かす事ですから、
製造ラインの作業ラインでは連続的に反復作業で身体を使うので、かえって疲れ
てしまうと文句を言う声が出てきたことです。どんな事でも、ルールを決めると
逆らう者が出てくるもので、とにかく皆の意見だけは良く聞くように努めていた
わけです。
それにしても、日本人は「以心伝心」という素敵な知恵をもっているのにと、
ため息をついたものでした。しかし、ある人は「日本人の以心伝心は、結局日本
人の甘えの構造だ。 はっきり言わないで、どうして相手に理解してもらえるの
か? 特に、言葉も文化も違う相手に俺の考えている事を、判ってくれ等言って
も通る話しではありません。」と批判されてしまった事がありました。
結論的には、たかがわずかな時間の準備体操だからと言って、始業前に全員を
拘束する様な導入方法は認識不足でした。 準備体操の趣旨は間違っていなかっ
たが、一見日本で問題ないと思われていた事も、当地ではこの日本流の暗黙のし
きたりが通用しないと言う事がわかり、その導入方法を時間内へ変更し、希薄な
連帯意識を創る為にも、全員一斉の準備体操が導入されたわけです。 この様な
体験すると、自己責任が厳しく問われる米国社会故、同時に個人の権利意識も極
めて高い社会となっているのではないでしょうか。 この面からすると、我が国
は未だ住み易い国と見なされるのかも知れませんが、如何でしょうか(?)。
以上
注記:
1.当地の時間外賃金(オーバータイム)は法律で、平日は50%増し、
休日(祝日)は100%増しと規定されています。
テネシー便り(27) 福島幸人(昭41商)2005/07/27(Wed)
「アメリカの大学図書館を訪ねて」
間もなく、戦後60年の節目を迎えるが、かつて生死をかけて戦った日米両国は、
今や一見蜜月友好時代の様相を呈しているのは不思議な事だ。 そんな米国人の目
から見て、その対日戦争とその戦後処理を当時の米国は、実際どのように捉えてい
たか、一度調べてみたいと思っていた。
ちょうどそんな時、最近の日本の新聞に当時の米国人が書いた、日米関係に関す
る原本の翻訳が紹介されているのに出合った。 そこで、早速その原本をこの目で
見てみたいと思い、今回はその原本を探し尋ねて、自分の脚でたどった大学図書館
の様子等に触れてみたい。
手始めに、早速手元のインターネットで原本の英語版「Mirror for Americans;
Japan」(著者 Helen Mears, 出版社 Boston Houghton, Mifflin 1948年)を
検索した。 しかし、本が世に出てから半世紀以上も経っているので、絶版になっ
ており、古書のサイトで$600.00で販売している事が判った。 インターネットを
通して、念のために我が家の付近の図書館に蔵書しているかどうか確かめてみた。
その結果、ナッシュヴィル市立、ヴァンダービルト大学、マーフリィースボロ市
にある州立大学、三箇所の図書館に蔵書されていることが即座に判明。 直接わざ
わざと図書館を訪問しなくとも、居ながらにして検索情報が入手できる、インター
ネットの威力に感謝する次第。
次に、三箇所の図書館のうち我が家から最も近い、当市の州立大学を訪問するこ
とにした。 今は夏休みの真っ盛りですが、大学の広いグリーンのキャンパス内に
は、サマー・セメスター*(夏季課程)を受講する学生達や、サマー・キャンプ**
中の高校生達の姿があちこち目に付いた。
当地の大学には各種図書館が設置されており、総合図書館、学科ごとに研究図書
館がそれぞれ設置されている。 そこで、私は検索情報にもとずき指定された図書
館名に従い、総合図書館を訪ねた。 名称好きな米国人は図書館にも、それぞれ著
名な個人の名称が付けられている。例えば、この総合図書館には著しく当大学の拡
大発展に貢献した前学長の栄誉を記念し、その学長名Walkerを附している。
更に、付近の構内には、テネシー出身の前ゴア副大統領の講座を記念した「ゴア
図書館」もある。
この州立大学は納税者のファンドで成り立っている為、地域住民にも大学の施設
の利用を広く勧めている。 お陰で、私はこの大学図書館を訪問する機会を持った
わけです。この図書館の利用規定では、一般の方でも当市の在住者なら運転免許証
の様なIDカードの提示だけで、学部学生や卒業生同様に無料で入館、閲覧ができ
る。 更に本の貸し出しは、一度に2冊まで28日間可能となっている。
この様に、コミュニティーのメンバーにも大学図書館の利用が便利なっているの
は嬉しい。
大学図書館の詳細な利用規定はそれぞれの大学毎に、学科毎に異なる。 しかし、
