村上流資本主義の限界  2006.5.12  小野 喜也 (昭33経)

 村上ファンドの証券取引法違反による訴追によって、資本主義についての討論
が増えています。 日本の教科書には我が国は民主主義と資本主義の国であると
書いてあるようですが、実はいずれの「主義」にも歴史的な変遷があり国によっ
ても実態は異なるものがあります。

 日本の民主主義の実態は、官の主導し管理する国家社会主義的なのものである
ことは、これまで演説館の中で様々にお話しておりますが、この体制の中での
資本主義もまた実は疑似資本主義とも言うべき実態でありました。この機会に改
めて、学校の教科書とは異なる日本の実態を考える必要があります。

 敗戦後、占領政策として財閥を解体し、広く国民を株主とする証券民主化運動
が行われましたが、廃墟からの復興のための資本供給の主役は株式によるもので
はなく、政府資金を含めた銀行からの直接金融によるものでした。復興の後もこ
の体制は継続されて株式資本は補完的役割に留まり、旧財閥系をはじめとするグ
ループや取引先との間の株式相互持ち合いが広がりました。カルテルは大手を振
って通り、談合が横行した時期が長く続きました。

 この様な状況の下では会社の経営者を選任し、決算・予算をはじめとする経営
方針の決定権限を持つ株主総会は、経営者自身が議決権を握ることとなり、「社
長の任期は社長自身以外は決められない」と言われました。
 多数決で決められる方針に、異論を唱えるのは「総会屋」と呼ばれる特殊株主
のみで、彼らは株主総会を円滑に終わらせる与党総会屋が主流で、時折に野党に
よる総会荒らしもありましたが、会社に寄食する以上の勢力にはなりませんでした。
そして彼らも新たな法規制で次第に排除されました。

 バブル崩壊以後、金融機関の行き詰まりから、金融改革が進み株式持ち合い状
況は大きく崩れました。会社間持ち合いの穴と個人投資家の株式投資からの撤退
の空白を埋めたのは、海外からの投資資金です。海外資金による証券取引が高い
比率を占め続けました。中でも複数の投資家の資本を集めて、世界の投資機会を
求めて駆け巡るファンドが大きな力を日本にも及ぼしました。ワリチョーを発行
していた政府系の日本長期信用銀行を買収して、新生銀行に仕立て直し膨大な利
益を得たのも海外ファンドです。

 それ以前は鎖国状態であり護送船団方式で一律的であった日本の資本市場は、
国際化グローバル・スタンダードの掛け声により、銀行・証券・生保・損保など
すべての主役は大幅な変化を迫られ、合併と再編成が行われ、今もなお進行中で
あることはご承知の通りです。
金融機関による会社への直接金融から、資本市場の強化による株式による間接
投資を広げる方策も進められました。マザーズ、ジャスダック、ヘラクレスと
新規株式公開の基準条件を引き下げた株式市場が作られました。

 このような環境変化によって、ライブドアーは急成長し、村上ファンドも資金量
を増やし続けたのですが、ニッポン放送の問題から、M&Aや企業買収などの経済
用語が、頻繁に報道されることになりました。旧来の非効率で閉鎖的な会社経営に
対する不満や不信からか、マスコミと大衆は快哉を感じて挑戦者へ声援を送ったの
ではないでしょうか? 

 この両者に共通しているのは、市場の内外を通じた投資活動によって、自己利益
を追求した点にあります。
「お金儲けをしては悪いんですか?」という村上発言は、「無茶苦茶に儲けすぎた
ので....」逮捕されたのだと言う彼の本音へと続いています。
たしかに、身近な近代経済史の中には、新興勢力の台頭に対して、既存勢力の反感
と妨害があり、政治権力と結んで司法と税務が利用されたと憶測されるケースは多
々あります。しかし、逮捕された側には法律違反があったことは立証されています。

 問題の核心は、利益の追求が悪なのではなく、その追求の過程において、ルール
違反の有無であり、より本質的には、社会を構成する他の人びとに対する配慮があ
るかないか、他者を傷つけているか否かにあります。

 資本主義の始祖アダム・スミスの『国富論』は1776年刊行ですが、「人びとの個
々の利益の追求は、市場における競争的な売買において価格を決定し、神の見えざ
る手によって需要と供給を最適に均衡させ、社会的安定をもたらす」とされています。

「神の見えざる手」とは人の作為はなくても、市場への参加者の信仰に基づいた良心
的な活動を前提としていたのでしょう。スミスは哲学者であり宗教家でもありました。

 元来、人間の欲望には際限がなく、いずれの宗教においても、この人間としての
欲望の自制を求めています。
しかし現在、世界をリードしているアメリカの合理主義精神では、資本市場の公正を
維持する方法として、ルールと運営という手段を中心としています。現在の日本はこ
のアメリカ的な手法を追いながら、実際には新しい変化への対応が間に合わず、また
伝統的な精神主義が広く深く存在していて、それらの歪みが様々なことについて噴き
出しているように思われます。

 市場における競争原理が、社会を進展させることは間違いありませんが、その自由
競争の基礎には、自分の自由と同様に、他人の自由も尊重するという精神が必要です。

 この精神の見当たらないところに村上流資本主義の限界があったと考えられます。
通産省官僚の履歴を持つ村上氏はフタッフにも東大卒の俊才を集めていましたが、知育
に偏った受験競争では、人の心を養えないことを証明する事例がまた一つ重なりました。

 またファンドというものの本質としては、高率の利益を得て分配をしてこそファン
ドに資金は集まります。しかし、その資金量が大きくなるにつれて高率の利益を得続
けることは困難になります。投資利益の額に従って一定比率の報酬を得るファンド・
マネージャーは、自己の運用能力を越えた資金量に押し潰さた事例が数多いのです。
そのため、近年のファンドでは一定額以上は、運用資金を預からないことが広く行わ
れています。
 そのことを知らないはずはない村上氏が、資金量の拡大を続けたのは、自己の力を
過信したか、自分の欲に溺れたか、短期間の成功体験によりバランスを失ったのでし
ょう。彼は投資のプロを自称していますが、浮動株を集めて経営を批判し高値で売り
抜けることで成功を続けていたのであり、純粋な意味での運用のプロなどは、最初か
ら目指していなかったと思います。
 
 これから先、日本の資本主義をどのように進化させるか、公務員の立案に任せてい
ては危険です。国民の総意を汲み上げた政治家の判断が重要です。憲法問題と同様に
様々な面で日本は曲がり角にいます。問題は山積していますが、
これは明治維新後も敗戦・講和後も同じです。どの道を進むかは国民の成熟度に掛か
っています。

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 小泉内閣の歴史的評価』 2006.5.14 小野 喜也 (昭33経)

 小泉内閣の終わりが近づきマスコミがこの5年間を総括することを始めています。
個々の案件や手法を対象とした議論を、賛成・反対の双方の人達が行うような形式が、
テレビ番組では一般的ですが、この方法では全体を把握するには不適当です。

 小泉内閣の行ったことの歴史的な意味については、巨視的に敗戦後の歴代内閣総理
大臣の在任期間を一覧すると、より正しく近代史として把握することに役立ちます。
昭和20年に生まれた人も既に還暦を迎えています。記憶を遡りながら考え、記憶の
無いところからは記録を調べてみることをお勧めします。

東久邇宮稔彦王 昭和20.8.17_昭和20.10.9 在職日数 54 就任時年齢 57歳
幣原喜重郎  昭和20.10.9_昭和21.5.22 在職日数 226 就任時年齢 73歳
吉田 茂
(第1次)   昭和21.5.22_昭和22.5.24 在職日数 368 就任時年齢 67歳
片山 哲   昭和22.5.24_昭和23.3.10 在職日数 292 就任時年齢 59歳
芦田 均   昭和23.3.10_昭和23.10.15 在職日数 220 就任時年齢 60歳
吉田 茂
(第2〜5次) 昭和23.10.15_昭和29.12.10 在職日数 2248 就任時年齢 70歳
鳩山一郎
(第1〜3次) 昭和29.12.10_昭和31.12.23 在職日数 754 就任時年齢 71歳
石橋湛山   昭和31.12.23_昭和32.2.25 在職日数 65 就任時年齢 72歳
岸 信介
(第1〜2次) 昭和32.2.25_昭和35.12.8 在職日数 1241 就任時年齢 60歳
池田勇人
(第1〜3次) 昭和35.7.19_昭和39.11.9 在職日数 1575 就任時年齢 60歳
佐藤榮作
(第1〜3次) 昭和39.11.9_昭和47.7.7 在職日数 2798 就任時年齢 63歳
田中角榮
(第1〜2次) 昭和47.7.7_昭和49.12.9 在職日数 886 就任時年齢 54歳
三木武夫  昭和49.12.9_昭和51.12.24 在職日数 747 就任時年齢 67歳
福田赳夫  昭和51.12.24_昭和53.12.7 在職日数 714 就任時年齢 71歳
大平正芳
(第1〜2次) 昭和53.12.7_昭和55.6.12 在職日数 554 就任時年齢 68歳
鈴木善幸  昭和55.7.17_昭和57.11.27 在職日数 864 就任時年齢 69歳
中曽根康弘
(第1〜2次) 昭和57.11.27_昭和62.11.6 在職日数 1864 就任時年齢 68歳
竹下 登  昭和62.11.6_平成元.6.3 在職日数 576 就任時年齢 63歳
宇野宗佑  平成元.6.3_平成元.8.10 在職日数 69  就任時年齢 66歳
海部俊樹
(第1〜2次) 平成元.8.10_平成3.11.5 在職日数 818 就任時年齢 58歳
宮澤喜一  平成3.11.5_平成5.8.9  在職日数 644  就任時年齢 72歳
細川護煕  平成5.8.9_平成6.4.28  在職日数 263  就任時年齢 55歳
羽田 孜  平成6.4.28_平成6.6.30 在職日数 64 就任時年齢 58歳
村山富市  平成6.6.30_平成8.1.11 在職日数 561 就任時年齢 70歳
橋本龍太郎
(第1〜2次) 平成8.1.11 _平成10.7.30 在職日数 935 就任時年齢 58歳
小渕恵三  平成10.7.30_平成12.04.05 在職日数 616 就任時年齢 61歳
森 喜朗
(第1〜2次) 平成12.04.05_平成13.4.26 在職日数 387 就任時年齢 62歳
小泉純一郎
(第1〜3次) 平成13.4.26_平成18.9.? 在職日数 198? 就任時年齢 59歳

 歴代内閣はそれぞれの時期の国の状況を反映して成立しています。
小泉さん自身もまたこの流れの中で、政治活動を続けた経験から内閣を指揮して
います。
 敗戦後の廃墟と混乱の中の保守・革新のせめぎ合いから、吉田第2次内閣以降
は宮沢内閣に至るまで一貫して保守党の政権が続き、経済的には大きな繁栄を作
りだしましたが、その体制は次第に制度疲労を生んで、自民党の一部は分裂し、
国民の改革への期待から日本新党の細川内閣が成立しました。それ以降、一党独
裁は崩れて組合わせは様々ですが連立内閣の時代に入っています。

 小泉内閣は誕生の経緯も、それまでの派閥の領袖による調整は、密室の話合い
だとの批判から、新たに採用された党内選挙という形式でしたが、自民党の地方
支部を含めた圧倒的な支持を得て選出されました。
 折からの大不況の中で、「改革なくして繁栄なし」と唱え「官から民へ」を
スローガンとして旧来の保守政治からの脱却を掲げて、組閣の手法から変更して
国民から大きな期待を集めました。しかしながら、小泉さんは弱小派閥出身であ
り、派閥を壊し官に依存する政治の改革を進めた道のりには、常に強固な抵抗が
ありました。

 前例を見ない高い内閣支持率という、世論を背景として、それまでの公共事業
を縮小し、不良債権の処理を強行し、道路公団の民営化、政府系金融機関の統廃
合と改革を進めて、景気回復への道筋を付けました。そして遂に昨年には郵政改
革の是非を問うとした前例の無い衆議院解散・総選挙で圧勝して、国民の望む方
向は現状維持ではなく、将来に希望を持てるための改革であることを明らかにし
たと言えます。

 長期に俯瞰すれば、小泉内閣が新しい時代を切り拓いたことは明らかです。
公務員を中心として、長年の間に築かれた既得権擁護の抵抗勢力の力はまだまだ
大きなものがあります。財政再建の方向についても、国費の無駄を押さえるより
も、国民負担の増加を企み、消費税の大幅な引き上げを目論む財務省を中心とす
る支配構造は健在です。そして、同調者は自民党内や閣内にも存在しています。
 

 現時点では自民党の後継総裁は選出の方法論の段階で揺れています。
後継内閣を誰が引受けることになるにせよ、改革は継続し拡大させなければなり
ません。
政府とは国民が従うべき「お上」ではなく、国民の選挙で選ばれた結果の機関で
あり、その成立後に行う政策は、国民が注視しなければなりません。

 来年の参議院選挙と統一地方選挙を目指して、自民党と民主党との競い合いは、
細川政権を誕生させた小澤一郎氏の民主党党首への就任により、激化することと
なるでしょう。連立の組み方を巡っても様々な動きが出て来るでしょう。
 改革に反対するという方法ではなく、口では改革を唱えながら改革を先送りし
縮小しようとする動きは執拗に続きます。それを乗越えて改革を進めなければな
りません。

 新しい政治を生み出すことは簡単ではありません。政治家のための政権ではな
く、国民のための政権でなければ成り立たない時代にするためには、これからも
国民は視野を広く持って自ら考え、正しい判断と投票行動ををすることを求めら
れます。

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 改革の本丸は人である』 2006.1.29 小野 喜也 (昭33経)

 人間は集団で生きることを習性としている。
他の動物に比べて大きな大脳を持っていても、その習性は変わらない。
一匹狼として組織に入らないとか、孤独を愛して人付き合いを好まない人も存在
するが、それでも、その人の日々の暮らしは、他の人たちの働きに依存している。

 孤島に一人で漂流したロビンソン・クルーソーの物語は、少年たちに一人で生
きることが、如何なることであるかを教えてくれた。電気もガスも水道もなく、
食べ物も衣料も自分で採集し作り、病気になっても自然災害があっても、何でも
かんでも一人でやらなければならない。

 物が豊かになり、飢えることがなくなり、つい三世代ほど前までの祖先は、夢
にも得られなかった快適で便利な道具は、暖冷房、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃
除機、電子レンジ、携帯電話と、学業を終えて仕事につけば、誰でも容易に買え
る社会に日本は到達している。道路、医療、治安、国防をはじめ社会の基盤を支
える人々が自分の他にいて、現在の自分の暮らしが可能になっている。

 こんな、当たり前のことが良く判っていない人や、意識していない人が、程度
の差こそあれ大変な数になり、近年では、あらゆる世代に広がっているように感
じられる。

 ライブドア問題、建築強度偽装事件、小学生誘拐殺人事件、このところ世間を
騒がせている様々な現象の共通点は、当事者たちの「自分さえよければ、他人の
ことは構わない」自己中心であり、反社会的であり、他者の痛みを無視した人物
の姿が見えることである。そして、金さえあれば幸せという拝金思想も隣り合わ
せに見えている。

 貧しかった時代の日本人は、狭い家に複数の子供がいて、三世代の同居も一般
的だった。食べ物は大切であり、衣服は修繕を重ね、無駄にするゆとりは無かっ
た。親の教育的な配慮とは無関係に、子供たちは自然に周辺を意識し、我慢と辛
抱をする生活環境の中で育っていたのだ。当然ながら「自分勝手」は許されなか
った。そして家族はお金では買えない幸せを大切にしていた。

 集団としての人間の意識の変化はゆっくりとしている。
個々の人の意識が変化しなくても、死亡と新生児の誕生による集団の構成員の変
化に従って、全体として緩やかに変化を続けているのが人間社会である。

 そして集団としての人間の行動には、長期的にも短期的にも共通した法則があ
り、四つの種類の人間が一定の比率で存在すると言われている。
(1) 新しい変化にすぐ飛び乗る人 5%
(2)変化を見極めてから動く人 15%
(3)それらの他人の動きにつられて自分も動く人 60%
(4)新しい動きに乗らず動かない人 20%

 テレビの娯楽番組で、ドリフターズの「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でし
ょ」というセリフが大流行した年代が、自己中心主義が第3分類に到達した期間
であったと思う。
 前後して、アメリカ社会にも「ミー・イズム」という現象が見られ「ミー・フ
ァースト」とも言われていたが、日本人社会はその後も、さらに「ミー・オンリ
ー」へと進んでいる。

 高齢者が増え、その人の育てた子供が世話をしないのか、他人の税金や介護保
険料で世話をする制度が広がっている。そもそも結婚をせず子育てもしなかった
人も高齢には必ずなる。年齢別の国民分布を見れば、このままの制度では破綻す
るしかない。医学的な原因で子供の出来なかった人もいるが、一つの家庭の子供
の数が減りはじめたのは、昭和生まれからの現象であり都会から始まり地方へと、
晩婚少子化は加速し広がった。

 一人っ子同士の結婚で子供を育てながら、夫と妻双方の四人の親を世話しなけ
ればならない人たちに、他人の親の世話の分まで負担をさせる事態へと進んでい
る。一方、結婚をせず寄食しているパラサイト・シングルは、親が死亡して自分
が高齢化すると、こんどは社会に寄食することになりそうだ。

 親ならば誰でも知っているように、子供を作り育てることは、長い年月の手間
ひまと経費が掛かる。子育ての環境は時代と共に変化するが、子孫を残すことは
人間社会の存続要件であり、子供の成長を見ることは最大の喜びである。
しかし、子供の躾も教育もやり直しの効かない一回勝負である。

 悪事を働く、反社会的な行為をした人に対しては「親の顔が見たいものだ」と
いう言葉があった。製造物責任法などはなくとも、生んで育てた子供について親
は全責任を社会に対して背負っていたのである。ところが近年は、人質を取り立
てこもる犯罪者の説得に、警察が母親の力をかりることは、とんと見かけなくな
った。

 「おふくろの味」とは、みそ汁であり漬け物であり母の作る家庭料理であった。
それが、いつしかマクドナルドやケンタッキーとなり、コンビニ弁当へと変化を
続けている。手塩にかけることなく、目一杯手抜きをした子育てをされて育った
子供の気持ちは、想像することしか出来ない。「信ずるは我のみ」という独善に
陥り易いのではないだろうか。

 子育てについては、「手抜き」と同様に、「甘やかすだけ」で厳しさが見られ
ない現象も、前述の第3段階へ早くから到達している。人間は3歳までの知能程
度は動物学者によれは、チンパンジーと同程度であるが、その後は人間だけが大
脳はさらに発達を続けると言われている。

 言葉の判らない「三つ子の魂」は「百まで続く」、大きな声、手を叩くなど
言語外言語でしか幼児は理解できない。三歳までの間に人間としての本能を司る
脳幹の部分は完成し、学齢に達する前に、社会に適応するための行儀作法の基礎
工事は終わる。ここまでで間違えれば、膨れ上がる自己中心はやがて手が付けら
れないように肥大化する。そうなってからでは手遅れである。

 学校へ行くようになってからは、教育とは学校で教えることだと、他人に任せ
ていたつもりでいる人も多い。しかし、親のすることは何でもかんでも、子供は
観察していて真似をする。真似こそが子供の学習である。親の後ろ姿を見て育つ
とは至言であろう。猿はどう育てても猿だが、人は育て方次第では人間にならな
い。これが自然の法則である。

 甘やかしと手抜きで膨らませてきた、「自己中心」な人に満ちあふれた今、
より良い日本社会への立て直しは簡単ではない。あらゆる制度改革よりも人間自
体の改革が根本の問題である。
 世代を越えて、我々一人一人が胸に手を当てて良く考えなければならない。
自らの生い立ちを振り返って、自己中心度、思いやり度、気配り度、自分が生き
他者に生かされていることへの感謝、良心を曲げる「弱い自分」は何処にどの程
度いるのか? 
 家族、友人、職場、地域と共に生き、そこに幸せを感じているか? それを感
じられるか? 課題は単純だが重たい。

 皆がそうだから、と自分では考えず流されて生きている人の数は多い。
ほんの少し考えれば、自分の現在は過去の恩恵を受けていることはすぐに判る。
社会制度、生活基盤、科学技術、文化芸能あらゆることで、先人の工夫と努力の
積み重ねの上に現在がある。自分がその恩恵を受けていることを自覚すれば、自
分自身と周囲の人の未来への責任を自覚することになるだろう。

 「人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず、不自由を
常とおもへば不足なし、こゝろに望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし、
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ、勝事ばかり知りて、まくる事をしら
ざれば、害其身にいたる、おのれを責て、人をせむるな、及ざるは過たるよりま
されり。」

 この徳川家康の子孫に残した教えは、その後の十五代264年間の体制維持に
役立った。家康は城より制度より「人」についての教えを重視したのである。
 明治維新は日本の近代化を果たしたが、1868年〜1945年と77年間の寿命で
あった。改革が叫ばれる現在の体制は、敗戦後の1945年から今2006年初頭ま
で61年である。 改革を目指すには、これからの100年〜200年を考える必要
があり、その基本は「人」にあることは明らかである。

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 改革はまだこれからです』 2005.12.20 小野 喜也 (昭33経)

 耐震強度を偽装して数多くのマンションやホテルが建てられていたことが、明らか
になり、大騒ぎになりました。建築基準という安全性の尺度を中央官庁が定めて、
地方自治体が建築申請を審査するという方式から、審査を民間会社へも委託する
方法も取り入れられたことは、すでにご承知の通りです。

 このような国による基準作成、自治体の審査と認可、一部の民間委託という方式
は、建築に限らず様々な分野に亘って広く採用されています。
  強度偽装の犯罪行為の原因究明と再発防止策が今後どのようになるか、まだ
予断を許しませんが、これまでの経験からは、常に断罪の対象は現場に近い実行
者に止めようという力が働きます。 

 納税はじめ多くの分野で、申請者は基準にそって申請をすることを求められていま
すが、必ずしも基準を守らない人は常に存在します。基準の判定を歪めたり甘くさ
せて、利益を得ようといる人は必ず許認可権限を持つ人か、その人に対する影響力
のある人へ、働きかけます。 ここにも公共事業の発注と類似の問題が起きる構造が
あるのです。 基準作りに関わり官に影響力を行使する政、基準を作り許認可をする
官、申請をする財、そして財から政への働きかけ、という政官財の環はあらゆる分野
に存在しています。

 最近のテレビでは「改革の総仕上げ」という言葉が、やたらと使われていて、
とても気になります。小泉さんが自民党総裁への再任をしないということから
来年には、新たな総裁が誕生して総理大臣に選出される予定ですから、小泉
さんの改革としては、この一年で最後の仕上げをしなければなりません。
しかしながら、日本として改革をしなければならないことは、まだ始まったば
かりで、これからも問題は山積していることを忘れてはなりません。

 郵政改革法案は総選挙による国民の意思表示によって成立しましたが、こ
の法案の内容は、自民党内で反対派の抵抗により妥協を積み重ねたもので
す。郵政改革がどのように実行され、国民のための改革になるかどうかは、こ
れからの展開に掛かっています。

 選挙を通じての国民の支持があったからこそ、政治の改革がまず進みました。
派閥の推_を中心にして大臣を選ぶことをやめ、出身派閥の意向も無視して
編成されて来た小泉内閣は、これまでの政治手法を大きく変えました。政治資
金の流れの変化と共に、党内への配慮よりも国民の意向が重要である方向へ
の変化は大きな改革でした。
 
 いまや、 改革に反対している中心勢力は公務員集団です。ただ単に公務員
の総数を減らすだけでは問題は解決しません。日本中のあらゆる業種のあら
ゆる仕事に絡んで網の目を張り巡らせている、「許認可制度」と「自主規制」と
いう名の下での各種業界への公務員による間接支配を打破しなければ、国民
からの公務員による収奪は止まりません。