基本的に、アメリカの大学図書館はその利用者に最大限のサービスの提供を目指し
ているように見える。
図書館のサービス時間は学生の最大限の活用に供するよう、おおむね夜間遅くま
で開館している。 特に、米国の州立大学でも私立大学でも、その図書館は終日の
利用が可能となっているケースが良く見られる。 あたかも、24時間営業のコ
ンビニのサービス時間並みといえます。アメリカ社会には夜も無いという事ですね。
この背景は、大学構内には学生寮が充実しているし、又、学外に居住している学
生は車で通学するので、構内の図書館へのアクセスは時間に制約されない環境であ
る点で、利用度が高い。 更に、大学図書館を静かな参考文献豊富な効率的な勉強
部屋と見なしている点です。
といっても、当地のテネシーの州立大学とミシガン大学デンタル・スクールを卒業
した娘達から聞いた話ですが、図書館は常に学生で盛況で、深夜の図書館では時に
は転寝している姿も見られるそうです。しかし、日本の学生達は毎日往復の通学に
多大な時間を費やし、かつ公共交通機関のサービス時間に制限されるライフスタイ
ルでは、大学図書館の深夜までの開館サービスの実施は不可能な話しでしょう。
最近の日本の学生さんたちの様子は分かりません。しかし、私の昔の経験では、
三田の図書館を利用したのは研究テーマの参考文献の図書を探しに行った程度でし
た。ですから、当地の学生の図書館活用法とは大きな違いを感じます。
それでは、昨今の厳しい暑さにも負けず、早速借り出した原本のページを興味を
以って追ってゆく事にしたい。 還暦を過ぎた私ですが、何だか学生気分になった
積もりで、せいぜい足繁く当市の州立大学図書館を訪れて、アメリカ人が見た日本
に関する古今の文献をたどって見たいと思います。
以上
注記* 米国の学期は春期、夏期、秋期に分かれている。一般には、日本の大学の前
期、後期にほほ相当するのがアメリカの大学の春期、秋期です。 ただし、アメリカ
の大学は学生の勉学を優先する。こんな事はいうまでも無く、大学は授業料を払って
いる学生に、勉学する機会を当然の権利として与える仕組みだからです。 授業料は
日本の様に学部ごとに年間いくら納付と言う規定ではなく、学期ごとに申請履修単位
の数によって授業料がきまるので、その授業料を学期の始まる前までに支払うことで
在籍が確保される。 そして、6月より8月までの3ヶ月は夏期過程が募集される。
この夏期過程は希望者向けなので、これを取らないで長い夏休みを自分のプランで自
由に過ごす事も可能。 ただし、早期に卒業を目指したい為とか、その他の事情で学
科の再履修を希望する学生には、大学は夏期過程(前期、後期に分けている)の募集、
申請履修単位数にもとじずき授業料を納付の上、授業を受ける仕組みです。卒業単位
数が取得出来れば、各学期の終了後に卒業式があり、学長より卒業生に卒業証書が授
与される。従って、8月にも卒業式があるわけで、例えば、私の娘もこの仕組みを活
用し、早期卒業が出来たわけです。日本の大学の様に一斉に学生も教授も夏休みを同
時にとる様な、優雅な制度ではここではありません。
注記**高校生のサマー・キャンプとは学校のスポーツ・クラブやマーチング・バンド
(米国では「バンド」と称し正式な授業科目となっている。)の夏期合宿活動をさし、
多くは近くの大学施設が利用される仕組みです。 大学構内には学生用寄宿舎が整備
されている。夏期はその空いた寄宿舎をサマー・キャンプに来る高校生達の宿泊施設
として十分活用できる利点がある為です。 日本の大学では寄宿舎制度が不十分なの
で、アメリカの様な高校生へのサービスは無理なのは残念に思います。
テネシー便り(26) 福島幸人(昭41商) 2005/05/15(Sun)
「アメリカの郵便ポスト事情」
今ホットなテーマの一つに「郵政事業の民営化」が上げられる。この日本型の
郵政事業形態(郵便、郵貯、簡保)は米国には存在していない。小泉首相はこれ
をすべて民営化しようと悪戦奮闘中だが、当地の郵便事業は純粋に郵便業務だけ
を国営事業で、隅々まで迅速なサービスを全米一律に提供してしている。 つま
り、米国では郵貯、簡保と言った業務は全て民間事業としているので、国家が税
収以外に国民から預かった資金を公共投資に自由に使える仕組みは無い。今回は
その郵便に関連し、私の身近な日頃の当地の郵便集配サービスについて少し触れ
て見たい。
日本からアメリカに短期間の旅行や業務出張で来た時は、なかなか直接郵便の
集配人と接触する機会はほとんど無いかと思います。 しかし、当地に移り住ん
で、先ず手紙を郵送しようする時は、郵便局やポストを探しに走り回らなくとも、
手持ちの切手さえあれば、家の前の立っている自前の郵便ポストの中に切手を貼
った封書を放り込んで蓋をし、ポストの側面に付いている金属製の赤い旗を垂直
に立てておくだけで事たりるという便利な仕組みです。
というのは、当地の「郵便集配人」は言葉の字のとうり、郵便を各家から集め
る事と各家に配達する事の両方を一人で同時に致します。 各家の前に設置され
たポストの蓋に鍵は付いてない。 ですから、だれでも他人の家のポストの蓋を
開けようと思えば開けられます。 しかし、他人のポストを開ける事は信書の秘
密の侵害罪に当たり、正当の理由なしに禁止されています。 つまり、ポストは
郵便集配人が郵便物の集配専用の為のボックスです。 私の在住地区では、毎日
一回午後に郵便配達人が専用の郵便車で各家のポストを巡回し集配業務サービス
をしている。
この様に便利な仕組みは市民の信頼の絆の元に長く継続されていますが、何処
にも東西を問わず悪事を働く不心得者はいるもので、最近無断で他人のポストか
ら郵便物を盗む被害がローカル・ニュースに登場する始末。 つまり、他人のポ
ストから郵便物を盗む目的は封書の中身の個人情報なのです。 とにかく、毎
日ポストにダイレクト・メールが沢山配達されてきます。 特に、見知らぬクレ
ディット会社からの新規カードの勧誘に関する内容の書状が頻繁に届きます。
その書状の中には、必ず名前、住所、電話番号等が記載されている。 又、当
地では現金支払いは少なく、ほとんどの支払いは全て個人用小切手を同封して自
前のポストに投函する仕組みです。ですから、それを万一盗まれると、個人小切
手に記載されている全ての個人情報、例えば個人の名前、住所、電話番号、銀行
名、口座番号、支払い先名、金額等が他人に流用されるリスクが高い。 当然、
被害にあった事に直ぐ気が付けば、銀行に当該個人小切手の支払い停止の依頼を
即時し、少なくとも小切手の金額だけの実被害を防ぐ手段も可能になる場合もあ
る。
次に当地では助け合い運動が草の根運動の如き、広く行き渡っている社会で、
私は日本から来た当事、各種の助け合いの活動に直面しその献身的な裾野の広い
運動に驚きました。 日本にもこの種の助け合い精神はあったはずですが、近年
その影が見えないのはどうした事でしょう。一方アメリカを考えてみると、多分
大陸の発見から米国の建国時代を経て、開拓者精神の歴史的かつキリスト教的互
助精神の強い絆が育まれ、現在まで市民に受け継がれているのではないかと思い
ます。 その為か、本日5月14日は”Stamp Out Hunger - Food Drive”
と銘打って、米国の郵便集配人が三度の食事にも不自由している子供や大人を支
援する為に、各家のポスト内に提供された食料支援用の缶ずめを、本日の郵便の
集配時に各家のポストからそれを受け取って行く日です。 私も微力ながらこの
フード・バンクへの支援の一助に、我が家の食料だなから数個の缶ずめを取り出
しビニール袋に入れ、今朝ポストの中に入れておいたわけです。
日本のマス・メディアによると、「米国人はマニュアル主義の弊害で、決めら
れた仕事しかしないものだ。」とよく言われている様だ。しかし、中にはこの全
米の郵便集配人達の様に、通常の業務以外に自発的な草の根運動の一環として、
通称フード・バンクへの支援協力を実行している姿を皆さんに紹介しておきたい
と思います。
以上
テネシー便り(25)福島幸人(昭41商)2005/04/01(Fri)
「染井吉野とハナミズキの関係から考える」
今日3月31日桜前線の開花宣言が東京気象台から発表された。 今年の開花
宣言は例年に比べ、数日遅れとの事でした。 我が家の染井吉野も丁度、東京の
開花宣言と偶然同期の開花となった。 その理由は、皆さん一寸世界地図を出し
ていただき、アメリカのほぼ真ん中にあるテネシーの州都ナッシュビルから真西
へ向かい、ペンを走らせて見てください。更に太平洋を跨ぎ、届いたところが東
京です。 つまり、当地は東京と同じ北緯36度程に位置しているので、四季の
移り変わりも東京並みという事がお分かり頂けると思います。
さて、この染井吉野は春の開始を晴れやかに象徴し、全国的にはどこでも身近
に老若男女に広く親しまれている。日本では「桜と言えば染井吉野」、異国の地
では「ソメイヨシノと言えばジャパニーズ・チェリー」と言われている。今や、
この日本人が大好きな桜も「逆グローバル化の水先案内人(?)」の様な役割を
果たしてきたのではないでしょうか。欧米でも桜の名所は各地にあり、恒例「桜
の女王パレード」が開催されているほどです。 さて今回はこのソメイヨシノが