 郵政改革反対派は「なぜ郵政を改革しなければならないのか判らない」と言
い続けていましたが、郵政には膨大な無駄と利権が存在していることを多くの
国民は知りました。道路公団にしても分割化をしても、本当に国民のための組
織に変えるには、国民による監視が必要なのです。 国立大学を独立行政法人
へ変えても予算配分など少しも変わっていません。公務員総数を名目的に減
らしただけのことに留まっています。

 自分で生産をしない、社会の寄食者である公務員には、納税者に対する責任
感が不可欠なのですが、この観念は明治時代から日本にはありません。封建
時代の領主への忠誠から、天皇を戴く政府に変わっても、農工商の国民を支
配して必要に応じて租税負担をさせるという意識は継続し、敗戦後の憲法の下
でも、許認可権限と予算配分を通じての支配構造は強化され続けて来ました。

 「電波」は郵便と並んで郵政省に所管されていて、今では総務省の管轄となり
ましたが、ここでも「許認可制度」による護送船団主義が中心です。
 国際比較をすれば、外国で発信される衛星放送の受信が規制されているのは、
アジアでは北朝鮮と日本だけではないでしょうか? 一党独裁の中国ですら大都
会では受信可能です。

 国内では衛星放送技術の発達で、地方放送局の必要性は無くなっても、キー
局と系列局の組み合わせの制度は改革されません。ケーブルテレビに至っては、
さらに細分化した地域ごとの許認可として、利便性の発展を妨げています。
この「原則規制・例外自由」の官僚主義こそ、改革をしなければならない主題
です。なぜならば、許認可には族議員と利権が付き物となっているからです。
携帯電話への新規参入が12年ぶりに3社が認められました。普及度が飽和し
てからの参入許可ですが、競争によるこれからの展開はユーザー指向が強ま
ることでしょう。

 分割され民営化したNTTについても、光通信を巡って再度寡占化を進めよう
とする動きがあります。インターネットと放送の融合は技術的な問題よりも、
行政の縄張り争いと、利権の争奪戦でもあります。電電公社時代以来の機器
メーカーを含むファミリーとの構造も生き続けています。楽天と東京放送の駆
け引きの推移には、その角度からの考察が欠かせません。

 谷垣財務大臣が平成8年からの消費税引き上げに言及し、批判を受けて意
図説明に追われましたが、酒税、たばこ税の引き上げなど執拗に財務省の意
向を受けてか、増税への働きかけを続けています。
総選挙の国民の意思表示を無視するような、筋書きを押し通そうとする公務
員の厚かましい姿勢には凄まじい執念を感じます。

 小泉総理大臣は、自民党内の小さな派閥から出て、国民の期待の後押しに
よって、這うようにして改革を進めて来ました。公共投資を増やして経済を建
て直そうとした、それまでの政策を変えて、税金を投入して銀行を改革するこ
とで不良債権の主な部分をなくしました。しかし、まだまだ政府系金融機関や
郵貯簡保の焦げ付きは膨大にあります。この改革を進めなければ、日本の経
済は発展できません。

 政治手法を変えて、国民の声を重視した民主主義への転換を進めたのは小
泉さんの大きな功績ですが、一人の政治家が限られた期間に出来ることの限
界はあります。どのような改革も継続して推進をする人なしには成就しません。
「ローマは一日にして成らず」は歴史的に証明されています。

 「総仕上げ」という言葉を使う人は、この流れを止めたい官僚主義の手先ではな
いかと心配です。近年の公務員はマスコミ誘導の技にも磨きが掛かっています。

「改革はまだまだ入り口」です。民主主義国家を築くには更に長い長い年月が掛
かることでしょう。 国民の監視と投票行動による参加が必要不可欠です。
日本の将来は誰かが何とかしてくれるのではありません。国民一人一人の判断
力の向上によって、より良い将来が開かれることでしょう。

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 改革への大合唱が始まった』 2005.10.10 小野 喜也 (昭33経)

 小泉純一郎総理大臣の衆議院議院解散権の行使と、「郵政民営化は是か非か?」
を問うとした国民投票に擬した選挙戦術は、選挙結果で与党合計で過半数をとれ
なければ退陣するという、これまた前例のない宣言により、自由民主党に大幅な
議席増をもたらす選挙結果を生み出しました。

 この演説館で2002年8月30日に「小泉改革匍匐前進中」と評したように、小泉

内閣は発足以来、官政財の巨大な抵抗勢力の圧力の下で、妥協を重ねて這うよう
に前進して来た小泉改革は、国民が大きな改革への期待を選挙で明らかにしたこ
とにより快勝し、逆にこれまでの妥協を重ねた改革の見直しをも迫られかねない
こととなりました。

 今次選挙で大幅に議席を減らしながら、二大政党の構築を狙う民主党が、新進
気鋭の前原党首を選出したことから、改革への与野党の競い合いの状況となりま
した。先行きの見えない状況からの脱却を求める、国民大多数の改革への期待か
らの大合唱が沸き上がったことになります。肥大化した官の無駄を省く行政改革
による財政改革への期待が大きく広がっています。

 この「インターネット演説館」で1999年開設以来、一貫して提唱している官主
から民主への転換が、ようやく明治以来の重く大きな扉を開こうとしています。
 官僚支配の下で国家社会主義を理想とした軍国主義の時代には、共産主義とな
らんで、危険思想とされた自由主義を掲げる慶應義塾の福澤精神は、ようやくに
して国の進路を示すべき時代を迎えることになります。

 29万人という慶應義塾卒業生の数は、国民全体の中では小さなものでありま
すが、在学時代には福澤先生のお考えに触れることのなかった人たちも含めて、
今こそ我が日本国の明るい未来を築くために、それぞれの仕事の場の中において、
福澤精神を見つめ直して、改革を先導しなければならなりません。

 政治は政治家に任せるのではなく、国民の意志を示すことによって政治は変化
をすることを、示した歴史的な転換点ともいえる選挙でもありました。憲法改正
問題を控えて「国民投票」の制度の法案化も始まります。
 インターネットの選挙利用をこれまで拒んで来た役人と古い政治家には、未来
はないでしょう。やがては携帯電話からでも投票の出来る時代が来るでしょう。
議員定数を減らし、国民の直接投票による重要法案の賛否を競うことを可能にす
ることも、技術的な壁は低くなっています。実現させれば投票率は大幅に上昇し、
衆議院選挙で770億円もかかった選挙費用は格段に低減します。

このような改革に尻込みする政治家を排除することの出来るのも国民の力です。

 「一部の人たちのためではなく、総ての人たちのための......」という言葉が、
自由民主党の党首から出されたことは、単なる選挙戦術に終わらせてはなりま
せん。主義主張はいかにあれ、自己利益のみ或は、自己の属する集団へのみの
利益を追求することは、これからは益々批判の的となります。
地球規模にいたるまで、共存、共生という主題は、基調の旋律となるでしょう。

 小泉改革は匍匐前進から立ち上がりましたが、戦後60年、明治以来137年
の官僚主導を突き崩すには、まだまだこれからが大仕事です。自分自身と子供達
孫達の将来のためにも、視野を大きく考えは深くして、より良い日本を目指しま
しょう。

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 郵貯消滅』 2005.7.24  慶應義塾大学商学部教授 跡田直澄

■はじめに

 郵政民営化の必要性はわかりにくい。それ以上に不安すらある。これまでの
郵便は、郵貯は、簡保は、どうなるのか? こうした疑問に答えるため、『郵
貯消滅』(PHP刊)なる本をまとめてみた。以下では、この本の内容を紹介
しながら、そうした疑問に答えてみたい。

■戦後の郵貯と財投

 日本が戦争に負けあと、最大の課題は復興だった。こういうとき、吉田内閣
が採用したのが傾斜生産方式だった。産業振興のカナメとなる石炭・鉄鋼・電
力・造船・肥料を中心とする基礎産業部門に、重点的に資材や資金を提供する
というやり方である。復興金融公庫という政府機関をつくり、そこを窓口にし
て資金を流した。その資金の一部が郵便貯金だったわけだ。政府主導型という
産業復興は、明治維新政府が行った殖産興業とほとんどおなじような考え方で
行われたわけである。国策としての郵便貯金はこういう場合、非常に役に立っ
たのである。
 
 こうして日本は昭和三十年代の前半に高度経済成長の波に乗った。この時期
にも、一貫して郵貯の資金は政府によって有効に使われてきた。おそらく昭和
の三十年代後半から四十年代の前半までは、郵貯は本当に意味のあった貯金で
あり、それを元にした財政投融資が高度成長を押し上げてきたと言っても過言
ではない。
 
 しかし、日本がほぼ高度経済成長を達成して豊かな時代といわれるようにな
ってからも、郵貯を原資とした財政投融資を続けてきたのが、今、まさに命取
りになろうとしている。もう郵貯に頼らなくても、本来そういうところへ投資
する銀行も相当力をつけてきたからだ。政府がやるべきところと、民間がやる
べきところのわりふりを、そこで考えなおすべきだった。それが昭和四十年代
後半の財政計画であり、経済政策であるべきだった。
 
 しかしそれをしなかったのである。そして、昭和五十年代後半から始まった
バブル経済が止めを刺した。土地価格の異常な高騰で、銀行など金融機関が不
動産業に積極的に融資したが、一時の熱気が冷めて土地価格が急落した。銀行
や生保などは膨大な不良債権を抱えこんでしまった。
 
 このときもまた、こんどこそ構造改革をしなければほんとうに日本はダメに
なるという議論が盛んだったが、結局は従来通りに政府主導型の財政投融資に
よる景気対策で乗り切ろうとした。結果的にはこれは成功しなかった。それが
今日のデフレ型経済と、なかなか浮揚しない長期不況の元凶となっている。

■バブル崩壊後も増えつづけた郵貯

 バブル崩壊のころには郵貯の残高は約百兆円だったが、ピーク時には2.5
倍の二百五十兆円にも達している。わずか十数年にして二倍以上にもなるとい
うのは、異常な集まり方である。郵貯の定額貯金は、半年複利で六パーセント
であった。こんな金利の預金は、どこの金融機関を探しても見当たらないのだ
から、当然と言えば当然である。
 
 郵政公社に集まっているお金は郵貯だけではない。簡保、すなわち簡易郵便
保険がある。その特別終身保険は一千万円を十年以上預けて六十歳になると年
金方式で月々七〜八万円、生涯にわたって受け取るのが簡保である。途中で死
亡しても元金は保障される。こういう簡保が二十種類以上あり、そこに集まっ
ているお金が百兆円ほどある。
 
 こうして、郵政公社は郵貯と簡保で三百四十〜三百五十兆円ものお金を集め
ているわけだ。バブル崩壊後も郵貯・簡保という資金がだぶついていたから、
これまでどおりに財政投融資という名目で住宅公団や日本道路公団などにどし
どし貸し付けた。だから建てる必要もない住宅を建てたり、通す必要もない高
速道路を作ったりしてきた。
 
 現在も、郵政公社は財政投融資債、略して財投債を買って政府に資金を提供
している。財投債は実際には国債であり、郵政資金の九割かたはそうした実質
的に政府保証のついた国債や地方債に換えられている。では、財投債を買うの
と財投に預託するのとどこが違うのであろうか。従来、財投に全額預託してい
ていたときは、国債金利にちょっと上乗せする特別待遇を受けていた。率にし
て0.2%である。郵政資金はそれだけ高い利子を受け取っていたわけである。
だから郵貯は、定額貯金というような民間金融機関よりも有利な金融商品を売
ることができたのである。
 
 いずれにしても、もうこんな財投はやめよう、こんな異常な財投を可能にす
る郵貯・簡保はもうやめよう、というのが郵政公社民営化の基本的な考え方で
ある。構造改革はすでに三十年以上も昔の大阪万博のころに手をつけなければ
ならなかった大きな問題だったのである。
 
 郵貯はいわば国営貯蓄だった。それが必要だったから政府はつくり、利用し
てきた。しかし、もう四半世紀以上も前に本当の役割は終えており、そのとき
キッパリやめておけばよかったのだが、いろいろな事情が絡まりすぎてなし得
なかった。今日、いよいよそういう構造を変えなければ、国家そのものがおか
しくなりそうだということが、見通せる段階に達してしまったのである。
 