ハナミズキ同様にアメリカの各地で広く米国民に愛されているのに対し、我々は
この白い花を満開に咲かせるハナミズキをいかに扱ってきたか対比してみたい。
アメリカの桜の由来と言えば、ご存知のワシントンD.C.ポトマック河畔の桜並
木が桜の名所として有名です。ここに植えられている桜は、実は米国タフト大統
領夫人の希望で、当時の東京市長尾崎行雄が染井吉野の苗木を贈ったとされてい
る。その後日米両国の友情の架け橋として、留学中の高峰譲吉(ジアスターゼの
研究で著名)も染井吉野の苗木を追加して贈ったと言われている。 その後、次
第に米国の各地へ広く愛されて移植分布されるようになった。
この日本より贈られた桜のプレゼントの返礼として、白花種のハナミズキ(英
語名dogwood)の苗木を日本へ贈った事が知らされている。 ところが、この桜
の様なアメリカ産ハナミズキは日米友好のシンボル・ツリーとして扱われていた
が、太平洋戦争中は敵性木として見放されてしまった。 ハナミズキ自身に何の
罪も無いのに、敵国アメリカ憎さに、桜の開花と同時期に白い満開の花を咲かせ
ていた木は処分されてしまった。 戦後は新たにアメリカからハナミズキの苗木
を輸入し、現在は広く日本の各地で見られるようになった。
一方、日本で冷たく扱われたハナミズキとは対照的に、戦前渡米した染井吉野
は大切に保存され全米各地に広がり、日本名称のソメイヨシノ(略称;ヨシノ)
がそのまま広く親しまれる様になった。 そのお陰で、地球のの裏側でもこのよ
うな美しい桜の花を楽しめるのはありがたい事です。
桜の開花宣言に際し、我が家のソメイヨシノと同じような美しいハナミズキの
満開の並木を眺めると、かつての我々は何故感情に流されて本質を見るのをおろ
そかにして来たのか歴史の一ページを自分自身で考えて見てもよいのではないで
しょうか。
以上
テネシー便り(24)福島幸人(昭41商) 投稿日:2005/03/26(Sat)
「車社会の側面から見た生活事情」 (その2)
今回は、車社会の当事者である我々の運転及び制度に関連した具体的な身近な
実例の中から当地の車社会を眺めて見よう。
車社会の底辺は「教育」からとの基本姿勢から、当地の高校には必ず選択科目
の中に「自動車運転習得」や「自動車整備技術」がある。 その為、運転技術教
習を授業の一環として、生徒が路上運転を実習している車を時々市内で見かける。
ここでは当然ながら授業は義務教育の一環ですから、無料で運転技術の習得が
出きる仕組みです。 学校で運転技術習得科目を履修したからと言って、当局の
実地試験が免除になる様な特典は一切無い。 しかし、小生の日本での経験では
教習所で規定コースを卒業した結果、運転免許試験場での実地運転試験が免除さ
れた事を覚えている。 小生の娘も当地の高校に在学中に上記科目を履修、運転
免許証の申請料以外無料で運転免許証を取得したわけです。 そのような状況故、
市内には自動車運転免許を取る為の教習所など見当たりません。
当初、小生は概念として米国内は一つに統一された制度で社会生活が営まれて
いる国家と思っていた。 しかし、州毎の独立した運転免許制度に実際に直面し、
州は独立国家の様な面を加味したUnited States(連邦国家、米国の通称名)と
言う意味に気付かされた。 例えば、米国内の他州からテネシーへ移住したとき
は、例え他州の運転免許証を持っている人でも、車を運転するにはテネシー州の
運転免許証の取得が義務付けられている。 その運転免許試験は他州の既免許取
得者も一般の当地の新規免許申請人と同様な条件で法令規則及び実地運転の両試
験を受けなければならない。 この煩わしさには高移動社会に慣れている流石の
アメリカ人でも文句をよく言っているのは頷けます。
始めて米国へ移住した際、日本からパスポートと共に持参した1年間有効の日
本国発行「国外運転免許証」でとりあえず過ごそうと当地で考えていた。しかし、
アメリカ社会は将に「ID社会」と言うほど、どこへ行っても「ID」として、
有効な運転免許証の提示が要求されるのに直面。いくら1年間有効な日本の国外
運転免許証を見せてもほとんど誰も見た事も無い代物故、なかなか相手にされず
困った経験をした。そんな訳で、早速当地の運転免許を取得すべく試験を受けた
が、試験の条件は上記他州から来た人と全く同様。 当然ながら、実地運転試験
の免除等の特典は一切無い。 ただし、法令規則の試験の際は英語を十分理解で
きない外国人は辞書の持込を許可される。 且つ、親切な事には、受験者の問題
回答を終了するまで制限時間を決めずにゆっくり待ってくれ事です。 この法令
規則試験が終了後、直ちにその場で結果が知らされる仕組み。 次に、その試験
に合格したら、自分が持ち込んだ車に試験官である警察官を隣の席に乗せ、路上
運転の実地試験と言う手順で終了。
現在の日本の自動車教習所の様子は分かりませんが、当地の車の運転に際し足
回りはアクセルとブレーキだけの操作でOK。 ただ、試験場の周囲の一般道路
を5分程道路標識に注意しながら回ってくるだけです。 実地運転試験でも初心
者にとって苦手なバックでの車庫入れ、せまいS字型やクランク等一切見当たり
ません。 というのは、当初米国に来て不思議に思ったのは駐車場に車を止める
とき、皆車の先頭から突っ込んで、さっさと止めて車から降りてしまう。 今で
は、小生も郷に入れば郷に従うとの言葉の様に皆と同様な止め方に定着。 ただ
し、よくよく考えると一見合理的な車の止め方と思うが、駐車場に車が全て後ろ
向きで置かれているより、出来れば車の正面が並んでいるのを見るほうが美的感
覚がよろしいのではと一人で思っている次第。 と言うのは、車の正面ははやは
り人間の顔のようなものですから、カーメーカーのデザイン技術の粋を反映して
いる事からも頷けると思います。 要するにその国の道路事情に応じ必要な運転
技術があれば十分と言う事でしょうか。
当地アメリカでは生活に必要な車を運転するのに日本の様な費用と時間と言う
ビッグなハードルは全くありません。 (ただし、昨今はガソリンの急騰に全米
国民は悩まされていますが、それでも日本のガソリン高価格よりはずっと低いの
が実情。) つまり、この差は何かと考えると、当然ながら車が生活に絶対に必
要としている社会とそうでない社会の違いではないでしょうか。 要するに、公
共の交通機関がくまなく日本中を網羅している国はあえて車が無くても生活には
さほど問題は無かった事情があった。 その点、日本で生活している限り我々は
日本語で十分事足りるのに、全ての人々にとってあたかも英語を生活必需品であ
るかの如き錯覚した政策を進め、可笑しなカタカナ新語を広めているマス・メデ
ィアとどこか似ているような気がします。 当然ながら、日米間には絶対的な国
土の広さに大きな違いが有るのは自明の事実。 それにしても、日米間では一方
に「車は贅沢品」、他方に「車は生活必需品」との観点の差が車社会を取り巻く
制度や仕組みを、大きく変えてしまった要因と思う。 その主な制度とは身近な
ものより、運転免許試験制度、公認自動車運転教習所、車両検査制度、自動車賠
償責任保険制度、自動車税、有料道路、ガソリン税、等等が思い浮かびます。
もう少し、本質論に入ると世界に冠たる車の生産国になったわが国は、今やそ
の品質についても車の最大のマーケットであるアメリカで品質、デザイン、サー
ビス体制などで高い評価を獲得してきた。 そんな高品質な日本製自動車を生産
しているわが国がなぜ品質が安定しなかった時代の車検制度に拘っているのでし
ょうか。結論から言うと、アメリカには車の検査制度は基本的にありません。
車の保守点検は自分の身体の健康管理と同様に、自己責任で対応しなさいと言
うのがアメリカ方式です。 こんな事を言うとアメリカ方式はおかしいと思われ
る方はいませんか。 それとも、今の日本の車検制度はどこか変だと感じている
方もいるかと思いますが、、、。
米国では自動車の保険制度は全て任意保険ですから、運転者の自己責任でどの
程度の保険を掛けるか決めると言う、極めて自由な対応です。 だからと言って、
事故が起きたからと言って、アメリカの事ですから賠償請求額が低くなされる事
はありませんので、要注意な点です。
ある一面では、日本の制度はきめ細かくカバーしており、お上が薄学非才な我
々を不安の無いように手取り足取りと言うところではないでしょうか。かつて、
日本占領統治時代に時の総司令官マッカーサーは敗戦当時の日本を「精神年齢14
歳」と言ったとか伝えられている様に、日本政府も国民を未だに未成年者の様に
取り扱っているからでしょうか。時代と共にわが国でも車の保守点検・整備制度
に簡素化が図られ、ユーザー車検が徐々に増加されて来たと言われています。
と言っても、車検制度自体は厳然とあり、本質的には変わっていないといえる
のではないでしょうか。
いずれにしても、日本ほど歴史的にも特異な和魂洋才のスローガンの下あらゆ
る海外文化を貪欲に取り入れて来た国は見当たらない程です。 それ故、ここで
一寸立ち止まって、車社会を支えてきた社会の背景という身近な共通テーマをと
うし、「人間の幸せ」の為にはどちらのシステムを取り入れたら良いか考えて見
ては如何でしょうか?