 郵貯を、あるいは簡保を国営のまま残すことはもうやめよう。そのためには、
思い切った郵政事業の改革が必要なのだ。国営をやめて民営化すれば、それが
できる。郵政公社民営化はそういう発想から生まれている。郵貯はいわば資本
主義社会の中の社会主義的システムだ。社会主義というのは、個人にあまり所
得を渡さず、企業利益もほとんど国家に納めさせ、あまり必要でもないインフ
ラの建設とか完全平等型の社会保障給付という形で個人に還元するシステムで
ある。郵貯はまさにそういうタイプの社会主義システムである。それが行き詰
まったのである。

■郵政民営化は借金体質をかえさせることになる

 政府は国債に頼らない財政に切り替えていく大きな方針を打ち出している。
公共投資の対GDP比を先進国並にすること、社会保障費の伸びをGDP成長
率程度に抑制すること、財政投融資を半減することなどが大きな柱だ。国債発
行額も三十兆円を限度にするという努力目標を掲げた。実際には、平成十七年
度予算をみても、その目標は守られてはいないが、将来的にはそうしなければ
国家はやっていけないから、必ず実現させるはずだ。とにかく、国債が四十兆
円、地方債が二十兆円、合わせて六十兆円という借金を毎年つくっていたので
は、誰が見てももう何年もはもたないことがわかってきた。
 
 郵貯は民営化したけれども、国債や地方債の発行額がかわらないようだと、
国家そのものが立ち行かなくなる。郵政民営化はそういう事態を避けるための
第一歩であり、きわめて中核的な第一歩である。

■金融国家への挑戦

 今後、日本は徐々に脱工業化社会へ向けて進んでいく。製造業からの収益に
直接大きくは依存しない社会、すなわち金融立国へつながっていく道を歩みは
じめることになる。それは好むと好まざるとに関わらず、高度な工業社会を達
成した国のみがたどる宿命的な選択である。少なくとも、二十一世紀の最初の
四半世紀の間に、われわれはそういう社会を実現していかなければならない。
 
 郵政公社の民営化は、直接的には借金体質の構造改革の一環として取り組ま
れているにもかかわらず、それによって想定される社会はもはや旧来の工業社
会ではない。新しい金融国家である。それは今アメリカに生まれつつあり、も
ちろん政府だけの施策で創造できる国家ではない。われわれの祖先や先輩たち
が、未曾有の国家的危機に直面したとき、よくその目標とするところを過たず、
克服してきたことを思えば、その子孫たるわれわれが達成できないはずはない
であろう。
 
 産みの苦しみは今ピークに達しているようであるが、民営化法案の成立、新
生日本の誕生を目指し、同志諸氏、最後の詰へと歩を進めていこうではありま
せんか。

■著者略歴■
跡田直澄(あとたなおすみ) 慶應義塾大学商学部教授。和歌山大学講師、帝
塚山大学助教授、名古屋市立大学教授などを経て現職。専門は公共経済学。大
阪大学大学院経済学研究科招聘教授。博士(経済学)。主な著書に、『郵貯消
滅』(PHP研究所)、『財政投融資制度の改革と公債市場』(税務経理協会)
など。ホームページをご覧ください。

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 我慢と辛抱    2005.6.10 小野喜也(昭33経)

 二子山親方が亡くなり、名大関としての土俵上の名場面が放映されて
往年のファンを楽しませてくれました。小さな身体で大きな力士を倒す
技を身に付けるためには,相当以上の稽古の積み重ねがあったことでしょ
う。

 二子山部屋の朝稽古を見学に行き、親方にチャンコをご馳走になった
ことが一度あります。 その時、親方に相撲界の今昔の比較を尋ねまし
たところ、「近頃は日本中の何処から来る新弟子も、我慢と辛抱が出来
なくなった」と語られました。猛稽古で鍛えて来た親方ならではの言葉
でした。

 日本が貧しい国であった時代には、何処の家庭でも必要であった子育
ての基準には「我慢と辛抱」が含まれていたのだと思われます。経済的
な制約からのもの、子沢山の中での兄弟姉妹関係、近隣と親類との交際
など、自己抑制を子供に教えることが生活上から必要でした。

 高度経済成長政策による人口の都市集中は、日本人の意識を根底から
変える大きなうねりでしたが、生活水準の向上は全国に行き渡り、少子
化しサラリーマン化した多くの家庭からは、「我慢と辛抱」を教えるこ
とは消滅したのでしょう。それは既に次の世代へと広がっています。

 「蛍雪、臥薪嘗胆」「艱難汝を玉にす」「辛抱の袋を作り首に掛け、
破れたら縫え破れたら縫え」と、中国から伝わった古語や、格言はもう
見かけることもありません。
 全国津々浦々にいたるまで、冷暖房装置、自家用車、電話、テレビが
普及して、生活水準が向上し、国民の平均寿命が世界最高水準にまで達
したことは大きな成果でしたが、何事も明るい面の裏側には暗い面が付
いているものです。

 子供はほっておいても身体は育ちますが、人間としての頭脳を持たせ
るためには、生後すぐから15〜20年という長い期間の教育が必要です。
特に生後すぐから学齢前の教育は親が担っています。「三つ子の魂、百
まで」と言われる通り、生来の遺伝子と三歳までの基礎教育は人間の一
生を左右します。

 今、乳幼児の子育てをしている人たちの成果は、15〜20年後の社会へ
反映して来ます。人間の社会は古くから、そのくらいの期間で変転を続
けているのだと考えられます。

 そのように考えると「我慢と辛抱」を子供に教える親がいなくなって
から、もうかなりの期間が過ぎていることは、はっきりと認識できます。
フリーターやニートという親や社会に寄生しているような人の数は、も
はや大きな集団になっています。

 イソップ童話で「蟻とキリギリス」を読んで育った世代には、理解し
にくい目先的享楽主義に見えるのですが、人口が減少する将来社会の中
で、これらの人が生存できる場は限られてしまうのではと懸念します。
社会はそれ自体が生き延びるためには構成員を犠牲にすることは、歴史
上に幾らでも例が見られます。

 社会学でいうゲマインシャフトとして、家族や近隣の村落などのよう
に、自然発生的に形成され、成員が直接に面識があり、生活のほとんど
の面で密接に関わり合いを持っていた集団から、高度成長によりゲゼル
シャフトつまり、企業や学校などのように、成員が間接的にしか関わり
合いを持たず、利害計算に基づく契約関係などで動かされる集団へ変化
した日本人社会は、まだそのことを消化しきれていない面が多々ありま
す。
 自らの属する社会と自分自身の立っている位置を学問的にも把握して、
高い視点からこれからの進路を見出さなければなりません。

 相撲界の例に戻ると、一人横綱をはじめモンゴル力士の稽古熱心さは
有名であり、これが「我慢と辛抱」の出来る成長過程を経験したためで
あるとしても、日本人力士にはその条件はありませんでした。
 それではどのような方法を取るのが良いか? スポーツの世界に共通
する問題は、より広い社会生活にもまた共通の問題であります。

 ハングリーでない人が、能力を高めるための厳しい鍛錬を自分に課す
ことの出きる要素は、「理想」「志」「使命感」などなど精神的な満足
を追求する姿勢にあるのではないでしょうか?

 シアトル・マリナーズのイチローの活躍は、その意味からも貴重です。

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 「多数決をしない民主主義 パート2」 2005.5.3 小野喜也(昭33経)

 4月中に自民党合同部会で党内意見をまとめようとした郵政民営化法案は、難
航を続けて様々な妥協が図られましたが、反対派議員は最後まで断固反対の姿勢
を崩しませんでした。

 テレビ報道に写された彼らの言葉には『これは強権政治であり、民主主義に反
する行為である』と小泉首相を非難するものが再々ありました。一方、幹事長の
言葉としては『郵政民営化は自民党の公約だから、限られた時間の中で合意をま
とめるのが民主主義だ』とありました。
 つまり、反対派はもちろんのこと賛成派もまた「民主主義」の基本は、賛否が
あれば多数決で決めるという、小学生に教えている原理原則を認めていないこと
が再確認されました。

 日本は民主主義国家であると皆が思い込んでいるのに、民主主義の第一原則で
ある多数決でで物事を決めているケースは、いったい、この日本でどの程度ある
のでしょうか? そちらから数えた方が早いのが実情でしょう。

 主権を持つ国民の代表者を選ぶ「議員選挙」は、一票でも投票の多かった人が
選ばれています。本会議での議決も多数決原理は守られています。単独過半数を
占める政党は無くなっても、連立与党を様々に組み換えたりして、多数決で議事
は進められています。しかし、本会議に至るまでの過程では、各政党内でも多数
決では話が片付かないことは、郵政改革問題に限らず通例となっています。

 問題は、これらの党内の議論における個々の議員の意見、態度が明確に選挙民
に伝えられない点にあります。郵政改革法案については自民党内の個々の議員が
本会議で自分自身の賛否を投票する方向へ進んでいるようですが、党で決めたこ
とで個々の議員の賛否の投票を認めない「党議拘束」が一般的な手法とされてい
るのでは、個々の議員の本音の意見が国民から隠されてしまいます。

 党議拘束など無しにして、全ての法案に対して個々の議員の院内投票行動が明
確に選挙民に伝えられなければ、国民は代表者を選択する目を覆われていること
になります。
 このように考えると、現在の選挙制度も小選挙区制度として政党の選択をする
ことが重要になっていて、立候補者の意見や過去の投票行動と無縁な比例代表議
席の多いことは、政党の中に個人を埋没させる制度です。。
 現在の選挙法は、各政党の妥協の産物として、定められましたので、このこと
は大なり小なり、各政党の人たちの頭の中味は、本来の民主主義とは懸け離れた
ものであるのかも知れません。

 大勢に従う集団主義、ルールよりは周囲の空気に従う集団主義、これらの慣習
はビジネスの社会では、近年大きな改革を迫られています。資本の国際間移動の
増大と共に国際的にも通用する資本主義本来の制度と運用に迫られています。
しかし、政治についてはこの国際化の動きは起こることはありません。

 このような問題を報道して、何ら自らの意見は表明しないマスコミの姿勢にも、
国民の正しい思考を妨げる大きな弊害があります。日本のマスコミはいつも議論
を二つの対立概念として示して、自らはいずれにも片寄らず相撲の行司役のよう
に、真ん中に居たがる姿勢が通例です。

 今回の自民党合同部会での執行部一任取付けの翌日、この問題を社説に取り上
げたのは日本経済新聞だけでした。お読みになられた方も多いと思いますが、一
部を抜粋しますと次のようなものでした。
-----------------------------------------
社説 国会審議通じ、より良い郵政民営化を(4/27)
形は民営化でも、自民党の要求に応えて譲歩を重ねた結果、どこまで実効を上げ
られるのか、疑問符のつく内容となった。だが、小泉純一郎首相在任中のこの機
を逃せば、民営化は当分、実現しないだろう。
民業圧迫加速の恐れ
 郵政改革の大きな目的は郵便貯金や簡易保険の資金が安易に財政赤字の補てん
や財政投融資に使われないようにし、資金を官から民へ誘導するとともに、官業
につきまとう「見えざる国民負担」を解消することにある。だから郵貯と簡保を
政府から切り離し、市場の規律が働く民間会社にするのが最も肝要だ。しかし政
府と自民党執行部が合意した最終案はこの点が極めて不完全である。
-----------------------------------------
 何故、民営化するのか判らないと言い続けていた反対派議員と、官邸との間に
立つような報道を続けていた新聞社も、実は民営化の必要性は認識していること
が判ります。舞台が国会へ移るので、今度は与党と野党の真ん中に立つつもりな
のでしょうか? 小泉首相であればこそ、ここまで進んで来たという認識は注目
されます。

 個々の議員の各法案に対する意見表明と賛否の評決行動を、新聞が報道しない
のであれば、個々の議員にインターネットで公表することを義務付けることが必
要です。上場会社が株主に対して経営内容の公表を義務付けられていること以上
に、そのことは重要であると考えます。

 この新たな公表義務のルール作りに必要なことは、世論の盛上がりです。
日頃は議員選挙の投票をしない人も、より良い生活を求め実現するには、ネット
による運動に参加する時が、遠からず起こるのではないでしょうか。

 このインターネット演説館を始めたばかりの1999年9月9日に、『多数決を
しない民主主義』を掲載しました。それから5年半余りを経過して日本社会には
様々な変化が起きていますが、頭の中はなかなか変らないものだと痛感させられ
ます。(ご参照)「多数決をしない民主主義」

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「団塊世代マルクス主義者の晩年」   2005.3.18 小野喜也(昭33経)

 人間にとって自分の生まれる前の出来事は歴史に属します。
近世史をあまり教えない学校の教育では、敗戦後60年の間の出来事も、
還暦前の人たちにとっては、歴史上の出来事として、あまり知らないこ
とがあります。今起きていることの多くは、それらの近い歴史の上に成
り立っていることを理解すると、現状がより良く分り問題点の把握を助
けてくれることでしょう。

 1945年(昭和20年)戦争に負けた日本は、連合国軍に占領されまし
た。占領をした連合国としては、4年にわたる長い戦争とそれによる大
きな災厄を、日本が再び引き起さないように、日本を改造をすることが
大きな目標でした。

 欧州におけるナチスの脅威に対抗するために、欧米と手を結んだソ連
は大戦の終り間際の8月9日に対日宣戦布告を行い、満州国、樺太、千
島への攻撃をして多数の日本軍人を捕虜として、シベリアでの強制労働
のため連行抑留し、民間人を追い出しました。小説「大地の子」に書か
れたような民間人の逃避行に際しての残留孤児は、この状況下に発生し
ました。ソ連軍は歯舞・色丹をも奪い北海道への進軍も目前かと思われ、
北海道では共産圏に入るかと大変な騒ぎになったとのことです。

 占領軍は、帝国主義軍事国家であった日本の改造のために、憲法や民
法を変える方針でした。それまで非合法な危険組織として弾圧され刑務
所にいた共産党員も開放されました。主たる目標は民主主義国家への改造
だったのですが、基本は自由主義ですから信仰や政治信条、集会など従来
は規制されていたものを開放したのです。 戦前、戦中の長い弾圧の下で、
共産主義思想を放棄した人も多かったようですが、刑務所の中でも転向を
しなかった人たちは、一躍、英雄として迎えられ、中国やソ連に逃亡して
いた共産党の幹部も、大歓迎の歓声の中に帰国したと報道されたのです。

 空襲で焼け野原が拡がり、社会的インフラから交通機関までを破壊され
た日本の復興は容易なものではありませんでした。台湾、朝鮮、満州、樺
太など海外から帰国する軍人、民間人を受け入れて、日々の食べ物にも不
足する状態となりました。公園に寝る戦災孤児のも沢山いました。
 
 この様な社会状況の中で、新しい憲法が定まり女性にも投票権が与えら
れた選挙が始り、国会の議席は自由主義を中心にする勢力と、共産主義と
社会主義を中心とする勢力に二分されました。

「米よこせ」の飢餓線上の対政府要求から、生活防衛を主体とした労働組合
活動が活発になり、ストライキが横行して皇居前へのメーデーのデモ行進
は警官隊と衝突して流血の惨事となりました。 貧困と混乱の状況下にあ
って、伝統的思想は排除され、自由主義、共産主義と共産主義的社会主義
は急速に国民の間に浸透しました。「マルクス主義に二十歳までにかぶれ
ないのは馬鹿、三十歳過ぎても信じているのも馬鹿」と言われていました
が、理想の社会の実現を目指す当時の若者にとって、マルクス主義は魅力
的であったのです。

 団塊の世代は、このような社会環境の中で生まれ育ちまました。1960年
の安保改正反対の大規模デモの当時は中学生くらいであった彼等は、間もな
く大学学園紛争の時点では大学生として、社会改革と信じた運動へ参加して
行きました。東京大学安田講堂を砦とした警官隊との攻防戦、ヘルメットに
覆面をしてゲバ棒という木製の棒を担いだ学生運動が全盛でした。

 この時期は日本経済は高度成長の途上にありましたから、大卒の新規採用
は盛んでしたが、採用側の民間企業は学生運動に参加した活動家を採用する
ことはありませんでした。おおっぴらではありませんでしたが思想調査が行
われていました。

 そしてマルクス主義を信じた学生活動家たちは、やむなく思想調査の行わ
れない分野へ就職をして行ったのです。彼等の就職先は出身校と学力に応じ
て、次の分野で仕事をすることになりました。国家公務員、地方公務員、
三公社(国鉄、電電、専売)司法関係、弁護士、教員、予備校講師、医師、
新聞社、出版社などなどが主なものです。

 間もなくベトナム反戦運動にからむ、ハイジャック事件や三菱重工業ビル
爆破事件など赤軍派を名乗る暴力的マルクス主義のグループが、軍事闘争路
線を採用してからは、一般大衆から遊離した行動への支持は激減していまい
ました。激しい思想対立とは距離を置いた、政治的無関心層の発生と拡大が
始まりました。

 団塊のマルクス主義者たちは、それぞれの職場においての現実に直面して、
マルクス主義から離れた人たちもいたことでしょう。しかし、守り続けて来
た人たちもいるに違いありません。労働組合の組織率が次第に低下する中で、
日教組は強固な砦であり、地方裁判所の判決にはかなり特異なものも出てい
ます。また青法協なる弁護士団体の活動も公害訴訟や人権裁判など、思想的
な背景を感じさせる活動が続きました。

 しかし、ベルリンの壁の崩壊に続くソヴィエト連邦の解体で、マルクス主
義の時代は70年余で終わりを告げました。共産党を名乗る政党も世界で激減
しました。マルクスの思想ではより良い未来は築けないことが証明されて、
思想自体が歴史化されようとしています。

 若い時代のマルクス主義を理想とした思考が、変わらない人たちのことが
時折、新聞で報道されます。鉄パイプで殴る昔ながらのゲバルト事件、成田
空港反対などにからむロケットや放火の時限装置事件、容疑者や逮捕者の年
齢が50歳台であることにお気づきの方は多いでしょう。後継者のいない思想
分野で、青年期の刷り込みに支配され続けている団塊の世代の存在をうかが
わせるものです。

 「盛者必滅会者定離」と書かれた平家物語、あるいは「万物は流転す」と
説いたデカルトを引き出すまでもなく、時の流れはあらゆるものを刻々と変
化させ不変の常などは存在しないにも関わらず、自らの青年期以来の思考パ
ターンから抜け出せない人たちは多数存在します。これが人間の性(さが)
というものでしょう。

 自らの信じた思想が崩壊し、支持した政党が縮小してしまった人生で、マ
ルクス主義者は職場を去る時が近づいています。今後の数年で上記の職場か
らも急速に消え去ることでしょう。このような環境で、人生の晩年を迎える
彼等の胸中はいかなるものでしょう。若気の過ちが終生まで尾を引くことも
ある先人の例として、現在は若い世代に属する人たちは、自分の人生の選択
の参考にしてください。

 間もなく共産主義思想を抱いた人たちとの闘いを終える国民は、今度は明
治以来の官僚統制と国家社会主義思想が育てた統制主義に基づく、公務員集
団の増殖した利己的な権益との本格的な闘いに進むことになることでしょう。

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『郵政事業を何故民営化しなければならいのか?』 2005.3.13 小野喜也(昭33経)

 新聞やテレビでは、この「郵政事業を何故民営化しなければならいのか?」と
いうことが、よく分からない国民と議員がいると、世論調査に結果などで民営化
反対の動きを伝えています。

 馬鹿なことを言ってはいけません。
国営事業の非効率、非採算性、低サービスが、民営化したために改善されたことは、
国有鉄道や電電公社の先例で国民はすでに経験しています。 大手都銀のいくつ分
の巨大な資金量を持つ郵便貯金、大手生命保険会社のいくつか分の巨大な契約と掛け金
を持つ簡易保険、これらの資金が国民のために使われていないことは大勢の人たちが知
っています。

 国債を買い、特殊法人に融資をしていることは国民のためだという建前ですが、
いずれも国民ではなく国家公務員のために投融資が行われているのです。なにしろ莫大
な資金量ですから、この超巨大国家金融機関から生み出されるこれまた巨大な利権は、
広く深く影響力を持っています。

 中米のコロンビアという国では、貧しい農民の耕作する麻薬コカイン、それを
支配する非合法軍事組織が莫大な富を生み出して、地方・中央の司法、行政組織に
深く浸透しているというケースがあります。郵政の場合、資金源は合法なものですが、
莫大な資金の流れがあらゆる方面へ浸透して、利権を守っていることでは同様ではな
いのでしょうか?

 膨大な焦げ付き債権を整理する過程にある銀行は、金融庁の徹底した監督下におかれ
て違法行為が取り締まられています。仮名の口座開設などはとんでもないことです。
しかし、郵便貯金の実態はどうでしょうか? 一人の預金可能額は1,000万円であり
銀行同様に新規の口座開設は仮名は認めていないことに規則上はなっています。
しかし、現在ある郵便貯金の口座は5億口座以上と、総人口1億2千万人の何倍もの
数があるということです。この数字は、道路公団の改革をん巡って国土建設省と非公開
資料の公開を求めてやりあった、猪瀬直樹さんがメルマガで知らせて来ました。正確な
数字は当局すら把握していないとして明かされないそうです。

 これは全国に散在する全ての郵便局で開かれた口座名義を、一箇所で取りまとめ
て重複を点検する「名寄せ」の作業をしていないことを示しています。民間金
融機関には許されていない行為です。記念切手の取扱いにも様々な疑惑がある
ということです。

 郵政の外郭団体にも、事業の必然性が分からないものがあり、様々に民間事業
を圧迫しています。そして様々な形で全国各地へお金が流れている構図です。他人の
税金で自分たちの負担なしの高速道路を欲しがる人たちと、それを食い物にしている
人たちがいる構図と、似たようなものを感じます。ちなみに、自民党の中で郵政民営化
に反対する議員の顔ぶれは、道路公団民営化にも反対していた人たちと同じなのではな
いでしょうか?

 米国では各州選出の上下両院議員の、議会における活動と投票内容はすべて公開
されています。日本でも同様のことは簡単に低費用で可能です。手前味噌の選挙演説
と口先だけの公約ではなく、現職議員については日常何をしているか、ホームページで
の報告を義務付けて、次の選挙での選挙民の判断が出来るようにして欲しいものです。

 国や外郭団体を支配している国家公務員の集団が、仕事が非効率であるだけではなく、
道徳観を喪失して自己利益を追求している実態を感じている国民は次第に増えています。
郵政民営化を阻止しようという議員は、膨大な利権の一角にからんでいると考えることは
不自然ではないでしょう。

 報道機関もいつまでも中央官庁の記者クラブに取材源を依存したり、相撲の行司役の
ように、国家と国民の二派の真ん中に居たがって、真実を国民へ知らせる努力を怠って
いると、購読者は次第に先細りになるのではないでしょうか?
世論調査を行い、郵政民営化の意味が良くわからないという人が多いようなことを発表
すること自体が、報道機関が政府機関の実態を調査した報道をせずに、公務員側へゴマを擦
っているのではないかと感じるのです。

 日本憲法にある「報道の自由」とは、草案の英語の原文の意味では、政府の持つ全ての
データに報道機関はアクセスする自由を保障している意味だそうです。本来、アメリカで
憲法上保証されているのは、政府の行動を監視する報道機関の役割です。

 この「報道の自由」の解釈を、「チャタレイ夫人の恋人」という人間の性の問題を主
題とした文学作品の翻訳本の出版を差し止めて、訴訟問題化した事件あたりから、本来の
解釈から懸け離れ過った、「報道の自由」持つ意味の解釈と理解が国民の間に拡がり
定着してしまったようです。
これもまた、占領軍に正面からは逆らわずに様々に歪めて旧来の体制を維持しようと
した、国家公務員と政治家たちの努力の産物なのではないでしょうか? 
たしかチャタレイ事件は昭和24〜25年占領期間中の出来事です。
 
 政府の持つ情報の公開、非公開の基準を明確にして、国民の知る権利を守るための立法
が必要です。この法案に反対する議員はすべて落選させなければ、国民のための国民によ
る国民の国家は出現しないでしょう。