以上
テネシー便り(23)福島幸人(昭41商) 投稿日:2005/02/26(Sat)
「車社会の側面から見た生活事情」 (その1)
毎日の多忙な生活に追われている現代の我々は、じっくりと身の回りの出来事
にあまり気付かずにいるのでは無いでしょうか。 日本にいた時には当たり前だ
と思っていた事が、ここアメリカでは全く通じない事にしばしば直面、驚いたり、
あれ何故だろうと不思議に思う次第。 そこで、今回は生活の重要な役割を果た
している車社会の側面に焦点を当てながら、身近な事柄を紹介したい。
全く公共の交通手段の無いところに突然移住。 気付いてみたらとにかく車が
なければ日常生活がストップと言う現実に正直驚いた。 そうは言っても、当市
はカントリー・ミュージックの本場テネシー州の州都ナッシュビル市の近郊に位
置し、僻地でも過疎の山村地でも無く、中部テネシー州立大学を市の中心に、人
口8万人程の典型的な南部の面影を遺した近郊都市の一つです。
当初、市内バスの運行ぐらいどこかのルートを通っているのかと調べたが、残
念ながら皆無でした。 ただ、全米横断のグレイ・ハウンド・バスが通過してい
るだけでした。 そんな街で生活するには車が唯一脚代わり。 つまり、皆さん
は外出する時に必ず靴を履いて出かける様に、当地では必ず家から出る時は自分
で自分の車を運転して出かける。 時には、「自分で運転せずに電車に乗せても
らったら・・・どんなに気楽だろう!」と思ってしまう。
実際、通勤するにも車がなければ、会社に出勤さえも全く不可能。 当地で勤
務するには、通勤手段も通勤費も会社負担は無く、全て自己責任で対応する仕組
み。 ですから、時には「せこいサラリーマン」の諸氏がよくやる会社支給の通
勤費詐欺など当地では全く起こり様も無い。 通勤手段には、安全に動く車なら
例えポンコツ・トラックでもかまわず自由に選択の上、自己調達。ですから、米
国のカーメーカーに勤務しているからといって、自社のブランドの車の使用を日
本の様に社員に(更に下請け部品メーカーや販売店等も含め)対するように直接的
にも間接的に強制していません。ですから、例えばGMの工場の従業員の駐車場
に行っても、日本製の車も他カーメーカーの車も多種雑多の車の光景に出会うほ
どです。
日本人社会では自社製品を愛用する事が社員の会社に対する忠誠心の尺度と見
なされているのはご存知の通り。 しかし、この「忠誠心」に対して誰も表立っ
て、会社の要請を否定できないからくりが伺える。 つまり、会社は社員をこの
からくりでコントロールしているが、社員も会社の要請を拒否すれば自己評価に
影響するからとの暗黙の打算が働いている事も事実でしょう。 これは「共存共
栄」の関係と言うのでしょうか?
その背景には、米国の給料制度は基本的に本人の仕事に対する対価であって、
家族の有無、住宅の有無、通勤距離の遠近等の直接仕事関係の無い手当等の支給
は一切ありません。 なんだか、皆さんには極く当たり前の諸手当をもらう事は
当然視していると思います。 小生が思うに、これは丁度「グリコのおまけ」の
様に会社は従業員に特別に得した様な錯覚を与えている様に思えてなりません。
米国の社会は仕事以外の事柄で社員を直接的にも間接的にも評価しない仕組み故、
日本的な「手当て制度」とか「忠誠心の大安売り」は理解できない話です。どち
らの国の仕組みが皆さんにとって「幸せ」と思いますか? そう簡単に結論し難
い問題ですが、グローバル化の波は旧来の慣習に風穴を開ける事でしょう。
では、ここで車と学校に関する制度や考え方の違いについて少し話を進めるて
みよう。 先ず身近な日常生活では、毎日の生徒の通学が各家庭にとって大きな
問題です。 そこで、米国のその他の地域と同様、当地ではその解決方法として
3つの交通手段のどれかを選択して対応してる。
つまり、(1)無料専用スクール・バスの利用、(2)親の運転する車で送迎、
(3)マイカーを運転して通学。小生の娘の在学中の実例によると、当地では、
通学経路の車の運転希望者に15歳から限定付き運転免許の交付。更に16歳以上
の生徒に限定なしの大人用の運転免許の交付。 ですから、自分で便利な手段を
選んで通学するのが当たり前な世界です。ところが、我国では高校生になると法
的にバイク運転免許を取得できるルールなのに、義務教育でもない高校の校則で
バイク通学を禁止。しかし、一方学校にはマイカー通勤の先生の車が溢れている。
当地の全高校の敷地内の駐車場にはマイカーの生徒用と教職員用及び父兄等の
外来者用のスペースがゆったりと設置されているのが実情。 当地の車社会では、
日本の校則に見られるような禁止事項は到底理解しがたい話となるのも頷けるの
ではないでしょうか。バイクやマイカー通学を希望する日本の高校生は直ぐ当地
の高校へ留学を考えてはいかがですか? 高校は義務教育ですから、当然入試な
し! 学費無料!運転免許証入手方法は日本の比では無い。 これだけ見ても、
留学は絶対お得ですよ! 更に日本に帰国したら、米国免許証より日本の免許証
へ即座に変更出来るのも「価値ある米国土産!」の一つと成るはずです。 まだ
まだおまけに、本場の英語の習得まで、、、山盛り!