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『「ああ言えばこう言う」べき日本の外交 2004.12.30 小野喜也(昭33経)

 世界の中で国の独立を保ち国民の安全を守り、繁栄を目指すためには、安全保
障政策とそれに不即不離の関係にある外交が重要であります。
 日本政府あるいは外務省のこれまでの中国政府への外交対応は、先方の主張の
み報道されていて、国内紙の姿勢にも問題があるのか、具合の悪いことは公表し
ない相も変らぬ官僚の悪癖なのか判りませんが、日本人のディべート下手を痛感
させられます。

 欧米では学校教育の中で、AとBの二つの意見を二派に分かれて論争し、立場を
逆にしてまた論争する、ディベートの訓練が行われています。
 日本の古くからの慣習では「鷺を烏と言いくるめる」というような技術は、精
神的にも受け容れ難いのかも知れませんが、スピーチと共にこのディベートの技
術がなくては、国際間の外交もスポーツのルール改正も、国際的にはなにも自説
を通すことが出来ません。

 中国がことあるごとに日本に対して求めてくる「歴史の認識」問題についても、
先般はじめて小泉首相が、「靖国参拝問題は他の多くの意見の異なる問題の一つ
に過ぎず、包括的に両国のより良い関係を築くよう努力すべきだ」と反論をしま
した。
これは、議論の舞台の幅を広げようという角度であり、言われっぱなしのこれま
でよりは前進した対応ですが、洩れ聞こえてくるところでは、中国政府主脳の日
本政府への非難は、国際的慣行と懸け離れた無礼千万なものであったそうで、本
来はもっと根本的な反論とディベートが必要だと考えます。
 スピーチもディベートも単に相手に対して語るだけではなく、多くの聴衆への
影響から、報道に乗ればさらに広範囲の人々への影響をもたらす効果があるもの
です。

 「歴史」を主題に主張するのであれば、まず、中国と日本との関係は遣隋使の
時代からの歴史を振り返る必要があります。遣唐使も長く続きました、農業から
仏教に至るまで、当時の先端知識が文字と共に日本へ輸入されて、日本からは農
産品、鉱物、水産加工品などが輸出され、日中には数千年にわたり友好関係が維
持された期間があります。

 一方で、敵対的な期間はどのくらいあったかを数えると、元時代の先方からの
襲来と日清戦争と清朝崩壊後の中国の混乱期におけるこちらからの侵攻と、全部
を合わせても、100年未満の期間に過ぎません。武力での衝突はお互いに多く
の死傷者を出し、失ったものは多かったが得るものがなかったことは明らかです。
つまり、「これまでの千年を考え、これからの千年を思うのであれば、短期の違
いは乗り越えて友好関係を発展させることを中心に議論し、お互いの繁栄に繋が
るお付き合いをしましょう。」という、時間軸を変えた論を立てるのが日本の主
張であるべきでしょう。

 また、現在の中国政府の成立には、日本も深く関わっていたという事実があり
ます。共産主義を掲げて蜂起はしたものの共産軍は、国民党軍に包囲され僻地の
山を逃げ回って延安へ落ち延びました。国民党軍が日本軍の侵攻に応戦しなけれ
ばならなくなったために、息の根を止められることもなく、逆に戦線背後の農村
地帯へ浸透して貧農の支持者を増やし、日本軍の撤退後には国民党軍を打ち破る
ことが出来たのです。

 日本で販売されている繊維製品のおよそ7割は、ここ数年間で中国製になった
ということです。その他多くの日本の製造業の生産拠点の移動は、中国に大きな
富をもたらせて経済成長を生み出しています。共産党の一党支配をやめられない
中国政府は、経済と政治を使い分けています。究極的には米国と競うことを目標
としていますから、軍事力の拡大も熱心です。
 大陸間ミサイルも原子爆弾もすでに保有している中国が、60年前の戦争被害
を口実に日本の軍国主義の復活へ言及するなど、おかしな話で、靖国問題を言う
ならば、まずミサイルと原爆を廃棄してからにしろという反論をしなければと思
います。
 アジア経済圏の構築を目差すにしても、他国への武力による恫喝をする中国に
対して、日本は平和主義と環境政策による差別化を打出すことが必要です。潜水
艦や飛行機あるいは調査船で日本の領海への国境侵犯を繰返し、所属の明らかで
はない南沙諸島を軍事占拠しているのは、彼らであり私たちではありません。
 
 国境を接するもう一つの大国ロシアとの交渉もまた、ディベートが欠かせませ
ん。ロシアとは日露戦争で勝利しましたが、昭和20年にはこちらが弱ったとこ
ろを攻められて、北方四島を取られ満州からは大勢の兵士がシベリアへ連れて行
かれ死亡しました。満州移民が悲惨な目にあった原因もロシアの8月9日の参戦
によるものです。今、プーチン政権は石油・ガスの輸出によって経済を建直しさ
らに拡大しようとしています。石油は中国を牽制する道具にも使っています。
中国も中東原油に依存していることが海軍力拡大の背景にあります。

 中東原油への過度の依存から分散をするためにも、ロシア原油の輸入は日本に
とっても必要です。原油を輸入すれば工業製品もロシアへ売れるように互恵関係
は膨らむことになるでしょう。しかし、どうせ輸送パイプライン建設などには日
本の資金をロシアは当てにしていますから、頭を下げて売って貰うことはありま
せん。

 現在難航中のプーチン来日に際しては、ぜひ靖国神社に参拝をして貰い、同時
にシベリア抑留では多大なご迷惑をお掛けして申し訳なかったと、挨拶をして貰
うことを条件にしてはどうでしょうか? これで日本の国民感情は好転して友好
への道が開かれます。 沖縄の何倍もの面積のある北方四島は、返還されると社
会資本の整備だけでも膨大な資金を注ぎ込むことになります。地下資源でも水産
品でも、輸送距離からみても日本が最高の買手ですから、軍事的な覇権を望まな
い日本としては、土地に執着せずに、北方四島への自由往来を求めるのが良策で
あるとするのが小生の持論です。

 プーチン大統領が靖国神社を参拝して、シベリア抑留を陳謝することは、ロシ
アの内政にとっての負担は軽く、中国、韓国、北朝鮮の主張を牽制し制約するこ
とを、国際的に印象づけることも出来るのではないかと愚考しています。
「露をもって中韓鮮を制す」一石三鳥のディベートを当事者に期待したいもので
す。

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『軍隊の安全とは?』   2004.12.9 小野喜也(昭33経)

 自衛隊のイラク派遣期間の延長が決められ、小泉首相の記者会見において
「自衛隊員の安全は確保できるのか? 」という質問が、またもや繰り返され、
テレビニュースや新聞で隊員の安全への懸念が報道されました。

 一年前の派遣開始の時点から、同じ質問が繰り返されていますが、この質問
に奇異な感じを受けているのは、小生だけでしょうか?
 自衛隊はイラク国内の安全を確保するために派遣しているのです。この質問
には、派遣反対派の意図が質問の裏にすけて見えるように感じられます。

 憲法上の解釈はされおいて、日本の自衛隊は世界基準において立派な軍隊で
あり、他国の軍隊や武装勢力に対抗するべき装備を持ち訓練を受けています。
イラク国内には敗戦後も武装して占領に抵抗する勢力があり、自国民を含めた
対象への武力攻撃を行っています。

 政権の崩壊したイラクを再建するために日本が協力するには、この様な状況
の下では、民間人が行くことは不可能です。既に外交官と民間人の殺害と拘束
事件も起きています。治安が悪いからこそ治安を回復し維持するためには武装
した自衛力のある集団の派遣が必要なのです。

 戦闘能力は警察よりも格段に高い自衛隊が、その役割を担うのは当然の選択
です。同じ地域に派遣されているオランダ軍の役割は相互協力を行うことであ
り、先にサマワに行っていたオランダ軍からは、当初は様々な便宜を受けまし
たが、自衛隊を守る役割はないと考えるのが国際的な常識でしょう。

 自衛隊の兵士が殺傷されるようなことのないように計画し行動をすることは
当然ですが、武装しているからこそテロ攻撃を抑止力として機能しています。
テロ活動は正規の戦闘ではないゲリラ戦ですから、相手の弱い部分やタイミン
グを狙って行います。現状は非武装あるいは軽武装の弱い部分への攻撃が、主
体となっています。

 自殺攻撃もありますが、この攻撃要員は無限に湧き出ることはありません。
他国から進入している戦闘集団にしても、人的損傷はなるべく抑えることが軍
事行動の常識であり、であればこそ、離れた所からのロケットや迫撃砲での攻
撃を選択しています。

 フセイン政権崩壊後のイラク国内には様々な勢力があることは当然です。
イラク再建について方法論について考えの相違もあるでしょう。しかし、多く
の国民が自らの考えによる投票に参加することで、自国の運営方法を決めるこ
とは復興と再建の前提的な必要条件です。自分達の将来を自分達で決めること
に反対はないでしょう。

 来年1月に予定されている選挙へ向けて、妨害活動は収まることはないでしょ
うが、選挙を経て政治を安定させ治安の回復を図らなければ、国民の生活は安
定しません。自国の治安を自国民で保つ組織と装備を整え訓練することが、誰
が暫定政府を担うにせよ、独立国家の行うべき最初の必要な行動です。外国の
軍隊の駐留と武力行使を終わらせるには、自治の確立が必要です。

 イラク国民にとっても未体験の民主主義国家の建設は簡単ではないでしょう。
昭和20年以降わが国の辿った道を思い返せば、そのことは容易に想像できます。
 であればこそ、人道的な支援という当面の不可欠な援助に留まらず、イラク
の着実な国家建設によって中東地域の安定度が高まり、ひいては世界の安定に
繋がるように、日本も国として力を注ぐことが必要であると思考します。

 紛争を抑止し環境を保全して、世界の民生の向上に努めることを日本国の目標
とすることが必要です。世界に貢献する日本の役割の幾つかは既に活発に機能し
ています。これらをさらに推し進め、拡げていくことによって、世界の中での
存在価値を高め、自らは誇りを持ち他からの敬意を受けることが出来るように

なるでしょう。 

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『巨大な構造変化』   2004.11.3 小野喜也(昭33経)

 
 本年7月から7年ぶりに実業の世界へ戻って、改めて日本が大きな構造変化の過
程の渦の中にいることを感じています。
 バブルの崩壊以降、これまで繁栄を築き上げて来た様々な仕組みに、大きな問題
が生じていることが次第に明らかになり、改善の方向へ向けようという試みが進ん
でいることはご皆様ご存知の通りです。。
 それらの中で、伝統的な仲間内の連帯意識を中心とした「情緒」の支配する社会
から、明文化された法律を中心とする「論理」の支配する社会への転換が図られて
いることは、特に注目を要するところです。

 私達が大昔の先祖から代々引き継いできた、良くも悪くも日本的な社会は大きく
変わりつつあります。マスコミの報道ではこのような巨視的変化は、ほとんど取り
上げられませんので、最近、報道された出来事の背景にもそのような変化が影響し
ていることを、ご一緒に見てみたいと思います。

 慶應義塾に、この4月から法科大学院が開設されたことは、ご存知の方も多いと
思います。「司法改革」の一角として法律家の養成機関を拡大して水準を引き上げ
司法に携わる人を増やすための法律が作られたことが、この動きの背景です。

 ビジネス社会にも新しい動きがあります。住友信託との合併契約を結んだUFJが、
一転して東京三菱と合併へと方針を切り替えたことに対して、住友信託は差し止め
の仮処分申請を地方裁判所へ行いました。地裁の判決は差し止めを可とするもので
したが、ご承知の通り、控訴による高等裁判所ならびに最高裁判所の判決は差し止
めをしないというもので、司法の見解が分かれました。

 少し前に、カネボウが花王との化粧品部門の合併契約を結びながら、会社全体が
産業再生機構による再建へと方針を転換した際には、花王は契約違反を訴追しよう
とはしませんでした。それだけに住友信託の訴訟は、これまでとは違う企業行動と
して、意外性がありました。契約違反による損害から企業を守ろうという企業社会
の大きな意識変化が見てとれます。