一方、最近の通学中の学童の拉致事件の多発に、関係者は対策に戸惑っている
のを見ると、アメリカ方式のスクールバスで生徒を送迎をするのは安全面からも
より優れているかと思います。 その背景として、米国は日本以上に国民の義務
教育にかなり重点を置いる事が伺える。 つまり、義務教育期間の長さを比較し
ても日本の9年間に対し、米国は高校までの12年間となっている。 更に、その
義務教育期間の生徒の登下校は全て無料スクールバス制度で対応している仕組み
です。 これらスクールバスの運行費用は当然ながら市民の負担つまり税金でま
かなわれています。 日本でも、一部の私立学校ではスクールバスの運行が見ら
れるが、公立学校のスクールバスの運行の動きはどうなるのでしょうか? アメ
リカでは当たり前な事ですが、「安全は只ではない!」と言うことがこのスクー
ルバスの制度を考える一助になれば、、、と思っています。
要は、歴史的に米国の都市は車専用の社会となっているのが根本的に我国と違
っている点と思う。 とにかく、アメリカ社会は「無料のハイ・ウエイ」を造っ
てやるから、自力で好きな車を手にいれて、自分自身で運転して行け!」と言う
ところです。 また、皆さん良く聞く話ですが、鉄道をわが町に持ってきてくれ
たら、選挙に受かると言う日本的な発想は当地では全く通用しないのも面白い点
です。
この様な米国の車社会と個々の生活環境と共生を築いて行くには、便利な車社
会を取り巻くリスク対応が常に要請されている。 一方、わが国も一度手にした
便利な車の魅力を深く享受している現在のライフ・スタイルを簡単に変えるわけ
にも行か無いだろう。 それ故、わが国も車社会の米国を参考に、リスクの増大
に真面目に早急対応せざるを得ない時期に来ているのではないでしょうか?
以上
テネシー便り(22) 福島幸人(昭41商) 投稿日:2004/12/24(Fri)
{カード社会のセキュリティーについて}
新年早々大胆な偽造紙幣やら偽造カードの事件で不安な幕開けのスタートとなりました。
やれやれ何とかしてくれと大声を張り上げたくなっているゴルフ愛好家の御仁も少なく
ないかと思います。 皆さん、貴重品の第一に考えているのはやはり財布の中のお金では
ないでしょうか。
そんなに大切なお金が頻繁に偽造、変造されて世の中に出回っていたらどんな対策を考
えるでしょうか。 貨幣の偽造や詐欺に係わる犯罪は洋の東西問わず、この世に貨幣が誕
生してから現代に至るまで、途絶えることなく繰り返しているのが人の常です。
わが国も紙幣第一主義からようやくカードを身近に所持する様に移行しているのは、や
はりライフスタイルのグローバル化の流れと言えましょうか。 犯罪多発の米国では全て
の物が大なり小なり犯罪の対象と成るのが当たり前と考えているほどです。 世界的にも
米ドル紙幣の偽造は当たり前となっているほどです。ですから、危険な高額紙幣100ド
ルなど所持する習慣は最早ありません。今ではそんな高額紙幣をほとんど見かけた事も無
いほどです。 その代わり、極端に発達したキャッシュレスのカード社会となっている。
そんな事情故、当地ではそれなりのカードに対するセキュリティーが種種取られている
事が伺えます。広く普及した日本でも大胆な偽造カード、紛失や盗難されたカード等に係
わる犯罪をよく耳にする。 そこで、カード社会が最も進んだ当地の実態より、カードに
係わる犯罪の防止策とロス・ミニ策のいくつかの例を紹介したい。
(1) カードのセキュリティーはカード所有者にとって重要事項です。そこで、紛失、
盗難、又、不正請求が発生した時には、それに気ずいたら、ただちにカードの裏に記載さ
れている緊急連絡先に必ず電話(後ほど別途書面で連絡のこと)で連絡する事。 そうすれ
ば、直ちにカードの効力は取り消され、リスクはフリーとなる。 万一カードが不正に使
われても最高50ドルのカード会社からの請求額でロス・ミニが図れる仕組みです。
(2) さらに、カード会社はカード所有者のカード使用状況を逐一モニターしています。
その結果、カード会社はカード使用者の一回のカードでの購入額が平常の平均月間カード
使用額と比較して、異常な傾向値と判断した場合、カード使用時に店頭のキャッシャーの
手元のカード・リーダーの表示に“Not Approved” と表示されます。
小生も過去この種”not approved’ 表示に出会った時は、吃驚し早速カード会社にコ
ンタクトし説明した結果、本人確認後即座にカード使用がOKとなった事を記憶している。
あたかも親に内緒で大金を持ち出し買い物を試みた子供が、その店主から怪しまれ買い物
をストップされる様な仕組みです。 又、コメディー映画「ホーム・アローン」の主人公
ケビン少年はクリスマス・ホリデーをフロリダ・バケーションでと家族全員で出かけまし
た。そのの旅行途中、家族一行からはぐれてしまい単身ニューヨークのホテルで、父親名
義のカードを不正使用した話が、面白おかしく描かれていたのを思い出されます。