 裁判所の立場もまた、提訴にされた特定案件に限定した司法判断を示した高裁、
最高裁の従来通りの消極主義だけではなく、地裁のように契約という事実に基づい
た、一般概念に重点を置いた積極主義が示されたことは、興味深いものがあります。

 この住友信託の訴訟方針については、様々な見方と観測があると思いますが、そ
の背景として大きな構造変化が起きていることを感じざるを得ません。

 それは、これまでの企業間の株式持合いによる安定株主層が維持出来なくなって
いるという、大きな構造変化であります。日本の上場会社は従来、取引先企業、金
融機関、企業グループなど法人相互で株式を持ち合っていて、これらの安定的株式
所有者からの過半数を越える株主権行使の委任状を得て、株主総会は儀式的な行事
として行ってきました。

 少数の株式を保有する個人株主にも総会の案内はあり、出席は可能でしたが、議
案の採決に必要な過半数どころか、特定重要議案に必要な三分の二をも越える委任
状を握る、経営者の思うままの総会運営が可能でした。
 しかし、主として金融機関の整理統合と不良債権処理の進行により、持合株式の
整理・処分が進み、一般企業の合理化推進もあって持ち合いによる安定株主構造は
崩れ、一転して解け合いによる不安定化が進行しています。
 2004年の株主総会では、三分の二の特別決議が取れなかったり、議案提出を
事前に諦めてしまったケースが生じているということです。

 大株主にはこれまでと異なり、外国の会社や年金基金などの名が並び、外国人株
主比率の高い上場会社も増えています。外国人株主は当然のことながら経営者に対
しての株主権の行使については、仲間内の気安さは無く、法律に沿った厳しいもの
になります。無条件に委任状をくれることよりも、個々の議案について反対の立場
を投票する場合も起きています。シャンシャン総会は終焉を迎えつつあります。

 今、上場会社の経営者は、株主に対する責任の問題で、大きな変化に見舞われて
いるのです。商法が変わり「株主代表訴訟」が行われられるようになったことに加
えて、「まあ、まあ」と顔見知りの間の情緒的な大株主との関係から、弁護士を抱
えて論理で迫る大株主との関係に対応しなければなりません。会社に損害を与えた
経営者に対しては、損害賠償請求を含む厳しい追及が起こります。

 この構造変化こそが、住友信託の行動の背後にある状況であり、訴訟をしなけれ
ば、経営側としては株主側からの責任追及に耐えられないということも、あり得る
のです。

 また、中部電力では、内部告発に端を発した「法令順守調査委員会」調査の結論
として、実力会長への辞任勧告が行われました。広く社会を規範する法律よりも、
仲間である企業内の秩序や都合を優先させて来た、日本の企業文化は崩壊過程にあ
ります。経団連もこの流れは正当であるとの認識の下に「行動規範」をまとめてメ
ンバー会社へ配布しました。そして、新しい立法として「内部通報者保護法」が準
備されています。

 これまでは、会社の悪事を外部へ通報するなどは裏切り行為として、認められな
かったのですが、これまた一転して、会社の反社会的な悪事を防止して、会社を守
ったというプラスの評価を受けることになります。
 内部告発と名前は変わっても、昔からある「密告」ですから生理的嫌悪を感じる
人も、まだ数多くいると思いますが、これもまた構造変化の一部です。

 西武鉄道を巡る証券取引法違反の問題も教訓的です。上場廃止となり、まだまだ
拡大しそうな展開ですが、会社を取り巻く環境と土台の構造の変化に対して、トッ
プが対応出来なかったことになるのでしょう。これまでは問題にはならなかった事
柄が、問題にされるようになることは、世の中にはあるのです。

 創業者の築いた経営モデルが通用しなくなっていることに気付かなかったか、あ
るは気付いても変えられなかったことで指弾を受けることになりました。資本市場
を利用して外部資本を使いながら、未上場会社を通じた上場会社の支配を続けてい
て、株主構成という基本部分の開示内容に偽りがあったのですから、これはルール
以前のモラルの問題です。

  自己利益の追求を第一とし、法律もルールも軽視して、網を潜り抜けることに
努めていたという点では、この西武鉄道を指弾する資格はない人は数多く存在しま
す。創業者の死に伴う相続税納付額の少なかったことでも堤家は名を馳せましたが、
その秘訣を探り真似をしたいと考えた資産家は少なくありません。

 税金を逃れる方法の無い給与生活者に対して、所得の捕捉が充分に行われ難い
商業者、農業者との徴税率の格差は、依然として大きいのではないかと思われます。
9,6,4(クロヨン)とか10,5,3,1(トーゴーサンピン)と言われる徴
税率格差への報道は減少していますが、申告納税を正しく適正に行っていない人に
とっては、他山の石とするべき問題でしょう。

 このような変化の小さな波は、これまでにも幾つも経験している方は多いでしょ
うが、今起きている構造変化は、長い周期で起きる大きな波ですから、広い視野で
見ないと見えにくいのだと思われます。

 これまでは鉄壁で守られていた、経営トップも無事ではいられないのですが、改
正された独禁法によると、トップのみならず取締役の責任追及などもまた極めて厳
しいものです。カルテル行為などの違反への課徴金が大幅に引き上げられました。
 賠償責任請求は本人に留まらず家族にまで及ぶ場合があるようです。しかも、カ
ルテル行為の自白ともいうべき最初の通報者は課徴金を免除され、2番目の通報者
は50%への減額、3番目は25%引きと、正に自首を奨励する仕組みにしていま
す。

 会社のためにと身体を張って、法律違反行為を重ねて来た時代は終わりを向かえ
つつあります。会社は株主と社会から適法性を求められて、会社のために違法行為
をした社員を温情的に保護する力を失いつつあります。
 法務部を持つ会社はまだ多くありませんが、会社のトップの立場にいる方は、法
律問題に対処するためには、少なくとも顧問弁護士を持たなければならない事にな
るでしょう。特に輸出入など外国との関わりの深い会社が先行して、対応に迫られ
ています。

 情緒主体から論理主体への移行は簡単ではありませんが、それでも次第に社会全
般への浸透をして行くものと予想されます。
 この事は、家庭内での親子間の摩擦の原因にもなり得ますし、会社や組織内での
上司と部下の意思疎通の障害ともなり得ます。お互いに他人事ではありません。
私達すべての日本人にとって避けて通れない構造変化が起きています。

 「法の前の平等」という法治主義の進行は、必ずしも悪いことではありません。
行政による法律ではない省政令、通達などによる人冶主義から離れて、ほんとうの
民主主義へ向かう可能性も含んでいます。
 国家財政は破綻を迎えています。歳出を抑えるか、増税による歳入を図るのか、
歳出の恩恵を過分に受けている層と、税を負担している層との、対立は厳しさを
増して来ます。官から民への移転を飛躍的な厳しさで進めなければ、国民の増税
負担は必ず大きくなります。

 この日本もやがては、法律は国家公務員が法案を作成するという、明治政府以来
の流れから離れて、国民に選挙で選ばれた議員が作成する、民主主義の原則が行わ
れる日がやって来るのかも知れません。しかし、日本のどの政党にも十分な立法能
力がありませんから、それまでにはまだまだ長い歳月が掛かりそうです。

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『父が子に教える「日露戦争」からの想い』

            2004.06.14 小野喜也(昭33経)

 文芸春秋5月号(2004年)に父が子に教える「日露戦争」という題名の特集
が掲載されました。自国の歴史は、父が自分の世代から祖父の世代へと時を遡
って子供に教えるべきだとの持論から、さっそく購読してみました。

 日露戦争は明治37年(1902年)2月に宣戦布告し明治38年(1904年)10
月に講和条約を締結しましたから、この特集に記事を寄せた方々は、当然なが
ら当時を生きていた訳ではありません。ただし、当時のことを様々な角度から
書かれていて、大変に興味深いものがありました。

 現代の父親が子供に教える場合は、自分の祖父あるいは曾祖父の時代のこと
と言うことになりますので、子供に教えるためには、日露戦争前後の世界と日
本についても知識が必要になります。ところが昭和20年以降の学校における
歴史教育は、小生自身の体験からも明治維新以後について詳しく教えませんで
した。その理由と背景はこの文の本筋ではありませんので割愛します。
 私たちの祖父や曾祖父が生きた時代はどのようなものであったか、今一度ご
一緒に振返って見ましょう。そのことは、これからの将来を考えるために役立
つことでしょう。

 江戸時代の末期に植民地を世界中に拡大していた西欧諸国の、日本開国の要
求の中で、徳川幕府が1958年にアメリカのペリー提督の求めに応じて鎖国か
ら開国へ政策転換をしてから、10年にして日本の徳川幕府の体制は崩壊し、明
治政府が成立しました。
 明治政府は西洋からの事物を導入して近代的国家へ向けての大改革を推進し、
幕府が諸外国と結んだ不平等条約の改正へ向けての努力も始まりました。
 関税権や外国人居留地における裁判管轄権など、独立国として当然持つべき
諸権利を回復するためには、近代的国家としての諸制度を築かねばならず、そ
のためには大改革が必要でした。

 その改革の途上に、朝鮮半島の近代化を巡る朝鮮内部の政争による対立を受
けて、両派の要請を受けた日本と中国の対立となり、ついに「日清戦争」明治
27〜28年が起こりました。日本は清国との戦いに勝利しましたが、賠償とし
て獲得した支那大陸「遼東半島」はロシアを始めとする三国の干渉により放棄
させらました。
 支那大陸の領土割譲(香港、マカオ、沿海州、上海租界など)の時期を経て、
西欧諸国は相互牽制をしながら支那大陸への浸透を領土ではなく、経済圏の確
保へと指向を変化させていて、日本への領土獲得を許しませんでした。

 このことは、アメリカがハワイを支配下に収め、米西戦争に勝利してフィリ
ピンを勢力圏に置くことによって、ようやくアジアへの進出を本格化し、支那
大陸における主権を支那人とする政策を進めて、植民地を持つ他国を牽制して
いたことと密接に関係しています。

 一方、ロシア帝国は、清国政府の弱体化する中で、沿海州の割譲で得たウラ
ジオストックの凍らない港に満足せず、満州(中国東北地区)に敷設した鉄道
を伝って、軍事力支配の範囲を東支那海への港である旅順にまで進出させて、
さらに朝鮮半島への触手を伸ばそうとしていました。
 ところが、朝鮮半島は古代から日本列島の安全保障を左右する重要な位置に
あることから、すでに清国の支配力を排除していた日本は、ロシアと対立をす
ることになりました。
 戦うか? 妥協するか? 明治政府の内部は二つの意見に分かれ、満州はロ
シアへ日本は朝鮮半島をと、支配地域を分ける妥協案への努力もありましたが、
実ることなく、日英同盟を結んでロシアと対決をする方向へ進みました。
 開戦を決意した年は明治維新の行われた1968年から僅かに34年後です。
ロシアは既に、江戸時代には北海道から長崎まで来航し開国を求めていた強大
な國であり、そのロシアと戦うことは、大変な決意であったと思われます。

 「文芸春秋」の中の竹森俊平教授(慶應義塾大学)の文によると、この頃の
日本は繊維産業が工業の中心で、機械や鉄鋼の生産は微々たるもので、軍艦や
大砲は輸入していましたから、戦争をするための資金力は大きな問題でした。
 当時の日銀総裁、深井英五氏の言として「日露戦争の戦費は約15億円、当時
の国家予算は3億円見当、金準備は1億円強、兌換券発行残高は2億円台という
規模であり、国債による資金調達が必要で、それも軍需物資の多くを輸入して
いることから、外国で国債を発行する必要があった」と書かれています。
 当時の世界は金本位制を採用していましたから、輸出入の決済は金、金貨あ
るいは金との交換を政府が保証する兌換紙幣でした。したがって、ロシアと戦
うためには、国家予算の5倍もの借入を外国から行う必要がありました。
 高橋是清日銀副総裁の奮闘によって、ロシアの勢力拡大を抑止したいイギリ
スの諸銀行と、アメリカの銀行が日本国債の募集に応じました。極東の小国で
あった日本への軍備目的の投資は極めてリスクの高いものでしたが、この国債
発行による資金調達の成功により、日本は日露戦争を戦いました。

 イギリスは日本海軍の主力となった新鋭軍艦を輸出し、東郷平八郎提督の率
いる日本海軍が、北洋から遠洋航海をして来たバルチック艦隊との日本海にお
ける海戦で、パーフェクトゲームで撃滅したことに、イギリスの造船所の人達
は拍手喝采をしました。しかし、イギリス国民全体と、西欧諸国としては東洋
人の新興国の勝利に不安を感じました。
 一方、長年にわたりロシアと争って来た周辺諸国や、植民地として西欧諸国
の支配を受けていた中東、アジア、アフリカなどの諸国の國民は大きな感動と
勇気を与えられました。

 日露の講和交渉は、アメリカのボストンに程近いポーツマスで開かれ、当時
のルーズベルト大統領の仲介が大きな力となりました。満州の奉天における日
露の陸軍同士の大会戦での日本の勝利もあり、更には共産主義者の台頭による
ロシア国内の混乱を背景に、ようやく日露戦争は勝利に終わりました。
明治政府のリーダー達は、国際情勢を踏まえて、乾坤一擲の大戦争を冷静に戦
い、国力の限界を知りつつ薄氷を踏む思いで、終結へも努力を重ねたと考えら
れます。

 しかし、この日露戦争の講和条件として得た、満州(中国東北地区)の鉄道
管理権を足掛かりとして、満州へ進出をした日本はやがて派遣兵力の増強を続
け、第一次世界大戦の後には、滅亡した清のラストエンペラーを皇帝とする満
州国設立へと進んで、西欧諸国の利害と鋭く対立することとなりました。
 そして、ついには国際同盟を脱退し、ドイツとイタリアとの同盟を結び、ソ
連と不可侵条約を結んで1941年12月に突入したアメリカ、イギリス、オラン
ダ、フランスとの戦争に完敗し、1945年8月には日本の歴史上初めての外国
の占領下におかれることになったのです。

 日本が何故、このような強大な国々の連合との戦争を始めたのか? 開戦前
の政府機関の検討でも国力の限界は、日露戦争と同様に示されていたのに、停
戦と講和への策も見通しも無く、進んでしまったのか? この近代史は今後の
ために日本国民自らが究明しなければなりません。

 ヒットラーやムッソリーニのような独裁者の存在は日本にはありません。
大日本帝国憲法の定めでは天皇も独裁は行えません。討論と投票の多数で決め
る習慣の無かった日本人は、大勢の人の動きに従う習性が強くあります。自分
で考えて決めるよりは、流れを見て行動する習性は現在もまだ色濃く残ってい
ます。
 民主主義はまだ根付かず、戦勝を重ねて来た軍部の指揮権と政府組織の問題
もあって、5.15と2.26の軍事クーデーターは不成功に終わりましたが、次第
に国家社会主義を信ずる右翼のテロ活動と軍部の政治への圧力が高まり、国際
的視野と冷静な判断の不足した空気が濃くなり、新聞の論調による影響も受け
て間違った方向へと流れが進んだと考えられます。

 律令国家以来の日本経済の中心であった、水田農業の仕事では近隣の上手な
人の作業を真似していれば、似たような収穫が得られ、これは「隣百姓」と呼
ばれています。また、近隣に背いて迷惑をかけると「村八分」という、火事、
葬儀、以外の総べての生活において地域社会である村から除外されてしまいま
す。 異質異端を認めないのが村社会です。
 村社会の運営は、時間をかけた根回しと協議の積重ねで、故事を長老に尋ね
て、時間をかけて合意を形成して行われます。多数決で1人でも数の多い方へ
と方針を決めることはありません。

 これは考えてみると、現在でも私たちの身の回りに満ち満ちている習慣なの
です。新聞がテレビが皆が、そう言っているから、自分も同じようにした方が
無難で安全だと考える人が多いのであれば、またしても、日本は大きく過った
方向へ進んでしまう危険があるのではないかと懸念されます。
 国際環境はいつでも変化を続けていますが、冷静な目配りは出来ているでし
ょうか? 安全保障の枠組みを国民は理解しているでしょうか? そして国家
財政の実態を国民はどのように理解しているのでしょうか?

 現在の国家予算の規模は80兆円、国債の発行残高はすでに520兆円と
6倍に達し、日露戦争の時の5倍を越えています。地方債の発行残高を加え
るとなんと920兆円と12倍近くまで達しているのです。7月の参議院選
挙を前にして、年金問題が与野党間の大きな争点になっていますが、これも
財政危機と同じ根から生まれた問題です。國の債務をこれだけの額まで増や
すことに、どれだけの決意や覚悟と決断があったのでしょうか、むしろ誰も
責任を感じいないままに流されて来たのではないでしょうか?

 誰かが何とかしてくれるだろう、自分が投票をしてもしなくても生活状態
は変らないだろうと、自己中心に暮らしていると、明治の政府ではなく昭和
前半の政府のもたらせたような悲惨な結果へ引きずられて行くかも知れませ
ん。外国との戦争ではなく、国内の問題によって積上げられた国債というこ
の負債は、親の世代から若い世代へと、これから生まれてくる子供たちの将
来の納税負担を増やすための、マイナスのプレゼントです。

 この財政破綻の危機が進行している状況にも関わらず、選挙の投票率は低
迷を続けています。投票をしないのは若者と女性が多いのです。
 若い世代の人達が、自分達の先行き知りながら、選挙権を使わずに棄権を
続けているとは考えられません。恐らくは、学校でも親からも教えられなか
ったために、何も知らずに呑気に過しているのでしょう。
 女性たちは明治憲法においては政治に参加することは認められていません
でした。59年前までは投票の権利はなかったのです。男女同権を主張する
声は広まっても権利行使の最重要項目である選挙権を使わないのは何故でし
ょう。自分の身の回りと目先のことしか考えていないのでしょうか。

 国会でも地方でも議員選挙で、若い世代と女性の投票率が10%も高まれ
ば、おそらく議員の顔ぶれは大きく変化をします。自らの運命を切り開くの
は国民全体の意識の在り方です。
 一度の選挙ですぐに総べては変りませんが、積み重ねることでより良い方
向へ進んで行くよう努める必要があります。選挙区による一票の較差につい
ての最高裁判所の判断も今年の1月には変化しました、このことは憲法改正
への動きを加速します。 私たちは将来へ向かっての大きな岐路に今差し掛
かっています。 
 歴史は受験競争で暗記だけの学問にされていますが、本来は将来を決める
為にこれまでのことを考えるための学問です。歴史を今一度、父の代から遡
って手前から見直しましょう。

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『増え続けるフリーター』 2004.05.15 小野喜也(昭33経)

 世界経済の環境変化と構造的な長期不況によって、日本の雇用環境も変化をして
います。日本の雇用の特色としてこれまで効果のあった、永年勤続と年功序列賃金
体系、福利厚生と諸手当制度も、固定費の軽減化のために変化を迫られています。

 新規雇用需要も減退して、新規卒業者の就職率も低下をしていることが、戦後
初めて新卒者失業率の上昇として問題になって来ております。

 しかし、一方では、就職先の一員となるための様々な拘束性を好まない学生が増
えているという問題が平行して起こっています。このことは東京大学卒業生の進路
希望の筆頭が国家公務員から弁護士へと変化したことにも現れていて、一般的には
定職に就かないで臨時雇いの仕事を続ける「フリーター」と呼ばれる人たちが増え
て、國全体では417万人に達したと報道されています。

 慶應義塾発行の学生と保護者向けの冊子『塾』の2004 No:242 SPRING 第5
ページに、卒業生の進路状況 平成14年度(平成15年3月卒業)業種別就職状
況が掲載されていました。大学と大学院の両者についてです。

      大学卒業者 (大学院修了者)

製造業    23.31%  (50.88%)
金融・保険業 21.43%  (6.58%)
情報通信業  16.76%  (17.27%)
サービス業  12.82%  (8.23%)
卸売・小売業  9.88%  (1.88%)
運輸業     3.94%  (1.65%)
公務員     3.71%  (2.70%)
不動産業    2.00%  (0.35%)
教育・学習支援業 1.94% (4.11%)
電力・ガス、熱供給、水道業 1.19% (2.59%)
建設業     1.04%  (0.47%)
飲食店・宿泊業 0.93%  (0.11%)
医療・福祉   0.14%  (2.47%)
鉱業      0.09%  (0)
漁業      0.09%  (0.11%)
その他     0.75%  (0.60%)

卒業者数  6,192名   (1,406名)
就職者数  3,449名   ( 851名)
進学者数  1,057名   ( 175名)
その他   1,686名   ( 380名)

 このデータをご覧になってのご感想は如何ですか?
就職先業種については、時代による様々な変化が読み取れると思います。
しかし、最も目を引かれたのは就職先ではなく、就職をしなかったのか、「その他」
の卒業者数の多い点です。
大学生で27.22%、大学院生で27.02%もいます。4人に1人以上の人が「その他」
に分類され、就職をしていないという様に読み取れます。

 これまで慶應義塾では、就職出来ない卒業生が増えているなどとは、ほとんど話
題に上ったことはありませんでした。就職率は極めて高かったのです。
 この「その他」に分類された、就職をしない人の中には、司法試験、公認会計士
など各種資格試験を受験する人がいるようです。また、ベンチャーを立ち上げよう
とする人もいるでしょうが、その数は判りませんし、しかし、これだけの人数がい
るとは考え難いので、フリーターになっているのではないでしょうか?

 全国平均では卒業者の7人に1人の割合で、フリーターがいるそうですが、慶應
義塾の比率は懸け離れて高いものです。塾当局の出版物や塾生の新聞には、フリー
ターについての記事が見当たりませんので、気に掛ります。

 フリーターも一種の職業であるかも知れませんが、今後はより高度の知識と技能
とが必要である社会で、独学でそれらを獲得することが出来るのでしょうか?
 一般にフリーターの仕事は、短期間に修得できる程度の技能しか要求されません。
いつでも雇用を調整できる臨時雇いですから、従事者の技能は進歩せず一度フリー
ターになると、そこから抜け出すのは難しいでしょう。

 國全体としての失業率やフリーターの議論の中に、就職したくても出来ない人た
ちの他に、自ら定職に付くことを避けている人たちが大量に発生しているのではな
いか、という視点を含めることが必要だと感じます。これは経済問題ではなく家族
問題であり教育の問題です。

 この現象は、女子学生の増加と関係があるのでしょうか? 男子よりも優秀な女
子卒業生の増える中でも、女性の結婚と育児を含む職場環境の現状には、改善すべ
き多くのことがあります。また、女性の自立についての親の意識にも、結婚と専業
主婦への道を望む願いが色濃く残っているのかも知れません。

 発表数字に性別は表示されていませんが、いつまでも社会へ出たがらず親に寄生
している人たちパラサイト族が、男女ともに猛烈に増加しているのではないでしょ
うか? 「親離れしない子供」の裏側には「子離れしたがらない親」の姿が透けて
見えるような気がします。

 小子化による人口減少はすぐに始まります。急速に高齢化する人口構成に対応す
るための、年金、健康保険など福祉政策は大きな変化で対応しなければなりません。
ただでさえ少ない子供たちの中で、働きたがらない人の比率が高まるようでは、先
行きの展望は開けません。

 自ら働き自ら食を得ることは、国家でも個人でも「独立」の基本です。
激しい国際競争の進行する世界の中で、日本が比較優位を保つための競争力の源泉
である人的資源の後継者たちの指導育成は、國として社会として最も重要です。

 社会の先導者の育成を目指して、『独立自尊』を掲げる慶應義塾の卒業生の現状
には、肌寒い思いがあります。

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『日本の治安は本当に悪化しているのか?』 2004.05.05 小野喜也(昭33経)

 昨年来、治安の悪化がマスコミで数多く報道されて、世論調査にも不安を訴える
国民が増えているとされています。そのために警察官の増員などの施策を含む、治
安維持強化の予算が成立しましたが、実態はどうなのでしょうか? 

 とかく、新聞の活字になったりテレビで報道されることを、鵜呑みにしてしまう
人の多い我国の世論には、かって戦争へ引き込まれた時と同じような、危なっかし
い面を感じます。
 感情と情緒