(3) キャッシュ・カードで現金を引き出す時は、一回の引き出し最高額は300ドル
(州毎、又銀行によって多少差はあるようですが、小生が利用ている銀行のATMの場合
です。)、更に一日に2回までと引き出し回数の制限を付けている。 その為、万一キャ
ッシュ・カード(当地ではBank card 又はCheck cardと呼称)を紛失盗難で不正使用
されても、最高600ドルのリスクでカバーされる。 又、不正な暗証番号を誤って3
回まで繰り返すと、ATMは自動的にそのキャッシュ・カードをATM内に取り込んでし
まう仕組みです。
(4)クレディット・カード会社はカード所有者ごとに過去の支払い経歴状況を記録して
いる。 これを個人のクレディット・ヒストリー・レコードと呼称し、信用調査の一要件
にもなっている。 そして、毎月のクレディット会社の請求に対し遅滞なく支払っていれ
ば、信用度は上がることを意味します。 一般に当初のクレディット・ラインはカード会
社の裁量で設定され、通常のカード会社は3000ドル、とか5000ドル等と月間のク
レディット総額をカード申請者に通知する。 ですから、例え本人が知らない内に他人が
自分のカードや、偽造したカードを使用してもこのクレディット総額を超えて不正使用は
出来ない仕組みです。
この様に見てくると、日本でよく聞くケースだが、キャッシュカードと暗証番号を盗ま
れ、気が付いて銀行に届けたら既に預金残高が他人に全額引き出されていたと頻繁に聞く
と、全く残念に思ってしまいます。 銀行側とカード会社が顧客のセキュリティー重視の
観点より、カード犯罪の歯止め策として当地の仕組みを参考にしてみてはいかがでしょう
か。
以上
テネシー便り(21) 福島幸人(昭41商) 投稿日:2004/12/24(Fri)
「クリスマスを考える」
いよいよ今年も残り少なくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。 当地では、例年どうり12月
になると、家々の前庭の芝生を豆電球で飾るのが恒例化しています。 例えば、代表的なものはクリスマ
ス・ツリー、スノー・マン、サンタクロースやトナカイ等で幻想的な夜の世界を演出しているのを見るの
は楽しい。
我が家はキリスト教徒ではないが、家の入り口の柱にリースと大きな赤いリボンを飾り、毎日お世話に
なっている郵便受けには感謝を込めて大きな赤いリボンを飾り準備完了。 こんなわけで、人並みにクリ
スマス飾りをし、恒例行事に習慣的に参加している次第です。ところで、神仏合体を伝統的に受け入れて
いる日本人の一人として、何故キリスト教でもない多くの日本人は、一神教を信ずるキリストの生誕祭の
パーティーだけに参加したがるのだろうか。
「花よりだんご」のことわざにもある様に、我々は先ずクリスマスの「デコレーション・ケーキとプレゼ
ント」や「クリスマス・パーティー」ばかりが目に浮かび、「教会でのミサ」に出席するなど頭の隅にも
入らない事でしょう。 八百万の神を信じる多神教の日本人なら、キリスト教の行事が例え法事と神事の
間に来たところで、一向に構わないと言う事でしょうか。
近年、日本でも米国流のクリスマスの電飾で街を飾る風習が大都市の各地に多いに広がり、市民にとて
も好評なのは結構な事と思います。 しかし、それにしても日本でのクリスマスの飾り付けにアメリカ人
並みに力を入れるのは驚いています。 考えてみると、我々の視点は上記の様に「だんご」に置いている
ので、キリスト教の教義と言う「花」には直接触れずに、クリスマスを楽しみたいと言う事でしょう。
つまり、我々は自身の表面を金メッキで飾りつける事は出来るが、内面の精神までは変えられない気持ち
でしょう。
今日のニュースでは、今夜から東京タワーをライトアップし、夜空に幻想的な巨大なクリスマス・キャ
ンドルを出現させるそうです。 既に御覧になった方もあるかも知しれませんが、あたかも、突然ニュー
・ヨークのマンハッタンが東京に輸入されのではないかと吃驚することでしょう。 つまり、アメリカ文
化の発信地「ニュー・ヨーク」を取り入れたようです。
日本は古代から常に外国文化の輸入に勤め、それを上手に日本的に醸造化してきた経緯は既にご存知の
とうりです。 近代国家への発展過程では、文化だけでなく、歴史的に外国よりどんどん技術導入に努め
てきた。 つまり、極力日本人が伝統的な日本の習慣、価値観を意識的に無視し、短絡的な外国思考の道
を最優先してきた。 日本人がクリスマスを日本流にアレンジして、楽しんでいるのも見上げたものです。
これも一つの輸入文化の現れでしょう。
そんな訳で、この辺で文化の面でも、従来の外国からの「Take & Take」から、そろそろ「Give & Take」
のステップへ変換してみてはいかがでしょうか。
ところで、当地も今朝より一段と冷え込み初雪が降り始め、将にホワイト・クリスマスの舞台の出番です。
では、皆様どうぞ楽しいクリスマスと良いお年をお迎え下さい。
以上